〈大和〉の司令塔の入口の扉がコン、と何度か厚い金属特有の曇った音を響かせる。
「どうぞ」
「失礼します」
山本が入室を許可すると鼻下にひげを蓄えた、聡明そうな男が姿を現した。彼は松田千秋、〈大和〉三代目艦長である。彼はこの太平洋戦争での細かいことに一嚙みしていることが多い、この戦争におけるかなりの重要人物の一人である。一例としては実際にミッドウェイ海戦が発生する前に行われた図上演習においてアメリカ側を担当し、日本側の機動部隊を壊滅させた伝説の張本人である。本来の予定では〈大和〉の艦長に就任するのはもう一季節ほど後の予定であったが、新作戦展開ということでそれならばこれを機会に早めの人事異動を行ってしまおうということならしい。
「話には聞いているよ。AL作戦の時はご苦労だったな」
「いえ、〈日向〉の5番砲塔の件は申し訳ございません、、、」
「いや、気にするな。上は、扶桑型に施した高速化改装を伊勢型にも施すついでに直せるとしてそこまで重くは見ていないさ」
ロンドン海軍軍縮条約離脱に備えて日本は再軍備の備えを進めており、離脱と同時に大規模な改装に手を付けた。その一環で行われたのが扶桑型の高速化である。一時的な機動部隊の航空戦力の強化として、缶室の上を飛行甲板として整備しそこから艦載機を発艦させて陸上基地や搭載数に余裕のある空母で回収する計画であった。
「いまさら戦艦を強化すること自体が無駄なリソースにも思えるが、機動部隊の為なら仕方ないな」
「ははは、そうですな、、、」
松田は大艦巨砲主義者である。山本が上官なのでやむを得ず体裁を繕っているが、本音は苦虫をかみつぶした顔をして悪態でもついてやりたかった。
「では、そろそろ私は降りるとするよ。既に陸上の方で準備は整っているらしいからね」
山本が宇垣ら参謀を連れて〈大和〉を降りたあと、松田は一人取り残されて司令塔の中を見渡す。
「こいつが時代遅れなものか、、、〈大和〉は、最強に決まっている」
何を隠そう、この松田は〈大和〉の基本構想に携わった第一人者の一人であり目の前に鎮座する巨砲が46サンチ砲であることを知る数少ない人間であった。彼をもってしてもこの主砲が実際にどれほどの威力なのかは計算士の上でしか知らないが、どの艦をも凌駕する最強の軍艦であるということだけは自身をもって肯定するつもりでいた。実際の火薬がどれほど物を言わせるのか、彼は目を輝かせていたのだ。
と、親バカのような様子を見せていた松田も訓練を始めると冷静に〈大和〉の長短を見極め始めていた。。実際に動かしてみると、基本的ながら気づきにくい点も見えてくる。
「こいつの構想にかかわった人間がこんなことを言うのはどうかとも思うが、舵の利きが少し遅い。旋回半径と防空能力はいいだけに、これは実に勿体ない」
ここが最大の欠点であると松田は考えていた。実際、訓練の結果として〈大和〉の最小旋回半径は金剛型に勝るとも劣らないものであったが、巨体なのもあって追従性な劣悪と言わざるを得なかった。低速時でも40秒、通常時に至っては90秒もかかってしまう。これでは回避行動などで大きく支障が出るのは間違いない。特に彼が考案した対航空爆撃への必勝法たる「爆撃回避法」を行うにはあまりにも致命的な欠陥であった。
「アメリカの反攻が始まる前にこの辺はどうにかしたほうがいいな。とはいえ、ちょっとした工夫でそこはどうにかなるだろう」
「工夫、ですか?」
砲術長が疑問を投げかける。
「ああ、単純な方法として舵の面積拡大がある。これだけでも大きく変わるに違いないが、艦種に小さな舵をつけた暁にはどんな爆撃でも躱せるようになるだろうな」
松田は独り言の時の独特なしゃべり方で、かつ全体に聞こえるような声量で話し続ける。
