今日、ある罪を背負った男が刑期を全うし娑婆に出た。
男の名前は錦山彰。
刑務所の門を抜けて、ある場所へ向かっていった。
タクシーなんぞを拾う金は無い。迎えに来る者も誰も居ない。
錦山は、歩きながらその場所へ向かった。時間はたっぷりとあったので、今までの事を振り返った。
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錦山が堂島組事務所に到着した頃には、既に堂島宗兵が由美に手を出す直前だった。
上着を剥ぎ取られ、ズボンも乱暴に下ろされている悲惨な状況だった。
錦山「親父ぃ!!止めてくれ!!その人だけには手を出さないでください!!」
由美は宗兵に口を押さえつけられており、必死に叫ぼうとすればする程力強く押さえつけられた。涙で化粧が落ちている程に由美の状態は酷かった。
堂島「何だ…錦山か。コイツぁ、オメェの女なのか?」
錦山「……そうです!!俺の大事な女なんです!だから、どうか…!!」
堂島は、由美の口をガムテープで塞ぎ、何かのプレイで使おうとしていたのか手錠を取り出し、由美の手と足に掛けた。堂島は錦山に近付きながら、代わりに他の女を寄越せと言った。
堂島「テメェ、親父に対する礼儀がなってねぇなぁ。極道社会にとって、親父に楯突くことがどう言う事か分かってんだろ錦山?もし分かってるんなら、はえぇとこ出てけ。な?下っ端の小僧がぁ!!」
堂島は錦山を殴り付けた。床に伏せてる錦山を気にも掛けずに、何事も無かったかのように由美の方へと戻っていった。
堂島「折角だから見てけよ。親に楯突いた挙句、テメェのオンナが他の男にヤラれる所をよぉ。」
錦山の目に由美の姿が映った。ガムテープ越しに必死に泣き叫んでいる姿を見て、それが錦山を強く動かした。
錦山「親父!止めてくれ!!例え親に逆らったとしても、この人だけは!!止めてくれ!」
背後からタックルをし、堂島は錦山に覆いかぶされる様に倒れた。
堂島「グッ!!錦山…テメェ……!!フザケやがってぇ!!」
堂島は服に隠していたサイレンサー銃を手にし、錦山に2発分発砲した。しかし、あお向けで撃った為に照準に時間が掛かり、錦山が弾を避けるには充分なラグがあった。
錦山「グッ…!!!……クソッ…!」
堂島の腕を何度も地面に叩き付けた。堂島もヤケクソの1発を撃ったが錦山には当たらず、遂に堂島は銃を手放してしまった。
落ちた銃を手に取った錦山は堂島に、つまりは自分自身の親に銃を向けた。脂汗が酷く、手も震えているのか照準が定められない。
逆に堂島は冷静だった。圧倒的不利な状況で挑発をできる程に余裕があった。
堂島「へッ…。所詮は口だけでのし上がろうとしたヤクザ紛いのヘタレだな…。こっちはなぁ、クグってきた修羅場の数がちげぇんだよ!」
煽られた事にカッとなってしまい、錦山は歯を食いしばりながら引き金を引いた。
だが、引き金を引いた音は実弾の入った銃撃音ではなく、空砲だった。
理由(ワケ)のわからない錦山が見せた隙を堂島は逃さなかった。
錦山が両手で銃を持っていたせいで、堂島の腕は自由になっていた。服に仕込んでおいたもう一つのサイレンサー銃を取り出し、錦山に向けて発砲した。
敢えて頭上ギリギリに発砲した為、錦山は後ろ側に仰け反り、尻餅をついてしまった。
錦山「グッ…!!…何で…。」
堂島「言っただろ。クグってきた修羅場の数がちげぇってよ…。」
ムクリと起き上がり、錦山が手放した銃を拾いつつ、錦山に銃を向けながら由美が居る後ろへと後退していった。
堂島「近接戦になると、銃は3発あれば充分だと思ってる。と言うよりもその間に勝敗が付く。
3発ってのも、こんだけ近くでやってりゃ銃を取られちまうリスクもあるからなぁ。だからこその3発なんだ。さっきみてぇに揉み合いになっても、ダメ元で放っとけば使い切れる。何なら当たるかもしれねぇ。盗られたとしても問題は無いし、ソイツを使ってくれればオメェみてぇに隙ができる。まぁ、そんなに上手い事運ぶ方が珍しいがな。」
錦山「クソ……。だったら!!」
錦山は自身が持っていた銃を堂島に向けた。
錦山「敵だって馬鹿じゃないんだ!銃ぐらい持ってて当たり前だろ!……由美を解放しろ!!」
堂島「まぁ、そんな事は織り込み済みだ。錦山、何でお前を殺さなかったと思う?それはな、親に逆らうとどうなるかって言う見せしめだ。」
堂島は錦山に銃で牽制し、もう一つの銃に弾を装填した。そのまま、その銃を由美に向けた。
錦山「なっ…!?なにしてんだ…!」
堂島「隙だらけだったからな。こうやって人質まで作れちまったよ。銃を下ろさなきゃ、お前の女キズモノじゃ済まなくなるぞ?
それにな、お前にも妹だって居るんだ。親殺しなんぞしたら極道の世界じゃ、もう生きられねぇ…。妹も見殺しになっちまうぜ?最も、お前自身が生きてられるかもあるがな…?
