自分の肌に鋭い何かが食い込んでいくのを感じる。手にも足にも背中にも。これ以上力が込められれば壊れてしまう。自分という器が突き破られてしまう。そんな肉体の悲鳴など知らぬとばかりに、あっという間にそれは肌を割き肉を切り骨を断った。切られる。切られる。斬られる。斬られる。離れる。千切れる。別れる。絶たれる。己という体が。痛いと思う。けれど痛みよりも別離の気持ち悪さが勝っていた。ひとつの形であったはずの肉体が無数の断片に切り離されて散っていく感覚。脚だったもの。腹だったもの。腕だったもの。指だったもの。喉だったもの。鼻だったもの。耳だったもの。目だったもの。髪だったもの。散らばる自分があまりにも沢山で。もうどの肉片が自分なのかもわからない。全部が私。でも本当はそんなはずなくて。立つことも這うこともできず赤い雨になって大地を染める。自分だったものが広がっていく。薄く、広く。動かない。肉片の体の動かし方なんて知らない。だから、ただ転がって。広がって。薄まって。なにも。できない。
たぶんそういう夢を見た。
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「本当に、本当に大丈夫?」
こちらの額を拭い心配そうに覗き込むメイド服の魔法少女。ホットミルクに
「大丈夫だって。ちょっと体が上手く動かないだけで」
八鍔は再びベッドの上の人となっていた。体は相変わらず赤髪の小さな少女のものだが、腕も足も千切れたりはしていない。
ただ、体の動かし方が時折ぎこちなくなって、急に動きが止まりそうになるくらいで。今だって上半身は起こして話している。寝たきり状態というわけでもない。
「ご、ごめんねぇ……わたしが、ちゃんと止めなきゃ……いけなかったのにぃ……。そ、そしたらあんな……あんな……うぅ……ぐすっ」
涙声混じりで謝る彼女に対し申し訳なく思うと同時にその姿をかわいらしく感じて。自然とその頭に手が伸びた。さらさらとした茶色がかった髪をぎこちない動きで撫でて慰める。
人の頭を撫でるなんていつ以来だろう。そもそも、これまでの人生にそんな機会はあっただろうか。よくよく考えれば八鍔の人生において頭を撫でるような相手なんてひとりもいなかった様に思える。それでも涙ぐむ少女を慰めようと思って自然と手が伸びたのは人間としての習性なのだろうか。
八鍔は自分の行動に内心驚きながらも撫でる手を止めることはなかった。
「はいはい、それくらいにしておきなさい。見舞う方がグズグズしてたら病人の気持ちも落ち込んじゃうでしょ」
「う、はぁい……真弓さん」
嘆くホットミルクを諌めるのは白衣を着た大人の女性だった。言葉こそサバサバしているがその声音は優しげである。黒いフレームのメガネをかけ、髪はうなじでざっくばらんにまとめている。
八鍔の感覚は彼女が魔法少女でないと言っていた。変身していないだけ、という可能性もあるが魔力を全く感じない。もしかすると、目覚めてから初めて会った魔法少女以外の人間かもしれない。
「別に病人って程じゃないですよ、俺は」
初めて顔を見た際に
そもそも魔法少女の肉体は風邪を引くのだろうか。八鍔の頭の中にその知識はない。
「そうですねー……魔法少女なりたてで痛覚遮断なしのガチレギュモード。それであのセイラピューレ相手にやりあって細切れにされたのに直後のメンタルダメージチェックほぼオールグリーン。うーん、これが当代最強が目をつけたルーキー」
「そういう茶化し方もしないの」
「うぇへへ、ごめんなさーい」
ホットミルクと真弓の他にもうひとり。
大男のジャンパーとでも言えばいいのか。あまりに大きすぎる薄紅色のそれをすっぽりと被った小柄な少女が舌を出して笑っていた。寸胴みたいなジャケットに収まった状態で危なげない足取りで部屋の中を忙しなく行き来している。子犬の尻尾みたいに後頭部で跳ねる水色の髪。星屑の零れる瞳。直感に頼るまでもなく魔法少女だった。
