【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

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 敷島大佐は、頬のあたりにさらさらとした感覚が伝うのを感じて目を覚ました。

 左の頬に指を伝わせると、そこには乾いた薄茶色の細かな砂が付いた。

 右膝の、銃弾の貫通痕からは痺れるような痛みがじわりじわりと響いている。それを意識して顔を歪めた後、自分が今どのような状況にあるのか、周囲を確かめるために首を回す。

 

 肉体を変異させた鉄雄に吹き飛ばされて、気を失っていたようだ。周囲には、アキラの冷凍セルを構成していた建材が瓦礫となって散らばっている。自分はその瓦礫に挟まれるようにして、地に横たわっていた。生きているどころか、木山の介入によって受けた銃創以外に、新たな傷が無いのは奇跡的だった。

 

「……敷島大佐」

 女の声に、大佐は顔を向ける。

 微かに青みがかった長髪を垂らした警備員(アンチスキル)の隊員。その顔に、大佐は見覚えがあった。革新勢力の暴動の際に、自分の部下を、その身を挺して救ってくれた人物だった。

 

「確か、黄泉川といったか」

 

「生きていたとはね」

 黄泉川が言った。顔は煤に汚れ、疲労の色が濃く見えた。

「どうやったのかは分からないが、島君を制圧するため、レーザー兵器を切り札にするとは、予想だにしなかった。けど、その状態じゃあ、もう歩けないだろう。手当が必要じゃん」

 

「それは、お互い様だろう」

 大佐が、微かに口の端を歪め、黄泉川愛穂の足元をちらりと見て言う。

「そちらこそ、足の運びがおかしいぞ」

 

「……流石じゃん」

 そう黄泉川が呟いた時、彼女の背後から何人ものアンチスキルの隊員が走り寄って来た。

 

「私を、捕まえるのか」

 大佐は低い声で言った。

「好きにして構わん。私は敗れた。だが……教えてくれ。41号は今、どうなっている?」

 

「大分暴れ回っているようじゃん、こちらも多くがやられた」

 黄泉川が答えると、仲間が大佐を取り囲む。

「先ほど、大きな爆発が―――」

 

 その時、突如付近から眩い光が差し込み、大佐も黄泉川も、他のアンチスキル達も手を翳し、顔を背けた。

 

「今度は一体、何が―――」

 黄泉川が呻くように声を上げる横で、大佐はどうにか光へと目を凝らす。

 

「……お前たち」

 

 大佐が呟いた言葉を黄泉川は聞き取ったが、その意味を理解できなかった。

 

 


 

 

「何が始まったんだ」

 金田が声を上げるその眼前では、眩く光が満ちていた。それは真昼の空にもう一つ太陽を吊り下げたようで、青空や雲はほとんど光に隠れて見えない。そして、鉄雄の巨大化した身体が、神の降臨を目の当たりにして畏れ戦くように、ずるずると地べたを後ずさっていた。

 金田と美琴も言葉を失っていると、光を背に、不意に小さな人影が現れる。

 

「君は……!」

 

「アキラくんは、力を解放しようとしている」

 目を見開いた上条の傍らに立ち、26号(タカシ)が言った。

「今、キヨコとマサルが一緒だけど、時間がない。長くは抑えられないよ」

 

「どういうこと?」

 美琴が目つきを鋭くして言った。

「あなたたちが起こしたんでしょ?その、アキラって奴を」

 

「アキラくんが力を解放すれば、周りのたくさんのものを呑み込んじゃうからね。街も、人も……()()()()()()()

 タカシが、大きな目を美琴に向けて言った。

「アキラくんだけではダメなんだ、そこで、鉄雄くんの力も解放させたいんだ。そのためには、あと一押し、すごく大きな力をぶつけるんだ」

 そこで一瞬、タカシは表情を暗くする。

「僕たちはアキラくんを抑えるのに手いっぱいだ。だから、君たちに頼るしかない。さっき空からすっごく大きな光が降って来たでしょ?あれみたいな、大きな力を、鉄雄くんにぶつけるんだ」

 