今日は、俺の楽しみの為に組員には席外してもらってる。折角だから選ばせてやる。コイツか、妹か。」
堂島は、錦山が撃てないと踏んでいた。先の発砲は、堂島の挑発にノッてしまっただけで、自発的に撃った訳では無い。しかもこの極限状態に、すぐさま銃を放てる気概を持ってるとも思っていなかった。だからこその舐め腐った挑発ができた。
錦山自身、武闘派と言うよりは口の方が強い。頭の回転は良いだろうが、追い込まれた時に武力を要求する他ない場合にはとことん弱い。それを堂島は見抜いていた。
錦山は苦悩した。由美を取るか、妹を取るか。最愛の人か、最愛の人かと言う地獄のような苦渋の選択。
不意に由美の顔が見えてしまった。それと同時に、妹である優子の顔も思い浮かんでしまった。
心臓がうるさく、思考を乱してくる。息が荒くなり、その音が錦山の耳にこびり付く。
余裕のツラで場を掌握している堂島だったが、ここで詰めの甘さが露呈してしまった。最近では、過去の栄光に縋り、ハリボテの見栄を張り続けるだけの小物に成り果ててしまっていた堂島は、自身の勘の鈍りを見落としていた。
無抵抗に泣く事しかできていなかった由美が反撃してきた。堂島の脚目掛けて、腕を振り回し堂島の視線をこちらに向けさせた。
錦山にとって、それは自身が選択できる最後のチャンスだった。
錦山「由美…!…クソッ…う…うぁぁぁぁ!!!」
事務所内に銃声が鳴り響いた。
錦山「由美!由美!しっかりしてくれ!頼む!!」
錦山はへたり込み、無反応な由美に必死に声を掛けた。頬をビンタし、やっと目が冴えたのか由美は喋る事が出来たが、由美の発した言葉は錦山にとって衝撃的なものだった。
由美「え………アナタ…誰…?」
錦山「は…?」
由美はショックのあまりに記憶を無くしていた。だが、錦山はそんな事を気にしている余裕は無かった。錦山の近くに堂島宗兵の死体があるからだ。パニックになられても困るし、親殺しに関わっている事を堂島組に知られれば由美が狙われる可能性がある。由美を巻き込ませない為にも錦山には時間が無かった。
発砲音のせいで、いつ警察が来るかも分からない状況で錦山は必死に説得した。
錦山「な、なぁお嬢さん…?今、ここ撮影現場でさぁ…お嬢さんのせいで監督がカットって言えないから、この死体役のオッサン起き上がれないんだよねぇ…。」
由美「……え…?どう言う…こと…ですか……?私たち以外に、人なんて…。」
かなり苦しい嘘ではあるが、由美の思考がおぼろげな事が救いだった。錦山はそのままゴリ押しで由美を外に出すよう説得し直した。
錦山「いやいや!良いんだ!何も考えなくて良い!お嬢さんは何も悪くないから!とにかく撮影の邪魔だから、出ていってくれないかな?そしてお願いなんだけどさ、ここに行ってくれないかい?そしたら君の事分かる人居るからさ!ね?」
平静を装い、手の震えを何とか隠しながらセレナの名刺を渡した。
由美「ここ…に行けば良いの…?大丈夫なの…?」
錦山「そう!ささ!早く早く!道分からないと思うからさ!この場所から遠く離れたらタクシーで向かって欲しい!そして、ここに居た事は誰にも話さないでね。分かった?」
錦山は頷く由美をそそくさと事務所の裏口から何とか外に出した。窓から由美がちゃんと歩いて遠くに行ことも確認した。
由美を外に出してから数分後。静寂の中、奥からサイレンの音が聞こえた。
錦山は祈った。何とか警察に見つからずに由美が麗奈か桐生と合流して欲しいと言う事に。
堂島の死体を見ると、自分が本当に親殺しをしてしまったと言う事実を突きつけられてる気がして、どうにかなりそうだった。
そして、妹の事を今更ながらに後悔した。
唯一の肉親より、愛した女を選択した自分を責めた。どっちを選んだ所で、後悔する事に変わりがない事が全くもって救われない。
錦山「ごめんな……優子…。俺はバカだから、これしか思いつかなかった…。俺はちゃんと、全部守り切れる選択をしたのかな…?何が…最善だったんだろうか…。」
桐生が到着した頃、既に錦山は手錠を掛けられ連行される最中だった。
桐生「錦……!!錦ぃぃ!!!」
ガヤを押しのけ、規制線を越えようとするも近くの警官に止められてしまう。
警官「コラ!!やめなさい!!」
下を向いていた錦山が桐生の存在に気づいた。
桐生「錦!何があった!まさか……堂島を……錦ぃ!」
錦山は背後に着いている警官を振り切り、桐生の下へ向かった。錦山は桐生の目の前で取り押さえられるも、桐生と話す事を止めなかった。
錦山「桐生!!…すまねぇ、俺は止められなかった…。あん時、お前に超えるなって言った線を…クソッ…。」
桐生「錦……。お前…。」
錦山「桐生、セレナに向かってくれ…。そして、すまねぇが妹の事を…頼む…。お前にしか頼れねぇんだ…。こんな事しといて、頼める義理じゃねぇのは分かってるんだ…。だけど、頼む…。」
桐生「分かった。後の事は俺に任せろ。そしてお前の出所後の事もだ。絶対にお前を迎えに行く。何かあればすぐにでも手紙で伝える。」
他にも沢山話したい事があったが、無情にも錦山はそのまま警察に強制的に連行されていった。
その後、この事件は早期解決が優先されヤクザ同士の抗争で済まされた。由美についての言及は一切されなかった。
錦山も聴取に対して「親父のやり方が気に入らなく、言い合いになった際にカッとなって撃った」と話していた。
しかし、聴取を担当していた伊達は事務所に2人だけしか居ないと言う事を疑問に思っていた。
伊達「なぁ錦山よ、そもそもの話、何で事務所には2人しか居なかった?組長が居るってんなら見張りの1人や2人居てもおかしくねぇ筈だぜ?」
その質問に、錦山は黙秘を貫いた。伊達は、錦山が嵌められて冤罪を掛けられてるのではないかと思っていた。
伊達「なぁ、もしかしてお前誰かを庇おうとしてるんじゃねぇよなぁ?」
錦山「いえ…。」
それ以降、伊達の質問に対して錦山は一切返答しなかった。伊達自身も、警察側が錦山の殺害の自白が取れているのでこれ以上の追及を禁止された。
錦山には殺人罪で懲役10年が言い渡された。
錦山の刑務所の生活はあまり良くないスタートだった。
最初に錦山が行った場所は自分が入る檻ではなく、別の部屋だった。
そこには稲見と言う看守がおり、開幕早々に錦山を目の敵にした。貫禄のある顔付きであり、おおよそカタギとは思えない悪人面だった。
稲見「おう。お前が新入りかぁ?親殺しだが何だが知らねぇがよぉ、俺ぁお前等みてぇな犯罪者(人外)が大嫌いなんだよ。ここに来ちまったのが運の尽きだ、10年だっけか?耐えてくれよ。俺のオモチャとしてな。」
錦山「はい…。お世話になります…。」
稲見「チッ…。人殺しがそんな真面目くさってどうすんだ?ここには模範囚だの刑期を短くするだののルールはねぇんだ。いくら真面目にしたって何にもなんねぇぞ。」
そう言われても、錦山は態度を改めずに深々と頭を下げるだけだった。
稲見「だからなぁ…そう真面目にしたって、意味ねぇつってんだろぉ!!」
