「あんた新人だろ。魔法少女になって……ひと月も経っていない」
張り付けたような薄い笑みを浮かべながら白い髪の魔法少女が話しかけてくる。だらりと下げた右腕から
「魔法少女は仲良しこよし。みんなで黒兎から人類を守りましょう……ってさ。まあ、世間じゃそう言われ続けてるし成りたてじゃ知る機会もないだろうけど」
顔は笑っているのに声音はひどく平べったい。感情の起伏らしいものを感じない。強いて言うなら何もかもがつまらなそう。そんなあべこべな印象の少女だった。
彼女は話しながら地面に転がっているザイルチェリーを爪先で蹴り転がした。ブーツ───というよりは甲冑だろうか。右手の籠手と同じ様な、つなぎ合わせた幾つもの金属板で覆われた鎧。鋭く尖ったその爪先を穴の空いたザイルチェリーの腹に突き刺すようにして蹴り上げて、倒れた少女の顔を確認する。
「…………ぅ……」
傷と呼ぶのも躊躇う腹の穴を嬲られたザイルチェリーの口からほんの僅かに声が漏れる。だが、それは今にも消えてしまいそうなひどくか細いものだった。
「っ、なんで……!」
たまらず口から漏れた自分の言葉に八鍔は歯がみする。そんな事を問うている場合ではない。それがわかるのに。ひどく動揺して、甲高くなっている己の声が忌々しかった。
判断を間違えたこと。庇われたこと。動けないでいること。今は不要な考えばかりがグルグルと頭の中を巡る。地面を濡らすザイルチェリーの血にひどく動揺する自分がいた。酸素が足りない。思考が渦を巻く。
「小遣い稼ぎ。魔法少女を殺して欲しいって人間もいたりするんだよ。……それに、この国は広さに対して魔法少女の人数も多めだからさ。間引いても問題ないし」
八鍔に殺気を向ける直前に言った言葉を彼女は繰り返す。その言葉にも温度はない。偶々、できそうだったからそうした。これくらいなら別に問題はないだろう。そんな言い回しだった。言葉の通り、本当に小遣い稼ぎ程度の感覚なのかもしれない。
小遣い稼ぎでザイルチェリーは腹に穴を空けられていた。
それが、とても理不尽に思えた。
「ま、新人なんて黒兎にやられて死ぬか、鬱って死ぬか、騙されて死ぬか……あたしみたいなのに殺されるのはそこそこレアだし良かったんじゃない」
思考が渦を巻く。
魔法少女から殺意を向けられるのは初めてではない。あれは確かに仮想空間だったけれど、確かにセイラピューレはこちらを殺すつもりでいた。あの感覚は今も記憶に刻まれている。魔法少女が人を殺しにくることはある。どうしようもない性根の人間がいることも知っている。あるいは、望まずとも社会や道徳に背を向ける行いを選ばざる得ない人種というのも理解できる。魔法少女は誰もが善性を持ち人々を守ってるなんて幻想も──────それが幻想に過ぎないなんて事は重々承知している。
だから、目の前の魔法少女に焦り狼狽えることはないし、恐れて思考停止することもないし、絶望に息を呑む必要もない。
ただ───
「恨むならそんな歳で魔法少女になった自分を───ああ、いや、魔法少女にした奴らでも恨むんだね」
「……………………ふざけるな」
白髪の魔法少女の意識が動かないザイルチェリーから八鍔へと向く。
その直前。
「
自分と自分に殺意を向けようとした魔法少女の
熱。炎。意識を燃やす業火。苦痛がのたうち全身が焼かれ身体中から火が溢れ出す錯覚。意識の首は締まる。熱い。苦しい。痛い。千々に裂けて思考が真っ暗闇に落ちていきそう。
───だが、あの時程ではない。
焔の如き赤髪は翻り、灼熱を溢す瞳が獲物を捉える。
「……転移系!?またレアな……!」
己の背後。瞬きの間に現れ杖を振りかぶる八鍔に対して、彼女はそれでも咄嗟に対応してみせた。八鍔と己の間に右腕の籠手を捩じ込み、後ろへ下がるのではなく襲いかかる八鍔の側へ盾にした籠手を叩きつけようとする。ただ殴りつけるだけなら、生半可な魔法攻撃であるなら、それで出鼻を挫かれたのかもしれない。バックアタックという有利を潰されて完封されたのかもしれない。
「
「───ッ!?」