「待てよ、あんな衛星兵器みたいな力を、どうやって……」

 金田が発した疑問を聞いて、上条は視線を横へ向ける。

 

 美琴が、スカートのポケットに右手の指先で触れた。

「……宇宙からのレーザーには及ばないだろうけど。私の全力で、何とかなるんだとしたら」

 

「でっでも!」

 金田が迷ったように叫んだ。

「なあ、鉄雄は、どうなるんだ―――死ぬのか!?」

 

 タカシは振り向いて、地べたで震えている鉄雄の巨体へと目を向けた。

「アキラくんは、鉄雄くんをきっと遠くへ連れて行ってしまうと思う。それは、僕らもきっと……けど」

 タカシが、上条を見た。

 

「君のその、不思議な右手があれば……もしかすると、元の鉄雄君だけを引き戻せるかも。でも、ものすごく危険だ。アキラくんの力に、完全に呑み込まれてしまえば、その先は分からないから」

 

「どっちみち、簡単じゃないのは分かってる!」

 美琴が、意を決したように言った。右手を固くきゅっと握り締めている。

「私のコインは、50mも飛べば溶けちゃうから。もっと近くから射たないと―――だから」

 美琴は、上条の顔をまっすぐに見る。

「アンタ―――頼んだからね!そのうっとおしい右手で、訳の分からないアキラって奴から、連れ戻してよ!!」

 

「……ああ!」

 上条は、美琴に向かって頷き、それから金田へと向く。

「どうなるか、俺にも分かんねえ、けど―――精一杯やってやるよ、お前の仲間も、救えるように」

 

 金田は、上条の言葉を聞き、唇を噛んだ。

 

「タカシくん!」

 25号(キヨコ)27号(マサル)もその場に現れた。背景のアキラから放たれる光は、ますます輝きを増している。いつの間にか、不穏な風が吹き始め、晴れていた筈の青空に黒雲が沸き立ち、急速にその背丈を伸ばしつつあった。

「周りの大人たちは、みんな遠くへ飛ばした。あの女の子も安全だ―――やるなら、今だ!」

 

「その赤い男の人は……」

 キヨコが金田を指さして言った。

 

 上条と美琴が、金田を見る。

 金田はぎりっと歯を食い縛って表情を歪め、それから口を開いた。

「俺は逃げねえぞ!」

 精一杯の声で、金田が叫んだ。

「俺には、チートな右手も、レベル5の電撃もねえよ!けど、けどよ―――鉄雄(アイツ)は俺の、仲間だ!ここで背中向けられるかよ!」

 

 

 

 美琴を先頭に、上条、金田を合わせた3人は、荒れ果てた瓦礫の上で、巨大な光球へと向き合う。

 一方、ナンバーズの3つの小さな人影は、光球へとまっすぐに浮遊して向かっていく。

 タカシが、振り返り、地上の3人を見て口を開く。

 

「―――頼んだよ!」

 それから、ナンバーズの姿形は光に呑まれ、見えなくなった。

 

 美琴はその言葉を聞き届けると、振り返り、上条と金田を見た。

 2人とも、唇を噛み締め、頷く。

 美琴も頷き返し、顔の向きを、地上で震える鉄雄の巨体へと向ける。

 アキラへと向かって叩頭するかのような鉄雄の肉体は、何を察したのか、巨大な目を美琴たちへ向けて開いた。

 

「あ、き、ら……」

 

「待ってろ鉄雄。今連れ戻してやる……」

 鉄雄の肉体―――今や力を失いつつある幻想猛獣(AIMバースト)から発せられる声に、金田が答えた。

 

 上条が右の拳を固く握りしめ、美琴はポケットから小さなゲームセンターで使われるコインを取り出す。

 

「これで……」

 指で弾かれたコインが、ほぼ真上へと回転しながら浮かんだ。アキラから放たれる光をきらりと反射したそれは、やがて重力に従い落下する。

「終わりにするッ!!」

 美琴が高らかに言い放つと、青白い電光が周囲に弾けた。

 美琴の手元に戻って来たコインは、赤橙色の光となって、AIMバーストを一直線に貫いた。

 