ホットミルク、セイラピューレに続いて三人目。
魔法少女はその姿を一般人に目撃されることはごく希だ。記録媒体に残ることもない。魔法少女について得られる情報といえばニュース等で報じられる黒兎との戦闘結果、それから時折"図書館”伝手で公表される似顔絵───イラストである。八鍔はそこまで興味を持っていなかったので詳しくは無かったがそれでも公表されたイラストを元に書き起こされた魔法少女を使ったポスターや広告を目にしたことはある。当時はキャラクターとして見栄えがよくなる様にイラストをデザインしていると思っていたのだが、こうして魔法少女たちを見ていると特にそういうわけでもなさそうだった。実在する彼女たちは大概現実離れをした見た目をしている。わざわざイラストでアレンジする必要もなさそうだ。
この三人目の魔法少女など、大きすぎる服のせいで引きずるほどに袖あまりをしている。にもかかわらず、物を持つのも運ぶのも苦にせず当たり前にしているのだ。魔法少女の名に偽り無しのファンタジーな光景だった。今更である。
「ハミングの魔法で行なう模擬戦が肉体的に一切影響を及ぼさないことは立証されている。けれど、受ける痛みや感覚は本物よ。本来ならセーフティを設けるところを全部取っ払って本気の魔法をぶつけ合うなんて……深く考えなくたって精神に悪影響が出るのは明らかじゃない。なので、しばらくは安静にしてなさい」
「でもでも、マジのガチでノーダメだったよ?そりゃ、初めてのハミングで内魔力が混乱して一時的に体の制御に影響は出ちゃってるけど、本当にそれだけ。エクちゃんのサーチで見たから間違いないもん」
「安心しなさい。貴女の魔法を疑ってる訳じゃないわ、妃万里」
「もー、真弓ちゃんってばまた魔法少女を名前で呼んで。マナー違反なんだからね」
「これが私の主義なの。場所は選んでるから許してちょうだい」
「しょーがないなー、許してあげる!まったく真弓ちゃんはーまったくー、へへへ」
真弓女史と水色髪の魔法少女、随分と仲がよさそうだった。
ぼんやりと二人の会話を眺めていた八鍔にホットミルクが小声で「いつも同じやり取りしてるんですよ、あの二人」と教えてくれる。どうやら、周囲からは微笑ましく見られているらしい。
「けど、ヤツバちゃんが無事で本当によかった。アレが仮想なのはわかってたけど、それでも……あんな、あんな…………ぐすっ、本当によかった」
「やられた時はほぼ意識がなかったから、こっちとしてはなんかバラバラにされたなぁくらいの感覚でそこまで深刻なものではないんだけどな」
目にした光景を思い出したのか、また僅かに涙ぐむホットミルクの頭を気にするなとポンポンと叩く。
八鍔は傷ひとつ無い自分の腕を眺める。全てが夢であったかのように体のどこにも斬り裂かれた跡は存在しなかった。
そう、まさに夢の様なものであった。
今更ではあるが、八鍔は生きていた。
体に一切異常はない。医師免許を持つ真弓と治療や診断に長けるという水色髪の魔法少女のお墨付きである。体の動きがぎこちないのも言ってしまえば少しきつめの3D酔いのようなものだそうで、現在ベッドで横たわっているのは念には念をということだった。
元々が数日間意識のない状態だったのだから当然と言われた。
自分が数日間意識がなかったことをその時初めて知った。
灰色の荒野でセイラピューレに挽肉にされた後の事。
八鍔はセイラピューレに手を握られた状態で元の部屋で目を覚ました。八鍔が最初に目を覚ました白い部屋だ。涙目のホットミルクには抱きつかれ、手を握っていた蒼髪の少女───セイラピューレは表情こそ変わらないもののどこか気まずそうな空気を漂わせていた。
「ピューレ、あなたにはミルクへの伝言を頼んだはずだったのだけれど?」
黒髪の、肩にカラスを乗せたどこか生真面目そうな女子高生がやってきて視線を明後日の方向にやっていた彼女を引きずっていった。目が笑っていなかった。
