そこまで残酷な描写はございません。
いつもより緩い雰囲気です。読んでいただけると嬉しいです!
私の目には昔から、人の過去が見えた。
一目見ただけで、その人が過去に何をしてきたかがわかった。
その人がいい人か、悪い人かがわかった。
悪い人には近付かなかった。いい人とはいっぱいお話して友達になった。
私はいい人のところに生まれた。
ラナークという素敵な名前を貰った。
贅沢は出来なかったけど、両親に愛されて幸せに育てられたと思う。
でもある時から、両親が悪い人に追われている、
追い詰められている記憶を見るようになった。
記憶から、私の目のことを悪い人が狙っていることもわかった。
お母さんやお父さんに大丈夫って聞いても、2人は大丈夫としか言ってくれなかった。
2人とも、私に過去が見えること知ってるのに。
それからしばらくして、2人は引越しの準備を始めた。
悪い人から私を守るために、なけなしのお金で何とかやりくりして
引越しの目処を立ててくれたみたい。
2人とも私に引越すことを謝ったけど、
私のことを第1に考えてくれる2人が大好きだった。
引越し前日、私が学校から帰った時。
お父さんとお母さんは悪い人に殺されてた。
「…お父さん…お母さん…?なっ、なんで、
はっ、はぁっ、わ、わた、わたし、わたしのっ、せいで、むぐっ!?」
帰ってきた私を待ち伏せしていた人に、鼻と口を覆うように
甘い匂いのする布を押し付けられる。
「んんーっ!?んー!ん…ぅ…」
深く吸い込んだ瞬間、意識が朦朧とする。
意識を失う間際、襲ってきた男の過去が見える。
ああ、私はもう、人間として生きられないんだと悟る。
両親が死んだことに悲しむ余裕もないまま、
意識は強制的に断ち切られてしまった。
それから私は、悪い人に道具として扱われた。
過去を暴いて、秘密を暴いて、金庫を開けて。
合言葉を見て、仕入先を奪って、技術を盗んで。
私は便利な鍵であり、スパイであり、尋問官であると言われた。
だって私には、見えてしまうんだから。
見なきゃ、殺されるから。
心を殺して、親のことも忘れて、いっそただの道具として生きようと努力した。
悪い人たちが持ってくる食糧代わりの残飯の味も、次第に感じなくなっていった。
私のせいで、組織はどんどん成長していく。
私のせいで、たくさんの人が不幸になっていく。
1度自分の目を潰そうとしたこともあった。すぐに見つかって、手に枷を嵌められた。
舌を噛みちぎろうとした。でも、私の顎の力じゃそんなことできなかった。
私は全身枷だらけで大きな布を被せられ、
必要な時だけ持ち出され、使われ、また檻に戻される。
使う時以外は目隠しされたまま、時間の感覚もわからなくなっている。
もう、何も感じない。何も思わない。
そう言い聞かせないと、自我を保っていられない。
いつまでこの日々が続くのだろうと思いながら、今日も冷たい檻の中で眠りにつく。
…その日は、激しい雨が降っていた。
デュラクはアルマの命令で、とある男の身体を回収する任務を遂行していた。
その男は最近急激に力をつけた組織のトップであり、
人の記憶を読み取る力があるという。
アルマがその能力に目をつけ、ぜひ利用したいとのことだ。
ターゲットがいる建物の前へと来ると、壁に手を触れる。
触れた壁は腐食し、音も立てずに崩れていく。
私が触れたものは、急速に死へ向かっていく。非生物だろうが例外なく。
私が部屋に侵入した時、男は眠っていた。
眠る相手ほどやりやすい相手はない。どこかの吸血鬼と違って。
しかしなぜだ、この男からは魔力を感じない。
魔力は能力の根源だ。過去を見られるのなら、それを裏付ける魔力を持っているはず。
「…まあいい、アルマが調べればわかるだろう。」
男の頭部へと手をかざすと、男は苦しむ間もなく、静かに呼吸を止めた。
「任務完了。アルマ、身体の回収を頼む。」
『あら、随分早かったわね。てっきり抵抗されるかと思ってたけど。』
服についたアルマの糸の端から、アルマの声が響く。
アルマの能力によるもので、糸が声を振動として伝え、
それを魔力で増幅することで遠隔での会話を可能としている。
『体はこっちで回収するわ。戻ってきていいわよ。』