果たして触れれば焼き尽くすこの炎をその程度で止められるか。
答えは出なかった。
白髪の魔法少女は八鍔が声を上げた瞬間に迎撃から回避へと選択を切り替えたのだ。彼女の足元が爆発したかのように弾け、その体を高速で八鍔の殺傷圏内から離脱させる。
炎刃。疾駆。
飛び退いた魔法少女を追いすがる様に解き放たれた炎の刃が斜め一閃に薙ぎ払われる。少女の鼻先を掠めたそれは、駆け抜ける先の一切合切を燃やし一拍の後には深々と地面に溝を刻んでいた。その断面は瞬間的な高熱によりガラス化している。
「……ただの新入りじゃ、なかったか」
平坦だった魔法少女の声に僅かに苦々しい色が混ざる。己を庇うように構えていた右腕の籠手の一部は溶解して溶けた蝋の様に変形していた。
薄暗いビルとビルとの狭間の路地裏で幾本もの赤い光が浮かび上がっている。赤髪の魔法少女。その白いドレスの上を血管の様に広がる赤のライン。それが、先程の放たれた炎に呼応するようにぼうっと輝く。腕の先。先程、炎の刃を形成した杖の先の灯りとあわさりその姿はひどく幻想的で───不気味だった。
闇の中で揺らめくそれはまるで生者を冥界へと誘うランタン持ちの様。
思わぬ反撃に白髪の魔法少女は表情を変えぬまま小さく唾を飲み込んだ。
最初にもう一人の魔法少女を狙い打った選択を間違っていたとは思わない。あれは小賢しい魔法少女だった。"風鳴り"や"殴り屋"、”餓鼠"の様な圧倒的な力を持つ訳ではない。だが、自分の力をよく理解してどう立ち回るのかを必死で考えている。そういう怯えと憎しみを抱えたよくいる魔法少女だ。だからこそ足元をすくわれたくなかった。意識をこちらへ向けきれていなかったあの瞬間は絶好の狙い時だった。
それでもなお、眼前の不気味な赤を見ていると後悔しそうになる。どうして先にアレを黙らせなかったのかと。
「───」
何かてきとうなことを口にしようとしたが、燃える様な赤い瞳を向けてきた少女の姿に最早言葉は意味をなさないと判断して黙る。右腕の損傷は無視できないがまだ打てる。あの一撃は確かに恐ろしいが、恐ろしい事がわかったなら対処は可能だ。
赤の灯火が揺れる。赤髪の魔法少女が動く。飛びかかるか。また転移を使うか。炎を放つか。
直後の彼女の行動に、一度閉じたはずの口がつい動いてしまった。
「そんな目をする癖に冷静だな」
八鍔は、足下で倒れていたザイルチェリーを抱き上げる。
体が軋む。あの一撃を放つ瞬間、隙間なく噛み合っていたパーツを無理矢理歪めてたわむ様な気持ちの悪い衝撃が体を走った。いつもよりずっと大きなその感覚は間違いなく限界以上の距離を炎に焚べた結果だろう。八鍔の見る世界は今もわんわんと反響し続ける。地面がぐにゃりとねじ曲がっているかの様だ。いつ、意識を失ってもおかしくない。
だが、後一回はやれる。
ザイルチェリーのおかげで二回分の余裕があったのだ。先程のアンロードで一回。だから残り一回。本来の限界を超えて燃やした炎は八鍔の全身を苛んでいる。それでも、今は耐えられる。理由など知らない。それでも、漠然としたやれるという直感に賭けてあの白髪の魔法少女を引きはがせた。だから、もう一回やれる。
ザイルチェリーを抱き上げれば手にどろりとした感触が伝わった。生暖かい、命が零れる手触り。白いジャックタルトのドレスがザイルチェリーの血で赤く染まっていく。
「ぁ…………」
焦点のあっていない、何も見えていなさそうな彼女の目にゾッと背筋が冷たくなる。同時に溢れ出る八鍔の感情が叫ぶ。死なせたくはないと。
その感情のままに魔法を行使する。
「───
杖の先。
杖の先。灯る炎を意識する。
上か、背後か。対峙する魔法少女も予測しているだろう八鍔の選択肢はその二択だ。
八鍔が選択したのは背後。
だが、それは白髪の魔法少女の背後ではない。己の背、そしてその先で今もまだ残った黒兎の糸に絡め取られている被害者たちの更に向こう。この路地裏の外へ。
