心寿ちゃんの頭囲の測定を終え、今日出来る範囲での準備を終えた頃には時刻は16時を越えていた。
季節的に日が沈むまでまだまだ余裕はあるが、心寿ちゃんの年齢を考えると出来るだけ早く帰してあげた方がいいだろう。
「遅くなってしまうので、私そろそろ帰ります」
偶然にも心寿ちゃん自身も頃合いと判断したようで荷物を纏めて立ち上がった。
「はい、お疲れ様でした」
新菜が心寿ちゃんの見送りをしようと心寿ちゃんに続く。
俺も二人に倣って立ち上がり、三人でゆっくりと一階へと降りていった。
「そうだ、心寿ちゃん。駅まで見送ろうと思ってるんだけど、一緒に行っていいかな?」
「え……そ、そこまでしてもらうのはご迷惑じゃ……」
俺の言葉に、心寿ちゃんが申し訳なさそうに
しかし、俺からしてみればこんなものは迷惑にもならないし、むしろご褒美だ。
それに純粋に心寿ちゃんが心配というのもある。
「全然迷惑じゃないから大丈夫だよ……あ、もしかして一人で帰る方が気楽かな?」
もしそうなら余計なお世話かもしれない。
俺からしてみれば心寿ちゃんは大好きな推しの一人だが、心寿ちゃんにとっては俺はまだ二回しか会った事のない、精々顔見知り程度の存在。それも異性だ。
緊張してしまうのも十分あり得る話だろう。
配慮が足りなかった事に思わず苦笑いを浮かべると心寿ちゃんは慌てて首を横に振った。
「ち、違います……! あの、でも……本当に良いんですか……?」
「勿論。じゃないとこんな事言わないよ」
「俺もその方が安心です。乾さん、是非そうしてください」
新菜からの援護もあり、心寿ちゃんは数秒迷った後に「……よろしくお願いしますっ」と頭を下げる。
押しつけがましかったかと思ったが、心寿ちゃんの表情からはこちらへの遠慮以上のものは窺えなかったし、その後に上げた顔も嫌がっているというより恥ずかしがっているような印象を受けた。
「じゃあ、駅まで送ってくるよ」
「うん。乾さん、気を付けてお帰りください」
「はい、お邪魔しました」
心寿ちゃんがペコリと頭を下げて一礼した後、俺と心寿ちゃんは岩槻駅へと向かう。
雨も上がり時間帯の割には車の往来も少ない道のりはとてもスムーズだ。
「心寿ちゃん、今日はお疲れ様」
「月見里さんこそ、今日はありがとうございました」
どこか緊張した面持ちで俺に礼を言う心寿ちゃん。たぶん異性と一緒に並んで歩く経験なんてほとんどなかったからだろう。
「それから、あの……えっと……」
「?」
そんな事を考えていると急に心寿ちゃんは気まずそうに言葉を濁しながらこちらをチラチラと見つめてくる。
その理由が分からず俺が訝んでいると、心寿ちゃんは急に立ち止まり頭を下げてきた。
「眼鏡を壊してしまい、すみませんでした……っ」
「え?」
突然の謝罪に思わず面食らってしまう。
ボタン飛ばし事件の際にきちんと謝ってもらったし俺はもう気にしていなかったのだが、どうやら心寿ちゃんの中ではまだ引きずっているらしい。
「大丈夫だよ、心寿ちゃん。あれは事故だったんだし」
安いもんだ、眼鏡の一本くらい。心寿ちゃんが無事でよかった。
「でも……それならせめて、弁償は……」
「気持ちだけ受け取っておくよ。せっかく値段抑えてコスプレしようとしてるのに、俺の眼鏡の弁償にお金掛けてちゃ意味ないしね」
「それは、そうですけど……」
俺がやんわりと断るが、心寿ちゃんはどこか腑に落ちない様子だ。
まぁ、心寿ちゃんの優しい性格を考えれば責任を感じるのも仕方がない事かもしれないが。
でも眼鏡ってそこそこ値段するしなぁ……
「あの……それじゃあ、お金以外で……わ、私に出来る事があれば……っ」
「いや、本当に気にしなくて――」
「私、なんでもしますっ!」
ん? 今何でもするって言ったよね?