服に付いた糸が無数の指のように細かく展開されると、男の体を包んでいく。
やがて完全に糸が覆い隠すと、そのまま地面へ溶けるように沈んでいくのだ。
男が完全に見えなくなったことを確認し、奈落へ帰還するための
穴を開けようとしたその時、別室から微かな魔力を感じる。
弱々しく、仄かに暖かく、どこか懐かしい力。
それに引き寄せられるようにドアを開けると、そこは物置部屋のようだった。
並べられた器具や道具は全て埃を被り、長らく使用されていないようだったが、
中央に設置された檻だけは、頻繁に開閉されているようだった。
檻の中では少女が1人、寝息を立てている。
「…アルマ、さっきの男だが。」
『なあに?デュラク。』
「過去を見ることが出来るのは、どうやらあの男じゃない。」
『どういうこと?』
「あの男は力を持っていない。持っているのは、あの男が監禁している少女だ。」
『…なるほど、どうりでこの男から魔力を感じないわけね。
じゃあ、その子も回収するわ。傷つけないよう殺して__』
アルマの言葉が終わる前に、少女の身体が動く。
少女の目を覆っていた布がはらりと外れ、僅かに光を帯びた灰色の目がデュラクを捉える。
「…だれ?」
「っ…」
「あなたは、悪い人?」
「…私は。」
『ちょっと、聞いてるの?デュラク?』
アルマが呼びかける声が頭に響く。
デュラクは通信用の魔道具を掴む。
「…急用ができた。後でな。」
『えっ、ちょっ』
アルマとの通信を一方的にほどくと、少女へと近付いていく。
「…お前、過去が見えるのか。」
「…あなたも、この目が欲しいの。」
「ああ、そうだ。正確には、私の主人がな。」
「…いいよ。わたしの目を使って。わたしは道具だから。」
「…怖くないのか。」
「あなたは、わたしの元の所有者より、悪い人じゃなさそう。」
「…そうか。」
「…」
「安心しろ。私はターゲット以外は殺さない。」
デュラクは檻を鎌で壊すと、少女の拘束を解く。
「え、あ、ありがと…」
「礼は要らない。」
死神は、殺した男の部屋に置いてあるリンゴを取ると、こっちに投げ渡す。
「限界だろう。何か食べた方がいい。」
「え、う、うん…」
警戒しながらも、空腹に逆らうことができずにかじりつく。
口に広がる優しい甘さに、自然と涙が出る。
まともな食料はいつぶりだろう。
死神は何も言わず、ただ私を見ているだけだった。
「えっと、その、わたしはどうしたら…」
「このまま家に帰れ。」
「え…わたしの目が目的って…」
「私はあの男を殺しに来ただけだ。目は付加価値に過ぎない。」
「…でも、わたし、帰る家がなくて。」
「…」
「待ってる家族も、いない。」
「…そうか。善良な人間に拾って貰えるといいな。」
死神はそういうと、鎌を地面に這わせて青黒い裂け目を作る。
帰るための門のようなものなんだろう。
あの人が帰ってしまったら、私はどこへ行けばいいんだろう。
また誰かに拾われて、利用されて、道具として生きていくんだろうか。
あの人のほのかな優しさに触れて、食べ物の味を思い出してしまった私は、
もう道具には戻りたくないと思ってしまった。
「…わたしも。」
「ん?」
「…わたしも、一緒に行きたい。」
「やめておけ。人間の来る場所じゃない。」
「使われるなら、あなたがいい。」
「…無理だ。そもそもお前はここを通れない。」
「…じゃあ、今すぐ殺してほしい。」
「何を言って」
「わたしは、もう悪い人に道具として扱われたくない。
でも、この目のせいで、普通に生きていけない。だから、殺してほしい。」
「…そこまで言うなら、望む通りにしてやる。」
死神はゆっくりと歩いてくると、纏ったローブに手をかける。
脱いだローブを私にかけると、再び地面を引き裂く。
「え…?」
「それを纏っておけば通れるはずだ。来るんだろ。」
「っ…いいの?」
「…どうせ死ぬなら、私が使ってやる。」
その言葉を聞いて、かけられたローブをぎゅっと握る。
そのローブから人熱は感じられなかったが、不思議ととても暖かかった。
ローブで全身を包むと、死神は私を抱き上げる。
「私の合図で息を止めろ。わかったな。」
「う、うん。」
「移動は一瞬だ。行くぞ。」
その言葉と同時に、身体がふわっと浮くような感覚がする。
