進撃の巨人2 名も無き英雄、最後の兵士の歩み   作:なげすて

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進撃の巨人2の『彼』は迎えたはずの末路からはじき出され、異なる場所に流れ着いた。
エレン、ミカサ、アルミン……大勢いたはずの仲間が一人もいない孤独の世界で、『彼』は一つ望みを抱えた。
かつて見た景色を、夢と断じるにはあまりに残酷で美しかったゆえに、実在を証明しようと歩き出す物語。


前編 世界から取り残された、唯一人の調査兵より

─1─

 

「おーい、もう朝だぞ、起きろ」

 

父に左肩を揺すられ、私は目を覚ました。視界はぼやけ、やや焦点が定まらない。

そう。私は起こされた。眠っていたという自覚は曖昧だが、それが事実だと無理に理解させた。

これは。

この感覚を、私は覚えている。

懐かしいシガンシナ区での、あの記憶。とても温かくて、優しい記憶。こんな記憶を、今になって思い出せる理由は一つだけだ。

きっとこれは、死出の旅の刹那に見せる、幻のようなものだからだろう。

 

 

そうか。私は死んだのだ。あの時、皆を守るために、この命一つで済むのならばと、たった一人で巨人の群れに挑んでいった、あの後のことなのだろう。

(そうか。私は、死んだのか)

無念と無情が体の芯を捉え、再び意識を遠ざからせ──

 

「おい、もう二度寝できる時刻じゃないぞ。早く起きるんだ。」

 

父に再び揺すられる。今度は、肩を捕まれ、一段強い力で。首が前後に激しく揺れ動く。危ないからやめろと物申したくなり、次こそは意識をはっきりとさせる。

そして、起こそうとする父の顔を、久方ぶりに夢の中で再会する父の顔を一目見てやろうとしたところで、私は目を見開かざるを得なかった。

 

「早く支度して来なさい。朝ごはん、もう出来てるから。」

「・・・え?」

 

誰だ、この男は。

その姿は私の知る父のものでは無かった。

もう微睡んでなどいない。意識は覚醒しており、今目の前にいる男が見間違いなどではないことは、はっきりと理解できている。

 

 

ならば、この状況は一体?

いいや、待ってもらう暇など無いだろう。

考えを巡らせるんだ。直前の記憶を頼らなければ。

もし、死んだことが嘘だとしたら?

まずはそれを確かめるべく、訊いてみる。

 

「あの、ここはどこですか?」

「どこって家だろ?どうしたんだ?」

 

もしここが私の知るシガンシナではない何処かなのだとしたらどうだ?

まさかあの後、ライナーに捕まって連れ去られたとかではあるまいか。

 

 

だとすれば、ここは壁の外にあるどこか敵国の敷地内で、巨人を統括するボスみたいな存在の監視の下、私は捕虜として生かされているのかもしれない。訊いてみよう。

 

「私は、捕まったんですか?」

「……ボケてるのか?朝っぱらから漫才に付き合う気は無いからな?家だよ、おうち。我が家のお前の部屋。んで、俺はお前の父さんだ。分かるか?」

 

そう言いながらも、父なる人物は機嫌を損ねておらず、目尻に僅かな皺を浮かべて、私の頭を優しく、わしゃわしゃと撫でる。言葉遣いはややぶっきらぼうだが、その心ばえは本物だと、私の記憶が語る。彼はどうやら、確かに私の父なのだろう。

恐ろしさを感じなかった。

 

「朝ごはんはもう出来てるぞ。下で母さんが待ってるから、すぐ来るんだよ」

 

父であろうその男は、私が立ち上がるのを待っているようだ。

私は、まだ熱を持つ毛布から名残惜しそうに出ようとする。しかし、いつぞやのまどろみとは、少し感触が異なっていた。

 

(冷たい?いや、冷たく感じる材質の毛布だ。)

 

滑らかな材質で出来たその寝具は、多分暑い季節でも身体の熱を的確に保ってくれるような仕組みになっている。

こんな寝具は見たことも聞いたこともない。

 

やはりここは、別の国か何かなのだろうか。

立ち上がろうと床に素足を乗せてみる。

床は確かに木製なのだが、裸足に触れるその感触はまたまたなめらかで、板材の継ぎ目は驚くほどに綺麗だ。

 

「どうした?そんな間抜けな顔をして?」

「……今日は何日?」

「9日だ」

「何月の?」

「9月9日だよ」

「いつの9月9日なんだ?」

「……お前、本当に大丈夫か?熱でもあるんじゃないのか?今日は学校、休むか?」

 