 爆風と熱が3人の前方で沸き起こると、辺りに悲鳴が劈いた。それは、AIMバーストと鉄雄の声が入り混じっていた。

 

 何事かを、金田が堪え切れずに叫んだ。

 一瞬、3人は、目の前にアキラと同じような光球が、もう一つ生まれたのを見た。

 2つの光の塊は、程なくして融合し、あっという間に3人の視界全てを覆い尽くした。

 

 美琴と金田は、後ずさりして顔を両手で覆う。

 上条は目を瞑り、咄嗟に2人の体を自分へと抱き寄せた。顔を覆っている2人のそれぞれの手を手繰り寄せ、自らの右手で掴む。3人が手を重ね合う形になった。

 

 離れるな―――。

 上条はそう叫ぼうとしたが、間もなく体が浮かび上がるような感覚がしたかと思うと、五感が何も捉えられなくなり、ぷつりと意識が途切れた。

 

 

 

 

 とても柔らかい白色の光が差し込み、上条当麻は目を擦った。

 自分はどうなったのか。疑問に思い足元を見ると、色とりどりの花柄をデフォルメしたような柄が描かれた床に立っていた。

 上条は、天井から白色光が照らす、円形の部屋に立っていた。天井は礼拝堂(モスク)の内部を思わせるように緩やかな円錐形を描き、目立つような窓は無い。壁面は照明と同じく白一色だ。振り返ると、同じく煌々とした明かりが照らす廊下が見えるが、不思議と先の方は靄がかかったようにぼやけて定かではない。

 自分は、原子力実験区画で、アキラと島鉄雄の覚醒を目の当たりにした。そして、気が付いたらここにいる。傍にいた筈の、美琴と金田の姿はない。

 上条が戸惑っていると、不意に足元に何かが軽やかに弾みながら転がって来た。

 掌サイズの、ビニル製のボールだ。上条が拾おうと身を屈めたところ、先に小さな人影が滑るように飛び込んで、そのボールを拾った。上条は、ボールを拾い上げたその人物を見つめる。

 清潔そうな白い服、半袖のシャツに、長ズボンを身に着けた男の子だ。小学校の低学年位だろうか。柔らかそうな黒髪に、丸っこい顔で、はっきりとした目鼻立ちをしている。正面ではなく横から見ても、どことなく不思議な透明感を感じさせる子だった。

 

「あの、君……」

 上条が声をかけようとすると、不意に周囲ががやがやと騒がしくなる。

 

 いつの間にか、目の前の少年と同じような子どもが、何人も室内で遊んでいた。先ほどまでは無人の静寂が部屋を包んでいたのに、あたかもずっと前からそのように遊んでいたようだった。

 

「おォい、アキラくん!」

 聞き覚えのある声がした。

 やや尖った頬が目立つ、悪戯っぽい笑みを浮かべた別の男の子が、ぶんぶんと手を振ってこちらにアピールしている。次は僕だってば!とその男の子が大声で呼びかけた。

 

「タカシ、君?」

 名を思い出し、上条は呟く。自分と特に関わりが深い、実験体(ナンバーズ)の一員。しかし、その風貌は、皺の刻まれたものではなく、正に活発な子どもだった。

 

 アキラと呼ばれた少年は、屈託の無い笑みを浮かべて、ボールを振り被る。この部屋にいる子どもたちは、数えてみると8人だった。その誰にも、上条の姿はまるで視界へ入っていないようだ。

 

「アキラって……」

 

(もう何十年も、ずっと前のことだけどね)

 タカシの声が不意に木霊する。

 先ほど、目の前で遊ぶ子どもが発した声ではない。上条の頭の中に響くような声だった。

「タカシ君!?」

 驚いた上条は、改めてはっきりと名を呼ぶ。

 

(僕たちは、君たちよりもずっと前に、能力(ちから)を持てるようにって集められたんだ。それこそ多分、君が生まれるよりもずうっと前のことさ)

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)を持つ上条にとって、初めての体験だったが、念話(テレパス)で通じ合う学生は、きっとこんな風に声が聞こえているんだろうなと上条は思った。

