二日酔いのせいか、頭が重い。
それに久々に運動をしたかのうように全身が痛い。筋肉痛のようだ。
起き上がるたびに悲鳴を上げる筋繊維を無視して体を起こす。
きょろきょろと辺りを見渡し、状況を確認した後、再度横になる。
そして天井を見上げながら――、
「知らない天井じゃ」
そう呟いた。
「何を言っておるお主の家じゃろう?」
鋭いツッコミが入る。どうやら左近の視界には入っていなかったが、他にも客人がいるらしい。
口調とは裏腹に年端のいかない少女だった。その少女がジト目で左近を覗き込んでいる。
「馬鹿、儂は家なき子じゃ。じゃなきゃ山で野宿などしとらんじゃろうが、というか…お主誰?」
先程までは寝ぼけていたため、大した驚きを見せていなかったが、知らない人間、それも幼子が親し気に話しかけてくることに困惑し、驚愕し、思わず距離を取る。
けれど、知らないのは酒で記憶を失った左近だけで、幼子の方は左近のことをしっかりと覚えていた。
「山であったじゃろうが!
………ちょっと待て、今聞き捨てならないことを言わなかったか?ここはお主の家じゃろう?
寧ろそうじゃないのならこの家、誰の家なんじゃ!」
「恐らく空き家か……空き巣じゃろ」
「待て!空き家というが、この家鍵かかっておったぞ?」
「なら空き巣じゃな」
「冷静に言っとる場合か!それ不味いじゃろうが!」
少女は慌てふためく、研究所で生まれ育ち義務教育と研究の被験者としての経験しかない少女には他人の家に不法侵入して一夜を過ごしてしまった際の対処法など皆目見当もつかなかった。
…まぁ、研究所生まれでなくても大体の人間はそうだろう。
けれど、目の前の男は違った。冷静さを保ち、少女を落ち着かせると、何食わぬ顔で口を開く。
「なに、まだこの家の主は帰って来ていないのじゃ。部屋の物を弄らずにそっとこの部屋を後にすればよい。」
「そ、そうじゃな。一晩止めて貰っただけじゃ。盗人ではないのだから、このまま出ても問題はないか」
問題は大ありであるが、パニックに陥っている少女はそのことに気が付かない。
少女は急いで玄関に移動しようとし、動きを止めた。
「って!ちょっと待て!お前なに冷蔵庫を物色しておる!」
…部屋のものを弄らずに、といった張本人が冷蔵庫の中を
「冷蔵庫から酒が一本無くなってもどうせ気づかんじゃろう?
…おっ!チーズと生ハムもある」
「いやっ!全然遠慮がない!
酒一本どころか!冷蔵庫ごと持ってく勢いではないか!」
少女の言う通り、左近はあれも良い、これも良いと、冷蔵庫の食材を自身の風呂敷に仕舞っていく。あまりにも典型的すぎる泥棒だった。
そんな風にギャーギャー騒いでいると入り口の扉が開く。家主か大家か、はたまた自分たちと同じ泥棒か。答えがどれでも碌な未来にはならないだろう。
いや、いっそのこと泥棒が相手であれば力技で制圧できる分まだマシかもしれない。少女は左近へと視線を向けながら、昨日の出来事を思い出していた。
(こいつの腕っぷしなら泥棒程度簡単に制圧できるはずじゃ)
泥棒であってくれ!泥棒であってくれ!
通常ならありえないことを祈りながら、少女は急いで押し入れの中に隠れる。泥棒でなくても大家であればこれで乗り切れるかもしれない。
…隠れるどころか入り口と繋がる廊下の前で仁王立ちしている左近からは視線を逸らしながら、少女は祈った。
(い、いや!仮に奴が見つかったとしても妾のことを話すとは限らん!)
それは希望的観測だった。
扉を開けた人物が玄関口で立ち止まる。
目の前に知らない男が仁王立ちしていれば誰でもそうなるだろう。
「お主、何者じゃ?この家になんのようじゃ?」
しかも、空き巣であるはずの男が、何故か家主のような顔つきで問いを投げる。率直に言って意味が分からない。
「…」
「…」
沈黙が流れる。
返答に困っているのだろうか?この状況に困っているのだろうか?それともそのどちらもだろうか?
けれど、玄関前で立ち止まった男は沈黙を破り、返答を返して見せた。
「警察だ」
「…」
再度、二人の間に沈黙が流れた。
少女は頭を抱えた。
(おぉぉい!