稲見は警棒を思い切り錦山の頭目掛けて打ち込んだ。「ドゴッ」と鈍い音が室内に響いた。しかし、錦山は睨むだけで反抗はしなかった。何発殴られようと、桐生と妹の為にも刑期を延ばすようなマネはできないからだ。
余りにも反抗の意を示さない錦山に気持ち悪さを覚えたのか、稲見は錦山を檻に戻せと部下に命令した。
稲見「チッ、気持ちわりぃ野郎だ…。おい!さっさとコイツ檻に入れとけ!」
錦山はそのまま収監された。顔面が腫れ上がっているが、それを心配する者は誰もいなかった。
収監され看守が居なくなり、ある程度落ち着いた後、対面する檻から声が聞こえた。
???「いやぁ、稲見に目をつけられちまうなんて、お前さん人殺しだのの重い犯罪しちまったんだな……と言っても、ここは稲見が目を付けるような極悪人どもしかいないんだけどな…。ハハッ。」
その声は、なんというか非常にヤツレていた。
錦山「あんた、稲見の事を知っているのか?」
自分と同じく顔が腫れ上がっており、痩せている姿の男は、自己紹介をしつつ稲見について説明をしてくれた。
加古川「突然にすまねぇな。俺ぁ加古川ってんだ。稲見には随分イジメられてなぁ…。説明なんざはお手の物だ。まず、ここの刑務所は俺らみたいな重い犯罪を犯した極悪人を集めてる。
まぁ、ゴミ箱みたいなもんだ。そして、ここは稲見にとっての天国みたいな所だ。大嫌いな悪人共を、好きなだけ痛めつけられるんだからな。上層部(うえ)も黙認してる治外法権みたいな場所なんだよ。」
錦山「そうだったのか…。加古川さんも、もしかしてその傷…。」
加古川「へへっ。まぁな。アンタがどんな事しでかしたのか知らねぇけど、俺みたいな人殺しはこうなっちまうんだよ…。」
加古川は身体の力が抜けきっており、こうやって話すのが精一杯だと言う程に疲弊していた。
錦山「そんなに酷いのか…。きっと、俺も同じ目に遭いそうだ。
俺も加古川さんと同じ人殺しです…。でも、きっと外よりは安全ですよ。」
錦山は、諦めを含んだ笑いをした。
正直、今は娑婆のほうが圧倒的に危険だ。いつどこで堂島組の報復があってもおかしくないからだ。
加古川「何つーか…アンタも結構な事したんだな…。俺は、ここに最近ブチ込められんだ。かれこれ3ヶ月。刑期も10年と長い…。いつ死んだっておかしくねぇよ…。まぁ、死なねぇように痛めつけるのが奴のやり方だがな…。」
錦山「俺も同じく10年です…。加古川さんの状態見ると、並大抵の場所じゃないって事は想像付く。でも、生きるのを諦める理由にはならない。俺には、シャバに居る親友と妹の為にも早くにここを出なくちゃいけないんだ…。そして、そのケジメを…。」
加古川「そうかい…親友か…。俺も同じだよ…確かめなきゃいけない事があんだ。アンタとは仲良くなれそうだ。よろしくな…あ、名前なんだっけか?」
錦山「錦山です…。何とか、生き抜きましょう。」
翌日
錦山へのイジメは既に始まっていた。
朝食に手を伸ばそうとする錦山に警棒を叩きつけてきたのは稲見だった。
稲見「テメェ、人殺しが一丁前に飯かぁ?そんな汚ぇ手と口で貪られる飯が可哀想とは思わねぇのか?もしテメェがその汚ねぇ口で食いたいと思ってるなら、まずは目の前の食いモンに土下座してからだ。おら、早くやれ!」
錦山は少し睨みながらも、問題を起こさず命令通りに正座し、頭を地面に擦り付けた。
稲見「チッ、真面目振りやがって。そんな軽い頭下げたって食いモンも神様も、被害者も許しちゃくれねぇよ。しっかりと懺悔しろ。テメェが何やったかをよぉ!」
錦山は土下座をしながら、自身の罪状を告白した。
錦山「俺は、人を殺しました…。」
稲見は気に入らない箇所を、警棒で背中を叩きながら錦山に指摘した。
稲見「おいおいおい!チゲぇだろ!?誰を殺した?そしてお前は何者なのかの挨拶すらできてねぇ!やり直しだ!とっととやれ!」
錦山「……。俺は、元東城会風間組組員…錦山彰です。親の組である堂島組組長の堂島宗兵、つまり親を殺しました。申し訳ありませんでした…。」
稲見は満足したのか、ニヤニヤしながら錦山の髪の毛を掴み上げた。
稲見「まぁ、新入りにしちゃ上等なデキだ。飯は食ってもいいぞ。つっても、お前がノロノロ挨拶してる内にちょっと食っちまったがな。」
稲見はトレーにあった魚を既に食べ、錦山を見下ろしながら味噌汁をすすっていた。
稲見「ほら、米ぐらいは残しといてやったぞ。さっさと食えよ〜。次いでに箸も没収だぜ〜。」
初めから錦山の飯を食べるつもりだったのか、胸ポケットから出した爪楊枝で歯に挟まったものを取りながら別の囚人をイジメに行った。
食堂内は当たり前の様な情景として特段何か騒ぐ様な事もなく静かだった。よくよく見れば、皆痩せこけており、元気がない。きっと皆、加古川の様な仕打ちを受けてきたのだろう。
錦山が麦米を犬食いしようとした時、隣から焼き魚の半分を誰かが差し出してきた。
加古川「俺だ、加古川だ。これ、良かったら食べてくれ。」
錦山「え?良いんですか…?俺に関わったらアンタも余計に…。」
加古川「まぁ、何と言うかこれでアンタも稲見にイジメられた人間の一人、身内みたいんなもんだ。ま、そんな事言ったらこのムショ全体が身内だけどな…ハハッ。
見ての通り、ここの刑務所で稲見に逆らえるような奴は居ねぇ。イジメもねぇ…。逆らったり、イジメがバレりゃ100倍、いや500倍の報復が来るからな。お前がどやされても、誰も馬鹿にしたりしねぇし助けたりもしねぇのは、それをしたら自分にも飛び火しかねないからだ。
……だけどさ、じゃあ何もせずに対岸の火事だと思って放って置く事は、俺にはできねぇんだよ。」
錦山「あんた、本当に人を殺したのか…?」
加古川「まぁ、話す日が来れば話すさ。取り敢えず、これからイジメられるんだ。腹の中には何か入れとけ!」
錦山は加古川に礼を言い、朝食を終えた。
その後、稲見は事あるごとに錦山に突っかかってきた。
その日の掃除の点検時に、稲見が錦山の仕事に難癖を付けてきた。
稲見「おい錦山!こりゃどうなってるんだ!」
錦山は掃除したトイレ室に呼び出され、叱責されていた。
錦山「はい…?何でしょうか…?」
稲見「とぼけてんじゃねぇぞ!テメェ、個室のトイレットペーパー替えてねぇじゃねぇか!?学校でトイレ掃除ぐらいはした事あんだろ?なのに何で置いてねぇんだ!」
当然、これは稲見の仕組んだ事だった。錦山はトイレットペーパーをキチンと替えていた。それを稲見が外しただけだった。
錦山「ちゃんと替えましたよ。誰かのイタズラじゃないんですか?」
稲見「そもそもテメェが替えたなんて証拠ねぇだろ!ここは学校じゃねぇんだ!お前みてぇな底辺ヤロウに意見を聞いてもらえる権利があると思うな!」
錦山は稲見に罰としてグラウンドで400メートル全力疾走20周が言い渡された。
稲見「遅ぇぞ錦山!もう1周、いや10周増やされてぇのかぁ!!」
錦山「ハァ…………ハァ……………ハァ…………。」
走り始めてどれぐらい経つのか、もう何周目なのか、今何処を走っているのかすら分からない。
