揚陸作業は中止させたうえで邪魔なドラム缶は後で無駄にならぬように、なるたけ発動艇の周りに落下させてまさに鞘から刀を抜かんとする状態であった中〈長波〉の艦橋で田中頼三は自身らに先んじて行われている戦闘の様子をまじまじと観察していた。闇夜が一瞬にして昼に転じたと思うと、その空のスクリーンには例の巨艦のシルエットがはっきりと焼き付いていた。〈大和〉が主砲を斉射していたのである。
「あれが新型か、、、凄い火力だ」
「しかし、小型艦相手ではああも行きはしないでしょう」
「当然だ。その時は我々の仕事ということだよ」
あっという間に敵戦艦を沈めた〈大和〉、それに歓喜した二水戦の面々は次は我々の番だぞとばかりに意気込む。田中も時は来たれりとばかりに遂に突入の命令を下した。が、一発の凶弾が彼らを襲った。敵戦艦最期の悪あがき、それは三番主砲による手動での微調整が入った最後の砲撃であった。3連装砲から飛んできた弾のうち二発は艦隊を囲うような水柱を立てるだけで済んだのだが、どうも最後の一発はそういう訳にもいかなかった。艦橋内部にも聞こえてくるほど、何か重いもの同士が擦れて爆ぜる不愉快な音が聞こえてきたのだ。見張員が悲鳴のような声で叫ぶ。
「〈高波〉が被弾、炎上しています!」
戦艦の砲撃を受けて無事な駆逐艦がどこにいるものか。被弾した艦後部、そこは運悪くも魚雷と機関が積まれている艦の命とも言える場所であった。結果、誘爆を起こして大規模に炎上してしまっているのだ。警戒艦として他艦に比べてやや前に出ていたことも相まって〈高波〉は米軍の格好の射撃対象になっていた。炎上するその様は闇夜に浮かぶ灯台であり、非常に狙いやすい。もはやレーダーを使うまでもない、ひたすらに殴るだけだ。
「あれではいい的だな、、、しかし、救援をしようものなら我々が二の舞になってしまう」
田中少将は〈高波〉が的になっている間に作戦を遂行するという苦渋の決断を下した。しかし、〈高波〉も三十一駆の精鋭艦。黙ってやられるほどの腰抜けではない。艦が燃え盛る中、主砲はなお生きており敵艦隊をまっすぐ見つめる。そして、自身の主砲から火を噴かせた。次々と延焼していく中、自身の寿命がそう長くないことは〈高波〉の乗組員自身が一番わかっている。2度の斉射はそれぞれ別の駆逐艦に命中、炎上を起こすことに成功しこちらからも米艦隊の位置が丸見えとなったのである。
その後〈高波〉は50発以上の砲弾を浴び艦橋は損壊、主砲は全滅、機関室にも浸水と手を付けられぬ状況になるがその犠牲を無駄にするほど田中は愚将ではない。その隙を突いて田中は敵艦隊への接近を命じ、見事に距離4000mまでの接近に成功したのだ。
「よし、行けるな」
「主砲、撃ちー方ーはじめ!」
艦長の命令が下ると〈長波〉の主砲から高速の弾丸が放たれた。
「敵艦隊への雷撃を行う。準備はよいか?」
「よし来た!魚雷戦用意!」
水雷長の高ぶった声が艦内に響く。これこそ名が表す通り、水雷戦隊の本領である。敵艦隊へと横腹を向けた艦隊は次々と魚雷発射管を旋回させる。それを見た後続艦の〈江風〉〈涼風〉も同じような体制をとる。猛訓練を日常として過ごしてきた彼らにとって前方の艦の回頭は一種の合図のようなものであり、人が何も考えることなく右、左、右、左と足を前に出して歩行できるように雷撃の準備を進めることができるのである。
「撃てえ!」
また、それに先行する形で第十五駆逐隊司令佐藤寅治郎大佐も一度米艦隊をやり過ごしたのちに反転、〈黒潮〉〈親潮〉による一斉雷撃を敢行していた。なお、同隊に所属する〈陽炎〉〈巻波〉は先行する二艦を見失ったが、二艦は別の目標を探知しそちらに雷撃を仕掛けている。
