7月某日―――
木山春生はとある地下研究施設の一室を訪れていた。白い床に、白い壁。出入り口の扉を威圧するかのように、いくつものコンピュータディスプレイが人工的な輝きを放っていた。木山は一卓のテーブルに向かって座っている。やや浅めに身を乗り出すようにして腰掛けたオフィスチェアのアームレストは先端の塗装が明らかに禿げ、内部の薄暗く変色した緩衝材を覗かせている。時々木山は姿勢を変え、椅子から微かな悲鳴を引き出しながら、綴じられた研究記録に目を落としていた。
「こちらが……25号。あなた方にはある意味最も身近なナンバーズでしょう……26号はLEVEL4相当の
一際大きなディスプレイに、様々な資料を映しながら早口で語るのは、白衣を身に纏った初老の研究者だ。顔の皺こそ年齢を感じさせるが、逆立ったような髪と、ぎらぎらとした目つきは、研究者としての熱意を滲ませているようだった。
木山の顔は彼と対照的だった。目を隠すほどの前髪、日に当たったことがないかのような白い肌、曇った目などは、幸薄そうな印象を与える。研究者の映すディスプレイには興味を示さず、記録をめくっていくその顔には、期待外れだ、という心情が表れていた。
「それで……この子たちは全て
「その通りですよ、木山博士。あなたが求めている、能力者の脳と脳を繋ぐネットワーク。中央の奴らは全く興味を示していませんが、まさに我が素材たちは、あなたの理想を既に実現しているのですよ」
木山が一言発すれば、研究者はその何倍もまくしたてる。そういったちぐはぐなやり取りが、先ほどから続けられていた。
「なぜ、興味を示さないのでしょう?Dr.大西」
木山の疑問に、大西と呼ばれた研究者の口は固く結ばれた。
「確かに、複数の能力者を繋ぎ合わせて、より高度な演算を実現するネットワークこそ、私が欲するものです。しかし、この黒塗りは―――」
言いながら、木山は研究記録を持ち上げ、大西に向けて見せた。
「ただのお預けというわけではないのでしょう?学園都市の主流が、ここのラボの、
大西は顎を引き、木山を見つめた後、口を開いた。
「ない、といえば、嘘になる」
声色は厳しさを孕んでいた。
「といっても、そちらのことだ、噂には聞いているだろうがね……」
「ええ」
木山は頷いた。
「ただ、それはさほど問題ではないと思う。それよりも、今あなたが言った20番台のナンバーズのあとは、ずいぶん芳しくないようだけれど」
「……予算を削られてしまってね……」
自嘲気味に大西が答えた。
木山は顔を上げることなく、手元の資料に視線を落としたまま口を開く。
「32、33、36、37、38、そして最後の40号……実験中に精神障害が極まって死亡……残りの数人についても、さしたる能力発現には至らなかった―――あなたたちの研究のピークは20番台で、この学園都市の能力開発法は、カリキュラムに取って代わられた」
憐みの混じった木山の言葉に、大西の拳が握られた。
「否定はせんよ。だが、神を超えるなどとほざく木原の連中などとは、私は違う。結局の所、やつらは科学と宗教の線引きすらできていないのだ。この"プロジェクト"が成就すれば、どれだけの技術革命を成し得ることか。私は、それを信じてやまぬ!『アキラ』さえコントロールできれば―――」
「ア・キ・ラ?」
木山が聞き返した所で、研究室の扉がスライドして開いた。
「そこまでだ、ドクター。喋り過ぎだ」
入ってきたのは、大柄な男だった。白衣を着た木山や大西と異なり、スーツを着た、厳めしい風貌の男だ。
「まだその学者が、我々の側につくと決まったわけではないのだろう」
「ええ、大佐。ですから、より高度な機密に当たる部分は確かに秘匿した上でプレゼンをしています」
大西は、自分より頭二つほども背の高い男に、笑みを浮かべながら答えた。
「あなたは?」
木山が問いかける。
「敷島大佐だ」
低い声で、ぶっきらぼうに男が答えた。
「大佐……あなた、軍属?それも、誰かの子飼いの連中とは違う、正規の……
「その質問に答える必要はない。少なくとも、現時点ではな」
敷島大佐は、大西の隣に立った。木山とテーブルを挟んで相向かいになり、ディスプレイを大きな体躯で隠す位置だ。
「ただ、主流派の有望な若手科学者である、木山春生博士。君が我々の研究に興味を持ってくれているということは、こちらとしても喜ばしいことなのだ。我々は、
「……いかにも国家の軍人らしい考えだ。この学園都市では、あなたたちは決して歓迎されているわけではないのに」