「……本当に、なんでもいいの?」
月見里さんが足を止めて尋ねる。
その表情は分厚い眼鏡のレンズと俯き気味な顔のせいで窺う事が出来ない。
私はその月見里さんのただならぬ雰囲気に思わず固唾を飲んだ。
「は、はい……!」
どんなお願いをされるのか緊張するけど、大事な眼鏡を壊してしまった償いはしないと……!
「じゃあ連絡先教えてもらえる事って出来るかな? 今後コスプレの準備の為にも交換しておいた方が便利だしさ」
「…………へ?」
そんなことで、いいの……?
予想もしなかった要求に思わず気の抜けた声が漏れた。
声と同じように顔も気が抜けてしまっていたのか、私の表情を見て月見里さんが狼狽える。
「あ~、やっぱりなし! こういうのにかこつけて連絡先貰うのってよくないよね、ゴメン。別のにしよう!」
月見里さんはそう言って私への要求を考え直しはじめた。
うんうん唸りつつ、「でも他に、というより本当にお願いする事ないんだよなぁ……」なんて呟いている月見里さんを見て、私は思わず笑ってしまう。
「……ふふっ」
「心寿ちゃん、どうかした?」
私が突然笑ってしまったから驚いたのだろう。月見里さんがこちらの様子を探るように尋ねてきた。
図らずも月見里さんのお陰で少し緊張がほぐれた私は笑顔のまま言葉を返す。
「なんでもありません。あの、月見里さん……さっき言われたお願い、受けてもいいですか……?」
「さっきのって、連絡先の交換の事? 俺は構わないけど……本当にいいの?」
「冗談半分で言った事だし、本気にしなくていいんだよ?」とこちらを気遣う月見里さんの顔を見て、私はゆっくりと頷く。
「はい、大丈夫です。月見里さんになら……」
まだ二回しか会った事がないけれど、この人なら信頼できる。
私に人を見る目があるのかと言われれば自信はないけれど……でも、私の『好き』を肯定してくれて、背中を押してくれたこの人ならきっと大丈夫。そう思えた。
「……わかった。じゃあ、交換お願いします」
スマホを取り出しながら月見里さんが微笑む。
それに応じて私もスマホを取り出し、お互いのライムの連絡先を交換した。
交換後、ちゃんと繋がる事が出来たか“烈‼”のスタンプを送ると、すぐに既読が付く。
「大丈夫そうだね」
「はい」
互いに自分のスマホを確認して笑い合った。
お父さん以外の男の人とこんなに話したり距離が近い事なんて今までなかったのに、いつの間にか緊張が解けている事に今更気付く。
(どうしてだろう……家族や友達以外の人、それも男の人と話すなんていつも緊張しちゃうのに……)
思いもよらぬ変化に我が事ながら理由が分からず、心の中で疑問符が浮かぶ。
「そういえば心寿ちゃん達の学校は期末テストとかもう終わったの?」
そんな私の内心を知る由もない月見里さんが突然尋ねてくる。
ただの世間話だけど、いきなりの質問に私は虚を突かれてしまう。
「ふぇ⁉ あ、いえっ、あの……もう、終わりました……っ」
変な声を上げてしまった事に顔が熱くなるのを感じるが、私のおかしな反応に月見里さんは「そっか、じゃあ後は終業式を待つだけだね」なんて朗らかに笑みを零すだけだった。
「あの、月見里さんは明日からテスト期間なんですよね……? えっと、頑張ってください……!」
「ありがとう。テストの後には大事な合わせも控えてるし、その為にも頑張らないとね」
「はい、合わせ楽しみですっ」
まだ少しだけ不安はあるけど、今日の準備だけでもその不安はかなり解消された。
私一人では絶対に無理だったと思うけど、月見里さんや五条さんのお陰で安心して合わせに臨む事が出来る。
五条さんにもだけど、この人には本当に感謝してもしきれない。