〈ミネアポリス〉ではライト少将が煙幕の中に消えていく日本艦隊に呆気に取られていた。
「全く、仲間を見捨てるとは薄情な連中ですな」
「諜報員から台に水雷戦隊はもう訓練を受けた勇猛なる軍団だと聞いていたが、、、まさか腰抜けとは」
さて、日本軍の酸素魚雷について説明しておく必要があるだろう。酸素魚雷は燃料の酸化剤を空気ではなく準酸素を用いる。その結果、排出する気体は水と炭酸。前者は水そのものであり後者は水に溶けやすい、つまり航跡が極めて見えにくいというのが特長の一つなのだ。
「何事だ!?」
突如として激震に襲われるライト。突如として艦橋の前面窓が海水の洗礼を受ける。目を凝らすと艦首部分が完全に砕け散っていた。夜ゆえの見間違いなどではなくこれが現実なのだ。
しかも、それに襲われていたのは〈ミネアポリス〉だけではなかった。そう、彼らは誰一人として魚雷の接近に気づいていなかったのである。
突然速力が低下した〈ミネアポリス〉の異変に真っ先に気づいたのは後続艦の〈ニューオーリンズ〉である。
「か、回避だ!面舵!」
左舷前方に命中した魚雷は第一砲塔の弾薬庫に直撃、そのまま誘爆を起こした。艦首が完全に分離し見張り員が別の艦だと勘違いしたという。更にそれを回避しようとした三番艦の〈ペンサコーラ〉も被雷、環境直下の重油タンクに引火して大火災を起こした。
更に五番艦の〈ノーザンプトン〉もはぐれた〈陽炎〉〈巻雲〉の攻撃で機関室に左舷から転覆し手火付けが変わる頃にはすっかり姿を消していた。無傷なのは4番艦の〈ホノルル〉のみであったのだ。その様子を見た米駆逐艦は敗北を悟ったのかたちまち退避、もはやここに米軍の戦力は残っていない。
日本艦隊で唯一退避せず米艦隊と向き合っている〈大和〉の夜戦艦橋からもその様子ははっきりと伺い知れた。
「砲術長、そろそろ三式弾の揚弾準備をさせてもいいと思うのだが、どうかな?」
「はい、おそらくこの戦闘で敵艦隊も怯んで撤退の準備を進めているのは間違いありません。それに、万一さらなる抵抗をしてきたとしても三式弾と言えど巡洋艦以下が戦艦の主砲を食らっては無事ではいられないでしょう」
「うむ、その意見が聞けて良かった」
松田は満足そうにうなずくと新たな指令を下す。
「よし来た。主砲、三式弾装填」
再び揚弾装置が唸り声をあげて赤く先端がやや丸い砲弾を次々と送り込んでくる。
「撃ちー方ー始め!」
松田の抑揚ある指示が下ると〈大和〉は轟音と共に主砲から弾を島へと放ち続ける。5、4、3、2、1、、、弾着。三式弾は夜の黒きに染まっていた海岸をあっという間に炎で赤く染めてしまった。たった一斉射だけでも大地を耕すには大袈裟だというのにそれを何度もやるのだからたまったものではない。先ほどまであったはずの沿岸砲台が花火のように次々と弾ける。それを合図に田中が新たな決断を下した。
「全艦反転、再度突入し揚陸を完遂するぞ」
舵が海を割ると小柄な駆逐艦は瞬く間にその艦首を島の方面へと向ける。その様子を見たライトは炎上する艦とは対照的に顔を青ざめさせた。
「提督、艦隊は壊滅状態です!」
参謀の尚早に駆られた声、彼が次に何を言わんとするかは想像に易い。彼がその言葉を発する前にライトはそれを遮った。
「な、ならん!ポートモレスビーがジャップの手に渡ればオーストラリアが落ちるのは時間の問題だぞ!」
「提督、ここは撤退しましょう!」
参謀は彼の遮りをものともせず主張を突き付けた。その結果のライトの反応は当然と言えば当然と言えるものであった。
