友永丈市は内心、死を覚悟していた。先の第一次攻撃隊の惨状を見たという意味でもそうだが、より決定的で致命的なことを懸念していた。まだ4隻とも健在だった頃に行われたミッドウェイ島の飛行場への空襲の際、右燃料タンクに被弾してしまっていたのだ。幸い、火が回ることなく帰投した為にまたこうして出撃している訳だが、恐らく今回は帰れないだろう。整備兵による修理も間に合わず、ひとまずは半分の燃料を入れるのみで出撃することにしたのだ。無論、燃料が尽きれば変える手段などなくなるのは言うまでもない。
(その時は上手く体当たり出来ればいいのだが…)
出撃する際に距離が近いから問題ない、と頼もしいことを言いはしたものの元より帰れるとは思ってはいなかったのだ。そんな中、友永は奇妙な、幻覚とさえ疑うようなものを目にしたが、蜃気楼にしては余りにも明瞭であるように思えた。
「あれは…空母だよな」
「ええ、そうですね…聞いていた方角とは明らかに違いますが」
観測員の返答があっても尚、納得のいかなそうな唸りを上げる友永に電信員が尋ねる。
「一応、艦の方に打電しますか?」
返答を待っている間に触接するだろう。目の前に敵があるなら攻撃するのみ。友永は親切な提案を丁重に断る。それから10分ほどだろうか、友永は隊に突撃を命じた。こちらをレーダーで探知した〈ヨークタウン〉から急遽燃料や弾薬の補給中であったF4Fが発進するが、友永隊が飛行していたのは彼らが予想してしたよりもうんと低空、状況だけを見れば敵が飛来している中曲芸飛行でもやろうとしている滑稽な光景であったに違いない。そこを護衛の零戦が追撃して大混乱しているのだから愉快なものだ。
「くそ、彼奴等は何をしているんだ!早く連絡だ!お前らの獲物はそっちには居ないぞ!」
「ダメです、ゼロに食われています!」
「クソッタレ!」
バックマスター艦長は完全に焦りに飲まれていた。無理もない、前部飛行甲板が修復困難でただでさえ速力が低下している中わざわざ後進して艦尾から無理やり飛ばしておいてこのザマだからだ。攻撃隊に輪形陣による徹底した対空砲火が行われる。
さて、戦場は油断が命取りとなることがしばしばであるのは言うまでもない。現に日本海軍が油断によって空母2隻を喪失しているのだ、それは自明のこととして扱うことに抵抗のある者は居ないだろう。実は米軍も細かな油断を重ねつつあった。
まず先の小林隊の爆撃の際、フレッチャーは日本軍のレーダーに対する認識を楽観視していた。しかし、既に記した通り小林は珊瑚海海戦からレーダーを十分に理解しており、一度ヨークタウンを大破に追い込んでしまっている。
では今度は何か、九七艦攻の速度である。彼らの多くは自身ら白人より劣る黄色い猿が自軍より優れた兵器は無論、比類するものも作れるとは更々考えていなかった。真珠湾攻撃を目の当たりにしても、である。実際は200ノットはある機体を130ノット程度しかないと見定めた誤差の生む結末は悲惨であった。水兵の定める対空砲火の狙いと実際の機体の位置が全く合わないのだ。バックマスターも取舵による回避を命じるが後進中の缶が損傷した空母にできる回避運動など赤ん坊の寝返りと似たり寄ったりだ。
「旗艦を移乗できたのは不幸中の幸いだな…」
バックマスターは数秒後の運命を悟った。激しい揺れで彼は思わず転倒する。思わず崩れた姿勢から艦橋の窓を辛うじて見上げると尾翼が原色で飾られた艦攻が派手に横切る。魚雷が投下されて身軽になった彼らはあっという間にその海域から離脱した。あとに残ったのは多数の護衛艦とがらんどう同然の鉄の箱である。