「怖い思いをさせて本当にごめんなさい。これまでの事、これからの事、聞きたいことは色々とあると思うけれど、また後できちんとお話しさせてもらうから」
去り際に彼女はそう言って深々と頭を下げていた。どうやら責任ある立場らしい。立ち振る舞いと話し方がちょっと十代とは思えない貫禄だった。二十代でもああはならないと思う。
その後入れ替わりに部屋へやってきた白衣の女性───真弓と水色髪の魔法少女シーエクレアが再度八鍔をベッドへ寝かせテキパキと診察を進め今に至る。
「保護された魔法少女を診ることは何度もあったけど、貴女ほど安定している子も珍しいわ。それこそ……あんな事まであったのに」
「そういうものですか?」
「魔法少女になりたてだったり、変身からしばらくはどうしても不安定になっちゃう子が多いのよ」
ホットミルクなど周囲の態度からだろうか。目の前の女医には自然と敬語になる。この場にいる唯一の大人だからなのかもしれない。本当は大人は二人いるのだが。
「えっと、自分の事とかここがどこかとか聞きたいことは色々あるのですが───」
「薄々察してはいると思うけれどここは魔法少女互助組織"図書館”の医療室よ。それ以外の詳しいことは、
どうやら八鍔は"図書館”に保護されていたらしい。会う相手会う相手が魔法少女だったのでそうではないかと思ってはいたのだが。
"図書館”がどのような組織なのか、八鍔はよく知らない。精々が魔法少女を取りまとめており、報道される魔法少女や黒兎にまつわる情報は"図書館”からもたらされるというくらいだ。おそらく世間一般でもそういう認識だろう。魔法少女になった時点で関わることは確定していたと言える。
ただ、八鍔が今聞きたかったのはそういう話ではなくて。
「ひとつだけ。俺と一緒にいた女の子がいたと思うのですがどうなったかわかりますか?」
結局ホットミルクからも聞けず仕舞いだったあの少女について。
本当なら、いの一番に確認しておきたかった事だ。
起きて倒れてまた起きて。今になってしまったが、眼前の彼女なら答えてくれるのではないかと思えた。
「ああ、なるほど。そうよね。それなら私でも答えられるわ」
真弓は納得した表情で頷いた。
「
「そう……ですか」
唐突に知らされた少女の名前に一瞬混乱する。
それから、ドッと体の力が抜けるのを八鍔は感じた。体中に言葉にしがたい何かが広がって、なんだか全身が地面に沈み込んでいく様だった。
命に別状はない。生きている。死ななかった。あの真っ赤な地獄の中で、顔を焼かれ自分よりも先に黒い指に摘ままれた少女。自分の代わりに喰われかけた少女。散々に人が食われる光景を眺めて、最後にようやく助けたいと思えた少女。自分を救ってくれた恩人。
黒兎の手から奪った後、八鍔の腕の中で確かに生きていた。同時に、いつ死んでもおかしくない様に感じられていた。
抱き上げて、その重みに、生きていて欲しいと願った。
名前も知らなかった女の子。
「そうですか……」
確認を後回しにしていたくせに。
ずっと眠っていたくせに。
真弓の答えに感情が大きく揺さぶられる。
柔らかな午後の陽ざしが目に痛くて、瞼を閉じる。
それでも眩しくて顔を伏せた。
「貴女のおかげね」
「……」
そんな事はない。結局は大したことなどできなかった。
彼女を抱えたまま、自分は途中で力尽きた。彼女の命を放り投げたのと同じだ。助けたというのならそれは彼女を保護し治療した"図書館”なのだろう。八鍔はそう考える。
それなのに───
「──────はい」
どうしてか、真弓の言葉に小さな声で答えていた。
相変わらず聞きなれない己の声はまるで小鹿が鳴くようで。しばらく、顔を上げることができなかった。
生真面目そうな女子高生が再び八鍔の元を訪れたのは、窓から差し込む陽光が赤い夕日の色に変わる頃だった。