そんな事を考えながら互いの日常生活や“烈‼”についての話題に花を咲かせているとあっという間に岩槻駅へと到着した。
「ここからは一人で帰れそう? もし不安なら心寿ちゃんの家の最寄りまで着いていくけど……」
「電車に乗ってしまえば大丈夫です、ありがとございます」
そこまで世話になる訳にもいかないと私がやんわりとお断りをすれば「だよね。でも、道中気を付けてね?」と月見里さんは笑顔を浮かべつつ、最後まで私の事を気遣ってくれた。
「家に着いたら一言ライムくれる? その方が安心できるし」
「ふふっ、わかりました」
まるでお姉ちゃんやお母さんみたい、と内心で思ったけど言葉にするのは控えて笑って誤魔化す。
その笑いにそこまで自分の事を気にかけてくれている事への嬉しさが混じっているのは内緒だ。
「……ああ、そうだ。心寿ちゃん、一つ言い忘れてた事があった」
「? はい、なんですか……?」
何かを思い出したように声を上げる月見里さんに思わず尋ねる。
言い忘れた事ってなんなんだろう……?
「女の子が簡単に『何でもする』なんて言っちゃ駄目だよ? 自分の事、大事にしなきゃ」
「え?」
月見里さんの言葉に一瞬思考が止まる。
そんな私を見て、月見里さんは眼鏡の奥で悪戯が成功した子供のように笑みを浮かべていた。
遅れて、さっきの比ではない程の熱が顔に集まるのを感じた。
「~~~~ッ……あ、ああああ、あの……っ、私は別に、そ、そそそういう意味で言ったわけじゃなくて……!」
「うん、勿論分かってる。でも、勘違いしたり悪い事を考えるような男もいるからね。だから、これからは気を付けてほしいな」
「…………ハイ」
月見里さんの言葉に私は蚊の鳴くような小さい声で小さく返事をする事しか出来なかった。
私のか細い返事に月見里さんはさっきとは違う優しい笑顔でゆっくりと頷く。
「……っ」
その笑顔に、思わず心臓がドキリと跳ねる。
同時に、間もなく電車が到着するアナウンスが響いた。
「電車、もうすぐだね」
「はい、そろそろ行かないと……あの、今日は本当に色々とありがとうございました……っ」
背中を押してもらったり、手伝ってもらったりと今日はお世話になりっぱなしだった。
そう思って頭を下げるが、月見里さんはまるで気にした様子もなく笑顔を崩さない。
「どういたしまして。それに、まだまだこれからだから。俺が手伝える事なんて大した事ないだろうけど、一緒に頑張ろうね」
「はい。それでは、失礼します……っ」
別れを告げて、私は改札を潜り抜ける。
私も月見里さんも、お互いが見えなくなるまで手を振り続けた。
ホームに到着するとタイミングよく電車がやってきて、私はそれに乗り込む。
「ふぅ……」
時間帯の割には空いており、私はそのうちの一つに座り小さく息を吐いた。
そしてまだ沈むには時間が掛かりそうな夕日を見つめる。
昼間のロケハンの時に降っていた大雨が嘘のような天気は、まるで自分の心のうちを表しているように感じた。
私は自分のスマホを取り出し、ライムを起動する。
(月見里さん……)
二人のトークルーム見れば、いつの間にか『またね』と手を振る朔夜君のスタンプが送られていた。
「……早くまた会いたいな」
スタンプを見ていると何故か、自然と言葉が漏れた。
あと、一つ頼みたい事があるんだけど
.
原作に登場しないキャラクター(主人公の身内や乾家両親、アオイさん等)の登場・オリジナル設定について
-
内容的に違和感がなければ登場してほしい
-
登場するのはいいが必要最低限にしてほしい
-
執筆者の自由にしたらいい
-
原作準拠であまり出さないでほしい