「総員退去」
艦長の的確かつ迅速な判断の賜物で乗員の多くが生還することに成功し、駆逐艦7隻にそれぞれ分乗することとなった。全乗員退艦からわずか10分後、魚雷で痛んだ脇腹を押さえるようにその方向に寝込んだ〈ヨークタウン〉はやがて海中へと没した。時に日本時間十二時十五分のことであった。
友永は己の生き恥を悔いた。過ちに気付いたのは雷撃して敵空母から離脱するとき、よくよく見れば前甲板が吹き飛んでいるのである。彼らが攻撃したのは他でもない〈ヨークタウン〉だったのだ。こんなことならいっそ、体当たりでもしてしまいたかったが今更どうにもなる訳では無い。しかも、片方のみの燃料もこれほどの近さであれば大きな問題にはならなかった。残念なことに日の丸の描かれた空母が視界に見える。そのままのこのこと着艦してしまうこと、それがひたすらに後ろめたかった。
「ご苦労」
甲板で出迎える山口に友永は見せるべき顔も割り出すべき言葉もはてさて分からずにいた。今の自分は亡霊も同然だ。本来死ぬべき場所で死にきれず、未練を残してこの世に足をつけている。そんな自分が取るべき態度とは如何なるものがあろうか。
「気にするな。もう済んだことだ」
友永は一瞬硬直する。そして、困惑した。
「ま、彼らも勘違いしたというのが正確だがな」
その様子を察した山口が話を続ける。どうやら、山口が言いたいのは村田隊のことだそうだ。彼らも軽い勘違いをしていたらしい。彼らが襲撃したのは〈ホーネット〉だったのだ。日本においても形が完全に同じ〈翔鶴〉と〈瑞鶴〉の配備される第五航空戦隊では稀にあることだが、どっちがどっちか間違えて自身の所属と異なる方に着艦してしまうことがある。それは米海軍においてもよくあることならしい。自軍の中でも間違いがしばしばあるのならば、敵側はより間違えて当然だろう。そんな〈エンタープライズ〉と間違えられたことを知ってか知らずか、真珠湾以来の精鋭の手に掛かった〈ホーネット〉は見事に缶室を取り囲む形での雷撃によって機関は大打撃、尻を重たげに沈めつつあるという状況だそうだ。
「現在、向こうさんの旗艦であろう〈エンタープライズ〉を撃破できていないのが気になるが、向こうさんの第二次攻撃隊がどうにかしてくれよう」
確かに〈赤城〉の甲板上には既にずらりと艦載機が準備されており、あと20分もないうちには飛び立ちそうな様子であった。
「通信機器が生きていれば向こうさんとの同時攻撃も考えたが、流石に発光信号と分隊長さんとのお話の2つだけでの通信は厳しいところがある」
どうやら、山口によると艦載機の消耗が激しい〈飛龍〉は日中の攻撃を取りやめ、薄暮攻撃を行う予定だという。いくら当たりにくいとはいえ、数で押し込まれれば必ず被弾する機体は現れる。米軍の対空砲火はこのまま昼間攻撃を強行すればそれまで時間はあるのでしばらく休息をとるように促すのであった。友永ら第二次攻撃隊が艦内に吸い込まれるのを見送ると直衛5、甲板待機8の零戦を布陣させ彼ものそのそと艦橋に戻るのであった。
艦橋に戻ると加来艦長らの敬礼を横に自身の席につく。
「閣下、こちらを」
「ん」
山口が部下の差し出す皿の方に目をやると、そこには拳ほどの大きさの牡丹餅が2つ、どしりと乗っていた。見れば見るほどに餅を覆う餡は小豆の持つ光沢と侘びが同居する美しい色を持っていた。ましてや、この生死の行方も分からぬ大海戦の中でありつく牡丹餅の美しさは宝石に比類すると言っても過言ではないだろう。
「おお、これは美味い。こんなに美味い牡丹餅は初めてだ」