言葉を尽くせば、自分の喋っている言葉が、壁の中で振りまいていたあの言葉とはまったく異なることに気付いた。だが、理解できる。異なる言語としてではなく、脳はこの発声の羅列を、翻訳や過分な思考を挟まずとも、それが生まれもって知っている言語であるのだと信じ込んでいる。

 

 

そのちぐはぐな現状に少し動揺しながらも、異国のものの筈の私の言葉は、一切の懸念無く流暢に次いで出る。

 

「いや、風呂にでも入ったら目も覚めると思う」

「そうか。じゃあなるべく急いで」

 

父はパッと、畳まれた着替えとタオルを投げて寄越す。実に準備が良い。私はカーテンも開けず、着替えを持って階段を掛け降りた。

 

捕まっているとしたら、随分丁寧な作りの牢屋だ。まるで一件屋のようで、この父親と信じてやまない精神異常者と同居させられるとは思わなかったが。

 

「さて、ここの風呂はどんな具合だろうか───」

 

ガラリと樹脂に磨りガラスで作られた扉を開き、浴室に入るとともに、私は大層驚いた。

 

「だ、誰だ!」

 

ただの鏡面の反射に驚くほど、私は幼稚ではない。

その顔は、私の元のそれとはあまりにも異なっていたのだ。年齢は同じくらいだろうが、人種が異なるのだろうか。これが本当に、私の姿なのか?なにかの幻でもなく、本当に、私の顔なのか?元の自分の姿と、全く違う。

 

「どした?例の黒い虫でも出たか?」

 

父を名乗る異常者が、幾重か壁を隔てた先で声を挙げる。

 

「あなた、朝ごはん時にデリカシ―が無いこと言わないでと言ったでしょう?」

 

なんてことだ、自認が母親の罹患者も付いていたとは。

これはしきたりに倣ってさっさと家を出た方がよさそうだ。疑うのはそれより後にしよう。

私は特に顔を入念にこねくり回しながら、液状の石鹸という世にも珍しいものを身体に塗りたくり、ザブリと湯を被って出た。

 

「今日は随分遅かったね」

「そう?」

「いつもはお父さんが起こさなくても、朝ごはんが出来る前にはテーブルに座ってるでしょ」

 

私はトーストを大口で頬張りながら、この奇妙な現場を眺めていた。

そこには、光る大きな板があったのだ。父がもたげる直方体に乗せられた突起を押すことで、その板に映るものものが、次々に移り替わるのだ。だがそれより不思議なのは、その光景を見慣れているかのように、私の内心は至極落ち着いていることだ。さっきまで鏡を見てパニックに陥っていたのに。

 

「おい、手が止まってるぞ」

「いい加減遅刻するんじゃないかしら?」

「まったくだ。急がないとな」

「急がなきゃいけないのは貴方も同じでしょ。いつもは起こさず出てくんだから、早く済ませてちょうだい」

「もう満腹。ごちそうさま。私のバッグはどこに?」

「玄関にある。昨日の段階で全部詰めてあっただろう?」

「ああ。そうだっけ?」

 

私はなんの疑念も持たず、手の平で掴める程度の大きさの光る板を持ち、家を出た。

 

レースカーテンを介さぬ陽光が開いた瞳孔に突き刺さり、思わず顔をしかめた。

かざした手を視認できるくらい視力が回復した頃には、私は見える景色にあんぐりと口を開いていた。

 

そこには、様々な建造物が群れを成し、蛇のように黒い道が別れ、結ばれ、ずうっと先まで延びていた。

 

なんと起伏の多い道なのだろう、という感想も、またすぐに消沈した。私がこの光景をすでに知っているから、その異質さも、潜在的にかき消せてしまうのだろうか。最初は誰かに顔も、声帯も、名前も変えられ、洗脳されることで別人になってしまったと誤認させられている、と考えていたが、

 

恐らく、違うのだろう。

 

姿形も異なる自分の姿に困惑しつつも、私は今いるこの世界の仕組みを断片的にだが、あらかじめ、理解出来ていた。

 

おそらく、この元の体の持ち主の記憶のおかげなのだろう。

いや、確証はないが、ハンジ分隊長と話したなかで、仮説を立てたことがあるのだ。もし巨人化できる人間の、巨人の身体の脳みそを調べることが出来たなら、記憶の保持者は、果たして巨人の脳にも、元となる人と同じ記憶を持つのかどうかを。

 

最終的にその議論は、エレンの頭を開こうとして兵士長に止められることでおじゃんとなったことを覚えている。

明らかにこの身体は、私のモノではない。壁内の人種のいずれにも当てはまらない。……いいや、一人、思い当たる者がいるが。

 

とにかく、だ。この身体が覚えているおかげで、衝撃で心臓が跳ねることはまぬがれたのだ。この身体の本来の習慣である、高等学校とやらに向かってみようではないか。

 

