夢を見た――遠い昔の夢。私、この......て花が好き。
あの時、あの子なんて言ったんだっけ。
あの雨の日――誰かがずーと手を握ってくれてた気がする。けど、思い出せない。
いつも見るこの夢、起きたら全てを忘れてしまう。ダメ⋯⋯待って貴方は誰?私は霞のように消えゆく人に手を伸ばす。
突然耳元の轟音。セットしていた目覚ましが鳴る。目を開けると無意識に手が天井に伸びていた。
起き上がると流れるように汗が頬を落ち、服が体に張り付く。
桜が散りゆくこの季節、毎年朝起きるとよく分からない気分になる。
お風呂に入りご飯を食べ終えたその時、チャイムが鳴る。
それを聞いたと同時に急いで支度する。制服に身を通して、膝下までの白の靴下を履く。バッグを持ち、扉を開けた。
「おっはよーーーーう! 紅葉《もみじ》〜」
いの一番にいつもの顔が目に入る。元気のいい声で私の名前を呼んだ。
「犬かな」
私はボソっと呟く。毎日この時間に迎えに来る彼女。嫌な顔ひとつせず。私はあるはずのない犬のしっぽが目に浮かんだ。
「んー? 何か言った?」
「いや何も」
そう言い私は青葉《あおは》と一緒に歩み出す。
「ふっふっふ」
ニヤリと言う表現が似合う顔で私を覗く。
目が細まり、頬は上がった。白い歯が露出する。
「⋯⋯何?」
私はそんな彼女を横目に、一言だけ返す。
「いや〜? 今日も素敵な眼鏡と二つの富士山に見とれてたのでありますよー」
そう言うと両腕で私の胸を揉んできた。
「はぁ⋯⋯」
また始まったセクハラ。清楚な顔に似合わない行動。思わず息を漏らす。
「はぁ〜今日も紅葉《もみじ》の胸は育ってますなぁ。ずーと揉んでられるよぉ」
私が本気で嫌がらないからだろうか。いつからか始まったこいつのセクハラに最近は頭を抱える。黒髪で童顔。いかにも変な事をしなさそうな見た目。学校でも皆から引っ張りだこ。そんな人気者な青葉の裏の顔を知っているのは私だけなのだろうか。
「いい加減離せ」
私は力いっぱい青葉《あおは》のおでこにデコピンをしてやった。
「痛〜い! もう何するの!」
おでこを抑えながら、何やら文句を言ってたようだ。ただ、私は彼女の言葉を無視して歩き続ける。このぐらいの雑な扱いでいいのだ。
「んーー⋯⋯暖かくなってきたねぇ〜」
青葉は両腕を頭の上まで伸ばし上機嫌に話しかけてきた。
「そうね」
そんな彼女に対し私はその一言。冷たく返す。
「何暗い顔してるの! 」
青葉が正面から抱きついてくる。
「んふ、いい匂い⋯⋯」
私の腰に手を回す。胸部に感じる吐息と大きな呼吸音。動きづらい。ただ、私はそれを無視して話し出す。
「貴方なら知ってるでしょ。私はこの季節が⋯⋯」
それを言う前に青葉が言った。
「嫌いなんでしょ? 分かってるよ〜紅葉の事は私が一番知ってるからね!」
自信満々。ドヤ顔とも言うべきか。長年の付き合いから、なんでも私のことを分かってると言いたげな表情。
「ふふっ⋯⋯なんて顔してるの?」
あまりにもなその顔に私は思わず口元を隠して笑ってしまった。
「ん〜今日はいい日だな! なんてったって〜?紅葉のいい笑顔が見れたから〜」
そう言うとルンルンでスキップし始めた。
「フンフーン」
鼻歌まで追加され、明らかに上機嫌なのが伝わってくる。その様子を見て私は足を止めた。
「私もあなたのことで分かってることがある」
「ん〜? なにぃ?」
何も考えていないだろう。空っぽな返事。
【貴方はこの季節が好きってこと】
そう言うと私の少し前にいる彼女は足を止め、こちらを振り返る。
「よく分かってるじゃん!」
小走りで。私の元へ走り、抱きついてきた。そして彼女は私の胸に頭をうずめて言った、「さすが私の彼女」と。
「彼女⋯⋯じゃないわ!」
そう言って彼女を振りほどき、私は歩き出した。
「紅葉最低〜! ブーブー」
青葉は遠くで何か言ってるが気にしない私は後ろを振り返らず歩いた。
馬鹿みたいな日常だけど私はこの日々が【好き】だった――
学校に通ってたこの道も、私の隣にいて話しかけてくれた声も聞けない。今は――
【私一人】
毎日ベタベタしつこいぐらい触られてた感触も温もりも⋯⋯もう
【ない】
***
雨が降り始めた梅雨の時期。時計は八時を回った。
「青葉⋯⋯まだなの?」
今から走っても遅刻する時間帯。家の前で傘をさしながら、何度も道を見返す。今まで一度も無かったのに⋯⋯
仕方ない。どうせ遅刻だ。青葉の事が気になった私は家へ向かった。
「あれ? 青葉の部屋のカーテン閉まってる⋯⋯」
家の正面から二階。いつもは白色がガラス越しに見える。ただ今は黒色。まさか寝坊?そんな疑問が頭に浮かぶ。
家のチャイムを鳴らした。出てきたのは青葉のお母さん。入学式以来だ。
「すみません青葉⋯⋯」
顔を見合わせる。すると途端に涙を零した。私は理解できなかった。突然のことに混乱と何か嫌な⋯⋯胸騒ぎがした。
青葉のお母さんをなだめて話を聞こうとした。すると一言、着いてきて。ただそれだけ。急なことに驚いたが私はそれに従い家の中へ入った。案内されたのは青葉の部屋。
「青葉に会って行って。お願い」
それだけ言って扉を開けた。私は言われるがまま部屋に入る。
一番に先に目に入ったのはベット。そして横たわってる人影。恐る恐る近づく。締め切られた部屋。日が入るとはいえ少し暗い。
「青葉どうし――」
顔を覗き込んだ。体調でも悪いのか?もしかしてズル休み?現実的にありそうなことを思い浮かべる。そうであって欲しかったから。
「なにこれ⋯⋯?」
思わず口に出た。今見える景色に理解が追いつかない。
なんで⋯⋯顔に白い布がかかってるの?
脳が考えるのを拒否する。今、目の前に見えてのは現実⋯⋯?到底信じられない。昨日まで一緒に居たのに。なんで急に⋯⋯
唸り声のような。振り返ると顔を両手で覆い咽び泣く青葉のお母さん。その姿に寒気がはしった。
私はすぐさまその布を捲《まく》った。青葉。いつもの青葉。何も変わらない彼女の顔。ただ⋯⋯ピクリとも動かない。
「ねぇ? 何してるの? 起きてよ。ねぇ? 起き⋯⋯て⋯⋯」
いくら声をかけても何も言わない。こんな状況なのに目を開けない。冷たい体を揺さぶっても何も起きない。
青葉の顔が水滴だらけになった時、泣いていたお母さんが言った。
「青葉は――」
私は信じない。そんなの嘘。今はまだ寝てるだけ。起きるまで何度でも叫ぶ。うるさいと口を開くまで。文句なら後で聞く。だから早くそんな寝てないで...
「目覚めてよ......」