「正気か!」
「これ以上戦えば徒に損害を増やすだけです。ここは後方の空母に賭けましょう」
硝煙の臭いが嫌らしく響く艦橋で尚もライトは決めあぐねていた。後方には護衛空母〈ロングアイランド〉が待機しているからだ。度重なる海戦の敗北でほぼすべての大型空母を撃沈撃破された現在、本艦は太平洋で自由に動ける唯一の機動戦力である本艦の価値は千金にも値する。だが、それを万一沈めてしまった場合にどうなるか、、、少しばかり頭を冷やしてライトが出した答えは次の通りだ。
「、、、わかった」
結果的にこの参謀の意見とライトの決断は英断であったと言える。ただし、ライトは条件を提示した。〈ロングアイランド〉を前には出し過ぎないこと、ジャップの航空機が見えたら直ちに反転し攻撃隊を収容、海域を離脱すること。彼らが海域を後にしたのを確認した田中は〈沖波〉の救援と揚陸作業を同時に開始させた。発動艇の往復による陸軍部隊(南海支隊)の揚陸とドラム缶の沿岸への透過による揚陸作業である。無論、駆逐艦だけでは輸送力に限界があるので〈大和〉にもいくらか分乗しており、駆逐艦の発動艇を一々横付けしては島に向かうを繰り返していた。
「おい、海軍さんよ。こんなにちまちました作戦やるならあっちのボートも使わせてくれよ」
そう陸軍の兵が指をさした先にあったのは〈大和〉の内火艇であった。
「無理に決まっているだろう。士官専用だ」
「へん、お高く留まったエリートさんのくせにけち臭いと来たもんだ」
などと軽口が飛び交い戦火の飛び交わぬ作戦は一見牧歌的にさえ思えるかもしれぬが、彼らは内心焦っている。間に合うか、間に合わぬか。彼らが問うまでもなく、残酷にも空の色が答えを示すこととなった。地平線の遥かが宝石のように輝き出したのだ。
「太陽、出てしまいましたな」
「これほど今日という日ほど時が止まっていてほしいと思ったことはないが、やむを得ないね。山口司令官を信じよう。総員、対空警戒を厳となせ!」
そして、やはり懸念していたことは起こる。
「4時の方向より敵雷撃機多数!」
「対空戦闘よーい!」
艦長の命令に続けて復唱が響く。
「対空戦闘よーい!」
夕雲型の長10㎝砲4基8門が空を睨む。高角砲として設計されたそれらはこれまでの12.7㎝砲では考えられないような弾幕を空に作る。
「司令、撤退しましょう!」
「輸送が任務なのに、好き勝手戦うだけ戦ってのこのこ帰るのも少し気まずいと思わないかね?」
「やられては元も子もありません、撤退を!」
田中の理屈はこうだ。例え夜に来ても今回のような待ち伏せを食らえば揚陸開始までに時間がかかり結局は朝になって航空機に襲われる。日の出ている時間に着くような時間に到着するのは論外。つまり、こちらの被害を恐れていては上陸作戦など不可能だ、ということである。
「揚陸完了!」
「司令、撤退を!」
任務が終わった以上、撤退しない道理はない。そういう意味で参謀の具申は一筋あった。しかし、同じ命令でも田中は少し違う解釈をしていた。
「まだだ、山口さんのところの飛行機が来るまでは死ぬ気で陸さんを守るんだよ」
今撤退すれば上陸部隊は航空機による爆撃で全滅こそせずとも甚大な被害を被るだろう。夜明けと同時、いやそれより前に山口司令官は発艦させているに違いない。しかし、彼らが到達するまでの僅かな間でも航空機とは非常に脅威なのだ。
かつて、「戦争論」にてクラウゼヴィッツは物理的な障害、幾何学的な命中率への寄与、そして優れた視界という3つの観点から高所の優位性を説いた。かつて、日露戦争で行われた203高地の戦いも以上の理由に集約されると言って差し支えない。