 

「ここはどこなんだ?一体、俺たちはどうなったんだ?」

 

(アキラくんの力はすごいからね。なんていうか、異次元みたいな別の世界を創れるみたいだよ?そこでは、アキラ君自身や、内側に入った人たちの……記憶っていうのかな?覚えてること、思い出すことが、互いの精神(こころ)に混じり合ってる。これは、僕の記憶。君は不思議な右手を持ってるけど、アキラくんの力は、超能力っていうのとは外れたところにあるから、君にも見えるんだと思う)

 

「異能じゃない……?」

 上条は、自分の右手を見た。

 幻想殺しを持つ自分が、言わば記憶という幻想の世界に取り込まれたのだろうか。

 

(君の力は、奇跡みたいな力を吹き飛ばしちゃうんでしょ?アキラくんがもってる……いや、僕たちが目指したものは、そういうのとは似てるようで、ちょっと違うんだよ。生き物の根っこに関わることだからね)

 

「それはどういう……」

 

 上条が疑問を浮かべた時、背後の廊下から複数の足音が聞こえ、上条は思わず脇へ飛び退く。

 上条には目もくれず、クリップボードを手に複数人の白衣を着た大人が話し込みながら入室してきた。

「……25号には期待が持てます。目下8割を超す精度の未来予測(シミュレーション)を視野に入れていますから、この調子でいけばより高度な演算処理器(シミュレータ)の開発にも……」

 

「いや、それよりも、もっと凄いのは28番目の彼でしょう。直近の定期予測値によると、間違いなく……」

 

 上条には咄嗟に理解しがたい会話が聞こえてくる。

 女性が一人、手を叩いて子供たちに呼びかける。

 

「ハーイ、じゃあみんな集~合~!午後のお薬の時間だからねー!」

 チョコレートを配るかのような雰囲気だ。子供たちがわあっと集まる。

 アキラと呼ばれた少年も、屈託の無い笑みを浮かべて大人の元へ駆け寄っていく。

 

(それでね)

 上条は、タカシが立ち止まり、自分をじっと見ているのに気付いた。

(もっと、大きく力を伸ばそうとしたんだけど)

 ボールが上条の足元へ転がってきて、止まる。

 

 上条が顔を上げると、そこはいつの間にか廊下だった。

 

 全身を白い防護服で包んだ人物が4人、担架を運び、上条の目の前を通り過ぎていく。

 担架の上には、明らかに人がくるまれていると思われる膨らみがあり、それは微動だにしなかった。

 頭部があるはずの辺りは、灰色で大小様々な計器が取り付けられたヘルメットのようなものが見える。

 「No.23」とその側面に印字されているのを、上条は見た。

 

(僕らの体は、いつもどこか、うまくいかなくなった。やっと力を手に入れたとしてもね)

 タカシの声が聞こえ、上条は担架が運ばれていった方と反対方向を振り返る。

 

 別の大人に手を引かれたタカシが、不安を顔に浮かべて、担架が運ばれていくのを見つめていた。

 

「何だこれは。今も昔も変わらないじゃないか」

 不意に今度は、別の女性の声が聞こえ、上条は顔の向きを変えた。そこに居る人物を見て、上条は目を見開いた。

 赤や薄黄色でひどく汚れ、染まった白衣をまとった痩身の女性だ。確か、美琴が追っていた科学者だ。右腕は、失われていない。

「全くもって、不仕合(ふしあわ)せなことだ……」

 悲嘆に暮れた表情で、木山春生が微かな声で呟いた。

 

 その時、上条の周囲に爆音が響き渡り、閃光で包み込まれる。

 

 上条は腕で顔を庇う。周囲の世界が崩壊していく。

 

 鉄雄との戦いの場所で見たような、大小様々な瓦礫が、螺旋を描いて巨大なアキラの光球へと吸い込まれていく。上条の体も、それに向かって引き寄せられていく。

 劈くような悲鳴が後ろから迫ってきて、上条が顔を向ける。赤ん坊のような顔をした幻想猛獣(AIMバースト)が、引力によって身体を引き裂かれながら、断末魔の声を上げている。

