どれも本当にありがとうございます。
ここから新章です。
【3-1】時計の針は重ならない
お願いします。お願いします。
どうかバレませんように。
お願いします。お願いします。お願いします。
もう、わがままなんて言いません。悪いことひとつもしません。勉強もがんばります。みんなに優しくします。
だから。だからだからだから───
───みぃつけた
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今日の目覚めも爽快だった。
布団を蹴飛ばす様に起き上がり、駆ける様に階段を降りる
「おはよう、お兄ちゃん!」
「今日も声がデケェな……おはよさん、
「別に普通だよ」
「なら外でも一度くらいそれくらいの声出してみろ」
「う……いやそれは」
「はぁ、相変わらず内弁慶やってんなぁ」
「そ、そんなことないもん!ちゃんとお話できてるし」
「あーへいへい」
「おはようございます、在奈。ご飯出来てるから、顔を洗ってきてください」
「あ、はーい。おはよう、お母さん」
毎朝恒例の嫌味を言ってくる兄に、在奈は舌を出してダイニングを飛び出した。向かうのは当然洗面台。手早く顔を洗って寝癖を整えたら、キッチンへ。
「お皿、運ぶね!」
「あら、ありがとう」
エプロン姿の母親からトーストとベーコン、トマトの乗った皿を受け取りテーブルへ並べていく。自分と母と兄の三人分。
「お兄ちゃん、はい」
「ん、サンキュー」
トーストの皿を並べたら次は牛乳だ。再びキッチンに戻った在奈はコップ三つに牛乳を注いでいく。朝食には牛乳。在奈の家ではそう決まっていた。
「在奈、ひとつは私が持っていくからそのまま座っていていいですよ」
「はぁい!」
コップを手にダイニングに戻ると、兄はスマホを片手にニュースサイトを眺めている様だった。
「へぇ、また黒兎が出たらしい。最近なんか多いな」
「……そうなの?」
「んーなんとなく?別に具体的な数字とかは知らんけど……ま、今回も魔法少女が対処したらしいし大丈夫だろ」
「そっか……じゃなくて!スマホいじってないで少しは手伝いなよ!」
「洗い物はオレがするんだし別にいいだろ」
「むー!そういう問題じゃないんだってば」
そんな風に言い争いをしている内にキッチンを片付けた母がコップを片手にテーブルまでやってくる。
「喧嘩はそれくらいにして、朝ごはんを食べましょう」
「け、ケンカじゃないよ。お兄ちゃんが不真面目なだけだもん」
「へいへい。ほら、お前も座れって。飯が冷めるぞ」
「……ん」
兄に促されて渋々席に着く。母、兄、そして在奈。それがこの家のテーブルを囲むいつものメンバーだ。みんな同じ椅子だから、在奈には少し高くて足をぶらつかせる事になる。
昔は在奈だけ専用の椅子で足置きがついていた。一昨年からはみんなと同じ椅子にしてもらったのだけれど、今でもまだ在奈には少し大きい。
早く床に届く様になればいいのにな。なんて事を在奈は事あるごとに思っていた。
「いただきます」
「「いただきまーす」」
手を合わせて食事の挨拶。
テーブルの横。箪笥の上には家族の写真が幾つも飾られている。そのひとつ。眼鏡をかけた優しげな男性の写真に目を向け、兄がポツリと呟いた。
「父さんにも何かそなえてやるか」
どこか寂しげな笑みを浮かべる。
「お父さん単身赴任でしょー!!なんで死んだみたいに言うの!」
「ふは……っ」
兄の趣味の悪い冗談に在奈は立ち上がって頬を膨らませる。とたんに兄は腹を抱える様にして笑い声をあげる。この性格の悪い兄は、在奈が怒ったり拗ねたりするのを眺めてケラケラ笑う人格破綻者だった。
在奈は毎朝兄と相争うことを強いられていた。
「ひひっ、ひひひ……っとに、外でもそれくらい打てば響く反応してりゃいいのによ……ひひひっ、ひははっ!」
「もーー!その笑い方もやめてよぉ!不気味って言われるんだから!」
「在奈、
「「ごめんなさい……」」
騒がし過ぎた
これもいつもの光景だった。
「そういえば在奈、今日もクラブの日ですか?」
「うん、そうだよ」
