魔法少女ジャックタルト   作:富野倒去

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【3-6】時計の針は重ならない

 温かい。熱いでも痛いでもなくて、温かい。ずっとこのままでいたいと思わせる温度。トクントクンと音がする。絶えることなく規則的になり続けるこの音が、人の鼓動の音だとしばらくしてから気づいた。トクントクン、トクントクン。寄せては返す波のように鼓動は繰り返す。鳴り続ける。揺らぎ続ける。やがてその音に自分も溶けて混ざり合って。大きく引き伸ばされる様に、自分という輪郭が曖昧になる。温度と温度の狭間でゆらりと揺らめき解けて溶ける。恐ろしさや苦しさはなくて、ただ安堵がぼんやりと広がっていく。触れる温かさに、撫でる感触に、意識が揺蕩う。どこか甘やかなミルクの香りがして。その心地よさにまた体を丸めた。

 

 たぶんそういう夢を見た。

 

 

###

 

 

 学校の荷物を家に取りにいかなければと言って在奈(ありな)と共に彼女の家を出たのが三十分前。家まで送るという体でいつもより早起きさせてしまった在奈に申し訳なさを感じ、ランドセルでも背負っておけばよかったかとぼやいてみたら目を輝かせ始めた彼女に失言を後悔したのが二十分前。そうして最寄りの"栞"から"本館"へ飛び(リープ)、すれ違った顔見知りの魔法少女と少し立ち話。"本館"を後にして五分程歩き星屑文庫の前まで到着したのが今であった。

 時刻は八時前。

 

 星屑文庫のどこか古い民宿を思わせるような佇まいは、魔法少女寮というには侘び寂びの気配が強すぎる。建物の中はかなり近代的なのだが、この外観は果たして誰の趣味なのやら。建物の手前には寮母が家庭菜園で野菜等を育てている小さな畑と花壇があり、青々とした草葉が繁っている。普段は温厚過ぎるくらいに温厚な寮母であるが、この畑に手を出すとトラウマになるくらいに怒られるのだと、そんな話を聞いた記憶がある。八鍔にはそれが本当かどうかはわからないが、野菜たちが手間暇をかけて育てられていることは確かなようだった。畑の向かいは芝生に覆われた広い空間が広がっており、時折魔法少女が体を動かしたりするのに使っている。今日はサンマの匂いはしない。

 

 セーラー服姿の妃万里(ひまり)とばったり顔をあわせてしまったのは、そんな寮の敷地内に入る直前だった。

 

「あ!!!朝帰りの八鍔(やつば)センセじゃないっスか!しゃっす!しゃっす!」

 

 楽しそうに満面の笑みを浮かべて駆け寄ってくる妃万里に頭が痛くなる。無理矢理背負っている学生鞄が体に対して大きめで、それがまた似合っているのが憎らしい。変身前も後も変わらないひとつ結びの後ろ髪が子犬の尻尾みたいに右に左に、今日も元気よく揺れていた。

 近所迷惑と言ってやりたいが星屑文庫は周囲の住宅からは少し距離を取るように建てられている。おかげでどこぞの奇人の行動を阻む障壁も大変に低いのだが。

 

「それでそれで、小学生と一晩を明かした感想はどうだった?よっ、このはんざいしゃー!」

「ブッ!?人聞きの悪いこと言うな!」

「あー……今の反応マジっぽいね」

「ちが、いや、寝てたら向こうがいつの間にか布団に潜り込んできてたんだよ」

「私が言うのもあれだけどさ。やっちゃんの実年齢でそのリアクションになるのは気をつけた方がいいよ?」

「……」

 

 反論の浮かばない八鍔に選べる答えは沈黙だけだった。テンションのハイロー高低差で攻めてくるのが思いの外効いた。視線をあわせ続けるのも気まずくて、八鍔は目元を手で覆い空を仰いだ。

 

「ま、妃万里ちゃんは愛があれば倫理も社会通念も道徳も一時停止ピッとしちゃっていい派だから、そこに愛があるなら応援するよ~。だから、ついでに私のことも応援して欲しいなっ」

「……」

 

 ノーコメント。

 きゃぴきゃぴと騒がしい声のトーンを変えぬまま、妃万里は言葉を続ける。

 

「寮に残ってるのはいつもの学校行かない組だけだから。今からさーちゃんといきなり顔をあわせることにはならないよ」

「そうか。昨日は……小夜(さよ)はどんな様子だった?」

 

 少しだけホッとしてしまう自分が情けない。小夜───ザイルチェリーとは昨日ホットミルク───在奈と喧嘩別れするところを見送ってそれっきりだった。

 できれば気にかけて欲しいと、あれから寮母と目の前の彼女に連絡は入れていたのだが。

 

「別に普通よ。まあ、多少はカッカしてたけどね。寮に来た頃とか、荒れてた時期に比べれば今はおとなしいしね。さざみんがちょーっとけしかけるようなこと言いかけたのは焦ったけど……後はこっちでいつも通りに接して、いつもみたいにゆっくり落ち着いたから。午後にでも一回話しをしてみたらいいんじゃないかな」

 