3秒ほど落下したあと、どこか静かな場所へ到着する。
もういいぞ、と無機質な声がして、恐る恐る目を開ける。
「ここが…奈落。」
「そうだ。…私の過去をどこまで見たんだ?」
「近い過去は、だいたい。」
「思ったより短時間で見られるんだな。」
「うん。でも、記憶で見たよりは明るい。」
奈落に着いてすぐ、遠くから白い祭司服のようなものを纏った女性が駆け寄ってくる。
頭上には歪な天使の光輪のようなものが浮かんでいる。
女性は鬼気迫る表情で、デュラクへ詰め寄る。
『デュラク!なんで通信を切ったの!』
「文字通り急用だ。」
『なんの説明にもなってないじゃない!っていうか、ローブは?』
「こいつが着てる。」
『こいつ…?え。」
「…はじめ、まして…アルマさん。」
『な…な…』
アルマは思わず後ずさる。
『なんで連れて帰ってきたの!?』
思ったより大きな声でびっくりして、死神の後ろへ隠れる。
「死ぬくらいなら連れ帰ろうと思ってな。」
『そうだとしても、こんな場所に連れてきたって人間はまともに生活できないわよ!?』
「こいつは私の過去を見た上で、地上にいるより良いと判断したらしい。」
『はぁ…どれだけ凄惨な人生を送ってきたか知らないけど、まあちょうどいいわ。
その目だけいただくわね。』
「待て、アルマ。」
死神は私を守るように得物を構える。
「こいつにはなんの罪もない。私は、罪のない者は殺さない。」
『っ…関係ないわ。』
「それに、こいつは私に命を預けると言ったんだ。こいつの命は、私が使う。」
『珍しく頑固ね。どこで独占欲なんて感情を学んできたの。』
「私はただ、罪なき者を守るために動いているだけだ。
私のどこからこの感情が湧いてくるのかは、私にもわからないがな。」
『っ!』
アルマは張り詰めていた糸を緩める。
『…そう。』
「……」
『はぁ、ほんと、デュラクは昔から変わらないわね。』
「昔?」
『そう。昔からずっと、頑固なまま。』
「…?」
『いいわ。私の負け。その子のことは好きにしなさい。』
「…いいのか。」
『だって、譲るつもりはないんでしょう?』
「…ああ。」
『その代わり、この奈落で生きられるように少しだけ術式を埋め込むわ。』
アルマはラナークに近付くと、魔法陣を展開する。
『大丈夫よ。ここの瘴気は有害だから、その抗体を作るだけ。』
一瞬体が冷えたかと思うと、さっきまで感じていた身体の重さがすっと軽くなる。
「…ありがとう、アルマさん。」
『礼はデュラクに言って。あの人が誰かを守るために動くなんて初めてなのよ。』
「…ううん、初めてじゃないよ。アルマさんも、守られたでしょ。」
『うぐっ…過去を見るって、思っていたより厄介ね…。
そうよ。あの時を思い出しちゃってあなたを殺せなかった。
もしかして、狙った?』
「ううん。あなたのことも悪い人だと思わなかったから、デュラクさんに
ついて行こうと思っただけ。」
『…あなた、悪い人の基準下がってるわよ。』
「…じゃあ、おねえさんは悪い人?」
「えぇ、とっても。」
アルマは不敵な笑みを浮かべながらそう言うと、デュラクへ近付く。
『せっかく拾ったんだから、ちゃんと面倒見なさいよ。
それとも、世話されるのはあなたのほうかしらね。』
「ああ。拾った責任はとる。後で人間用の食事だけ教えてくれ。」
『はぁ…ったく世話のやける…』
「大丈夫…材料があれば自分で作れるから…」
『だってデュラク。世話されるのがあなたになりそうで良かったわ。』
アルマは上機嫌に手を振りながら、奈落に建てられた石造りの建物へ戻っていく。
「…私に着いてきて良かったのか。ここには、何も無いぞ。」
「うん。わたしには、何もないことがすごく幸せに感じるから。」
「…そうか。」
死神は理解できないというような顔をながらも、
物好きめと言って頭をそっと撫でた。
私にはそれが、何より嬉しかった。
「…住居はどうする。新しくアルマに頼むか。」
「ううん、一緒に住む。」
「…寝床以外は何も無いぞ。」
「ベッドがあるなら、檻よりずっといいよ。
それに、わたしはあなたの所有物だから。」
「さっきはああ言ったが、私はお前のことを道具だなんて思っていない。