トマトを食べ終えた母が思い出した様に在奈に問う。マーガリンを塗ったトーストを頬張っていた在奈は、それを飲み込むと明るい声でそう答えた。
「あまり遅くならないようにしなさいね。どうしても遅くなりそうになったら十七時前には連絡すること」
「はーい、わかってるよ」
「……やけにご機嫌だな」
「そうかな?」
あっという間に食事を終えて食器を片付け始める兄が、こちらを眺めながら意外そうな表情を浮かべる。自分の機嫌がいいのがそんなにおかしいだろうか。何か不都合でもあるだろうか。今度はどんな風に馬鹿にしてくるのだろうか。そう思うとまたすぐ噛み付いてやりたくなる在奈だが、そうやって言い返せばまた兄の思う壺だとギリギリで踏みとどまる。
「いつもと違うからな……なんかあったか?」
すると、兄はなんだか拍子抜けするくらい普通に話を続けてきた。もっと揶揄われると思っていたのに。毒気を抜かれた在奈は牛乳を飲みながら素直に答えた。
「ちょっと前からね、後輩ができたんだ。それで今わたしがいろんな事を教えてあげてるの」
「なるほど、在奈ももう小学六年生のお姉さんですものね」
その答えに母が嬉しそうに微笑む。なんだか少し恥ずかしくて、在奈はコップに口をつけたまま小さく頷いた。
「大丈夫かよ。どうせお前のことだから後輩相手にもビクビクしてろくに話しかけられていないんじゃねぇのか?お子様だし、むしろその後輩に世話焼かれてても驚かねぇぞ」
「そんなことないもん!在奈ちゃんと先輩やってるもん!!」
途端にいやらしい笑みを浮かべてまた馬鹿にしてきた兄に在奈は噛み付いてしまう。
「ひひっ、んな反応してる時点でお子様だっての」
笑い声を上げながらそそくさとキッチンへ去っていく兄。自分の食器や包丁などを先に洗い出したのか蛇口を捻る音が聞こえてきた。
「んーー」
兄の態度に自然と頬が膨らんでしまう。こういう反応をするから子供っぽいと言われることもわかっているのだけれど。他の相手であれば、こんな風に言い返そうと思う事も無いのに。どうしてか、兄相手にはすぐ反射的に怒ってしまうのだ。
「在奈、もしその後輩の子と仲良くしてるなら今度うちに遊びに来てもらっては?」
「いいの!?」
「もちろん。在奈が家にお友達を連れてくるなんて今までなかったですからね。もしそうなったらお母さんも嬉しいです」
「そっか……。うん、今日会ったら聞いてみるね」
起きて挨拶して、兄と言い争い母とその日の事を話題にし。後は食べ終えた食器を兄に押し付けて、在奈はゴミ袋をゴミ捨て場に出しに行く。それが終われば自室に戻って、もう六年の付き合いになる赤いランドセルを背負って学校だ。
『ありなー』
自室の鏡で最後に身だしなみを確認しているとどこからか宙にフワフワと浮かぶぬいぐるみの様な白い仔猫が姿を現した。
「シロ、どうしたの?」
不思議な存在だが、在奈にとっては既に慣れ親しんだ相手だ。むしろ彼女の半身と言ってもいい。今の在奈にはなくてはならない存在だ。
『きょうもがっこ?』
「うん、土曜日と日曜日と後は見回りのある水曜日以外は学校ってシロも知ってるでしょ?」
『んー。でも、でもね。そとにね、トーチのけはい、してたから』
「え!?」
『みまわりのひなのかなあって』
自分の相棒の言葉に在奈は驚く。それはつまり、ついさっき母たちと話題にした後輩がこのすぐ近くに来ているという事だからだ。階段を一段飛ばしで駆け下りると、在奈は玄関を飛び出した。
「お母さん、お兄ちゃんいってきまーす!」
返事も聞かずに家を後にする。
足取りは軽い。まさかこんなところで。そんな気持ちでなんだか心臓がドキドキする。
「シロ、どっち?」
『あっち』
顔の横に浮かぶ白猫の指し示す先へ駆けていく。その先に。
幾つも並ぶ集合住宅の間。鬱蒼と茂る木々に隠れるようにしてある小さな公園。そこにひとりの少女が立っていた。無地の黒いTシャツに迷彩柄のハーフパンツ。髪色を隠す様にツバの長めのキャップを被っている。その装いは少年の様で、けれどその程度では紅の少女の美しさを損ねることなど決してできない。