警察は不味いじゃろう!一番不味いやつ来ちゃったじゃろう!
お前いつまで仁王立ちしておるんじゃ!!)
実際には息を殺し、心の中では大声で突っ込みを入れる少女。
最早、現実逃避以外に出来ることは無かったのだ。
「…お前はここで何をしている」
「ふむ…ここに住んでいると言ったら?」
「それはない。なぜなら、ここは俺の家だからだ」
(よりにもよって警察の家!?不味い。あまりにも不味すぎるじゃろう!どうするつもりじゃ?)
少女は左近へと視線を向ける。左近は尚も廊下の前で突っ立っている。
けれど、顔からは脂汗が流れている。
そしてあろうことか――、
「どうしようか?」
こちらに顔を向け、語りかけてきた。
(バカぁぁぁぁぁ!
なに妾を巻き込んでおるんじゃ!いや、確かに妾もここで一夜を過ごしたが!)
「なに?仲間がいるのか?」
警察も左近の言葉に反応する。これはもう誤魔化しようがない。少女は観念して警察の前に姿を現す。警察は少女の姿に目を大きく開ける。言葉にはしなかったが、年端もいかない少女を前に動揺していたのは一目瞭然だった。
「誘拐か?」
警察の声が硬くなる。
明らかに先程よりも左近を警戒している。それと同じくらい少女の方へも意識を向けている。とはいえ、少女に向けているのは敵意ではない。むしろ少女の身を案じている。左近の虚をついて少女を取り返そうとしている。
左近もその警察の心の機微を察し、少女の背中を押す。
「別に誘拐など考えておらん。こ奴が勝手についてきただけじゃ。保護したいんじゃったら保護すればいい」
警察は警戒しながらも少女へと近づいていく。しかし、少女自身が近づいてきた警察を拒んだ。
「いやじゃ!妾は奴と共にいる!保護されてもどうせ施設に返されるだけじゃ!」
「…」
その様子に警察の動きが止まった。少女と左近の間で瞳が動く。
三度目の沈黙が空間を支配する。
そして、又も、沈黙を破ったのは警察だった。
長い溜息の末に、少女から離れる。
「…そろそろ実家に帰ろうと思っていたところだ。この部屋は好きに使え」
そういうと、踵を返し、部屋から出ていく。警察官を見送る形になった二人は互いに顔を見合わせる。
「なんというか、とんでもなく物分かりの良い警察官じゃな」
少女は警察官の行動に若干引っかかりを覚え、思わず呟く。
左近も神妙な表情を作りながら頷いた。
…片手に缶ビールを持っていなければさぞ様になったことだろう。
「後をつけるか?」
少女は左近へと問う。
それは、不安の表れだった。仮にあの警察官が警察に扮した施設の手のものだったらどうしよう。
そうでなくても応援を呼んで自分たちを取り囲んだらどうしよう。
頼るあてもなく、周りのほぼ全てが敵に見えてしまう。生まれた時から親がいなかった少女の心はどこまでも孤独だった。
けれど、左近がそれを知る由もない。
「尾行だなんて最低じゃぞ?」
「うぐっ」
冷たい視線とともに先程まで他人の家の冷蔵庫を物色していたとは思えないほどのド正論をかます左近。
その様子に突っ込みたい気持ちはありつつも善良な少女は項垂れることしかできない。他人が悪いことをしているからと言って自分がしていい理由にはならないと少女は世間知らずながらも知っているのだ。
「…すまん。妾が間違っておった」
「うむ、それで、準備は出来ているのか?」
「…はっ?何の準備じゃ?」
「いや、尾行するんじゃろ?」
「んん!?お前さっき、尾行は最低な行為じゃと…」
「うむ、最低な行為じゃな。…ただなぁ、山暮らしで娯楽に飢えていた儂からすると丁度いい娯楽なんじゃよなぁ。金も掛からんし」
あっけらかんと言ってのける左近に少女はドン引きする。ドン引きするが――、
(そういえば、こいつ、こういう奴じゃった…)
今までの行動を考えるとその言葉も何故だか得心がいった。こいつならこう言うよなという妙な納得感があるのだ。
「…まぁ、今回は好都合か」
左近に聞こえないように小さく呟く。
「なんじゃ?何か言ったか?」