 

私は光る板を取り出し、この体が無意識に動いてくれるのを待つ。地図を出してほしい、と念じながら。すると私の指先はトトトッ、と板の上を滑り、現在地と目的地、それに向かう方向を板の上の光が指し示した。

 

面白半分で、液体のように波打つその面を指でつまんだり、広げたりしてみる。はずみでつまみ過ぎて、思わず現在地を示す箇所が、豆粒ほどに小さくなった。

 

はて、と私は首を傾げた。現在の私か、それとも元の体の持ち主、どちらが判断したか分からないが、『地図が反転している気がする』のだ。しかし光る板を右手で左右に動かし、背負い袋に提げていた方位磁針を左手に乗せると、確かにどちらも四方を狂いなく指している。まあ、まずは学校に着いてから考えるか、と、私は歩きだした。

 

といいつつも、学校に向かう途中の硬い地面や、信号、歩道。ただ建っているためだけの機能を果たしている、意匠の欠片もない直方体の建物を見て、私はほおと思わず息を漏らした。

 

 

どうやらこの身体は、この距離を歩いて学校に向かうよう習慣づけていなかったようだ。距離はさほどでもない。せいぜい数百メートルの丘を一つ越え、また数百メートルの下り坂をゆき、崖に出るためT字路を左へ。あとは道なりに数キロ歩くだけだった。多少荷物を背負っていても、兵装に物資を背負ってドシャ降り中を走るより数百倍は楽だ。

 

だがしかし、息切れ等はなくとも、汗がじわりと滲む。元の身体ならあの距離、意にも介さなかっただろう。多分公共交通機関、なるものに乗る予定だったようだが、あの金属の馬無し馬車に身体を預けるのはさすがに度胸が無かった。馬では上がれそうもない勾配を速度も落とさず上り続ける四輪の鉄塊には肝が冷えた。

 

 

─2─

教室にまで辿り着くと、どうやらこの体の同輩らしい人たちが出迎えた。やれ試験の内容がどうだの、苦手分野では私に勝っただの、学食で新メニューが出ただの、あの人の今だの、私の体の、恐らく元の持ち主が望む与太話を私が机に着くまでに聞かせてくる。何一つ覚えていないが、努めて明るく振る舞ってみる。訓練兵のときのように。

 

「前回の夏の期末、忘れちゃいないぜ。お前が外国語で学年一位を取ったことをな」

 

どうやらこの世界での私は、外国語が得意らしい。

この記憶は、私ではない、『彼』のものだ。

だがマズい。学校への道中ほかの教本を開いてササッと目を滑らせたが、外国語とやらはちんぷんかんぷんだった。

いいや、それどころか、科目の内容のほぼ全ての記憶が抜け落ちてしまっている。辻褄を合わせてあげられるかどうか。

 

「しかも満点でだぜ。他の教科の学年一位なんて、100点なんて取りようがねえってのによぉ!俺が一位を総なめしようとしたところで、いっつもお前が一科目だけ掻っ攫う。いいか、2学期始まって日は浅いが、今度は負けるつもりはねぇからな!」

 

あばよ、と捨て台詞を吐いて、一通り満足したか好敵手は去った。隣の教室へ。私が言葉を発する前より早く。

 

だが今はその情報を嚙み砕くのに必死なため、受け答えがおぼつかなかった、と思う。ともあれ、何者か看破される前に帰ってくれて助かった。

 

「予鈴鳴ったぞ!席に着いて朝学習を始めろ!」

 

この学校の教官であろう人が我々に一喝し、生徒一同は静まり返り、各々の席に戻り、各自の取り組まんとする教本を開いた。

 

教官の放つ重圧は、キース教官に比べれば、赤子のぐずりのような迷惑さまで含んでいそうなくらい弱弱しかった。とはいえ従わない理由も無いので、ひとまず英語の教本を開いて、口をすぼめて棒状の筆記具を落とさない遊びを一限が始まるまで時間を継続した。隣の席の子に怪訝な顔をされながら。

 

1日は至って普通に過ぎ去った。『復習』してしまえばどうってことない。どれも私が訓練地でこなしてきた座学の何歩も後ろの範囲しか取り扱っていなかった。もしかすると、外国語なる科目以外でも満点が狙えるかもしれなくなった。

 

だが、その余裕綽々の科目の中で、ただ一つだけ、私を机から飛び上がらせる衝撃を与えるものがあった。

 

世界史だ。

 

世界史の教科書には、巨人の情報が一切載っていなかった。

 

私がたどってきた道のりからすれば、この国が、いや世界が、技術でこの世界を掌握して久しいことは明らかだった。しかし、今日に至る道程で、あの怪物の存在が触れられないはずがない。