「軍人が嫌われることは、国が平和であることの何よりの証左だ」
敷島大佐はゆっくりと、しかし淀みなく答えた。
「だが木山博士。この保育園も、計画も、窓際へ追いやられた学者と、外から遣わされた軍人のお遊びでは、決してないのだ。我々が行うことは、この国家の、この学園都市の存亡にも関わるものなのだ」
「随分大層な物言いだけれど」
木山はテーブルに置いた研究記録を、指でコツコツと叩いた。
「この研究のこれまでの成果は、学園都市が行っている数多の計画の中でも目新しいものではないでしょう。30年も前にLEVEL4級能力開発に成功したことは確かに画期的だったのでしょうけど、今となっては大能力者だって、学校が一つ建つくらいにいるのだし。そして、私が耳にしている副作用が現実であるなら、猶更過去の遺物であると言わざるを得ない。だから、あなたの言う、その―――学園都市を滅ぼすほどの潜在的可能性が一体どこにあるのか、聞きたいのだけれど」
「それが知りたいのなら……我々の側につくと、確約してほしい」
敷島大佐は、テーブルに両手をついて木山に向き合った。その目からは強い意志が迸っていた。
「木山博士。あなたの構想する幻想御手は、我々の研究を用いればすぐにでも実現するでしょう。そして、あなたの研究をこちらに提供して頂ければ、我々永久機関計画の再興もできる。利害は一致するのです」
大西も自信に満ちた口調で木山に語りかけた。
「……あの子たちを救うことが、今度こそできるかもしれない……」
木山は、敷島大佐にも、大西にも聞こえない程の声で呟いた。それから、顔を上げた。
「うん……契約書にサインする前に、もう少し聞かせてもらいたいことが」
木山が言った。
「この記録が、所々お預けなのはいいとして……一人だけ、番号が飛んでいるのはどうしてだろう、この……」
「……28号か……」
敷島大佐が絞り出すように言った。
大西は大佐の顔を窺っている。
「大佐、人材の補充は急務です。木山博士に協力を仰ぐためにも、ここは我々の研究について、更に丁寧な説明を―――」
「ドクター。君はどれだけ、28号について正確に把握している?」
敷島大佐は大西の言葉を遮った。大西は言葉に詰まり、その様子を木山は不審に思った。
「……どういうこと?Dr.大西。あなたはここの研究主任なのでしょう。28号について教えてほしいのだけれど」
「……それは……大佐の言う通り、私とて資料でしか見たことがないのだよ」
「28号も既に死亡しているということ?」
「どうかな。ただ、我々にはそれを明確に確かめる術も伝もないということだ」
「仰る意味が分かりませんね、どういうことです?」
木山の重ねての問いに、敷島大佐は一層表情を厳しくし、大西は不敵な笑みをうっすらと浮かべていた。
数秒の間があった。敷島大佐の沈黙を、喋ってもよいという許可と受け取ったらしい。口を開いたのは大西だった。
「28号を担当していた科学者も、目撃者も、機械すらも、全員死んでしまったからね……」
「全員死亡……?30年前のその研究は、ご老人ばかり携わっていたの?それとも、実験中の能力の暴走ということ?あなたたちの計画で、過去それほどの案件があったとは聞いていないのだけれど」
木山は、自分で反芻した大西の言葉に胸の奥が痛むのを感じていた。学園都市は、街そのものが人間の超能力開発を行う研究機関だ。その発展の中では、実験に参加した人員の犠牲を伴うような研究や事故もあったし、現在進行形で行われているものもある。そして、犠牲の数が大きくなればなるほど、そのような出来事は暗部の奥へと隠されるものだった。木山がこうして大西達に接近を図るのも、過去に彼女が関わった実験による犠牲が理由だった。
「28号は我々の最大の成果であり……それ以上に最重要機密だ。国家規模のな」
敷島大佐が語った言葉は、つまり28号にまつわる情報が、学園都市に留まらず、本国政府が隠しているものだと示していた。
「ただ、木山博士。28号の代わりではないが……別のナンバーズについて、我々と共に研究に参加してもらいたい、きっとあなたの目指すものにも大いに役立つはずだ」
「別のナンバーズ?」
木山が訝しげに聞き返した。
「失礼なことを言うようだけど、私が耳にしている噂によれば……あなたたちが成功と呼ぶ20番台の子たちは、もうずっと満足に歩けていないというのだけれど」
「全くの健康体だよ」
大西が笑みを絶やさずに言った。
「木山博士―――我々と共に、41号の研究に参加してみないかね?」