 あれは、島鉄雄自身なのだろうか。それとも、鉄雄から脱した、力の塊なのだろうか。

 

 その時、不意に、巨大な石塊が目の前に現れ、上条は顔を覆った。

 

 

 

 

 雨だ。

 どんよりとした黒雲が渦を巻き、雨が降りしきっている。

 いつの間にか、辺りはどこまでも瓦礫が散乱した廃墟へと景色を変えていた。

 

 アキラと呼ばれていた少年が、両手を暗い空へと掲げている。その頬はすっかり濡れていて、ひどく泣き腫らしているようにも見えた。

 アキラが手を翳した先では、大小様々な瓦礫が浮遊し、二重螺旋の構造を描いていた。それは科学番組でありがちなコンピュータ・グラフィックスのようにゆっくりと回転し、天高く続いていく。

 

(それで、アキラくんは……)

 

 続いて聞こえたのは、27号(マサル)の声だった。上条が気配を感じて辺りを見回すと、先ほど研究所(ラボ)で見かけたよりも、更に重厚な防護服をまとった幾つもの人影が、墓場の鬼火のようにぽっと現れたのに気付く。その集団は自分とアキラを取り囲んでいて、中の一人が、鎮静銃を構える。銃口の向こう、筒の中には、果てしない虚空がある。上条の視線はその闇へと引き寄せられていく。

 

(たくさん人が死んじゃった。でも、君たちが住む街が出来上がった)

 上も下も、右も左も分からない虚空の闇の中で、上条はマサルの声を聞く。

(今じゃ数えきれない位の、力を持った人がいるんでしょ?君たちはうまくやってるよ。僕らの時代よりも、ずうっとね)

 

「うまく、だなんて……」

 上条は自分の右手を握り締めようと力を入れる。自分の体さえ一切見えないが、とにかくそうしようとした。

「そんな犠牲が……その上に俺たちはのうのうと立ってて。そんなことを、俺は今まで、考えもしなかった……だったら、そんな力、無い方がいいんじゃないのか!」

 

「でも」

 不意に声が、女の子のものへと切り替わる。

「仲間ができた。目に見える世界だけに頼らず、心と心で通じ合える、本当の仲間。それはきっと、私たち人間の進化。アキラくんの力も、あなたの右手も……方向は違っても、私たちはそうやって、未来を選ぼうとしているの」

 金田の目の前が、再びラボの白い室内へと変わった。

 髪を三つ編みにした美しい少女、25号(キヨコ)が、上条をまっすぐ見つめている。その後ろでは、26号、27号、28号(アキラ)、そして、他の20番台のナンバーズが、笑顔を浮かべて遊んでいる。

 

「仲間?」

 上条が聞き返す。

 

 そう。と、キヨコの声が、上条の思考に響く。

「金田くんや、美琴さん……アキラくんに、木山先生、鉄雄くん」

 8人のナンバーズが、手を取り合いながら、天へと昇っていく。

「カオリさんに、レベル5の人たち。それに……上条くん……」

 嵐が吹き荒れるようなノイズが、キヨコの声に覆い被さっていく。上条の体もまた、どこか別の場所へ向かって引き上げられていく。

 

 


 

 

 ビーッ、ビーッ、というけたたましいサイレンの音が耳を震わせたことで、美琴は周囲を見回した。

 どこかの病院だろうか、ガラス窓から処置室を見下ろすような上階に美琴は立っている。白衣を着た医者、というより、スーツの上に白衣を被った中途半端な格好をした大人が、何人も慌ただしく動いている。輸液がどうとか、心拍数がこうだとか、そういった言葉が切迫感を伴って聞こえてくる。それらの声は、妙にエコーがかかっていて、ぐわんぐわんと美琴の思考を揺らした。

 ガラス窓に手を押し付けた一人の後ろ姿を、美琴は見つめる。その人物は短めの茶色がかった髪をしていて、背格好からして恐らく女性だ。両手をガラスに張り付けたようにしながら、不動で立っている。