まるでおとぎ話の絵本の中から出てきた妖精の様な、神秘的な空気を纏う小さな少女がそこにいた。やってきた在奈に気づきこちらに顔を向ける。
無垢で清廉な印象を受ける紅い瞳が木漏れ日を受けて揺らめいていた。
「ミルク───じゃない、今は在奈か。まさか本当に会えるなんて」
『トーチの言った通りなのー』
少女の肩に乗っていたオレンジ色のまん丸とした小鳥が自慢げに胸を張っていた。どうしてか、聞いてるだけで気が抜けてくる不思議な声をしている。何かそういう周波数とかあるのだろうか。
あれは彼女のパートナー。シロ───在奈にとっての白い仔猫と同じ存在だった。
「ヤツバちゃん……!ど、どうして、こんなところに?」
彼女とは最近行動をよく共にしているが、こんな家の近くで会うのは初めてだった。驚きで目が丸くなる。
『トーチ!』
『シロー』
互いの相方は意気投合してか仲良さそうにじゃれ合ってる。お互いの気配を察知しあっていたらしいし、彼らにしかわからない感覚もあるのかもしれない。そんな小鳥と仔猫を横目に八鍔は気まずそうに頬を搔いていた。
「朝の散歩に偶々この辺りを通りがかって、そしたらトーチがシロの気配がするって言い出したんだ。まさかとは思ったけれど、本当ならこんな時間に会うのも邪魔だろうしすぐ立ち去るつもりだったんだけれど。トーチがここで待ってろってうるさくて……その、すまない」
本当に、八鍔にとっても思わぬ事態だったのだろう。気落ちしたように肩を落とす様子はなんだかひどく人間味がある。人間なのだから当たり前なのだけれど、妖精の様な容姿でそんな仕草をするのがなんだかおかしかった。
在奈の後輩はとてもきれいで、けれど愛嬌たっぷりの女の子なのだ。
いや、実際には中身は大人の男の人なのだけれど───在奈にとってはやはりかわいらしい年下の女の子なのだ。少なくとも、在奈はこの八鍔という名の少女と魔法少女同士という関係性で接することを決めていた。八鍔から拒まれることがない限りは、今後もそうする予定だ。
「ううん。まさかこんな時間に会うなんて……思ってみなかったけれど。会えて嬉しい、よ。おはよう、ヤツバちゃん」
「ああ、おはよう。在奈」
「うん……ふふっ、ひひ……っ」
なんだか楽しくなって笑い声が漏れてしまう。恥ずかしい。
けれど、八鍔はそんな在奈を馬鹿にするでもなく、自身も楽しそうに笑みを浮かべてくれる。兄も八鍔を見習うべきだ。
別に今日だって八鍔と会う約束はしていた。ここのところは毎日顔を合わせている。それでも、思わぬ出会いにいつも通りの朝がこの瞬間に特別な朝になった様に感じられた。
それがなんだか嬉しくて在奈は笑いを堪えられなかった。
「そういえば───」
ひとしきり笑った後で八鍔が尋ねた。
「時間は大丈夫か?」
「……あ」
ここは学校とは反対方向。家を飛び出した時間はいつもより少し早かったけれど、その程度でどうにかできる時間と距離ではない。
「ええっと……俺たちのせいで本当にすまな」
「───
判断は一瞬だった。在奈の言葉に反応しシロの体が白い光に変換される。在奈の体を包み込む光。黒いインナーの上から白いエプロンドレスを纏う。かわいらしく膨らんだ肩口。手首にはカフス。足下を覆うしっかりとしたブーツ。おろしていた髪は色味を変えながら左右で丸く結われる。
光が弾け消えた後にはヘッドドレスを身につけた魔法少女の姿があった。
ホットミルク。
庶賀在奈の魔法少女としての姿だった。
「ごめんねヤツバちゃん!急いでるからまた放課後……!」
息継ぎもない慌てた声と共に、魔法少女の人外の脚力で在奈───ホットミルクは公園を飛び出していった。全ては遅刻を回避するために。信号も建物も無視して一直線に小学校を目指す。
飛び去る衝撃で残された八鍔の赤い髪が大きくたなびいた。メイド姿の魔法少女が黒い点になるのを見送った八鍔はポツリと呟いた。
「…………若さが躊躇わないって、本当なんだな」
『そういう言い方をする時点で年寄りっぽいのー』
「……」
在奈が教室に着いたのは朝の会が始まる十五分前だった。
魔法少女にかかれば遅刻の運命を覆すことなど容易いことだった。