胡桃さんからの告白を受けた翌日。
俺はどこか上の空で、一日をぼんやり過ごしていた。
「…とき…なり」
朝からずっと頭の中は胡桃さんのことでいっぱいだった。あの言葉は本気だったのか。もし本気だとしたら、俺はどうすればいいのか。
「ちょっと、聞いてるの? とき…」
それに、何より自分の気持ちが分からない。
あの時、胡桃さんに「好きだ」と言われて……嬉しかった。
胸が跳ねて、息が詰まるほどに。けど、あれは彼の見た目に惑わされただけなのか?
それとも、俺は本当に…
「時成! 聞いてるの!?」
「おわっ…!」
気づけば汐音が、ぷくっと頬を膨らませて俺を覗き込んでいた。
放課後、汐音と一緒に帰っていた途中だったのを、完全に忘れていた。
「朝からずっとぼーっとしてるじゃない。何かあったの?」
心配そうな瞳が、まっすぐ俺を見つめてくる。
その視線に罪悪感を覚えつつ、俺は曖昧に首を振った。
「いや、別に…ちょっと考えごとをしてて」
「……ふうん?」
汐音の声は小さく、少しだけ尖っていた。
けれど俺が言葉を濁すと、今度はほんの少し不安げに顔を近づけてくる。
「ねえ、時成。何を隠してるの? 僕、時成のことなら何でも受け止めるよ。だから……」
だから、ちゃんと教えて。
そう言って、汐音は俺の手をそっと握った。
その指先がかすかに震えていて、胸の鼓動が伝わってくるようだった。
ちょ…距離近くない!?汐音の端正な顔が近付いてつい、唇に視線が向かってしまう。
「し、汐音…距離近いって…」
「そんなことないよ。僕たち、友達でしょ? これくらい、普通だよ」
そう言いながら、汐音はさらに距離を詰める。
唇が触れそうなほど近くて、頬が赤く染まっていくのが分かった。
その瞳には、不安と焦り、そして…どこか嫉妬めいた光が見えた。
「時成、お願い。僕にだけは、隠さないで…」
どうしてそんな必死な顔をするんだ。
汐音のいつもの柔らかい雰囲気とは違って、今は何かに怯えているようだった。
俺が口を開こうとした、その時…
「まぁまぁ、汐音。そこまで迫ったら、時成くんが困るでしょ?」
落ち着いた声が割り込んできた。
振り向くと、胡桃さんが微笑みながら立っていた。
「兄さん…なんでここに?」
汐音の声がかすれる。
胡桃さんは軽く肩をすくめて、優しい笑みを浮かべた。
「理由なんてどうでもいいよ。ボクはただ…“時成くんに会いに来た”だけだからね。ねぇ、“ボクの”時成くん?」
“ボクの”
その一言を強調するように、胡桃さんは柔らかく笑う。汐音の眉がぴくりと動き、視線が鋭くなった。
「“ボクの”って…どういう意味? まさか、兄さん…」
「そのままの意味だよ。汐音の想像通り。ボクは昨日、時成くんに告白したんだ」
空気が凍り付く。
汐音は息を呑んで、信じられないというように俺と胡桃さんを交互に見つめた。
「…そん、な…いつの間に…こんなに速く…」
「まぁまぁ、焦らないでよ。ボクは正直者なだけさ」
胡桃さんは淡々とした声でそう言いながら、俺の腕にそっと触れた。
その仕草がやけに自然で、まるで“もう自分のものだ”と言わんばかりだった。
汐音はその様子を見て、唇を噛みしめる。
視線の奥には、悔しさと嫉妬が渦巻いている。
「時成は……どう返事をしたの?」
掠れた声で問う汐音に、俺は小さく息を呑んで答える。
「まだ、答えてない。……正直、どうすればいいのか分からなくて」
その言葉に、汐音は一瞬だけ安堵の息をついた。
けれどすぐに俯いて、小さく呟く。
「…そっか」
安堵と同時に、言葉にできない不安も滲んでいた。
そんな汐音を見て、胡桃さんがふっと笑う。
「だからさ、ボクは頑張って時成くんにアピール中なんだ。…と言うことで…ね、時成くん。少しデートでもしよっか」
「え、ちょっ……」
胡桃さんは言葉を遮るように俺の腕を引き寄せた。細い腕からは想像できない力で、逃げる隙を与えない。
「そ、それは…! 僕だって一緒に行きたい!」
汐音が声を上げるが、胡桃さんは穏やかに首を振る。
「ごめんね、汐音。ここはお兄ちゃんに譲ってくれないかな?