 ガラス窓の向こうに何があるのか、美琴はそろそろと(実際足音は全く立たなかったが)女性の横まで歩き、階下の様子を見下ろす。

 

「ひっ」

 

 その瞬間、目にした光景に、美琴は思わず口元を抑え、尻餅をつきそうな位の勢いで後退する。

 

他人(ひと)に観られるのは、何とも、苦痛だ」

 静かな声を聞き、美琴は、はっと顔を上げる。

 木山春生が、諦観に満ちた顔で立っていた。

 

「あなた、なぜ―――?」

 

「それはこちらの台詞だよ、超電磁砲(レールガン)

 木山が、美琴にちらりと視線を送って言った。

 美琴は唾を飲み込み、口を開く。

 

「でも、だって、あなたは―――」

 

「島鉄雄に呑み込まれて、死んだ。そう言いたいんだろう?」 

 木山は瞼を伏せ、唇を噛んだ。

「まあ、私もそう思ったよ。彼の体内で、私の体は圧し潰されたと……何故、事ここに至ったかは知らないが、これは間違いなく、私の記憶の世界だ」

 

「あなたの、記憶?」

 

 ああ、と木山はガラス窓の前の女性の背中を見つめて言った。

「さっき、私はナンバーズの子供らの記憶の世界にいたはずだが……そうだ、君のお友達かい?少年も一人いたよ」

 

「……アイツが?」

 逆立った黒髪をした、よく見知った顔を思い浮かべ、美琴は周りを見渡す。

「……ここには来ていないみたい」

 

「よく分からないな」 

 頭を振った木山の横を、こめかみに大きな色素班をもつ腰の曲がった老人がゆっくりと歩き、通り過ぎていく。

 その老人は、やがてガラス窓の女性の横に立ち、何事かを囁いたかと思うと、ポンと肩を叩き、去っていく。

 すると、へなへなと体の力を失った女性が、その場に膝をつく。ガラス窓に、白く爪痕が残る。

 

 美琴の目に、絶望に満ちた横顔が見えた。

 

「……アレが、あなた?」

 

 木山がほんの僅かに頷いた。視線は、後ろ手をひらひらと振りながら部屋を出ていく老人の曲がった背中へと、激しい憎悪をもって向けられている。

 

「『科学の発展に、犠牲はつきもの』だとは、よく言ったものだよ」

 木山が重い口を開いた。

「私の教え子たち……使い捨てにされたあの子たちは、今も目を開けることなく眠り続けている。私は救いたかった。それが、幻想御手(レベルアッパー)を創り出した理由だ。もっとも―――君から得た着想だがね」

 

 木山の言葉に、美琴は目を丸くする。

 

 その時、周囲の景色が、突風に飛ばされるように掻き消え、代わりに薄暗い廊下へと替わった。

 若き研究者としての木山春生が、瞬きせずに直立不動で立っている。呼吸器(マウスピース)を装着させられ、頭部を血塗れにした小学生低学年位の子どもが、何人もガラガラと運ばれていく。

 

「人体……実験」

 

「あのリーダー(ジジイ)は相当な権力者でね」

 現在の木山は、先ほどと同じように、美琴の横に立って、若き日の自分の背中を見つめている。

「アンチスキルはもとより統括理事会も札束を握らされている。そのお陰で、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)を、何度、何度も申請したが、跳ね除けられた。だから、巨大な演算装置が必要だったんだ。そうすれば、あの子たちを……」

 

「待ってよ」

 美琴は、何かに憑かれたように話し続ける木山を引き留めた。

「私が、レベルアッパーを開発するもとになったって、どういうこと?」

 

 木山が、光を失った瞳で美琴を見る。この世界に来て、初めて美琴は、まともに木山と目を合わせた。

 

「私は知ってしまったんだ。君も、私と同じ。抗うことのできない、絶望的な運命を背負っているということだよ」

 

「それって、どういう……」

 困惑する美琴の周囲の風景は、再び風に巻かれたように、所々歪んで曖昧になっていく。

 