もう自分が走ってるのか歩いているのかも分からず、遠くから稲見の声が聞こえてくるが脳がその声を処理してくれず何を言っているのか分からなかった。
ハタから見れば、錦山はギリギリ走ってると思えるような走り方とスピードで、いつガソリン切れを起こしてもおかしくなかった。汗が服全体に滲み、もうこれ以上出せない程だった。
稲見「おい!加古川!テメェもだ!人殺しに飯なんぞ与えやがって!!吐くまで走れ!」
加古川も走らされていた。
どうやら錦山に食事を与えた事がバレてしまい、錦山と同じ数走らされていた。
瀕死の中、やっと20周が終わり稲見がルンルンでぶっ倒れている2人に近付いた。
稲見「おぉ!底辺らしい良い顔してんじゃねぇか!ハッハッハ!!人殺しが普通の面構えしてる方がオカシイからな。
チンタラ走ってるせいでもう昼を過ぎちまってるぜ?お前らの昼飯なくなっちまったよ。ま、お前らが速く走らねぇのが悪いんだけどな。つーわけで、俺は昼飯食ってくるからさっさと戻っておけよ。水はお前らでなんとかしろ。」
ぶっ倒れた2人を他所に、稲見は満足してその場を立ち去った。誰も居ない刑務所内のグラウンドに2人の激しい息切れだけが聞こえる。
加古川「錦山さん、はえぇとこ、ハァ…ハァ…水道…水…。」
錦山「あぁ……。水…水…。」
2人は這いつくばりながら50メートル先の水道に辿り着き、水を得た魚もとい鯉の如く飲み尽くした。身体に水分が流れ込み、生きているという実感が凄まじかった。
加古川「カァーーーーー!!!何だってこんな時に飲む水は酒の数万倍美味ぇんだよぉぉ!!?」
錦山「う、うめぇ…!!今は、どんな酒よりもウメェ…。」
加古川「生き返ったぁ!!!!……けど…もう身体動かねぇよ…。見てくれよ…膝笑っちまってるぜ…。どうするよ…?今から戻ろうにも、こんなんじゃもう間に合わねぇぜ…。」
錦山「這ってでも戻るさ…。また遅れたなんてバレたらヤベェし…。
ただ、加古川さん…。やっぱりアンタ、俺と関わらねぇ方が良い…。迷惑になっちまう…。」
加古川「…へへっ、まぁそうなっちまうよなぁ…。錦山さんよ、俺は人を見る目だけはあるんだ…。アンタがタダのゴロツキだったら、警告だけして後は話しかけてすらねぇよ。目は口程に物を言うってのは本当なんだぜ?アンタの目は、良い覚悟の目をしてる。それを安易に潰すってのは、勿体ない話だろ?」
錦山「買いかぶりすぎですって…。俺は、タダのヤクザの成れ果てですよ…。アンタも中々奇特だぜ…?こんな貧乏神に着いてくるんだから…。」
加古川「へへっ…。取り敢えず、またどやされねぇように、さっさと帰ろうぜ…?」
そう言い、2人はほふく前進しながら自身の檻までなんとか戻っていった。
月日は経ち、刑務所に入ってから数ヶ月後、ある人物から手紙が来ていた。持ってきたのは当然、稲見だった。
稲見「おい錦山〜。手紙だぞ〜。」
飯抜き、体罰、過剰な運動、理不尽な要求を繰り返され、錦山は加古川の様に酷くヤツレていた。頬がコケており、身体も痩せていた。身体に力が入らず、少し動くだけでも酷く体力を消耗してしまう。そんな状態だった。
錦山「…。ありがとうございます…。で、誰からですか?」
稲見「バカ野郎、人殺しが何も無しに何かを享受できると思うなよ?いつものヤツだ、やれ。」
錦山は、いつも通りに飯や自由時間に入ると言った何か施しを受ける時にする腕立て伏せを100回、腹筋100回をした。しかし、痩せ細った腕と貧弱な体力では途中で身体を支えきれずに倒れてしまったりと、どう見ても腕立てができる状況ではなかった。それを稲見は警棒で叩きながら叱責した。
稲見「テメェ!何してんだ!!誰が辞めて良いっつった!?あぁ!?終わるまで辞めねぇからな?おら!とっととやれ!」
状況に耐えかねたのか、加古川が隣の檻から弱々しく声を荒げ、稲見に懇願した。
加古川「なぁ!稲見さんよ!俺が、俺が肩代わりするからよぉ!ソイツに手紙見せてやってくれねぇか!?頼む!!」
錦山は何とか腕立てを終わらせたが、疲弊してしまい、倒れてしまった。
稲見「うるせぇ加古川!!テメェは黙ってろ!!錦山、お前も何バテてんだ?早くやる事やらねぇと、この桐生って男の手紙燃やしちまうぞ?」
その言葉は、錦山の意識を醒ますには充分だった。
錦山「…ハァ、ハァ…どうか、見せてください…。」
稲見「…フザケやがって…!人殺しが一丁前に懇願してんじゃねぇぞ!!」
警棒で叩かれた錦山は、懇願を諦めて最後の力を振り絞りながら腹筋をし始めた。しかし、どれだけ力んでも上体を起こすことはできなかった。
加古川「錦山さん…。アンタ…どうしてそこまで…。」
狂気とも言える錦山の執念に、稲見自身も困惑を隠せなかった。正直、稲見自身も錦山の今の状態じゃ腕立ても腹筋もできない事は承知の上だった。
適当に脅して痛め付けて、泣きでもすれば罵って渡すつもりだった。
稲見「オメェ、どうしてそこまでして見てぇんだ…?」
錦山「その人、は…ハァ、ハァ…俺の、大切な人、なんです……。どうしても、俺にはソレを見なくちゃ、ハァ、ハァ…いけないんだ…。」
この正体不明の錦山の執念に、稲見は気持ち悪さを感じた。そして、自分が罪悪感を感じてしまった事に酷く驚き、自分に腹を立てた。
稲見「なんなんだ、コイツはよぉ…。チッ…!止めだ止め!!俺が悪人みてぇじゃねぇか…。おら、そんなに欲しけりゃくれてやるよ。だが、読み終わったら来い。話がある。そこら辺にいる看守に言えよ。」
稲見はバツが悪くなったのか、錦山の執念に折れたのか手紙を無造作に置いてその場を去って行った。
加古川「おい錦山さん!大丈夫か!?(あの稲見が、折れやがった…。俺の目に狂いは無かったが、まさかここまでとはなぁ…。スゲェぜこの人…。)」
錦山「ハァ…ハァ…。はい…。手紙…桐生からの…手紙…。」
力の入らない手で何とか封を開け、見た内容は
優子の手術は無事に終わり、安定した状態ではあるという事。まだ完全に安心できる状態ではないが術後も落ち着いている。
他も無事だ。何かあればまた連絡する。
と言う上記の内容だった。
由美の事は、「他の事」として伏せられているのだろう。優子の手術も無事に終わり、由美も無事だと言う事に錦山は安堵した。
だが、優子の方はまだ完全に安心できる状況ではなさそうだった。
錦山は急ぎで返事をしようと思ったが、稲見に呼び出されている事を思い出した。
近くの看守を呼び出し、手錠を掛けられて稲見の居る事務所へ向かった。
フラフラになりながら着くと、既に稲見は席に座っており、いつも通りの仏頂面で錦山を睨んでいた。
錦山「話って、何ですか…?」
稲見「さっきの手紙の件だ。お前の手紙を検閲したのは俺だ。
テメェ…何で病弱の妹がいながら人殺しなんてしたんだ…?さっきのお前を見たら気になっちまってな。あんな執念出せる程の存在を持ちながら、どうして殺しに手ぇ染めた?しかも、銃声響かせて分かりやすく。」
錦山「それは…。言えません…。」