「ま、今回の作戦はお得意の夜戦ならしいからこいつをお披露目する機会は当分先だろうな。それまでに改修を受けてくれるといいんだが」
「そして改修を受けた後に〈大和〉艦長であることも、ですね」
航海長が冗談めいたように言うと松田はかっと急にこちらを振り向くので驚かずにはいられない。
「君たちが習得してくれなければ困るんだよ。私は〈大和〉の脳だけれども、手足は君たち部下全員なんだから」
「ハハハ、それもそうですね、失礼しました。艦長の戦術を我が物とできるよう精進してまいります」
「うん、よろしく頼んだよ」
そう、航海長がややおどけながらもこちらの言いたいことを分かってくれたと思うと、松田は軽い笑顔に戻るのであった。
日本側の作戦としては、まず〈大和〉の主砲で上陸地点付近を更地にしたのちに駆逐艦から次々と上陸部隊を出撃させるという考えであった。また、夜明けまでに米軍の航空機による攻撃範囲からの離脱ができなかった場合も背後に控えている山口多聞少将の〈隼鷹〉から航空支援を受ける手はずとなっており、盤石の布陣であった。この布陣に、二水戦司令官の田中も満足というわけではないが大いに納得はしていた。
「一隻だけというのはいつもの節約癖が出ているようにも思えるが、上陸作戦に大口径の火力があるのは安心するね」
「はっ、陸軍の兵士にとっても海の砲というのは戦車100台にも相当しますし運送屋で満足に戦力を発揮できそうにない我々にとっても良い保険になりますな」
「敵機発見」
見張り員の叫び声に艦内は騒然となる。しかし、次の一報でその多くは一息をついた。
「B-17一機!」
どうやら空母からの攻撃隊ではないらしい、そのことに一同は安堵したが田中はそうも言ってはいられなかった。
「見られたな」
「そのようですね」
「偽装の為に一度変針しよう。〈大和〉にもその旨を」
この偵察で日本軍の接近を知ったカールトン・ライト少将の艦隊が日本艦隊のポートモレスビー上陸を企てていると真っ先に察知、艦隊を急行させていた。
「敵は9隻か。恐らく駆逐艦で上陸作戦を行ない、それを戦艦で援護しようという魂胆だろう。見え透いたものだ」
「しかし、その戦艦なのですがこれまでに見たことのない形のようでして、、、」
参謀は偵察機から伝えられた特徴をライトに伝える。それを聞いたライトはわずかに顔を青ざめさせた。
「我々のサウスダコタ・クラスにそっくりじゃないか!まさか、、、我々の情報は筒抜けなんじゃないか?」
参謀もそれが気がかりだと賛同していた。我が国の機密はどうなっているのだ、と彼は嘆き続けたがもちろんこれは杞憂である。大和型とサウスダコタ級が似たのは合理を突き詰めた結果の収斂進化にすぎない。だが、初見では当然そう恐れるのも無理はない。当然、日本の大本営でも逆の噂が流布していた時期がある。
「まあ良い、妄想ならいくらでもできる。事実は目の前に敵が迫っている、それだけだ」
自身に言い聞かせるようにライトは忠告するとどうにか冷静さを取り戻した。
「作戦を指示する。敵は水雷戦隊だが積載されているボートから察するに、此度は輸送作戦であると考える。針路から考察するに奴らはポートモレスビーを直接叩くつもりだ」
「奴らのやることは丸見え。となれば、我々はただ待ち伏せすればよいのだ。いくら奴らが夜戦が得意とはいえ、完全は布陣ではそう簡単には行くまい。しかも、我々にも先日到着した〈インディアナ〉がいる」
どうやらライトはこちらに戦艦があるので輸送部隊など取るに足らない程度に楽観視しているのだろう。ただ、彼の一つ恵まれていた点は例の新造戦艦を警戒すべきだと進言してくれる参謀がそばにいたことだろう。
「噂では敵の戦艦も16インチ程度の方だとする話が」