「いや、なんでもない。それより妾の準備は万端じゃ」
「そうか、なら早速行くとするか」
左近は扉を開けて外へと出る。少女もまたその後をついていく。
「あぶっ」
しかし、左近は入り口の付近で足を止めていた。そのせいで扉から出てきた少女は左近の足にぶつかり尻餅をつく。
「急に止まるな!!」
「そういえばお主の名前を聞いておらんと思ってな。」
「はぁ?名前?」
「そうじゃ、あるじゃろう?」
「名前…T1じゃな。施設の奴らにはそう呼ばれていた」
「ふむ、それは名前じゃないじゃろう。識別番号のようなものじゃ」
「じゃが、名前も似たようなものじゃろう」
「ちと、違う。…よし、お主は椿と名乗れ」
「…はぁ、…分かった」
納得いっていないが、少女は取り敢えず頷く。
それに満足したように左近もまた頷くと歩き出した。
「もう視界にあの警察はおらんが、見つかるのか?」
左近の後をついていく少女は素朴な疑問を口にする。それに対し、左近はビールを流し込むと、口の端を持ちあげる。
「任せろ。儂は忍じゃ。隠れる気のない相手を追跡するのなんて朝飯前じゃ」
いや、朝飯前にビールは飲むなよ。そんな揚げ足取りな思考が脳裏を過るが、少女はグッと我慢した。
それに左近の口にした言葉は大言壮語などではなく、実際に然したる苦労もせずに警察官の居場所を見つけてみせた。
「ここが奴の家か」
少女、いや、椿は警察官の家を見上げる。リビングや浴室とは別に四つは部屋がありそうな広い家屋、その上、小さい子供が遊ぶには十分な広さの庭がついていた。
理想の一軒家といった佇まいだ。
その意見は世間知らずの椿だけのものでなく、左近もまた同様の意見を有しているようだった。
「なるほどな。奴め随分といい家に住んでおるな。
それに真新しい子供用自転車…実家と言っておったが、ここは奴自身が自分の子供と暮らしていた家ではないか?」
「じゃが、それなら何故アパートに住んでおるんじゃ?」
「知らんのか?最近の家庭は父親に居場所がなく、肩身の狭い思いをするケースも多いんじゃ。大方奴もその類じゃろう。」
「…世知辛、しかしそれなら奴は肩身の狭い思いしてでも妾達の居場所を作ってくれたのか?」
「うむ、おそらくは…いや、待て、他の人間の気配がしない?」
「それは…どういう?」
少女がそう疑問を口にするのとほぼ同時、家屋のカーテンがめくられる。警官がこちらの存在に気が付いたのだ。
左近は兎も角、椿に直ぐに物陰に隠れる技能はない。警官と椿の目が合う。こちらに気が付いた警官は扉を開けて椿に近づいてきた。
「どうした?何か用か?」
警官に気分を害した様子無い。目線を椿に合わせると優しく問いかけてくる。
それに対し、椿は目を泳がせる。住む場所を提供してくれた相手に「あなたを疑っていたのでついてきました」とは流石に言えない。
それゆえに咄嗟に話を変える。本当に咄嗟だったため、つい考えなしに話を振ってしまう。
「えっと、そういえば、ここはお前が家族と暮らしている家なのか?」
言ってからしまったと我に返る。けれど、一度口にした言葉は飲み込むことは出来ない。
「…ああ、そうだよ。ここで娘と妻と暮らしていたんだ。
一年前までね」
「一年前?」
「ああ、一年前…突然娘がいなくなったんだ。学校の帰りだった。
被害届を出して、私自身も捜査に協力したが、娘がどうやって消えたのか…殺害なのか、誘拐なのかも謎のまま。
妻とも、そのことが原因で喧嘩をしてしまってね。今は一人で暮らしてるんだ。」
「…そうなの、か。娘はどんな子じゃったんじゃ?」
「明るくて優しい子だったよ。写真もあるんだ」
警官はそういうとスマートフォンの電源を入れて、椿に向ける。娘の写真を待ち受け画面にしているようだ。
麻色の髪をポニーテールにした活発そうな少女だった。
そして、椿からすれば猛烈に見覚えのある少女でもあった。
「S25?」
「?」
「こ奴S25ではないか!」
警官の娘の顔は一年前に新たな実験体として施設に運ばれた新入りと瓜二つだったのだ。