魔法少女ジャックタルト   作:富野倒去

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【1-2】プロローグ:初期衝動

 魔法少女。

 かわいらしい衣装を纏い魔法の力で困難を解決しワルモノをやっつける。

 

 炎に巻かれ人が喰われ。地獄の様な光景の後に飛び出すには些か以上にふざけた単語だ。けれど、八鍔(やつば)は魔法少女を知っていた。いや、今の世界では黒兎と同じ様に全人類が知っているだろう。

 魔法少女。魔法の力を持ち唯一黒兎を単独で撃退しうる人類の希望。今朝だって八鍔はどこぞの魔法少女が黒兎を撃退したというニュースを目にしている。

 だが──

 

『どうだろうか?』

 

 どうだろうかもなにも、自分は二十九歳の男だ。そろそろおっさんと呼ばれる事にも慣れを求められ始める年齢の大人である。

 それが何をまかり間違って魔法少女になるというのだろうか。

 

『あぁ、その疑問か。確かに魔法少女にスカウトするのは大抵は名の通り十代前後の少女だね。けれど何事にも例外はある。君の様な性別や年齢がそぐわない人物を魔法少女に、という例は稀ではあるけどよく存在するんだ』

 

 稀によくあるらしい。

 

『もしかして、今の成人男性の姿でヒラヒラの衣装を着ることを危惧してるのかな?それなら大丈夫。文字通り、魔法"少女"になってもらうからね』

 

 変身すると姿形が変わるということか。もしかすると、世の魔法少女たちも大体がそういうものなのだろうか。

 遊園地の着ぐるみの中の人のような。魔法少女の中の人も実は30、40のオッサンだったりとか。意外とあり得るのではないだろうか。

 いっそみんなそうなら気が楽かもしれない。

 

『いやいや、そんなことはないって。普通は年相応の女の子をスカウトするって言っただろう。君は間違いなく例外だよ』

 

 ということは、世界中で人喰いの化け物と命をかけて戦っているのはやはり未成年の少女たちということなのか。世も末である。

 

『けれど、君は今の今までその事を気にしたことはなかった。黒兎がなんなのか、魔法少女が何者なのかさえ意識したことはなかった。そうだろう』

 

 …………。

 

『ま、その辺りは人類にかけられた呪いみたいなものだからね。あんまり気にする必要はないとは思うよ。というかさ、今の君はそんなことを気にしている場合でもないだろう。何せ死の瀬戸際だ』

 

 瀬戸際と言うよりはもう死んだつもりではあった。

 何もわからず、何もできず。

 そうだ、それは今も変わっていない。

 周囲を炎に巻かれようと、白一色の世界に放り出されようとその無様さだけは何も変わらない。

 

『だから提案するのさ。何もわからないまま終わる、その運命を変えてみないかって』

 

 魔法少女になって?

 

『そういうこと。魔法少女は魔法少女の形をする必要がある。だから普通は少女をスカウトする。さっきも言ったけど君みたいなおじさんに声をかけるなんて普通はしない。けど、今回はちょうど空きそうな体があるからさ。その中に入ってもらうのがいいと思うんだ』

 

───空きそうな体。

 

 その言葉にふと心当たりを覚えた己を八鍔は嫌悪した。

 予感と同時に、八鍔以外白一色の世界に新たな人影が現れた。二つ結びの髪に赤いランドセル。かわいらしい顔の半分は今もチロチロと揺れる炎の舌が舐め覆っている。

 それはつい先ほど八鍔の記憶に焼きついたままの、黒い指に摘み上げられた少女の姿だった。違いといえば彼女を捕える黒い指がないことと、地面に倒れて動かないこと。それから、その輪郭が煙のように揺らぎ姿形が薄く透けているくらいだ。

 

『彼女にもせっかくだから声をかけたんだけどね。もう心が限界だったみたいで、返事も返ってこなかった。これじゃあどうしようもないと思ったのだけれど、君という中身が───』

「断る」

 

 八鍔の声が白一色の空間に響いた。そもそも口がきけたことに驚いて自身の胸元を見る。今もペシャンコに潰れたままだ。息も吸えるか怪しい体だ。

 

『え……いやいや、急にどうして───』

「彼女の体を使えと言うなら断る」

 

 けれど言葉は当たり前に口から発せられた。予感は既に確信となり八鍔の体を動かしていた。

 未だ姿すら見せない声はここを魂が観測する世界と呼んでいた。だから、自分の姿形がどうであれ声が出ると思えば出るのだろう。できると思えばできる。精神論という物だ。八鍔はそう解釈した。

 

『けど、このままじゃ君たち二人とも喰われておしまいだよ?』

「体に俺が入ったら、彼女はどうなる?」

『どうって、君の魂が入ってこの体を動かすことになるから……まぁ、そうだね……体の奥底で眠るんじゃないかな』

「……それからは?」

『よほどのことがなければ目覚めないだろうね。あっ、体の主導権の話かい?なら、魂の強さが違いすぎるから奪い合いなんて起きないと思うよ。まぁそもそも、彼女の魂がこのまま消えてしまう可能性だって高いけれど』