 口調は相変わらず軽めだが、ポケットに両手を突っ込みながら話す妃万里の目は真っ直ぐだ。魔法少女の時のように星は散っていないはずなのに、朝日のせいかとても澄んで見える。

 

「助かる。悪いな、こっちのゴタゴタで迷惑をかけた」

「べつにーって言おうかと思ったけど……折角だし、貸しイチね」

「ああ、わかった。そろそろ返しきれるかわからないが、返せるだけは返していく」

 

 両手の人差し指を立ててポーズをとる妃万里に、八鍔は素直に頷いた。

 妃万里にはずっと世話になり通しで、貸しというならひとつどころでは収まらない。

 

「…………」

「どうした?」

「やっちゃんはホントねーって。……やっちゃんの事だから大丈夫だとは思うけど、さーちゃんも悪い子じゃないからさ。すごく優しい子だから。程ほどにして上げてね」

「それもわかってる。小夜を責めたいわけじゃない。ただ……できれば在奈とのわだかまりを解消できるといいのだけれど」

「うーん。そっちは時間をかけるしかないと思うよ。魔法少女全体から見ればさーちゃんの方が共感しやすいし。ありちゃんが、周囲との距離の取り方を上手くできるのが一番早いとは思うんだけれど……」

「在奈も在奈なりに精一杯だ。これ以上は難しいと思う」

「だよねぇ」

 

 溜息交じりに塀に寄りかかり始めた妃万里を見て、八鍔は今更に今の時間を思いだす。

 

「呼び止めておいてなんだが、時間はいいのか?」

「え?あー……」

 

 言われた妃万里は手首の内側の腕時計に目をやって、変わらず気の抜けた声を発する。

 遅刻で慌てるタイプではないらしい。それが良いのか悪いのか。

 

「こりゃ遅刻だ。ま、一限は提出物もないしゆっくり行くよ」

「朝早いのに登校はいつもギリギリだよな、妃万里は」

「あーね。出席日数は足りてるしへーきへーき。まあでも、そろそろ行くね」

「ああ、いってらっしゃい」

「いってきまー」

 

 そう言うと、のんびりとした足取りで妃万里は立ち去っていった。

 多舟妃万里(たふねひまり)、中学二年生。魔法少女シーエクレア。足取りは軽やかに。

 道を曲がってその背中が角の向こうに隠れるまで見送った八鍔は、今度こそ庭を抜けて帰宅を果たすのだった。

 

 

###

 

 

 何故か登校せずに寮内に隠れていた狂人から「油断したな!覚悟ォ!」という言葉と共に手裏剣を投げつけられたり投げ返したりしながら朝の支度を終え。寮母には昨日の事で頭を下げ。いつもより遅い昼前頃、八鍔は星屑文庫を後にした。

 

 本来は今日も午前中はリープの練習がてらの見回り予定だったのだが。昨日今日で色々と予定がごちゃごちゃになってしまっていたので、少し予定を早めて本館に隣接する病棟の一室に足を運ぶことにした。

 

「───そういうわけで、昨日は在奈の家にお邪魔することになって。結局顔を見せにこれなかったんだ。急に、すまなかった」

 

 椅子に腰掛け、横たわる少女に向けて話かける。八鍔の言葉に返事が返ってくることはない。それはこの半月、ずっと変わらない光景だった。

 白いベッドの上に静かに横たわる黒髪の少女。顔半分の火傷も随分と回復が進み、まだその痕跡ははっきりと残ってはいるものの、以前にあった痛々しさは薄れていた。寝顔のままでも整った顔立ちであるのがよくわかる。

 閉じた目蓋が開いたことは、今日まで一度も無い。

 

「在奈の家は母親と兄の二人で、父親は単身赴任しているらしい。……この外見にも慣れたと思っていたんだけれどな。実際に何も知らない人たちから子供として接せられると、どうにも気まずさが先立ってしまうよ」

 

 まるで半月前から時間が止まってしまったかの様で。顔の火傷痕だけが彼女が今も同じ時間を生きていることを明らかにしているかに思えて少し複雑だった。

 

 あの炎の地獄を八鍔と共に生き残った若草愛維(わかぐさあい)は、今も目覚めることなく同じ病室で眠り続けている。

 女医の真弓(まゆみ)が言うには、診断上はいつ目覚めてもおかしくないとのことだった。八鍔がそう聞いたのが既に一週間以上前。今も何一つ変わらない。

 シーエクレア(妃万里)の力も借りてもみたが、彼女が今も目覚めぬ理由はわからないままだった。

 そして、彼女の身元を引き受ける親戚も未だ現れることはなかった。何か大きく揉めているという話も聞かないが、どうにも反応が芳しくないらしい。まるで棚上げでもされている様に彼女の扱いもまた彼女自身と同じようにあれから少しも変わらないままであった。

 それがいいとは決して思わない。ただ、おかげで彼女は今もこの"図書館"に隣接する魔法少女用の病棟に寝かされており、八鍔がこうして頻繁に面会することも認められていた。

 複雑な気分ではあるが、彼女に話しかける機会に恵まれたことは素直にありがたい。

 