30年前の第一次世界大戦におけるユトランド海戦以後の戦艦の発達についても同様だ。戦艦におけるより、長距離での砲撃戦が起こりうると認識した各国はこぞって戦艦の艦橋をより高くする改装を実施。今や百尺を越えることさえもそう珍しくはない。
そして、航空機はまさにこの戦場で高所を陣取ろうとする心持ちのある種の到達点と言える。先の真珠湾攻撃やマレー沖海戦で示したように、航空機にも戦艦を沈める能力があるとはっきり示された。帝国海軍の中には戦艦不要論を唱える者さえ現れつつある。それはさすがに極端だ、というのが軍の総意ではあるが航空機が戦場で占める役割が極めて重要だとする点で一致してはいた。
島とは点ではなく、面の中心にすぎない。空の下に海はある。この戦争での戦いのやり方はまず空を確保しその下の海に進出。最後に面の端にある陸を確保してそこを新たな面の中心とすべく準備をするというものであった。一見、夜戦によって空の手間を省けると思い込む者が一定数いるがそんなことはない。半日過ぎれば太陽が出て、狡い戦術を気に留めることもなく空は奪われる。所詮、夜戦は制空権を確保した状況で初めて与えられるオプションにすぎないのだ。
とはいえ、日本がこの地域の制空権を失っている訳ではない。ラバウルの航空基地からポートモレスビーは十分に届く範囲にあり、これまでにも度重なる爆撃が行われている。そして、それを示すように北西の方に濃緑の光点が見える。それは次第に大きくなるとともにそのシルエットをあらわにした。
「司令、来ました!一時の方向より航空機多数、日の丸です!」
「よし、来た!全艦、最大戦速、現海域より離脱する!艦長!」
普段は捉えどころのない少しゆっくりした口調の田中もこの時ばかりはさすがに焦っていた。今までにないほど焦った口調で艦長に命令する。
「航海長、最大戦速!」
「最大戦速、ヨーソロー!」
スクリューが海をかき回して巨大な鉄を次々と押し出す。海に描かれる航跡は次第に島から離れた方向に延びた。唯一、人が完全に脱出してもぬけの殻となっていた〈沖波〉を除いては、、、敵攻撃隊は一隻遅れているとばかり思いこみ、一斉に攻撃を仕掛ける。
「自沈の手間が省けた、このまま海域を離脱する!」
魚雷に誘爆し青い炎で焼け爛れた船体をわざわざ修理するのも手間なので二水戦司令部では自沈処分で構わないという結論に達しており生存者は既に〈黒潮〉〈親潮〉に収容されていた。
これからどんな戦が待ち受けているか知ったことではないが、難攻不落だった要衝に一つばかり楔を打ち込むことには成功したのだ。今日くらいはこの海戦を勝利に導いた各艦艇の艦長や駆逐隊の司令を労ってもいいだろうと思いながら田中は泊地へと帰投するのであった。
海戦名称:ポートモレスビー沖海戦
交戦勢力
日本軍
第二水雷戦隊 指揮官:田中頼三少将
警戒隊
第三十一駆逐隊(駆逐艦:長波、高波)
第一輸送隊(目的地:カウバーガ)
第十五駆逐隊(駆逐艦:黒潮、親潮、陽炎)
第三十一駆逐隊(駆逐艦:巻波)
第二輸送隊(目的地:ジョイス湾)
第二十四駆逐隊(駆逐艦:江風、涼風)
連合国軍
TF67 指揮官:カールトン・H・ライト少将
重巡:ミネアポリス、ノーザンプトン、ペンサコラ、ニューオーリンズ
軽巡:ホノルル
駆逐艦:フレッチャー、ドレイトン、モーリー、パーキンス、ラムソン、ラードナー
損害
日本軍
沈没
駆逐艦:高波
連合国軍
沈没
戦艦:インディアナ
重巡:ノーザンプトン
大破
重巡:ミネアポリス、ペンサコラ、ニューオーリンズ