「つまり、俺が彼女の体を奪うということだろう。それはあの怪物に喰われるのと変わらない」

 

 彼女を喰らうのが怪物か八鍔かくらいの違いである。

 

『そんなことはないだろう。このままじゃ二人して死んでしまう。けれど、君が彼女の体に入って魔法少女になれば、生き残る目はある。そういう提案をしに来たんだ』

「だとしても、俺が彼女の体を奪うことはできない」

『何故?』

「彼女が恩人だからだ」

 

 無様に、醜悪に、心を救われた。

 

『おん、じん……知り合いなのかい?』

「いや、今さっき初めて知った」

『うーん?君はよくわからないやつだなあ』

 

 姿ない声は困惑している様だった。だが、八鍔にとってはそうとしか言いようがなかった。少々おかしなことを言っている自覚はあった。それでも彼女の体を奪うくらいならこのまま喰われて死ぬ方がマシというのが八鍔の本音だった。

 

『けど、君が体に入らなきゃこの子も喰われて死んでしまうよ?』

「俺が体に入って動かして、それで彼女は生き残ったと言えるのか?その後は?見ず知らずの男が好き勝手に自分の体を使って、魔法少女なんてものをやって。それは彼女を喰うこととどれだけ違う」

『いや、結構違うよぉ』

 

 少女にとって死ぬこととどちらがマシか八鍔にはわからない。だが、少なくとも八鍔は自らそちらを選ぼうとは思えなかった。たとえ彼女が死ぬ間際なのだとしても。

 

『えぇー、これは予想外だ。女の子になるなんてムリとかそういう反応は想像してたけど……恩人の体を奪いたくないなんて……口にしてみても君が何を言ってるかボクには理解できないし』

 

 このままじゃ何もできずに死んじゃうのにさ。

 

 声は困った様に繰り返す。

 

 八鍔は少しだけ胸のつっかえが取れた様なスッとした気分になった。多分見えない声にイライラしていたのだと思う。多少なりとも困らせて溜飲が下がったのだろう。我ながら嫌な性格だ。

 けれど、同時に言ってどうなるという気持ちもあった。

 結局のところ八鍔は無力だ。あの業火の中と同じだ。喚き散らすことはできてもそれ以上はない。迫る指先を払えなかった様に。押し潰されて声も出せなくなった様に。今もまた同じだ。お前の意思など関係ない、少女の体に捩じ込む、魔法少女にする。そう言われればそれに抗う術などなかった。

 どう抗えばいいかすらわからない。

 

 彼らに対して八鍔はあまりに無力だった。

 

『わかった、ならこうしよう』

 

 しばらくごにょごにょと唸っていた声がはっきりとした言葉を告げた。何か代案を決めたらしい。

 

『君はこの子を恩人と言った。なら、助けられるのなら助けたい…….そういう意思はあるよね』

「さっきみたいな方法を助けるとは思わない」

『うん、だからもっと単純に。彼女は無関係に君が力を得てあの黒兎から彼女を救い出す。それなら……どうだい?』

 

 少しだけ八鍔は逡巡する。だから彼女とは別の人間の体に、などと言われたらどうしようかと。けれど、問われたことについては答えはとっくに出ていて、結局すぐに言葉が口をつく。

 

「助けたい。返せる恩は返したい」

『うん。ならやっぱり君は魔法少女になるべきなんだ』

 

 声は嬉しそうに告げた。

 

『君の体を作り替えよう。骨を溶かし肉を歪める。挿げ替えるんじゃなくて作り変える。受精から誕生までを一瞬でやり直す様な感じだけれど。そうして君に魔法少女になってもらう。誰の体を奪うこともない。どうだろう?』

 

 そんな方法があるなら最初からそちらを提案すればいいのに。

 

『これも色々と条件があるのさ。それに、既に形ある体に魂を移すのよりずっと難しい。生きた人間の体を作り変えるのもそうだし、何より君の魂がその変容に耐えられるか……形成失敗で異形の肉塊になったり、自意識がバラバラになって廃人になったり』

 

 八鍔が脳裏に浮かべた感想に声がすぐさま答えを返した。脅かす様に妙におどろおどろしい声音を出すが、元が軽薄な声ではどこか滑稽さが滲み出るばかりだ。

 同じ声音で時間をかけられるならもう少し話も別なんだけどねとも呟くが、八鍔としてはそんなことを言われても困る。

 

『まあ、でも、君の強い意志があればきっと上手くいくさ』

 

 まるで全てが決まった様な言いようだが、八鍔はまだ魔法少女になることを一度も了承していないかったはずなのだけれど。

 

『いいや、したさ。言わずとも思わずとも、君の心が望んだ。最初からね。戦うこと、抗うこと、燃え続けることを望んだ。終わりはまだと望んだ。先を、望んだ。たとえ、その───果てが───』

 