 木山は再び顔を上げた。頬に一筋、濡れた跡が見えた。

「私は、恐らくもう生きて戻ることはない……だから」

 

「ねえ、木山先生」

 

 美琴が呼びかけた時、木山春生の体にも、黒ずんだ光のようなものが走り、その形を模糊にしつつあった。

 記憶の世界が、崩壊していく。

 美琴は慌てて、木山に駆け寄ろうとした。

「ちょ、ちょっと―――」

 

 

 

「あなたには、待っている人がいるでしょう?」

 突然聞こえて来た少女の声に、美琴も木山も視線を下ろす。

 廊下としての特徴を失い、ただの白い床が残った、美琴と木山の間に、ナンバーズの一人、キヨコが立っている。

 

「短い間だったけど、ラボであなたの心を読んで、分かったの。あなたは、とても優しい心の持ち主だって」

 灰色の髪を揺らして、キヨコが木山を見上げる。

「あなたを、待つ人がいる世界へ帰すわ。私たちは、もうすぐここから()()()()()()けど、今なら……一人だけなら。元の世界へ戻すことができる」

 

 キヨコが、皺の刻まれた小さな手を木山へと差し出す。

 木山は視線を落とし、それから戸惑ったように美琴を見た。

 

「だが、それなら彼女に……」

 

 木山の迷える表情を見て、美琴はふっと笑みを浮かべた。

「あー、私、自分で何とかするから。それに、教え子たちのこと、本当に諦めるの?」

 美琴の言葉を聞いて、木山が雷に打たれたような顔をした。

「もし恢復したとして、あなたがいなかったら、悲しむよ、きっと。その絶望的な運命ってのが、どれほどのものか、()()()()()()()()()()()()―――」

 美琴が、白く染まっていく周囲を見渡して、それから拳を握りしめた。

「私だったら、諦めない。切り開いて見せる。今も。これからも」

 

 木山は、驚いた顔をやがて緩めた。

「……すまない」

 

「謝るんだったら、元の世界で、眠らされた一万人に謝ってよ」

 美琴は手を振る。

「ああ、そうだ……カオリさんには真っ先に。あと、佐天さん。私の友達だから」

 

「……約束しよう」

 木山は微かに笑みを浮かべ、頷いた。それからキヨコを見た。

 キヨコもまた頷く。

 キヨコの差し出した手に、木山が自分の手を重ねる。

 

 すると、木山の姿は忽然と消えた。

 

 

 

 キヨコが美琴を振り返る。

 美琴は驚いた。キヨコの顔から、皺は消え失せている。

 

「……アンタ、そんなに可愛かったんだ」

 

 キヨコは、片手を口元にやり、気恥ずかし気に首を傾げ、はにかんだ。おさげがふわりと揺れる。

「ふふっ!どうもありがとう!超能力者(レベル5)のお姉さん!」

 

 白く染まり切った世界で、美琴は体が浮かび上がる感覚を覚える。

 

(彼が、あなたたちを元の世界にきっと帰してくれるわ)

 キヨコの声が、頭の中に響く。その姿は、もうすっかり下方で小さくなり、やがて光に隠されるように見えなくなっていく。

(きっと、大丈夫。未来は、あなたたちが創っていくものだから)

 

「……とうま」

 体を穏やかな波に預けているような感覚に包まれ、美琴は小さく呟いた。

 

 


 

 

 泣き声が聞こえる。

 児童養護施設に隣接した小さな公園には、ビルの向こうから漏れ出た夕日が静かに広がっている。

 

 ポロシャツを着て、短い髪をした一人の男の子が、土を被った袖で目を拭い、それから水飲み場の蛇口を捻った。手を冷たい水に曝し、時折鼻を啜る。

 

「あいつら、能力者(ノーリョクシャ)になるために学校行くんだってよ、嘘だろよ絶対」

 不意に男の子に声がかかった。男の子は、擦り傷を負った手から視線を上げる。

もう一人、片方の鼻の穴から血を垂らした少年がいた。少年は、気の強そうな顔でニッと笑いかけた。

「だってさ、考えてみろよ?能力者なら、ケンカなんてこう、念力でスプーン曲げるみたいにさ、よゆーで勝てるに決まってんじゃん?だけどさ、一・二発引っぱたいたら、ガキみたいに泣き出して逃げやがってやんの、弱っちいじゃねえか、なあ?」