「戸惑うことも多いけれど、俺はなんとかやれてるよ。それも全部君のおかげ……なんて言えば困らせるんだろうけどな。それでも、やっぱり感謝はしてる」

 

 話す内容は実のところほとんどいつも同じものだ。八鍔は彼女の事を多くは知らないし、話題が尽きないような話し上手でもない。ここを訪れること自体半ば自己満足であると理解している。だから、話したい事を何度でも話す。今の八鍔がやれることなどその程度なのだから。

 

「それじゃあ。今日はどうなるかわからないが、明日にはまた顔を見せる」

 

 

 突如トーチが跳ねる様に反応を示したのは、八鍔が愛維の部屋を後にした直後だった。

 

『ヤツバ、なんかきたのー』

 

 頭の上に姿を現した橙の小鳥は、そう言うやいなやその身をコンパクトに変じる。そのコンパクトを手にすると八鍔の脳裏にわんと声が響く。耳鳴りのようにわずかに平衡感覚が揺らぐ。

 それは、"図書館"からの通信魔法だった。

 

『黒兎の出現を検知。場所は三箇所。連絡を受けている魔法少女に出動要請。受理された魔法少女をこちらで振り分ける』

「……っ」

 

 硬質な声で端的に告げられるのは人類の───魔法少女の"敵"の出現だった。

 "図書館"がどの様にこれを察知しているのか、まだ八鍔は詳しいことを知らない。ただ、何らかの───おそらくは魔法的な手段を用いて国内であればそれなりの精度で黒兎の出現を捉えることが可能らしい。そうして探知した情報をコンパクトを介した通信魔法で魔法少女へ展開、誘導する。"図書館"で黒兎との戦闘が発生するまでの基本的な流れのひとつだった。

 

「一度に三箇所……」

 

 それが多いのか少ないのか、八鍔にはまだ判断ができない。同時多発的に黒兎が出現することは少なくないのだと聞いている。ニュース等で報じられるものは被害の出た場合が大半で、実際には人的被害が出ないまま人知れず討伐される黒兎もいるのだと。

 だとすれば、この程度は驚く程の事態ではないのだろうか。

 

 頭の中で再度受理するかどうかが問いかけられる。この要請に答えるかどうかは各人の自由となっている。拒否したからといって、何かペナルティがあるものでもない。"図書館"はあくまでも互助組織であり魔法少女に何かを強制しないという大前提があるからだ。

───裏を返せばほとんどの魔法少女は黒兎との戦闘を望んでいる。

 八鍔にとってこの要請はまだ二度目の経験だ。前回はホットミルクが側にいてふたりでそのまま向かうことになった。今は一人。だからといって、拒む理由にもならないが。

 

「……」

 

 まだ慣れない感覚でコンパクト越しに受領の意思を伝える。すると打てば響く様にすぐに必要な情報が頭に流れ込んでくる。行くべき場所、予想される周囲の状況。他の魔法少女にも現在要請中。押し寄せる情報が多く一瞬頭が混乱するがなんとかその全てを咀嚼する。

 

 ”本館”近くにいたのが幸いした。移動に時間がかからない。

 八鍔は窓を開き身を乗り出した。

 

魔法少女はここに(ライズ)!」

 

 病棟の窓から飛び出しつつ、変身のための言葉を口に。

 三階の窓から宙へと身を躍らせた少女の体が赤い炎に包まれる。尽きることを拒むような荒々しい炎の中より現れるのは白いドレスの魔法少女。落下と共にドレスの上を走る幾筋もの赤いラインと紅の髪が尾を引く様に空に流れる。

 

「……よし」

 

 そのまま反動も衝撃もなく、軽枝の様に地面に着地したジャックタルト(八鍔)は隣接する"本館"の地下へと駆ける。

 

『なんだかやる気なのー?』

「まだこれで三回目だしな。緊張か……気持ちが急いてる自覚はある」

『新人は死亡フラグなのー』

「まあ、新兵……と考えるなら死にやすいのか。けど、他の魔法少女も向かってるらしい。一人で戦うよりは多少は安心だろう」

『ベテランと新人の組み合わせはもっと死亡フラグなのー』

「そういうのどこで覚えてくるんだ」

 

 トーチとくだらない会話をしている内に"栞"のある部屋に到着していた。

 窓から飛び出した時に感じていた高揚にも似た焦りは気づけば幾分か和らいでいた。トーチに気を使われたのだろうか。振り返れば、先程までの自分がかなり浮き足立っていた様にも思える。

 別に元が大人だから特別うまくやれるなんて考えてはいなかったけれど。昨日今日と自分の未熟さを実感させられる機会が続いている。あるいはそれを挽回したいなんてつまらないことを何処かで考えていたのだろうか。

 

「とか、考えだしたらキリがない!行くぞ、トーチ」

『おっけーなのー』

 

 ここ最近、毎日何度も繰り返してきた工程。魔力を細く伸ばし、重なり合う"栞"の先に触れる。向かうべき先を明確に意識する。

 力ある言葉と共に赤髪の魔法少女の姿がその場から消失する。

 

 仮想でも修練でもない、命を天秤に乗せる戦いの場へと彼は再び赴いた。

 

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