ボクも本気なんだ。……君の友達を奪う覚悟くらい、もうしてる」
「兄さん…!」
汐音の瞳に、涙が滲んだ。
流石に今の汐音を置いておくことはできない。アイツの友人として、俺は汐音を助けたい。
そして、俺はたまらず汐音の方へ手を伸ばそうとするが
「ダメだよ、時成くん。君はボクと一緒にいるべきだ」
胡桃さんが強く手を握り、囁く。
その声は優しいのに、どこか冷たくて、拒絶を許さない。
「兄さん、離してっ!時成を離して!」
汐音の叫びが背中に届く。
けれど胡桃さんは振り返らず、俺の手を引いたまま歩き出した。
振り返る勇気が出なかった。
ただ、汐音の泣きそうな声が、遠くで何度も俺の名を呼んでいた。
――――――――――
場所は変わり、駅前のカフェに来た。
昨日、胡桃さんに告白された……そして、額にキスされた場所でもある。
「…あのですね、胡桃さん」
俺は小さく息を吐き、意を決して口を開く。
「貴方の気持ちは嬉しいです。でも、俺だってまだ心の整理はついてない。
それに、汐音への言い方……少し厳しすぎたんじゃないですか? アイツ、さっき泣いてましたよ」
胡桃さんは何も言わず、微かに目を伏せた。
だが次の瞬間、ふっと唇を緩めて静かに微笑む。
「そうかもしれないね。でもね、ボクはそれほど君を好いているんだ」
柔らかい声の奥に、どうしようもない熱が滲んでいた。
「君が誰かに優しくするたびに、胸が焼ける。
汐音の涙も、本当はどうでもいいと思ってた。だって…ボクは君しか見ていないから」
「胡桃さん…」
胡桃さんはそっと身を寄せ、指先で俺の胸元をなぞる。その仕草は穏やかなのに、どこか逃げ場のない圧を持っていた。
「ボクは君を愛してる。君を手に入れたいし、君の全部を知りたい。
もし君から拒まれても……ボクは、きっと止まれない」
囁きながら、胡桃さんの指が俺の胸をスーッと滑る。
その感触に思考が一瞬、空白になる。
耳元にかかる息が甘く、震えるほど近い。
そして、その腕は俺の首に回され、顔がキスできてしまうほどに近づく。
「時成くん…愛してるよ」
その声は静かで、深く、溺れるようだった。
胡桃さんの瞳は闇を湛え、底の見えない深海のように揺れている。
ただ…俺は何も言えず、抵抗もできず、抱きしめられるまま動けなかった。
胡桃さんの腕の中で、息をするたびに胸の奥が締めつけられていく。
それは恐怖にも似ていたが、不思議と心地よくもあった。
あぁ、怖いな…これは…
やっぱり、この人は苦手だ。俺を見透かしたような瞳も、自信満々な笑顔も…俺の全てを溶かして自分のものにしようとするところも。
胡桃さんの唇が近付いてくる。俺の唇…ではなく、頬に胡桃さんはキスした。
その唇の感触を俺は奇しくも心地よいと、思ってしまった。
汐音とのイチャイチャがなくなっていく…!胡桃との関係をハッキリさせたら汐音との話に戻るのでそれまでご容赦を。