錦山は戸惑う気持ちを押さえ、由美に関する情報を流さない為にも真実を語る事はしなかった。
稲見はその態度に腹を立て、錦山の胸倉を掴み上げ怒号した。
稲見「オメェらはいつもそうだ!!テメェの勝手でロクでもない事ばかりしやがる!関係ない人間を平気で巻きこんで、周囲の事を一切考えないゴミばかりだ!!俺はな、そんなゴミを見るとハラワタが煮えくり返ってしょうがねぇんだ!ここはなぁ、テメェらが罪を償い更生する場所じゃねぇ…!罪の分だけ報いを受け、虐げられるゴミ箱なんだよ!お前はそのゴミの中の1つに過ぎねぇんだ!」
警棒を強く握りしめ、血が出そうなほどにギチギチと音を立てながら稲見は錦山を睨み続けていた。
稲見「なのにだ…。お前はどうして、そんな真っ直ぐな目ぇしてられんだ…?ここまで虐げられて、ゴミ同然の扱いをされてるお前が、どうして人のままの目でいられんだ?」
錦山は力無い中で、真っすぐに稲見を見つめた。
錦山「この罪には、どんな報いでも受けます…。だけど俺は、今はまだ死ぬ訳には行きません…。生きている内は、迷惑を掛けた妹と親友と、殺害してしまった堂島様とその身内に償います。今の俺にできる事は、それだけです…。」
稲見「……そうかい……。オメェのその化けの皮は、絶対に剥いでやるからな…。覚悟しとけよ…。」
錦山は、緊張が解けてしまったのかその場に倒れ込んでしまった。すぐさま医務室へ運ばれ、栄養失調になっていた為、点滴を打った後に自身の収監部屋へと戻された。
加古川「錦山さん!!大丈夫か!?」
錦山「あぁ…大丈夫…。何とかだがなぁ…ハハッ。」
加古川「ホント…死んじまうかと思ったんだぞ!」
錦山「すみません。心配掛けちゃって…。死ぬ訳には行かないけど、この手紙だけは死んでも見なきゃいけなかったんだ…。」
加古川「ホント…何処から出てるんだよ、その精力はよぉ…。」
錦山「ハハッ。加古川さんこそだよ…。ここに数カ月いて分かった。ここは地獄だ。犯罪者がヌクヌクと更生する場所じゃない。ここに来てから、何人も発狂して閉鎖病棟送りにされてる。そんな環境で、平気で俺を助けようとするその精力こそ、どこから湧いてるんだ?」
加古川「言っただろ?アンタが良い目してるからだって…?」
錦山「…どうだかな…。加古川さん、アンタきっと人殺したって言ってるけど、何か抱えてるんじゃないか…?一緒に居て、やっぱりアンタは人を殺せるような人間じゃないと思った。何か、秘密にしてるんじゃないのか…?」
加古川「へっ…?何抜かしてんだよ。俺は只の人殺しの畜生だよ…。そんだけ元気そうなら、早ぇとこ相手に手紙書いてやりな。
あの稲見が折れる事なんて絶対に無かったんだ。書けるだけの事は書いとけよ。」
錦山「そうさせてもらうよ…。心配させちまって、悪かったな。加古川。」
加古川「お、おうよ…!ほらほら、さっさと書きな書きな!……錦山!」
錦山は、桐生に手術費を自身の貯蓄から払って欲しい事と全てを任せてしまった事への詫びを綴った。
手紙を出す際、稲見は何も要求してこなかった。
それ以降も稲見は、錦山の本性を暴き出そうと様々な手段を取った。しかし、錦山は一切の反抗をしなかった。例え警棒で叩かれても、食事を抜きにされても、理不尽に虐げられても、錦山は稲見に牙を向ける事は無かった。
稲見は、本性を出さない錦山に苛立ちを隠せなかった。
それが5年程続いた。
錦山に執着しているせいか、他の囚人へのイジメが疎かになっている為、加古川は少し元気を取り戻していた。対照的に錦山はどんどん疲弊していき、本性を表すどころではない程の状態だった。
酷くやせ細り、声を出す体力すら残っていない程弱っていた。
加古川は、錦山がいつ死んでもおかしくないと思いコマメに錦山に声を掛け続けていた。
錦山も声を出す力が無いため、力無く手を挙げる事しかできなかった。
何故、そこまでの状態にも関わらず錦山は壊れなかったのか。
それは、桐生と麗奈からの手紙だった。
あれから稲見は錦山に手紙の交換だけは許可していた。一度許したとは言え、理不尽にそれを奪える立場なのに律儀な男だ。
桐生からは優子と由美の報告、麗奈からは些細な日常が書かれていた。優子は元気を取り戻し、由美も伏せられていて具体的な状態は分からないが、良い方向に進んでいると言う事だけは分かっている。
麗奈からは、お客の話や、食べたものや出かけた場所の話だった。なんてこと無い日常の話が、錦山にとっての良い薬になっていた。自分も一緒にやっていると思うと、その時だけは自分が外にいると感じられたからだ。
この2人の手紙が、錦山の今の生きる理由だった。
きっと、釈放されても自分がこのまま自由に生きられるなんて思っていない。何なら、娑婆に出る事が自分の寿命を縮める事は分かりきってる。それでも錦山はこの手紙の為に生き続けようと思っていた。
そんな生きる理由が、生きる意味を奪う理由に変わる日が来るとは錦山も思ってはいなかった。
ある日の事だった。
稲見「錦山、手紙だ。いつもの男だ。」
稲見はいつも通りにポストに手紙を雑に入れた。
いつもと違うのは、そのまま立ち去らない事だった。
錦山「どう……したん……です……?」
起き上がる力も無く、横たわりながら錦山は稲見に聞いた。
稲見「良いから、さっさと見ろ。話はそれからだ。」
よく分からないな状況だが、錦山は気にせず桐生からの手紙を読んだ。
その内容は、錦山に大きな衝撃を与えた。
優子の死だ。
今まで優子の状態は良いとだけ書かれていた。しかし、手紙には優子の容態が悪化し緊急の手術をしたが、優子の身体が耐え切れずそのままと言う内容だった。
これまで、なんとか希望を持ち、歯を食いしばり理不尽に耐えてきた錦山にとって、優子の死は心をへし折るには十分過ぎた。。
錦山「は……?なん…だよ、これ……。どう、して……。あ…あぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
この現実を受け入れられず、錦山はカスレた声で叫ぶ事しかできなかった。暴れる力も無く、横たわりながら情け無く声にならない声で叫ぶ事しかできなかった。
加古川「に、錦山…?おい!錦山!!どうした!?何があったんだ!!」
稲見「うるせぇ加古川!!黙ってろ…。」
加古川は、稲見の声がほんの少し悲しみを含めていた事に驚いた。いつも冷酷で慈悲の欠片も無い殺意と悪意に満ちた声が、ほんのり優しく感じた。
稲見「おい、錦山。」
稲見が声を掛けるも、錦山は返事をしなかった。と言うよりも、さっきまで聞こえていた錦山の叫びすら聞こえなかった。
錦山は気を失っていた。身体を動かせない程疲弊している人間があんなものを見てしまえば、そうなるのは当然だった。
稲見「……。おい!コイツを医務室へ連れてけ!!」
近くの看守を呼び、錦山は医務室へと搬送された。
錦山が目を覚ます頃には、既に8時間経過していた。
日常的に眠れていなかったせいだろう。
濃いめの栄養剤を点滴しているおかげか、体調が幾らかマシになった気がした。