「にしては〈サウスダコタ〉より大きいのだろう?、、、まあ、ジャップのことだ。わが合衆国の技術水準に及ばぬようでは模倣もままならんといったところか」
ライト少将は未知の戦艦にもよく言えば落ち着いた対処をしており、悪く言えば完全に油断していた。いつもの慣れた〈ミネアポリス〉から無線で〈インディアナ〉への通信を図る。〈インディアナ〉艦長のアーロン・S・メリル大佐はその通信を認める。それからそう時間が経つことなく、レーダーに反応が見られた。メリル大佐は
「ついにジャップが来たか、、、レーダーで丸見えだな。総員戦闘配置に付け!」
と戦への構えを命じる。闇夜の中、ポートモレスビーにはただ主砲の旋回音が響くのみ。これを人は嵐の前の静けさと呼ぶ。
ほぼ同じタイミングで〈大和〉の見張り員もどうにか発見していた。本音はレーダーを使いたいところであったが、島を背後に取られているようではまだ使い物にならないのが実情である。しかし、幸いにも日本軍はレーダーだけでなく人による目視の訓練も行っていた為に見つけるのにさほど苦労はしなかった。
「敵艦隊発見、正面です!」
その報告を聞いた松田はほう、と艦橋から望遠鏡で窓をのぞき込む。どうやら敵艦隊はこちらに砲を向ける形で単縦陣での待ち伏せを図っているらしい。
「東郷元帥の物真似か。味な演出をしてくれたものだね。駆逐隊には迷惑を掛けたくはない、こっちである程度は片付けよう」
「まずはあの戦艦ですかね」
砲術長の言葉に松田は軽く頷いた。
「そうだな、それがいい。あれがいるようでは上陸作戦が集団自殺になってしまう。よし、主舵一杯。同航戦に持ち込んでやろうじゃないの」
先の米戦艦によるルンガ飛行場への砲撃で戦艦の面制圧能力は絶大なものであると認識させられた。それを用いた面制圧が味方ならば頼もしいが、敵となればそれは多いな脅威となる。ともあれば、それは上陸作戦において真っ先に排除すべき敵である。その時、島の方面の海から青い光が見えた。
「敵戦艦の発砲を確認!」
「回避だ。航海長、やれるか?」
「やってみます!」
航海長の瞬時の判断が功を奏したらしく、〈大和〉は至近弾で敵弾を回避することができた。だが、次は誤差修正で確実に直撃させてくるだろう。それが続けば上部構造の破壊による損傷、からの戦闘へ支障をきたすというのは起こり得る事態だ。ともあれば、その前に敵を叩くほかにない。
「目標、方位一二〇度。距離34800。速度約二五ノット、針路北西!」
「方位、距離、受信した。弾着計算開始!」
戦艦の本領発揮が始まる。〈インディアナ〉を獲物に定めた〈大和〉艦内では乗組員がせわしなく走り回る。
「装填急げえ!一斉射だ、一号、二号、三号砲全部だぞ!」
揚弾機の唸る音が砲塔内に響く。誘爆の危険性を考慮して装填の作業はいまだに手動なのだが、この砲弾を抱えた乗組員はすぐさまに〈大和〉の秘密に気づいてしまう。明らかに主砲弾が未知の大きさと重さなのだ。あの〈長門〉よりもはるかに重く、当然ながら〈金剛〉など比べ物にならない。だが、秘密に気づこうと己の心中にとどめるのが男というものである。彼らはそれを顔にさえ出すことなく淡々と作業を進めた。
「砲弾装填!」
「薬嚢装填!」
「閉鎖!」
閉鎖機が金属のこすれる音を立てながら重々しく砲を閉じる。
「第一主砲塔、装填完了!」
「修正、方位+1.5、距離+200。風速・自速補正済み。弾種はまず対艦徹甲弾、装薬は一号!」
「目標、敵戦艦!」
「砲術長、状況はどうか」
「全砲門発射準備完了、いつでも撃てます」
甲板上に警報が鳴り響く。甲板上で活動している乗組員への退避警告である。姉妹艦である〈武蔵〉で行われた実験では、主砲発射の際にどんな場所でもケージ内のモルモットが肉片と化してしまったとする記録がある。ましてや斉射となれば微塵も残らないのは自明だ。