先程より更に激しく燃え猛る炎が八鍔の意識を焼く。体の内の熱にあらゆる感覚が塗りつぶされ、移動した先で体勢を保つことができず抱えたザイルチェリーと共に地面に転がった。アスファルトに肌を擦りつける感覚で、ようやく周囲を知覚できるようになったことに気づく。
眩しい。光の遮られた路地裏から抜け出し、開けた通りに倒れていた。商店街かなにかか。幅の広い歩行路を閉じたシャッターの列が挟んでいる。随分と寂れているらしい。
だが、それでも幾人かの通行人はいたようで、突如現れた血まみれの少女たちにどよめきが上がっていた。
黒兎の糸と被害者たちを盾にする形になった上、関係の無い一般人を巻き込んでしまっている。魔法少女失格だなと自嘲する。
だが、八鍔にできる時間稼ぎはこれが限界だった。
「確かに、それが一番面倒だ……!」
遠く、ビルとビルの間の先で白髪の魔法少女がそう呟いたのが聞こえた気がした。ただの幻聴かもしれない。そう言っていて欲しいという八鍔の願望だ。
一度目の無茶な魔法で八鍔は既に死に体だった。長くは戦えない。そして、仮にそのまま戦闘を続けてあの魔法少女に勝利したとして、十中八九その時点で八鍔は倒れる。今時点で既に意識がおぼろげになっている。ここまでの時点で限界を無視して魔法を行使し続けたが、間違いなく次でそれもおしまいだとわかる。
そうなれば、残されたザイルチェリーはあの地の底のような路地裏で息絶えるしかない。
だとして、今こうして八鍔がとっている行動が正しいのか。時間稼ぎにどこまで意味があるのか。少しでも人目につく場所に出たかった。だが、それでザイルチェリーに助かる道ができるのか。
わからない。自信は無い。
それでも。
───味方がくるのがわかってたなら先に合流。
ザイルチェリーの声が脳裏をよぎる。
彼女に庇われてしまった時点で、彼女が刺され倒れた時点で、八鍔のできることなどごく限られていた。後は祈るしかない。
震える手を持ち上げる。手にしたステッキを天へと向ける。
まだ、もうひとつくらいやれることが残っているはずだから。どうせ、この熱はどうにかして吐き出す必要があるのだから。
『ヤツバ……』
心配そうなトーチの声に頭の中でだけ謝る。それでもトーチが止めるようなことを言わないのは八鍔の感情を理解してくれているからだろう。
既にあの白髪の魔法少女はこちらに迫ってきている。彼女が辿り着き、自分の胸にあの杭を突き立てたならそこで終わりだ。
せめて、その前に。
「……
ガキンガキンと体の内でまた音が鳴る。それがひどく気持ち悪い。自ら己を壊しているかのような自傷の錯覚。
普段、簡易化している工程を丁寧に唱えていく。だが、全ては無理だ。工程を選別し、最低限を選択する。
杖の先、ランタンの六面全てが開く。そして、炎が溢れる。
「……
解放された炎は形をとらずにただ上空に吹き荒れた。天を焦がすほどの業火。遠巻きにしていた見物人から悲鳴が上がる。上空をヘリや飛行機が通っていたら大事になるのではと靄のかかった頭でふと思う。だが、最早どうしようもない。
工程を簡略化しなかったことで、炎はいつもの様に一瞬で途絶えることなく今もまだ燃えさかっていた。そして、
「ぐぁ……っ!」
いつも内側は焼かれているというのに、外側を焼かれるのはまた違った痛みで、つい声が零れてしまう。気つけには丁度いいのかもしれない。自分の腕が焼け焦げていくのを感じる。鈍化している知覚で、自分の肉の焼ける臭いはわかるらしい。これは果たして治るのだろうかなど、そんな呑気な考えが浮かんで口の端が歪んだ。
このまま、最後まで。
「ぁ…………!」
やがて限界は訪れる。どれだけ無理を通したとして、どこかで尽きることになる。
燃え猛り天を突いた炎は消え、黒く炭化した腕は投げ出された。
いつもの様にプツリと断線するのではなく、徐々に闇に吞まれていく意識。その最後に声を聞いた気がした。
「……っ、……ルトちゃん!!」
この体になってからすっかり聞き慣れた声と。
「なん………………なぁ。妙な縁があ………………んか」
いつかどこかで聞いた声。
幻聴ではないといいけれど。
最後にそんなことを思い、八鍔の意識は闇の底へ落ちた。