 途中から徐々に声が間延びしていく。引き伸ばされた高音が耳の奥に張り付いて耳鳴りになる。白の世界から意識が離れていく。

 一方的で唐突。

 けれど、契約はなった。

 誰に言われるでもなくそれを理解する。契約を、理解を流し込まれる。結局のところ一方的なのだ。抗える力も知恵も八鍔にはない。無力でちっぽけなまま。

 だからせめてこの胸のうちに抱える感情だけは手放さないようにしようと思った。最後の最後。死ぬ間際に吹き出した名前のつけようのない激情。理不尽な怪物。燃える世界。死にゆく少女。愚かな自分。その全てに吐いた言葉をなくさないようにしようと。

 

 最後まで声は姿を見せなかった。自分が何者かを語らず、八鍔も正体を問わなかった。人を食った様な人を食う声。

 問う必要はなかった。

 

 

###

 

 

───熱い。

 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。

 体の細胞一つ一つが燃え上がっている様だった。見開いた眼窩から口から全身の毛穴から業火が吹き出すような錯覚。自分という存在がぐちゃぐちゃになる感触。燃えて、溶けて、撹拌されて。目玉が弾ける。腕が捻り伸ばされる。腹の中を潰し固められる。背骨を削り切り落とされる。意識なんて真っ先に壊れて消えるはずなのにその全てを感覚する。

 全て錯覚。全て現実。

 どちらも本当でどちらも嘘。

 八鍔にはもう何もわからない。それでも一瞬が永遠に感じられる苦痛があったことは確かで、その終わりに自分がここにいることも確かだった。

 

 

『は───?』

 

 灼熱の地獄。

 元は昼下がりの穏やかだった町の一角は炎に焼かれ、既に燃え滓となった人の欠片がちらほらと転がるばかりとなっていた。

 歩道沿いに植えられた並木も焼け落ち炭化した黒い先端が槍の様になって天をついている。

 みんな焼けて、みんな食われた。

 その中心に黒く大きな異形が鎮座していた。人間を遥かに超える大きさだ。只人が見ればその姿は黒一色だ。だが、実際には違う。

 突き出た腹は針金を丸めた様な質感をしている。身長に対して長過ぎる腕はひしゃげた鉄骨や何かの部品、無数の鉄屑がより集まってできていた。その上に乗るのは半球状の黒い顔。顔の半分を占める巨大な口。その上に輝く黄色い目。頭頂部からは顔と同じく黒い、長く大きな耳の様なものが二つ伸びていた。

 

 黒兎。

 人を喰らうもの。

 片手には顔を半分焼かれた少女を。

 片手には苦痛の果て発狂して叫ぶ男を。

 そのはずだった。

 先程までそうして、男の方から味わうつもりだった。なのに。

 

『がっ───、あ、ぁあああアアアアアアア!!!』

 

 両肩から先が今はなかった。

 血は流れない。それでも腕を失った痛みに怪物は絶叫を上げのたうち回った。

 何が起きたのかがわからない。それはあまりに唐突だった。気づいた瞬間には自分の二本の腕が消し飛んでいた。

 

『何だっ、何でっ何がっ何がぁ起きたぁ!!』

 

 原因を求めて周囲に視線を走らせる。街も人も燃えた世界。その中で世界が抜け落ちた様に明らかに異質なものが目に留まる。

 異質な程に美しいもの。

 この炎の中で一切汚れることない純白のドレス。ウェディングドレスにも似たその白の上を血管の様に幾筋もの紅いラインが走っている。それが美しく可愛らしいはずのドレスの印象を攻撃的なものに作り変えていた。

 ドレスを纏うのは十歳になるかならないかという幼い少女。頭にはレースでふんだんに飾られた貴婦人の様な帽子を斜めにかぶっている。その腕にはもう一人、同い年くらいの少女を抱いていた。

 顔が半分燃えているその少女には見覚えがあった。

 黒兎の炎は燃やすものも燃やし方も選べる。一瞬で焼き尽くすことも一箇所を終わることなく延々と燃やし続けることも。

 少女の顔の半分の炎はそうして黒兎が燃やしたものだ。絶えることなく広がることなくただ焼き続ける痛みの炎。実に芳しい香りに嗅いだ瞬間手が伸びた。口に運ぶのが本当に楽しみだった。

 その少女が今、何故か自分の手の外にいた。

 

───何故?

 

 わかりきったことだった。

 少女を腕に抱く、あの白いドレスの少女が何かしたのだ。自分の腕が消えたのも、ついでに男がどこかへいったのも。

 

 周囲の炎を束ねて梳いたような真っ赤な長髪が翻る。俯き、帽子のフリルに顔を隠していた少女が顔を上げて怪物を見上げる。

 顔を焼かれる少女と瓜二つの顔が黒兎を睨みつける。何もかもに怒るような燃える眼で黒兎を睨みつける。

 黒兎は理解した。何が起きたのか。何が現れたのか。

 あれは敵だ。こちらを害しうるものだ。忌むべきものだ。望むべきものだ。厭うべきものだ。排除すべきものだ。拒むべきものだ。

 

『魔法……少女っ!』

 

 憎悪に満ちたその声が、新たな魔法少女の誕生を言祝いだ。

 

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