普段、滅多に見せない山口の緩んだ顔に艦橋の張った空気が僅かながら和む。山口はそう掛かることなく牡丹餅を平らげた。
「またこの牡丹餅を食べたいものだな」
そう言いかけたとき、航空科が通信科から何かを聞いている様子が見られた。航空科は顔をしかめた後は直ちに山口に報告する。
「直衛機からの入電『敵爆撃機一二、接近ス』、直ちに〈赤城〉に連絡する必要があるかと」
「ああ、そうしてくれ」
糖が漲った山口は落ち着いて頷く。直ちに〈赤城〉に向けて探照灯が語りかける。それに応じて〈赤城〉の銃座が空を向き船体も方向転換を始めていた。いよいよ米海軍の艦爆12機が襲いかかる。
「おもかーじ!」
〈飛龍〉は〈加賀〉や〈赤城〉のような戦艦改装型の空母よりもひと回り小さく舵がかなり機敏に利くのでそう簡単には被弾しない。問題は〈赤城〉の方である。またしても最初の3発は交わしたのだが今度は片手で数えられる程度の甘い数ではない。遂に前部エレベーターは最初の命中弾で吹き飛ばされて艦橋の前に突き刺さった。ある種の防護壁となり爆弾命中時の爆風から艦橋を守った。続いて3発が艦橋右側に命中、甲板を破壊しそのまま格納庫に突入した。甲板に並んでいた九九艦爆の爆弾や帰投し給油中であった村田隊に次々と引火、誘爆を繰り返した。総員でどうにか消火に努めるが一度上がった炎は簡単には消えない。火炎と黒煙を上げながらも〈赤城〉は最大戦速で航行していた。
そんなに状況に陥ってもなお、山口の闘志は滾っていた。彼は横の炎上する3つの空母を横に艦内電話で悲痛な現状と変わらぬ己の意志を伝えた。
「飛龍を除く三艦は被害を受け、とくに蒼龍は激しく炎上中である。帝国の栄光のため戦いを続けるのは、一に飛龍にかかっている!」
被弾することなく健在の〈飛龍〉の格納庫で次々と魚雷や爆弾が取り付けられる。カチ、カチと部品を填める音が時計の秒針のように整備員を掻き立てる。忙しないエレベーターで次々と艦載機を甲板上に繰り出す。そして、時が来た。薄暮攻撃である。第三次攻撃隊は友永と小林、双方の隊で負傷していないものは総員で出撃することとなった。艦載機がまるで足りてない今ではこれでやっとといった具合である。
「流石に、この状況では緊張しますね」
友永の身震いに山口が気付く。
「君ほどの者でもか」
「申し訳ありません」
「いや、私もだ」
そう言って甲板端に退避しようとしたが、少し思い返したように振り向くと
「着艦指導灯は灯してあるからな」
とだけ言い、帽振りの位置に付いたのであった。
日の丸の甲板から投げ出された艦載機は次々と夜の闇に覆われつつある東の空に飛び込む。次第に横で燃える空母は灯台とも思えるほどの光点となり、西日の海に溶けていった。もう戦える空母が〈飛龍〉以外にいないことが彼らに唯ならぬ緊張をもたらしていた。その様子を山口は完全に見えなくなるまで見送っていた。
夜になった。その時間になっても〈加賀〉と〈蒼龍〉は燃えていた。散った英霊への弔いであろうか、それはさながら夏祭りの流し灯籠の様子であったが、散った命に比して見れば炎の数は余りにも少なかった。どちらかと言えば一人一人の兵の死は部品の喪失に過ぎず、弔われているのは撃破された空母自身なのかもしれない。だが、その炎さえも消えつつあった。まず、最初に〈蒼龍〉が日没と同時に姿を消した。次に〈加賀〉も2度の大爆発を繰り返した後に息絶えたかの如く、船体は水平なまま海底に姿を消した。沈む際の悲鳴にも聞こえる摩耗音が月の照る夜に不気味に響く。そして再び静寂が戻った。
加来がふと時計を見てつぶやいた。
「そろそろでしょうな」
「ああ」