「撃ち方始め!」
「全主砲斉射、てえ!」
艦全体を激震が襲った。空砲での訓練は度々行ってきたが、質量のある実弾を九発も同時に放つとなると反作用もあって反動は遥かに大きい。海も激しく振動し、海が爆風で凹む様子はさながら旧約聖書のモーセであった。照明弾がなくともあっという間に夜を昼に変えてしまう、悪魔の火力であった。
「命中まで5、4、3、2、1、弾着!」
〈インディアナ〉でも〈大和〉の発砲は観測しており、メリル艦長は通常通りの回避命令を出すがそこまで慌ててはいなかった。
「敵戦艦、撃ってきました!」
「回避だ、急げ」
「艦首に被弾、浸水!」
「ダメージコントロール、急げ!」
流石に非装甲部分をやられてはマニュアル通りの対応をするしかない。次は誤差修正して船体中央を狙ってくるだろうが、それはさすがに受け止められる。戦艦とは自身の主砲に耐えられるものだ、相手も16インチなのだから上部構造物に当たらない程度に躱せれば問題ない。その考えは遠距離での砲撃戦では正しい。ただし、それは相手が自身と同格の場合にのみ成り立つ話だ。
「敵、次弾発砲!落着予想―」
レーダー観測員の言葉が途切れると同時に〈インディアナ〉が揺れた。それは、メリル艦長の予想に反して〈インディアナ〉を痛々しい姿へと豹変させてしまった。装甲版は内側からめくりあがり、砲は爆竹のように弾ける。
「一番主砲塔全損、火災発生!二番主砲塔も動作不能です!」
「そんな馬鹿な!敵も16インチなんだろう!」
「そ、そのはずですが、、、!」
なぜ装甲を抜かれているのか見当もつかない。ジャップが16インチ以上の方を持っていない限りはあり得ない話だ。
「次弾斉射、突っ込んできます!」
「反撃だ!三番主砲はまだ生きているだろう!」
三番主砲が悪あがきに応射する。16インチの砲弾は敵に見事命中するが不幸にも、それはちょうど艦中央の装甲部であった。致命傷とは程遠い。そして、三度目の斉射が〈インディアナ〉を襲う。
「バイタルパートの複数区画より浸水報告」
「艦内で火災発生、消火は極めて困難!」
「電源喪失!」
メリル艦長が血まみれの手でマイクを握る。その時、砲術長がそれを止めさせた。
「艦長、最後に、最後に一発だけ撃たせてください」
「しかし、、、」
「お願いします」
「、、、わかった」
艦長は呆れた様子でその要望を承認した。砲術長はそれに敬礼で答えると辛うじて生きていた三番主砲塔への伝声管にありったけの声をぶつける。
「照準改め、奥の水雷戦隊を狙う!三番砲塔のローカルコントロールに移行する!」
予備電源に切り替えた〈インディアナ〉、三番主砲が船体をきしませながら先ほどより一足先の更に深い夜を見つめる。次はない、当たろうが当たるまいがこれが最後だ。光学照準でどうにか敵に標的を絞る。残留ガス排出確認、装填、装薬6発薬室へ送り込み完了、尾栓閉鎖、火管挿入。
「全砲装填完了、発射準備よし!」
砲塔長は一息置き、〈インディアナ〉最期の戦闘命令を下した。
「撃てえ!」
それは〈インディアナ〉最期の、そして最も美しい砲撃であった。主砲は放物線を描きながら夜の彼方の駆逐艦に命中、赤い炎をともしているのがはっきりと見えた。
「見事だ、、、」
艦長は一瞬穏やかな目になるが、すぐに元の顔つきに戻りマイクを手に取る。今度は砲術長は止めなかった。
「総員退艦せよ!」
次々と乗員が海に飛び込む。もはや、救命艇を使う暇などない。全員が飛び込み、ある程度離れた後、〈インディアナ〉はそれを確認したかのように船体がくの字に折れ曲がり、無人の通路に海水が怒涛のように押し寄せる。だが、最後まで砲は日本軍を睨んでいたのだ。時に10月13日の深夜のことであった。