 

初めから終わりまでページをパラパラめくっても、何一つ書かれていなかった。副読本も相違ない。

 

教師は過去の為政者や部族、英雄の勃興から衰退までを、著書に載らない雑学を交えながら物憂げに語り続ける。

何度も繰り返しているからか、手慣れたそのご高説からは、持たされている権利の偉大さに対し、なにひとつ敬服していなかった。

 

私のいた世界で、世界をそう語る者はいなかった。

 

授業中にも関わらず、私は教師に詰め寄り、捲し立てる衝動を抑えられなかった。

今この国がどこで、この時代がいつなのかは分からない、しかし、我々の歩みが歴史に残らないなどあり得ない、と。人類が巨人から自由を取り戻すためにと捧げた心臓の数が、人類に知らしめるに足らぬ些末な出来事ことであるはずないと、未来を担う後進に伝うべくして作られた知の結実たる教本に微塵も記されていないなど許されるものか、と。

 

我々調査兵団が、己が望みと人類の望みを背負い翼を広げたことを、磊落に伝えずして何が生き残った人類だ、と。気づいたら私は、教師の襟をもろ手で掴み、教室内で怒声混じりに演説を行っていた。

 

 

私は気が触れたのだと一蹴され、夕方になるまで竹の剣を携えた生徒指導と体育教師全員に囲まれて、両親を呼び出された。

担任に反論しようとも、「これまで非行の類いは見られなかったため突発的なストレス症だろう」と一方的に〆られ、両親は怪訝な顔で私を乗せて帰った。

 

私はその達観した目付きに、怒りを覚えた。やがて大人になり、こぢんまりとした世界の中でそれらしい真実を手に入れ、正道と勝手に決めつけて、その正道こそ正義と次代の人達に語り聞かせる、達観した大人たちの目を思い出した。調査兵団が成し遂げんとする夢を諦めさせる者たちの目を思い出した。

 

 

それから私は、学校の図書室に、市の図書館、果てには国家図書館の歴史書、軍事技術の書類に経済に政治、諸々を隙あらば読み漁った。亀同然の進行の授業など聞く必要も当然なく、授業中も、朋友と語らう昼休憩でも、河川敷を夕暮れ時まで走り続ける最中も堂々と本を開き、隠された謎を解き明かすため、何日も寝るまも惜しんで読み続けた。

 

私自身が持つ記憶に照合するものが無いか比較するためにも、私は日誌を買い、記した。シガンシナでの日々を。兵士としての日々を。思い出せる限りのことを、全て。

 

 

 

 

 

結論から言おう。

ありとあらゆる歴史書を調べても、巨人の実在を著すものは一つとして無かった。

私のいた世界に対し遥かに書きやすく、判読も精読も速読も容易たやすいあらゆる著書は、どうやら秘められし真実を明かすつもりが無い、いいや、そもそも覆うべき秘匿など存在しえないと言わんばかりに、須く事実だけを説いていた。

 

世界に三重の壁に似た町並みを見つけたが、そこにウォール・マリアの名は無かった。

 

服飾の歴史をたどれば似た身なりをした者達がいたが、そこに我らの面影は無かった。

 

刃も、火薬も、戦争の歴史をも辿ろうと、私達の足掻きなどどこにも無かった。

 

あらゆる、それこそオカルトじみたものや怪奇小説にまで食指は及んだ。取るに足らない事実を極限まで増幅させ、物語にまで昇華させたものがフィクションなら、逆をたどれば真実にたどり着けないか、と。その中に一縷の手掛かりを見つけた。

 

たった一つの、神話の本の中に。

だが、それに登場する名前も、私の記憶に照合する名称は一つしか無く、ぬか喜びに終わった。

 

『ユミル』

 

「…ユミル」

 

覚えている。彼女の最期の言葉は、『ごめんな。』だった。

彼女の本意も、クリスタ、もといヒストリアの隠す真実もわからないまま、私は死んだ。

あの巨人の姿の、葡萄のような白目の殆ど無い瞳に隠された謎を、分かち合った謎を皆に明かすことは叶わなかった。そして、今もそれをこの世界の人々は知る術が無い。

 

(私はこの世界の真実をいくらでも知ることができる。そんなおめでたい、理想の世界に生きているはずなのに。巨人の蠢くあの世界の理については、依然何も知らぬまま、この見知らぬ世界を揺蕩い続けている。)

 

なぜ、これ程までに私は無感動なのだ。

団長や夢見がちで思慮深いあの少年なら、喉から手が出るほど欲しい情報だらけだ。

 

