あれから数日、俺は胡桃さんと過ごす時間が少しずつ増えていた。
汐音は俺に引っ付くようになり、胡桃さんを警戒して引き離そうとする。
しかし、胡桃さんはそれを軽やかに交わして、俺を連れ去る。そのたびに汐音は涙を浮かべ、悲しそうな表情を見せる。
俺は…心が痛むと同時に、なぜか胡桃さんを拒むことができなかった。汐音を見捨てるようで胸が苦しかったが、どこかで胡桃さんを拒絶する自分を拒む気持ちもあった。
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今日は蛍祭りの日だ。
六月になると、川沿いに小さな光がふわりと現れる。それを楽しむために、町の人々や観光客が夜の川辺に集まるのだ。
屋台には焼きそばやリンゴ飴、金魚すくいが並び、子ども会や学生ボランティアが観光客の案内をすることもある。
まぁ、俺たちにはそんなのことは関係なく、ただ静かな夜を楽しむだけだった。
「時成!あれ、射的やろ!」
汐音が指差す先には射的屋がある。
その汐音は桜柄の浴衣に下駄を履き、髪は薔薇の簪で短くまとめていた。普段の洋服とは違い、和服を纏った姿は清楚で、まるで美少女のように映える。
汐音は楽しそうに俺の腕にしがみつき、笑顔で言う。胡桃さんが来ると、俺を奪い合うように引っ張り合い、毎回汐音が負けてしまう。
そのせいか、最近は俺にこうして甘えることが多くなった。
「ん、そうだな。あのゲーム機を狙うか」
でも、汐音はそれを口にはしない。胡桃さんへの対抗心なのか、俺への想いなのか…いや、まだ考えるのはやめておこう。
パンッ!パンッ!
二人で並んでコルクガンを撃つ。何度か挑戦するが、景品には当たらず玉を使い切った。
「あちゃ〜、こりゃムズいな」
「むぅ〜、まだ諦めない!絶対にあのぬいぐるみを取る!」
再びお金を払い、真剣な眼差しで狙う汐音。その可愛らしい見た目とは裏腹に、必死に挑む姿はどこかカッコいい。
頑張る汐音を見て、俺は思う。
愛される、好かれる、誰かに求められる喜び。俺は初めてそれを知った。教えてくれたのは胡桃さんだけれど…きっと、ずっと前からお前が与えてくれていたのだろう。
俺は知った。愛を、恋を。そして、それらには真剣に向き合う覚悟が必要だということを。
きっと、この関係も終わる。俺達が終わらせる。悲しいけれど、どこか納得している自分がいる。
今日は、胡桃さんと向き合う日だ。一つの終わりがやってくる日だと、俺は今までの日々から予感していた。
「あっ、いたいた!やっ、時成くん!」
唐突に声をかけてきたのは胡桃さん。薔薇柄の浴衣に長い髪を桜の簪でまとめている。汐音と真逆の雰囲気で、兄弟の個性の違いを改めて感じる。
「ごめんね、二人とも。駅が思ったより混んでて、遅れちゃった」
「…別にいいよ。今日くらいはね」
射的でぬいぐるみを抱えた汐音は俯きがちに微笑む。険しさはなく、不満そうにしながらも険悪な雰囲気ではない。
少し前から、汐音は胡桃さんに強く当たることがなくなった。二人でどんな話をしたのかは知らない。
ただ、きっとその言葉は優しくも厳かな、兄弟だからこそ許されるものだったと思う。
そして、今日は三人で祭りを楽しむ日だ。
「お〜、汐音も立派なの取ったね〜」
「ん!もう…兄さんに見せるためじゃないんだから!」
胡桃さんは少し冷たく、でも楽しそうに汐音に絡む。汐音も心なしか嬉しそうに頬を赤らめる。
「そろそろ行こう、時成くん」
「兄さんばっかり見てちゃダメだよ?僕のことも
、ちゃんと見ててね」
右手に汐音、左手に胡桃さん。二人の手に引かれ、俺はゆっくり頷く。目一杯、この時間を楽しもう。
