イギリス魔法省 魔法生物規制管理部
「ニフラーがダイヤゴン横丁の本屋さんのコインを盗んだみたいで…」
向かいのデスクから声をかけてきたのは、同じ部署で働く同僚のジャネットだった。
ハーマイオニー・ウィーズリーは、書類から目を上げて軽く頷いた。
「また?……今月に入って三度目よ。通報の詳細は?」
「被害者はフローリッシュ・アンド・ブロッツの店主で、目撃証言と監視呪文の記録があるみたいです。ニフラーは地下通路に逃げたとのことでした」
「管理課にはもう連絡済み?」
「君が判断してくれと… 先月も同じ個体だったから、すぐには動けないとのことで…」
「…わかったわ。照会して個体識別番号を確認しましょう。たしか、220-NFだったはずよ」
「さすがウィーズリーさん、どんな事案も覚えていらっしゃるんですね!」
ジャネットが感嘆の声を漏らし、ハーマイオニーは照れたように微笑んだ。
「再発させないための仕組みを考えなきゃいけないわ。覚えてるだけではダメよ、でもありがとうジャネット!」
「いつも頼りにしてます」
ジャネットは、笑顔でハーマイオニーを見つめた。
ハーマイオニーは、ジャネットの方を見つつ、「ウィーズリーさん」と呼ばれるたびに、胸の奥が少しだけざわつくのを、気付かぬフリをしていた。
「ウィーズリーさんってすごいですよね!ホグワーツを首席で卒業しちゃうし、若くして結婚もされてて… 私から見ると完璧な人生に見えちゃいます」
ジャネットの無邪気な瞳にハーマイオニーは、ため息をつきながら返した。
「若くして決めたことが、正しいこととは限らないわ。ジャネット、後悔しないように、自分の心をちゃんと見つめてね」
彼女の頭には、話すことさえすっかり無くなってしまった、夫の姿が浮かんでいた。
ロンの実家の隠れ穴から、20分ほど歩いた通りにある小さい一軒家。
そこが、ロンとハーマイオニーが住む家だ。
「ただいま」
ハーマイオニーは、魔法省での仕事を終えて、ドアノブに手をかけた。
ドアを開けると、冷たく暗い部屋が広がっていた。
杖でランプに明かりを灯すと、部屋が明るくなっていく。
ロンは今日も帰ってきていなかった。
きっと、実家で夕食を食べてきているのだろう。
ハーマイオニーは、コートを脱ぎ、寝室に向かった。
ベッドに座り込んだ彼女は、サイドテーブルの引き出しから、マグル界用の手帳を取り出した。
次の父の歯医者の手伝いの日の暦を見つめて、ため息を吐いた。
「ハリー… 会いたいわ…」
ハーマイオニーは、無意識に本音を小さく漏らしていた。
声に出した瞬間、自分の言葉に驚いたのは、他でもない彼女自身だった。
17時。
終業のチャイムが鳴り響いた。
「ハリーお疲れ、今夜1杯飲みに行かないか?」
業務を終え、パソコンを閉じたハリーに声を掛けたのは、同僚のクリフだった。
「ああ、いいね」
ハリーは、クリフの誘いを静かに受け入れた。
それからハリーたちは小さなバーに立ち寄った。
バーの小さなテーブル。
グラスの水滴が、テーブルの木目に染み込んでいく。
ネオンの光が窓ガラス越しに揺れていた。
「忘れられない人か…」
クリフはグラスを指先で回しながら、ぽつりと呟く。
「ああ、彼女は親友だった…」
ハリーは、琥珀色の液体をじっと見つめながら、その奥にある面影を追っていた。
「親友だった…?」
「彼女への想いに気づいた時には…もう、別の人がいたんだ」
「そうか… どんな人だったんだ?」
少し沈黙が落ちた。
ハリーは、ふっと微笑んだような顔をして、グラスの氷をカラカラさせながら答える。
「本が何よりも大好きで、賢くて…
誰よりも優しくて… 正義感の強い人かな」
「素敵な人だな…」
クリフは静かに微笑みながら言った。
クリフと別れて帰宅したハリーは、郵便受けに入っていた歯医者のチラシに目を通した。
「AG Dental Clinic」
近所の歯医者のようだ。
ハリーはしばらく、その紙を見つめていた。
どこか懐かしさを感じる名前だと思った。