だが、その記述のどこにも、彼らの名前は残っていないのだ。神話には載っていたことから連想し、絵本や漫画、美術画に小説と、ありとあらゆるフィクションも確かに浚ってみたが、彼らの姿も、名を模した物も、一文字たりとも出てこない。

ひいては電子の海を彷徨おうとも、何一つ網には掛からなかった。どれ程指を動かそうとも、取りつく島は無かった。

調査兵団の存在など、初めから意味なんてなにひとつ無かった。私達の預かり知らぬところで、時代は流れ、この星は周り続けていた。そう締め括られているかのように知らしめ続ける書物の現実たちに私の心は、日に日に翳っていった。

 

調査を始めて数日はいつもより帰りが遅いことを両親に咎められていたが、日にちが経つにつれ、それも言われなくなっていった。二ヶ月もすれば知的好奇心が増大しただけだろう、と寧ろ帰りの遅さを褒めるようになっていた。

 

三ヶ月もすれば、高等学校三年分の学習範囲を学び終え、学校の図書室の本は全て読破し、この世界にも存在する残酷さに疑問を持たない程度には、知を修めることは出来るようにはなっていた。それもまた、まったくの未知かもしれないと思われたこの世界を、下らなく、退屈に思えるくらいになるほどに。

 

私の探求のついでで蹴飛ばされた路傍の石は、半べそを書きながらライバル宣告を此これまた一方的に破談にしたようだが、私の目的の足掛かりにもならないその人間に、興味を持つことなどついぞ起こり得なかった。

 

担任は類を見ない成長を見せた私の学問への忠誠に心打たれ、進学を強く打診してきたが、世の理をある程度得た私には、それが本校の名声を高めるための打算に悖るのだと理解は出来ていた。方便の一つや二つ口添えてやり、愛猫の快楽のためだけの媚びへつらいを片手間に撫で付けることで応じるように返事してやった。

 

悪意など無い。またそうすることで人心を手なずけられるとも思っていない。本質を明かさんとする動機の露骨さに辟易した今日こんにちの人は、儀礼的な言葉の端々から自ずと忠誠心をひとりでに妄想し信じるがため、敢行しているまでのことだ。

 

今日も今日とて家に帰り、湯船で思索の結論を整え、寝室に上がり、火照った身体を冷やすべくフローリングに寝そべり天井を眺める。

 

これまでの知識の収集で、一点だけ晴らせない謎があった。

私がこの世界の地理を知るべく世界地図を開いたとき、私は確かに、地図を見て、『逆さまになっている』という感想を抱いたのだ。

 

この『逆さま』とは何なのか。なぜそう考えたのか核心に至れなかった。今思考する私が『逆さま』と考えたのか、それとも、この身体の元の主の脳が『逆さま』と捉えたのかが分からなかった。前者だとしたら、外の世界を知らず死んだのに、あの世界の地図を知っていることになる。後者ならば、なおのことおかしい。もしや、変わっているのは私の身体だけではないのか?もしや、地形やその先までも……?と誇大妄想にまで及んでしまい、収拾がつかなくなる。人ひとりの身体ならともかく、世界丸ごと『逆さま』になるなど、果たしてありえるのだろうか。

 

ふと、帰っては寝ることだけを目的にしてた自室を見まわしてみる。そこには、恐らくこの体の持ち主が持っていた工作、絵などが並んでいた。

 

寝室の本棚には、分厚い冊子が一つあった。

開くとそこには、絵と呼ぶには小さく、そして非常に精巧な作りをした何かが何枚も収められていた。

そのツルツルとした紙のそばには、その地を訪れた時の感想がこれでもかと書き並べられていた。精巧な作りの絵に対して、なんとも拙くて、幼くて、なぜかいとおしくなる字だろう。嘗て私も、このような字体で書いていたからだろうか。

私、いや、『彼』が、これまでの人生で渡り歩いてきた場所なのだろう。どの国も様相が全く異なる。人々の装いも、町の作りも、風景も。

私はそこで、誰かが話していた場所を如実に現像したかのような景色を目にした。

それらは、真っ白な砂浜に海底が容易く見えるほど澄んだ海、縞模様の獣の頭を両腕で抱きしめる私を写した原生林、雲海を摩天楼をも貫ける岩壁の頂点に立ち、見下ろす私と、踏破した絶景の数々が残されていた。

これは、元いた世界の同志らが望んだ、外の世界の情報に違いなかった。

 

「懐かしいな。こうしていろんな場所に行ったんだよ」

 

身体をビクリとさせて振り向くと、父なる人物が腕を組みドアの縦枠に寄り掛かっていた。

おっと、壊れると母さんに怒られてしまうな、と父はすぐに枠から離れる。離れる際に掛けた体重でいっそう枠にダメージが入ってそうだった。

 