ただ少しだけ、私の任務に協力してくれればそれでいいからな。」
「…道具じゃないなら、わたしは、なにになるんだろ。」
「…何に、か。」
「…アルマさんとあなたは、どういう関係?」
「…一応、主人と従者の関係になるな。形式上は。」
「じゃあ、わたしもそうする。死神さんのじゅうしゃになる。」
「お前がそうしたいなら。」
「今日からよろしく、ご主人。」
「…デュラクでいい。」
「ご主人がいい。」
「…勝手にしろ。」
「あと、わたしの名前。」
「…聞いてなかったな。」
「わたし、ラナーク。」
「デュラクだ。よろしく、ラナーク。」
「…えへ、うん。」
少女はそういうと、デュラクの住処の方向へ歩き出す。
まるで来たことがあるというふうに。
「…なあ、自分の住処くらいは先行させてくれないか。」
「…ごめん。見ちゃったから。」
「なら、部屋の紹介も要らないな。」
「うん。」
そうこうしているうちにデュラクの家に到着する。
レンガで組み上げられた、素朴で色の無い家だ。
だが、製作者の思いの大きさなのか、1人用にしてはやたらと大きい。
「…アルマさんは、あの身体でどうやって建てたんだろう。」
「アルマの実験体たちがやったんだろう。
この家くらいの大きさのやつもかなり作っていたからな。」
「…すごいね。」
「外は冷える。入るぞ。」
デュラクが鍵を差し込むと、ドアにかかった錠がするりとほどけ、
ドアが軋みながらゆっくりと開く。
中は暗く、静かで、振り子時計の針が動く音だけが響いている。
「今日からお前の家でもある。好きに使え。
ここには水以外の飲食物はない。アルマにいえば取り寄せて貰えるはずだ。
あと、アルマに伝える時はこいつに言え。」
デュラクはそう言うと、窓際に止まった鳥を指さす。
いや、鳥と言うにはあまちにも歪だ。
様々な生物が糸で繋ぎ合わされ、かろうじて鳥の形を象っていると言った方がいいだろう。
「こいつは人語を理解する伝書鳩のようなものだ。
こいつに言えば、アルマへ内容を伝えてくれる。」
「…ちょっと不気味。」
「利便性を求めた結果だと言っていた。悪趣味なのは事実だな。
「それと、私の寝床は1人用で狭くなっているから使え。私は床で…」
と言って寝床を見たデュラクが固まる。
「…おかしい。今朝はこれの半分くらいの大きさだったはずだ。
アルマ、余計なことを…。」
「でも、これでご主人と一緒に寝られるね。」
「…寝ないぞ。」
「…だめ?」
「ダメだ。」
「でも、わたし、寂しくて、眠れないかも…」
「…どうしても眠れない時は呼べ。」
「…どうしても。」
「っ…今日だけだ。」
「やった。」
「寂しいのは本当だろうな?」
「うん。ずっと、寂しかったから。」
「…なら、いい。」
死神は私が着ているローブを取ろうとして、立ち止まる。
「…服は、そのボロボロの布切れだけか。」
「うん。いつから着てるかもわからない。」
「私のものでは大きすぎるな…」
「…これは?」
ラナークはソファに置かれた服を指さす。
そこには小さな緑色のパーカーと、手紙が置かれていた。
デュラクはその手紙を読みながら、ため息をつく。
「…やけに用意がいいな、アルマ。殺す気なんて最初からなかったんだろう。」
「わたしのふく…!ご主人とおそろい…!」
「服の問題は解決したな。向こうで着替えてきたらどうだ?」
「うん、行ってくる。」
しばらくすると、ラナークが軽い足取りで戻ってくる。
「どう、ご主人。似合ってる?」
「まあ、悪くない。」
「えへへ。お礼言わなきゃ。」
ラナークが伝書鳩へありがとうと言う。
鳩はラナークの声を真似て繰り返した後、アルマの住居へ飛び立って行った。
「…わたしのこえ、真似してた。」
「私にも仕組みがわからん。とことん悪趣味だろう。」
デュラクはそう言いながら、タオルなどを準備している。
「…体洗うの?」
「ああ。浴場がある。かなり広めのな。アルマのこだわりだ。」
「お湯、あるんだ。」
「実験体が温めているらしいが、詳しい仕組みは分からない。
先に入ってこい。タオルはこれを使え。」
そう言ってデュラクにタオルを渡される。
奈落の底だと言うのに驚くほど肌触りがよく、いい匂いがする。
「これも、アルマさんお手製?」