稲見「おぅ、目ぇ覚めたか。」
すぐ隣から聞き覚えのある声がした。
錦山「稲見……か…?何で、俺…ここに…?……!!!」
朧げな意識が少しずつ冴えていき、徐々に思い出してきた。
錦山「そうだ……。優子…優子が……うっ…何で……何でなんだよ……。ヒグッ…アイツは……何も悪くねぇんだ……。俺が……俺が代わりになれりゃ……。クソッ…クソッ!!」
稲見「…………。」
錦山「クソッ……。桐生、すまねぇ…。俺がしでかしたばっかりに……お前にこんなもん抱えさせちまって…。本当に……すまねぇ…。」
稲見は、錦山の本性をやっと見れたと思った。しかし、それは自身が想定していたものとは全く違った。普通であれば、稲見は人殺しの分際で身内が死んだ途端に悲しむ事に激怒するはずだった。人殺しの犯罪者に死の優劣を付ける事は、稲見にとっての逆鱗でしかなった。だが、錦山に対してはその気が起きなかった。
稲見「錦山、俺はお前が何かを隠している事には勘付いてた。だが、それが何かまでは掴めてなかった。つっても、それが知れたとて殺しを容認する事は絶対にねぇがな。
そして、今ようやっと確信した。お前、何か守ってるんだろ…?」
錦山「………。何回も言ってる…。違う…。」
稲見「お前は人の死を楽しめない側だ。人の死を楽しめない様な奴が殺しをやる理由なんざ、それぐらいしかねぇ。ここは人の死を楽しむキチガイ共の集まりだ。だから分かるんだよ。お前みたいなハズレ値(人間)はな。」
錦山「いいから……放っといてくれ……。頼む……。」
稲見「そうも行かねぇ。お前がクズとは言え人間である以上、俺も態度を変えなくちゃならねぇ。殺しの罪の分、報いは受けてもらう。だが、お前が人間寄りなら俺も手加減を覚えなくちゃいけねぇんだ。」
そう言うと、稲見は医務室にある冷蔵庫からサンドイッチを取り出し、錦山に与えた。
錦山「何の…つもりだ…?」
稲見は別のサンドイッチを無造作に食べながら話した。
稲見「俺なりのケジメだ。俺はな、人間様には寛大なんだ。」
錦山「は……?なんだよ、それ。ヤクザもんの人殺しの時点で、充分アウトだろ…。」
稲見「確かにな。まぁ、あくまで報いは受けてもらう。これからも警棒でぶっ叩くし、難癖だって色々付けるさ。所詮は殺しのクズだからな。そこに、ほんの少しの手心が加わるだけだよ。」
錦山「……好きなだけやってくれ……。もう、俺には生きる理由が無くなっちまったんだ…。親友に背負わなくていいもん背負わせて…。クソッ…上手く行くと思ってた…。そう思ってねぇと、保たなかった…。クソッ…、クソッ…。」
稲見「取り敢えず、これから最低でも1週間はお前が下手な真似しないように監視を付ける。」
そう言い、無線で所長と連絡し、許諾を得たのかそのまま錦山を檻に戻した。
そして、先の通り檻の中には既に先客がいた。
加古川「よぉ、錦山。」
錦山「加古川…?どうして。」
加古川「なんかよぉ、急に相部屋になったって首根っこ掴まれてなぁ!綺麗な姉ちゃんと相部屋なら良いんだけどよぉ!」
加古川的に冗談で空気を和ませようとしたが、錦山の表情は相変わらず暗かった。
加古川「……なぁ錦山、多分今お前が抱えてるモンは俺から話させるような内容じゃねぇはずなんだ。だから、何も聞かねぇ。話したくなったら聞かせてくれ。俺も肴を用意しとくからよ。」
この言葉通り、加古川は錦山が話すのを待ち続けた。稲見からは錦山の状態の報告をさせられ、次いでに難癖を付けられていた。
錦山の周辺に自殺の道具になりそうな物は片っ端から排除した。
その甲斐あってか、錦山は自殺未遂すら起こさなかった。しかし、食事をしない、いつも上の空で反応も鈍い。精神的にかなり参っている事が目に見えて分かった。
眠れていないのか、目の隈が酷い。何なら夜中は何かにひたすらうなされていた。必死に謝り、叫び声と共に起き上がっていた。泣きながら謝り続けていた姿に、加古川は胸が締め付けられた。
加古川(錦山…。)
加古川は、どんどん枯れていく錦山が痛々しく思えて仕方が無かった。
稲見も、理不尽に何かを強要をする事も少なくなった。今の状態で充分報いを受けているからだ。これ以上やれば、本当に死ぬと感じていたからだ。
3ヶ月、4ヶ月と経ち、錦山にほんの少しの変化が起きた。
今まで何も話さなかった錦山が、ついに加古川に喋りかけた。
錦山「なぁ…加古川。」
加古川「んなぁっ!?」
唐突にか細く呼ばれた事に驚き、変な声が出てしまった。
加古川「お…どうした?錦山。」
少し冷静になるまで間があったが、加古川はいつも通りのテンションで居続けようとした。
錦山「……すまねぇな。色々迷惑掛けちまって…。うるさくて寝れなかっただろ…。」
加古川「まぁな、見てみろ!お前のせいで隈できちまったわ!」
この反応に錦山は安心した。
変に気取らず、加古川が接してくれている事に。心に空いた穴に気持ちのいい風が吹いた気がした。そのせいか、少し表情が緩んだ。
錦山「ハハッ。ホント、アンタが隣人で良かったと思ってるよ……。」
加古川「よせよせ…!照れんだろ。」
錦山は、加古川にこんな事を聞いた。
錦山「……なぁ、もしアンタの大切な人が死んじまったら…、どうする…?」
加古川「……そうだなぁ…。まぁ、暫くは何も出来なくなるだろうな。今のアンタみたいにな。」
錦山は、続けて加古川に聞いた。
錦山「その苦悩を、親友に背負わせちまったら、アンタはどうする……?」
加古川「……んぅ、一生モノの傷として罪の意識と後悔に苛まれながら生きるだろうな…。酒浸りにでもなるんじゃねぇかな。
例え本人が許してくれても、呪いとして残り続けるだろうさなぁ。」
錦山「…………。そうだよな…。分かってた…。でも、どうすれば良いのか分からねぇんだ…。俺は、どうすれば…。」
加古川「耐えるしかねぇよ…。か弱っちぃ心を肥やすのはそんな感情ばっかりだ。しっかり前向いて生きるしかねぇんだ。」
錦山「弱い、か…。そうだな、俺にもっと力があればこんな事にならずに済んだのかもな…。俺に、力が…。」
加古川「ハハッ、スーパーヒーローじゃねぇんだ。1個人ができる事にも限度はあるさ。俺だってそうだよ、できる事は少なかったさ…。」
錦山「少なかったって、もしかしてアンタも過去に何かあったのか…?」
加古川「あ、いゃぁ、えっと、そのぉ。昔の話だ!俺も色々経験してきてんだぜ☆。」
錦山「ハハッ、何だよそれ。」
加古川のお陰で、二人の空間にあったギスギスは無くなりつつあった。
錦山自身、今まで迷っていた。どう受け止めれば良いだろうかと。妹の死と、その重荷を背負わせてしまった桐生への償い。妹の死は時間が解決してくれるが、桐生に対する償いだけは違う。
加古川の言う通り、その傷を一生背負っていくしかないのだろうと。
そう思うと、何かが吹っ切れた気がした。どうしなきゃいけないことが分かった今、錦山がする事は一つだった。
錦山「加古川…。俺、親友に手紙書くよ。迷惑掛けちまって、すまないって…。」