 

この体の持ち主はどこへ行ってしまったのだろうと、私は肩を落とす。似てもいない父親から我が子と呼ばれるのは、何度繰り返しても気が休まらない。

 

 

調べる中で元の場所に戻ることも考えたが、体がまるっきり違うのでは説明が付かない。精神の交信のような陰謀やまじないも試してみたが、中途半端に利発な私を騙せる筈もなかった。

 

当てが何もない世界で、人に、物に囲まれているのに、なぜこれ程に孤独なんだ。

 

見慣れない思い出の品々を順繰りに眺め、視線を床に落とす。

 

「なんだ、これは?」

 

そこに、一つの古ぼけた背嚢があったこの家庭の思い出の品々にしては、いささか古すぎるような気がした。

 

(まさかそんな……ありえない……なぜに今なんだ?なぜ今この場所にこれがあるんだ!?)

 

全身が総毛だつ。いったいいつからそこにあったのか分からないが、その背嚢は、845年、私がシガンシナ区に捨ててきた、あの背嚢と寸分違わなかった。

 

おそるおそる手に取る。ガチャリと中で金属が鳴る。中を開く。

そこには一冊の本と、一つの樽状の何かが入っていた。

それは、私が開拓地で手に入れ、書き続けていた、日誌だった。

樽上の機械を袋から取り出し、じっと眺める。

 

それは、立体機動装置のワイヤーを巻き取る箇所。この傷、へこみ。忘れもしない。

 

『彼』が、ストヘス区での女型との戦闘の後、処分を恐れて憲兵団から秘密裏に譲り受けた、マルコの立体機動装置だった。

 

『彼』の背嚢に入ったそのガラクタは、明らかに立体機動装置のそれだった。だが丸ごとではなく、ワイヤーを巻き取る樽状の物体と、ワイヤーの先っぽと柄に装着された、一振りのブレードだけが入っていた。

 

覚えている。

そう、あれは確か、内地で女型の巨人と交戦して、ミケ分隊長の居所へ早馬を飛ばす直前の時に、ドーク師団長に直談判して手に入れたものだ。

通常、亡くなった兵士の武装は工場にて融解され、次の装備の素材として再利用されるのが規則だ。

彼の立体機動装置は特例で、捜査のために重要な証拠品として憲兵団に押収されていたのだ。捜査が終了し次第、工場に送付されるとした上で。

だが、骨の燃えカスすら残らないその世界で、彼が生きた証を失わせることなど、『彼』は看過できなかったのだ。

そして、もし故障が出来た時に誰でも扱えるよう、秘密裏に整備を続けていた。この一品を『彼』は覚えていた。

不可解なのは、今目の前にある背嚢は、忘れもしない、10歳のときにシガンシナ区で捨てた筈の物だったからだ。

マルコの立体機動装置は、ウォール.ローゼに来てから買った背嚢に仕舞っていたからだ。

だが、奇妙な因果が結び続けているこの世界において、そのような矛盾は実に些細なものだった。

 

(こんなところに、彼の、証が───)

 

かつての世界と繋がりを持つものをようやく目にした『彼』は、マルコの立体機動装置を一層強く握りこんだ瞬間、決壊した。

 

 

頭こうべを二つに割らんばかりの雷いかずちが走り抜ける。頭を駆け巡る、私の知らない、かつて存在した記憶。

 

『彼』は見つめる。幾重に折り重なる、大小も性別も様々な無数の『彼』の死体を。これほどの死を繰り返したのか。それとも、ありえた記憶の中で、いずれの末路も、私が死ぬことで終局を迎えたとでも言うのか。

 

一本の木のように、無数に枝分かれした記憶の中で、私は幾つもの死を脳に流し込まれた。

 

大切な仲間達の死を。果てには、自らの死を。

 

熱い。人一人の脳など容易くグズグズの肉塊にまで焦がす情報の渦。

熱が、シナプスを踏み鳴らしながら、小脳から大脳新皮質を撫でて、前へ前へと伝播する。

 

回路を焼き切らんばかりの熱は眼窩にまで達し、なんら特別でない許容量しか持たない『彼』は、嘔吐した。

 

単なる嫌悪と名状するには、あまりに大規模な情報の濁流。

 

それに押し流され、やがて収まり、『彼』を纏う泥濘が剥がれ落ちたところで、『彼』は見た。

そんな、ありとあらゆる存在しえたはずの記憶の中に、『彼』は見た。

 

月の無い星空と砂の雪原で私に謝る、長身の男。光線で象られた大樹の下で涙を流し、その悲哀の懺悔を止めない男を、『彼』は確かに知っていた。

 