彼らが迷うことなく到達していれば今頃は敵艦隊の正に上空。いつ奇襲成功の報が来てもおかしくないと信じていた。だが、世の中には必ず最悪のタイミングで水を差されることがしばしばある。例に漏れず、この度もその場合が当たってしまった。
「長官、〈大和〉より入電です!」
「なに?」
加来は何かを察したのか、息を呑む。
「恐らくは、、、」
「、、、加来艦長、君の予想通りだ。攻撃隊に打電、我々は彼らの方に向かうぞ」
山口の命令に従って加来ががし艦を前進させること暫く、静かな夜の海に鳥の羽ばたきとは全く言えない、轟音の群れが空に被さる。指導灯に従い次々と着艦、何と言おうと真珠湾攻撃以来の精鋭である。ほぼ夜であるにも関わらず全機が見事に着艦に成功した。だが、航空隊隊員は誰一人として浮いた顔はしていなかった。艦橋のラッタルから甲板に足をつけた加来は申し訳なさそうに隊員を見渡す。
「…すまない。しばらく君らの犠牲はお預けだ」
「艦長がなにも謝ることではありません、どうか気を病まれないで下さい」
そう友永は言うが尚も加来は何処かうなだれるような表情であった。そこに山口が降りてくる、と思えば次々と乗員がこの艦橋下に集まってくるではないか。どうやら総員集合が令じられていたようだ機関科等の一部の兵は外の様子を分かっておらず、〈飛龍〉が沈むのではないかと焦っていた者もいたという。総員による敬礼のち、まず口を開いたのは加来であった。
「諸君が一所懸命努力したけれども、この通り我々〈飛龍〉以外は皆やられてしまった。作戦目標を果たせず陛下の艦をここで反転させることになるのは極めて残念である。是非我々で仇を討とう。これからもよろしく頼む」
次に山口が訓示を始める。
「私からは何も言うことはない。お互い、この会心の一戦に会い、いささか本分を尽くし得た歓びあるのみだ」
山口の口調は淡々としており、艦橋の要員からすればいつもと何ら変わらないように思えたそうだ。だが、海戦から生還した程度で水盃をあげることなど滅多にない。山口も自身、いや、この〈飛龍〉というフネの生死そのものに何か運命じみた物を感じていたのだろう。すっかり夜となったところで加来は艦を反転させた。東では月齢二一の月がよく明るく輝いていた。艦を西に向けると山口は
「いい月だが、艦を反転させてはよく見えないなあ」
とぼやいていたという。
しかし月を背にしたとは言え、何処か先程よりも海が格段に暗くなっている気がする。そう思ってふと横を見ると〈赤城〉の消火活動がほぼ終わり〈比叡〉と〈霧島〉が曳航を試みていた。確かに〈赤城〉の前甲板は見るも無惨だが、艦首付近の船体は比較的問題がなさそうな様子であり、十分牽引に耐えうると判断が下されたのであろう。また〈赤城〉は臣民から〈長門〉や〈陸奥〉と同程度に人気高い軍艦である。ここは意地でも生還させねば海軍の威信に関わるという面もあるだろう。〈飛龍〉は棒でも通したようにその横をぴたりと並走し、多くの戦士の墓場を後にした。
やがて艦隊が海を割る音も聞こえなくなる。海に残ったのはすっかり南中した月とその灯りに照らされて不気味なほどに黒光りする重油のみであった。そしてその重油さえ、太平洋の絶え間ない波によって掻き消されつつあるのだ…
今回の史実ネタとして、〈赤城〉のやられ方は史実における〈飛龍〉のやられ方をほぼほぼなぞりました。また、AF攻略中止後の〈飛龍〉における山口提督及び加来艦長の訓示も史実の〈飛龍〉で総員退去の際に行われたものを若干改編したものになっております。
次回をお楽しみにしていただければ幸いです。