加古川「それが良いさ。今度会う時も気まずくならずに済むしな。」
錦山「ハハッ。会えればだけどな。」
加古川「会えない理由でもあったか?」
錦山「覚えてねぇか?アンタに魚貰ったあの日、俺は親殺しだって皆の前で自己紹介したろ?そもそも、外に出るのも危ないし、そんな俺が元同業者(しんゆう)に関わってるなんてバレたら、なぁ?」
加古川「あぁ、何かそんな事もあったような、無かったようなぁ…。」
錦山「忘れてんじゃねぇよ、結構殺伐としてただろ?」
加古川「いつもの事だろ?」
錦山「確かにな。」
いつの間にか談笑が始まり場が和みつつあった。
錦山は、この場の勢いで聞くタイミングが無かった自分を何故ここまで気に掛けているのかを思い切って聞いてみた。
錦山「なぁ、加古川。もう1回聞きたいんだけどさ、何で俺に声掛けたんだ?この地獄みたいな空間で、誰かを庇うなんて余裕は無いはずだ。それなのに、良い目してるだけで助けるなんて、ありえないだろ?」
加古川「あぁ、それか。俺も肴用意するって言ったしなぁ…。まぁなんつーか、んぅ……。俺の親友とおんなじニオイがしたって言うのかな…?」
錦山「同じ、ニオイ?」
加古川「あぁ、そうだ。だから放っておけなかった。
」
錦山「似てるってだけで、ここまで手を差し伸べてくれるなんて、アンタの親友は人徳者か何かか?」
加古川「…まぁな!そんなアイツに似てるってんだから、俺はその勘を信じただけだ!まぁ、予想はおおよそ的中ってところだな!」
錦山「やっぱり買いかぶりすぎだって…。」
加古川「そんなこたぁ、ねぇさ!ささ、はえぇとこ親友に手紙書きな!ソイツも、きっと心配してるぜ?」
その後、錦山は桐生へ
自身のせいで迷惑を掛けてしまった事への詫び
を書き連ねた。今の錦山は、自分のした事が正しかったのかは、正直分からずにいた。
自分がやった事は、言葉を選ばず言えば肉親よりも女を選んだだけだ。状況的に由美を捨てる事はできないとは言え、それが原因で妹と桐生を巻きこんで良い理由にはならない。
手紙を書き終え、稲見に手紙を渡した。
稲見「どうやら、お前の中のモンは吐き出せたようだな。また、お前をイジメられると思うと楽しみが増えるよ。」
錦山「手心、よろしくおねがいしますよ?」
稲見「何ぬかしてやがる!ひ…」
錦山「人殺しが拒否権なんかあるか、だろ?」
稲見「…ハハッ、分かってきたじゃねぇか。お前、こんだけ動かなかったら身体なまってるだろ?全トイレの掃除しとけ。」
錦山「手心ってのは、どこやったんですか…?」
稲見「うるせぇ!人間とは言えクズはクズ。ちゃんと報いは受けろ。」
錦山「結局、こうなりますよね…。」
稲見「これでも手心加えてる方だぜ?本当ならグラウンドの整備に、腕立て腹筋エトセトラ…」
錦山「もう結構…!手心、ありがたく頂戴します。」
稲見「分かったらさっさとやれ!」
稲見の態度は相変わらずだったが、そこには確かな変化があった。
冷たく、人としての扱いを一切しない悪魔のような存在の稲見が、今は只の凄く厳しい看守のようにしか見えなかった。
稲見にとって、そいつが人であるかどうかが非常に重要なのだろうと錦山は考えた。
だが、実のところ錦山の刑務所生活は特段快適になる事は無かった。
手心とは言え、超絶理不尽なものが理不尽になっただけなので難癖も理不尽な要求も変わらずだった。
死にそうでなく、眠ればなんとか取れる程の疲れになっただけだ。
更には、加古川と同行している所も多いプラス、楽になった分、今度は自主的に加古川の理不尽な要求の折半をしていた。なので、トータルで見ても大した違いは起きなかった。
それに対して、加古川が罪悪感を感じない訳がなかった。ある日のグラウンドで加古川はその気持ちを錦山に吐露した。
加古川「なぁ、錦山。アンタ、もう俺と関わらねぇ方が良いぜ…。」
錦山「ハハッ、立場変わっちまったな。加古川よ。」
加古川「言うなって。でも、これはマジだぜ?錦山、ここ最近俺の罰の肩代わりしてくれっけどさ、こんな貧乏神に手ぇ貸した所で何のメリットもないんだぜ?しかも、一度ムショから出たら他人同士だ。折角ほんの少し楽になったってのに、何で俺を庇うんだ?」
錦山「……ちょっと昔話になっちまうが、良いか?」
加古川「あぁ、聞いたのは俺だ。聞かせてくれ。」
錦山「俺には、もう親同然なんて言えなくなっちまったが慕ってる人が居てな。その人に骨身に染みるまで教わった事があるんだ。
所詮、俺たちはヤクザ者。人の道から外れたクズ。だけど、本当に外れちゃならないものがあるってな。」
加古川「ほぅ。それってのは?」
錦山「ベタだが、義理人情だよ。人の道から外れちまってるからこそ、そいつに何をされたかってのをちゃんと見とけって。された事に見合う事をしてこそだってな。
アンタが俺にしてくれた事を、俺なりに見合うようにし返してるだけだよ。」
加古川「いや、あー、なんつーか良い話で合ってるんだよな??な?めちゃくちゃ良いように言ってるが、それ裏を返せば、殴られたら殴り返すって事と同じじゃねぇのか?」
錦山「バレちまったか?」
加古川「俺、結構ギリギリな世界で生きてたんだな…。肝が冷えちまうぜ。」
錦山「ハハッ。それはお互い様だろ。」
正直に言ってしまえば、錦山は加古川に対して本人が思っている以上に感謝している。
命を救ってくれた訳でも、自身の人生を一気に好転してくれた訳でもない。何なら酷くなる一方だった。
「話しかけてくれた。」それだけで十分と言える程、錦山は救われていた。
2人は時間が来るまで稲見に見つからないよう、あまり楽しい雰囲気を出さずに談笑した。
錦山が刑務所に入り、既に8年が経過した。
刑務所の暮らしは変わらず、錦山は桐生と由美からの手紙、稲見からの手心の入った理不尽、加古川との会話が日課になっていた。
由美の手紙は相変わらず続いているが、桐生からの手紙の頻度が激減した。
優子が死んで以降、桐生側もどうすれば良いのか分からないのだろう。
錦山が手紙を出すまでは一切手紙を出していなかった。その後も手紙こそ来るが、内容は中身が無いような手紙ばかりだった。
そんな中でも由美だけは手紙を書き続きけていた。優子が死んだ時は流石に自重していたが、錦山に元気になってもらいたいと言う気持ちが痛いほど伝わる手紙だった。まるで、桐生の分まで励まそうとしてる程だった。
手紙を稲見から貰ったある日。
稲見「おい、錦山。いつもの手紙だ。」
錦山「ありがとうございます。」
稲見「おう。」
錦山「………。」
稲見「…………。」
錦山「あの、何か……?」
稲見「……読み終わったら来い。話がある。」
錦山|(前にも、こんな事あったよな。また殴られなきゃ良いけど…。)
錦山「はい、分かりました。」
由美と桐生からの手紙を確認し、錦山は近くの看守に伝えてまた稲見が待っている事務所へと向かった。
錦山「失礼します。」
稲見「おう、お前最近元気になってきたな。また絞ってやろうか?」