地表を覆いつくさんとする、厖大な赤黒い頭の群れと、それらより何倍もの大きさ、高さを持つ鳥かごの上を空高く飛ぶ何か。人を数人容易く載せられる巨鳥の背に乗り、片腕を失い、息も絶え絶えな『彼』の姿を。元いたあの世界での、『彼』の姿を。敵の筈のライナーを、『彼』が救ったことを彼に感謝される不思議な光景を。そして、人に探らせた『彼』の背嚢に入っていた、マルコの立体機動装置を、ジャンに手渡した記憶を。

 

それから、記憶は途絶えている。

だが、胸の内に抱えていたかつての仇敵への憎悪は消え、憐憫と悔恨と祈りだけが、記憶の途切れる間際に覚えていた、最後の感情だった。

 

あの骨の山が何なのか、私は知らない。死んだ筈の『彼』がなぜあの場にいたのかも。確かに成長した同期達の顔ぶれは、明らかに『彼』が未来に生きていたことを示唆していた。

 

『彼』はこの戦いで装置が破損したライナーとジャンを助けるべく捨て身で雷槍を放ち、右腕を喪って、それから、体がとてつもない早さで凍えていくのを感じて、それから……それから───。

 

(いいや、この記憶は違う。)

 

二つの壁を破壊し、人類最後の領土に流れ込んでくる、無数の人影と、火薬の匂いと飛来する鋼の鳥の群れ。エレンとミカサ、兵士長と団長を失い、絶望を相手に立ち上がる『彼』の孤影。

 

(これも、これも違う。私が見てきた記憶は、こんなものでは無かった筈だ)

 

軍港で形が異なる立体機動装置に身を包んだ私の心臓に、見知った中分けの男が刃を突き立てる記憶。

 

その全ての結末にに行き着いたはずがないのに、見覚えがなく、見覚えがあった・・・・・・ ・・・・・・・。

なぜ、今この情報が流れ込んでくる?もう、決着は着いたハズなのに。もう誰も、ここにはいないのに。とうにその時は過ぎ去ったというのに。

 

『彼』の頭に、ある情景が浮かび上がる。それは、大きな木の洞。そこに一人の子どもと、一匹の犬。それらが、洞の中へ入ってゆく。それが『彼』が気絶するまでに見た、最後の情景だった。

 

 

 

次に気が付いて、今の身体のルーチンに神経を妥協させて目を向ける頃には、電子の時計が翌日の午前七時を指していた。

私の体は薄手の生地に包まれ、冷たい材質の毛布に包まれていた。いつものように、布団に寝かされていたようだ、と、『彼』のもう一方の脳が囁く。

 

昨日起きた出来事を振り返ってみよう。

 

あんな場所は、この体も、この脳裏にも覚えがないものだった。しかし、この頭でなら、考えることができる。

 

(仮説を立てるなら、その情景の待つ場所は、この世に実在する。そして、このいかずちの正体が、もし巨人化の時のあの雷と同じで、その子どもの行動に起因するならば、今の『私』がするべきことにも説明が着く。そこへ行け、ということなのだろう。謎を解き明かすために。)

 

奇想天外なお話なら、この世界の書物で飽きるほど飲み下してきた。それでも、『彼』のいた世界の僅かに褪せた謎は、彼の心の内でもっとも眩く、真銀のように硬く鎮座していた。

 

「もう体は平気か?」

「父さん。うん。看病ありがとう。ほら、熱も下がったって、体温計も言ってるよ」

「はあ、大方新型の病か何かなのかしら。流行るたびに、あなたが家族で最初に感染するもんだから大騒ぎしたわよ」

「こういう時、なにしてたんだっけ?」

「旅行だな」

「あなた、またそんなふんぞり返って」

「俺が大学で留学したときから変わってないが、外国はいいぞ。あのときの俺のちっぽけさを教えてくれてさ」

「楽しかったわよ。でも、この子も高校生なんだから、そろそろ腰を据えてもいいんじゃないかしら」

「じゃあじゃあ、あと一回だけ!あと一回だけ旅行に行きたい!」

「また旅行にでも行きたいのか?」

「うん。でも、今度は一人で行ってみたい。父さんみたいに、自分の今を知るために。バイトでもして、お金貯める」

「あらそう。でもいいわ。学校サボって旅行に行くのも、そう珍しいものじゃ無かったし。主に父さんが行きたがってたけど」

「おいおい。それはせっかく激務だらけの真っ黒企業を辞めて、出世確約の会社に乗り換えた佳境だったからだ。さすがにあんまり行ってもいな─」

「5回よ。5回も私達連れて旅行に行ってるんだから子どもの大学の学費が無くなるんじゃないか冷や冷やしたわよ。結果的に杞憂になったけど」

「ははっ」

 