「ここにあるもの全ては、アルマが作ったものだ。」
「まるで神様だね。」
「ああ、まさに冥府の女神だな。」
デュラクに案内され浴場へ向かう。
明るくはないが、清潔で、暖かく、落ち着く匂いがするお風呂だ。
デュラクと一緒に入りたいと言ったが、流石に却下された。
「…ふう。」
暖かい湯船に浸かるなんて初めての経験だった。
とても暖かくて、気持ちよくて、溶けてしまうかと思ったほどだ。
「…ここで寝るのは、あぶない。」
そう奮い立たせて浴場から出る。
タオルで体を拭いていると、台の上に服が乗っている。
どうやら、パジャマまで用意してくれたみたいだ。
パジャマに着替えて脱衣場を出ると、デュラクがそばで待っていた。
「随分気に入ったようだな。」
「うん。すごく温まった。」
「それは何よりだ。私も入ってくる。好きにくつろいでおけ。」
デュラクはそう言うと、脱衣場の扉を閉める。
再び静寂に包まれた家の中で、急激に寂しさを覚える。
あの檻で慣れていたはずの孤独。冷たさ。
もう檻から出られたというのに、心は囚われたままのように感じて。
やっぱり、寂しいのは、嫌だな。
「どうした、ラナーク。寒いのか。」
振り返ると、デュラクが髪を拭きながら顔を覗き込んでいた。
涙で濡れた頬を見られてしまった。
「あ…あの…えと…」
「…寂しいのか。」
「…うん。」
「すまない。私には、何も…。」
「ご主人。」
ラナークはそっと、デュラクの胸へ体を寄せる。
「……少し、このままでいたい。」
「…構わない。少しでも寂しさが埋まるのなら。」
「…ありがと。」
ラナークは身体を震わせて、声を殺して泣いている。
声を出さないのは、監禁されていた名残だろうか。
体が自然と動き、ラナークをそっと包み込む。
「う、うぅ…ぐすっ…」
「…大丈夫だ。私はいなくなったりしない。」
「…ほんと…?」
「ああ。」
「…ぜったい、やくそくだよ。」
ラナークは少し落ち着いた様子で、涙を拭う。
「このまま寝るか。」
「うん。」
ラナークはかなり消耗したようで、今にも意識を手放しそうだ。
2人で布団を被ると、ラナークが擦り寄ってくる。
「ご主人、冷たい。」
「血が流れてないからな。くっつくと余計に冷えるぞ。」
「ううん、こっちの方があったかい。」
「…そうか。よかった。」
いつぶりかも分からない柔らかいベッドに、意識が一瞬で吸い込まれていく。
「おやすみ…ごしゅじん…」
「おやすみ、ラナーク。」
ご主人の腕の中で、穏やかに、ゆっくりと眠りについた。
今日は久しぶりに、悪夢を見なかった。
翌朝、ほのかに香る紅茶の匂いで目が覚める。
ほとんど嗅覚は機能していないはずだが、今朝は何故だか感じ取れた。
目を覚ましたことに気づいたラナークが、顔を覗き込んでくる。
「おはよう、ご主人。紅茶、飲む?」
「…おはよう。私はほとんど味を感じないが…いいのか。」
「うん、飲んでほしいな。」
「…わかった。」
体を起こし、小さなダイニングテーブルに置かれた紅茶を1口飲む。
「…美味しい?」
「…よく分からない。香りはいいが…味はやはり分からないらしい。」
「…アルマさんに味覚戻して貰うようにお願いしなきゃ。」
「…そうだな。ラナークが作ってくれるなら、ちゃんと味わえるようにしないと。」
「えへ、嬉しい。」
ラナークは満足そうに微笑む。
「これからたくさん料理勉強して、ご主人に食べてもらうんだ。」
「ふ、楽しみだ。」
「え…ご主人初めて笑った。」
「笑ってたか?」
「うん、優しい笑顔。」
「そうか。」
「ご主人の色んな顔、見たい。」
「…なら、させてみるんだな。」
「うん、望むところ。」
デュラクは紅茶を飲み干すと、かけてあったローブを羽織る。
「早速だが仕事だ。付いてこい、ラナーク。」
「りょうかい。ご主人。」
少女はお守りのランタンを手に取り、デュラクの後を追う。
過去を暴く小さな明かりは、今日も死神の足元を照らしている。
死神が何時でも、帰る場所を見失わないように。
お読み頂きありがとうございました。
デュラクとラナークの出会いのお話でした。
この2人の関係性はすごく気に入っているので、形にできて嬉しいです。
この2人は出番も多そうなので、今後もお楽しみに。