錦山「開幕早々ですね…。大して変わってないですよ。まぁ、俺がそうしてるだけなんですけどね。」
稲見「犯罪者だからな。いくら人寄りとは言え罰は罰だ。甘んじて受け入れろ。」
錦山は、また説教が始まるのかと思っていたが、そうではなかった。
稲見「錦山、お前ムショ出た後どうすんだ?どっか行き先決めてんのか?」
錦山「……はい、決めてます。」
稲見「ほう、そうか。なら良いんだ。」
錦山「どうしたんですか?」
稲見「もし、何も見つかっていなかったら前科者を受け入れてる企業を斡旋しようと思ってな。」
錦山「それも、手心ってやつですか?」
稲見「そうだ。俺は人には寛大だからな。」
錦山「ありがとうございます。」
稲見「ケッ。クズに感謝されても嬉しかねぇよ。人寄りなだけだからな。」
錦山「それだったら、きっと身の綺麗なカタギにはとんでもなく優しいんでしょうね。こんなヤロウでも人らしい所があれば手心を加えてくれるんだ。善人だったら無償で何でもやってくれそうですね。」
稲見「んなわけねぇだろ!調子こいてんじゃねぇ!」
錦山「ハハッ、すみませんって。」
稲見「……錦山、お前も後2年でここから釈放だ。お前は何の為かは知らねぇが、一切の問題を起こさなかった。加古川もそうだ。アイツも一切の問題を起こしてねぇ。」
錦山「加古川も、十分人寄りだと思うんですがね。俺との扱いの違いはなんなんですか?」
稲見「アイツにも手心は加えてるぜ?」
錦山「え!?嘘でしょ!?」
稲見「本当だ。ただ、アイツのした事がした事だ。本当だったらあんなんじゃ済まねぇよ。」
錦山「何したん…ですか…?加古川は…?」
稲見「それは奴に聞け。俺から話す事は何もねぇよ。ほら、話は終わりだ。さっさと戻れ。」
歯切れが悪いが、錦山はそのまま自分の部屋に戻った。
加古川に聞きたいが、自分が向こうが話してくれるまで待つと言った手前、聞く事はできなかった。
それからも加古川と錦山はよく話すが、加古川が錦山に自身の殺しの経緯を話す事は無かった。
錦山が刑務所に入り9年と9カ月が経った。
元々3ヶ月早く入っていた加古川は、釈放される事になった。2人はグラウンドで最後の会話をしていた。
加古川「俺も、とうとう釈放か…。正直、二度とここには来たくねぇな…。」
錦山「それは、俺も同感だ。こんなナリになっちまうんだからな。」
2人は自分の痩せこけ、生気のない身体を見ながら辟易していた。身体は何処もかしこも殴られたらアザだらけだ。
加古川「だがよ、ここの刑務所に来て良かった事もあるんだぜ?」
錦山「何だよ?」
加古川「錦山、アンタに会えた事だ。正直、アンタが居なかったらとっくの前にぶっ壊れてた。苦楽を共にする仲間ってのは、こう言う時こそ必要なんだなって、俺は思ったよ。」
錦山「……そうだな…。俺も、そんな気がするよ。」
加古川「へへ…。また娑婆で会えたら良いな、俺ら。」
錦山「そうだな…。会えたら、な…。」
加古川「会えるさ!そん時にゃ、ここで話せなかった事話すぜ!」
錦山「もし会えたら、俺も話すよ…。何で人殺しちまったのとかさ…。」
加古川「そんときゃ、俺も話すよ。アンタとはまた会える気がしてならねぇからな。」
2人の話は続いた。アザを見ながら稲見に痛めつけられた話や、こんな理不尽があった。あんな難癖があったと話題の大半は稲見絡みだった。
そして数日後、加古川は釈放された。
残った錦山は、少し寂しげにしていた。
しかし、稲見がいる内は寂しいなんて思える時間は少ない。いつも通り、理不尽な難癖や暴力は当たり前に続いた。手心はあれど厳しい事に変わりは無かった。
そして、釈放まで残り1ヶ月になった時に錦山は、稲見にある頼みをしに行った。稲見は錦山を事務所へと連れて行った。
稲見「なんだ?お前が俺に話があるなんて珍しい事もあるもんだな…?」
錦山「頼みってのは、俺の刑期を1日短くして欲しいって事だ。」
稲見「………、それをしてお前に何の得があるってんだ?」
錦山「償いをしに行きます…。当日に出ちまえば、俺の親友が迎えに来ちまうかもしれねぇ。今、俺はソイツと会うわけにはいかないんです。だから、俺には当日にムショを出る訳には行かないんです…。」
稲見「……償いって、何しに行く?」
錦山「……堂島組事務所に行って、ケジメ付けてきます…。」
稲見「……お前が、そこで何かしでかさねぇ保証がどこにある…?」
錦山「この通り、組から絶縁された丸腰のクズです。何も用意できません。それに、こんな貧弱な身体じゃ何もできないです。
それに、俺が受けるべき報いは、まだ終わっちゃいないんです。だから、俺に償わせてください。おねがいします。」
稲見は少し考えた後、最後の日は2倍の理不尽な要望を条件に釈放を1日早める事を許可した。
錦山もそれに同意した。
釈放当日、錦山は倍の理不尽を受けた形跡が顔にあり、酷く腫れていた。
稲見「おう!昨日はちゃんと寝れたか?」
錦山「散々やっておいて、よく言いますよ。こっちは久し振りに死にそうだったんですから。」
稲見「最後ぐらい、俺にもサービスさせてくれよ。」
錦山「いらないですって!そんなサービス!」
稲見「まぁ、お前とは10年の付き合いだ。正直、お前が居なくなって寂しい気持ちだってあるんだぜ?どうする?俺の采配で刑期延ばすか?」
錦山「言ったでしょ?やる事あるんだって。」
稲見「……なぁ。お前死にに行くのか?」
錦山「もう、俺には生きる理由が無い…。妹も死んじまった…。親友にも迷惑掛けちまって、もう俺には帰る場所がねぇ…。だから…人殺しに相応しい末路を辿る事にした。」
稲見「そうか…。まぁ、お前が決めたなら好きにしろ。だがな、絶対に人を巻き込むなよ?最後の最後にヤケになるな。それだけは忘れるなよ。」
錦山「分かってます…。それじゃあ、10年間お世話になりました。」
稲見「あぁ、二度と戻ってくるんじゃねぇぞ。戻ってきた時には、今までのじゃ比べもんにならねぇからな。」
錦山「二度とこんなとこ来たくありませんよ。それじゃあ。」
そう言い、錦山は刑務所を後にした。
錦山「…さて、行くか…。」
自身の過去を振り返ってみた。
親も分からず、桐生と共に憧れ続けた男の背中を追い続けた。だが、自分には何もかもが足りなかった。
桐生一馬のように、格も看板も無い。口だけが上手いヘタレだった。
そんな自分にも、惚れた女をこの身を呈して助けた。それを誇りにしたかったが、その代償はあまりにも大き過ぎた。全てだ。錦山はその誇りの代償に全てを失った。
そんな錦山が取る行動は、最早1つしか無かった。
錦山「…………。」
錦山の目の前にある堂島組事務所に、人の気配は無かった。この10年、外界のヤクザ事情は制限が掛かっており何も知らなかった。
だが、錦山は扉を開けた。そこに何かがあると、何となく感じたからだ。10年ぶりの場所に懐かしさなど無かった。今でも鮮明に思い出すあの光景。
そして、錦山とは別の足音が奥から鳴った。
ついに、その男は錦山の前に現れた。
「お待ちしておりました。錦山さん。さぁ、行きましょう…。」