きっと、これが最初で最後の、三人で過ごす夜なのだから。
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「ん、美味いなこの焼きそば。」
「だね〜このたこ焼きも美味しいよ?あ~んしてあげよっか?」
「兄さん、そういう冗談はやめてよ!」
屋台の前で、俺は胡桃さんと汐音の間に立ち、手を引かれながら焼きそばを頬張った。
胡桃さんは箸先を器用に動かし、少し不満げな顔で「別にいいじゃ〜ん。冗談のつもりもないし」と笑う。
汐音はそんな胡桃さんにちょっと嫉妬混じりの視線を送るが、目を細めて俺に「しちゃダメだからね?本当に、しちゃダメだよ?」と念押ししてきた。
三人で料理を食うだけなのに、なぜだが心がじんわり温かくなる。
「見て見て!こんなに取れちゃった!」
「むぅ…!兄さんには負けないんだから!」
次に金魚すくいをやった。
胡桃さんは手際よく金魚をすくい、俺に得意げに見せる。汐音は負けじと網を手にするが、何度も金魚を逃がしてしまい、ふくれっ面。
しかし、諦めずに挑戦するその表情は純粋で、思わず笑ってしまう。
胡桃さんは汐音の網に手を添えて「こうやるんだよ」と教えるが、二人の距離感はどこか柔らかい。
「綺麗だね〜。時成くんは蛍って好き?」
「虫は嫌いなんですけど…まぁ、こういうのは悪くないですかね」
「時成ってばいつまでも虫は無理だよね。そういうところも子供っぽくて好きだけど…」
祭りの川沿いに行くと、蛍が光を放って夜空と水面を淡く照らしていた。
三人で歩きながら、汐音がそっと俺の腕に手を絡め、胡桃さんも隣で楽しそうに笑っている。
その小さな光に包まれ、互いの存在を静かに感じる。言葉は少ないけれど、視線や仕草だけでこの夜の特別さが伝わる。
たとえこれが最後の三人の時間でも、今だけは誰も邪魔できない、そう思える瞬間だった。
だからこそ、胡桃さんは語るのだろう。胡桃さんは俺の少し前に出ると汐音に優しく視線を向ける。
汐音はハッと胡桃さんを見ると、心苦しそうにしながらも俺の側からゆっくりと離れ、俺と胡桃さんを優しく見つめるように少々距離を取った。
「時成くん。今日はありがとうね、ボクたちとここに来てくれて。」
「別にお礼を言われるようなことでもないですよ。元から行きたかったし、ちょうど良かったです。」
胡桃さんは俺の言葉に優しく笑うと蛍を眺めながら口を開く。
「今回、汐音も含めて三人で来たのは、汐音にも見届けて欲しかったからなんだ。兄弟だからってだけじゃなく、同じ人を見続けている汐音だから、来てほしかった」
すると胡桃さんは汐音に視線を向け、「ありがとう」と心底優しく言った。その声音は今までのどんな声よりも暖かく、優しいもので心が落ち着く。
汐音は困ったように俯いて、静かに頷いた。胡桃さんはそれを満足そうに見届けると、俺に視線を戻す。
「時成くん。ボクは今まで君に何度も告白し、愛を囁いてきた。君は…どう思った?」
「…嬉しかったです。とても、嬉しかった。」
俺はそうとしか言えなかった。
そう、とても嬉しかった。心地よかった。誰かに愛される感覚は極上のものだった。だからこそ、俺もこの思いを告げよう。
「そっか。なら良かった…改めて、ボクは言うよ」
胡桃さんはそこで言葉を切ると、一息胸を整えてから俺に言った。
「君を愛しています。君を求めて、恋して…ボクは君と人生を共にしたい。君と人生を添い遂げたい。
ボクの人生を貴方に捧げます。だから貴方の人生をボクにください。」
そして、彼は優しく微笑み俺に右手を差し出した。
「ボクと、付き合ってください」
俺は、ゆっくりと口を開いた。
さて、時成はどう返すかな?