父が母に追いやられる姿に、『彼』は幼い時の僅かな両親の記憶を思い出してしまった。

 

─3─

それから半年をかけて、『彼』は金を貯めた。週7の小計30時間、それを半年。単に目的地が一つのとんぼ返りをするだけの旅なら、明らかに過剰な金額だった。しかし、当然『彼』は旅をそれで終わらせるつもりはなかった。

 

古びた背嚢にそれまでの荷物に加え、携帯食料とありったけの現金、ランタンに水筒にコンパスに双眼鏡、毛布にシュラフ。一振りの超硬質ブレードと、マルコの立体機動装置。それらを詰め込んだ袋を、前夜に最寄りの公園の木に吊るしてあった。明け方『彼』は学校用のいつもの荷物を背負って玄関に座り、靴の紐を結わえる。

 

昨日に大荷物の方を背負って改めて自覚したが、この体は、さすがに訓練地の時の体と比べてまだまだ貧弱だ。だがその脆さが、今このときの平和の示唆のようでいとおしい。

 

道中でもっと鍛えればいいか。どこへ行けば良いかは分からないが。

 

靴を履き終え、スクっと立つ。嘗ての我が家に比べて何倍も頑丈な癖に、容易に開けてしまう金属の扉を開く前に、振り向いた。両親は『彼』が半年の間に結局旅行を諦めて受験勉強に力を注ぐと聞かされ、この早朝の出発も、学校でいち早く勉強するためだと、事前に何日も前から欺かれていた。

 

「じゃあ。行ってらっしゃい」

「気を付けて行ってくるんだぞ」

 

顔も、声も、名前も違う両親に見送られる。

ああ。でも、胸がつかえるのはなぜだろう。この体の持ち主の記憶がそうさせているのか。

いいや。違うだろう。

 

これは、この痛みの持ち主は、他ならない『彼』だ。

あの時言われたかった、あの言葉だからだ。845年のあのとき、言えなかった別れの言葉を。シガンシナの壁を、鎧の巨人に壊されたあの時に。

 

「はい。行ってきます」

 

扉を潜り、手を離す。扉は自重に任せ、時代の設計通りゆっくりと閉じられた。涼やかな秋から始まり、茹だる夏を向かえる前に出立した、永遠に戻らない我が家に、シガンシナの残り香を閉じ込めるために『彼』は目を閉じ、祈った。

 

『彼』は正面に向き直り、防弾チョッキのように腹に納めていた一冊の日誌を開く。それは、日誌と呼ぶには装丁も紙もかなり頑丈で、片手で持つには手に余る大きさだが、このくらい頑丈で無ければ、この長旅に耐えられまい。

 

そこに、記してゆく。自分が何者かなんてどうでもいいから残さない。だが、この景色は残さなくては。これから待ち受ける景色も。あの男か女とも分からないが、ひとまず少年としておくが、あの少年と犬がたどり着いた木の在りかは、大陸の地図をあたっても見つからなかった。その旅の過程を誰に伝えるかも分からないが、記し続けよう。

 

(念のため、頭に流れ込んできた、あの情景も別の箇所に描いておこう。誰か尋ねればわかるかもしれない)

 

取り替えた荷物の中に収められた超硬質ブレード。これのために『彼』は、公的機関による空路での探索を諦めている。『彼』の手足と目で、全て確かめるつもりだった。

 

あの時『彼』に流れ込んできた数多くの映像は、数多の声で、数多の背丈で仲間達に語りかけていた。

 

(『私』は、あれが自分の見ることが出来た未来だと思っていた。もし、あの時自分が生き残っていたら、そんな夢のようなものだと思っていた。でも、きっと違う。あれは、多分無数にあり得た『私』の姿なんだ。男だったり、女だったり、背丈が大きかったり小さかったり……。道での記憶が枝分かれしたように、兵士として立ち上がった無数の『私』がいたんだ。でも、それなら、今の『私』は何者なんだ。あの無数の記憶の中の、どれが今の『私』として生きているんだ?)

 

反芻しては錯乱しかけたその問いを、もう一度現実を見るために思い起こしてみる。しかし、答えは決まっていた。

 

(何も分からないのなら、知りに行けばいい。それが調査兵団の理念ならば。

それを叶えられるのが、ここにいるたった一人の調査兵ならば。

もうこの世界に、私という一人だけしか、あの憎悪の連鎖を知る者がいないのならば、臆することなんてきっと何もない筈だ。たとえ『私』が誰であろうと、進み続けられるのは、今ここにいる『私』だけなんだから)

 

『彼』は歩き出した。その先に真実があると信じて。

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