 

 ポロシャツの男の子は、潤んだ目で、現れた少年を見る。

 

 少年は、ごしごしと手の甲で鼻を拭い、フンと鳴らすと、公園の出口の方を睨みつける。

「アイツら、偉そうにしやがってさあ!俺らのこと、『捨て子』とか『なんとかエラー』だとか言ってよ!なんだよ、エラーって。機械じゃねえっての俺たち」

 そう言うと、少年は何かを思い出したように首を傾げ、頭をぽりぽりと掻いた。

「ん、まあ、確かにウチの母ちゃん、ホジョキンが出るからってさ、こんな知らない町に俺のこと放り込んだけどよ。しょうがねェんだよなァ、弟の世話で忙しいんだって……で、お前も最近来たの?」

 

 少年からの問いかけに、男の子は身を引いて、おずおずと頷く。

 へえ、と少年は再び得意げに笑みを浮かべる。

「そっか!じゃあ、俺がいろいろ教えてやんよ!つってもまあ、俺もこないだ来たばっかしだけど―――」

 

「忘れ物だよ!アンタ!」

 またしても別の人物が現れた。

 茶色のショートカットに、吊りスカートとブラウスに、蝶ネクタイという出で立ちの、活発そうな女の子だ。服装を見れば、2人の少年とは明らかに異なる雰囲気だったが、今、その洒落た服は、少年たちと同じように泥に汚れている。

 呆れたような、怒ったようなふくれっ面を浮かべて、女の子は手を差し出した。砂に塗れたロボットの玩具が握られている。

「ケンカ売ったなら、ちゃんと取られたもの取り返しなさいよ!」

 

「何だよ、いきなり人のケンカに割り込んできたくせに。お前のことなんか知らないぞ?大体、それ俺のじゃねえし」

 少年が邪険に扱うと、女の子の膨れた頬に更に赤みが増した。

 

「ハア?助けてやったのに、その言い草は無いでしょ!」

 女の子が負けじと言い返す。

「あたしが手伝わなかったら、アンタ、絶対負けてたからね」

 

「ンなことあるかよ!ぜッてー、俺一人で何とかなったし、あんな奴ら!」

 

 あの、とポロシャツの男の子が声を出す。

 少年と女の子はピタリと言い争いをやめ、男の子を見る。

 

「……ああ、もしかして、君の?ホラ」

 女の子からロボットを差し出され、男の子はこくりと頷き、それを受け取る。

 

 フン、とまた鼻を鳴らし、鼻血の少年が女の子を見る。

「……で?お前、誰?俺らの施設じゃねーだろ、あそこにそんなおじょー様っぽいカッコしてる奴ァいねーもん」

 

「あのね、私、さっき慰問演奏に行ってたの!あんたんとこの施設に」

 

「イモン……何だよソレ、焼いたら旨いのか?」

 

「あーもう!バイオリン、ピロティで弾いてたでしょ!聞いてなかったの?」

 

「知らね。きょーみないし」

 

 まるで思いやりのない少年の返事に、女の子は息をのみ、それから大きく吐き出す。

 

「そんなすげえ楽器を弾くおじょー様が、なんでこんなとこにいンだよ」

 からかうように少年が言うと、女の子は腕組みをして、しばらく黙り込んだ。

 

「……退屈なの。どうせこの後、どっかの偉い人と夕飯食べて、それから塾に行って……将来は、いい学校に入れって、いっつも言われてるから……」

 

 少年と男の子は、先ほどとは打って変わって静かに語る女の子の言葉に聞き入っていた。

 

「へえ、おじょー様も楽じゃないンだな」

 口を開いたのは少年だった。一歩女の子へと歩み寄る。

「名前、なんていうの?」

 

 問われた女の子は、吊りスカートを握りしめていた手を緩めた。

「……みこと。あたしは、御坂美琴っていうの」

 

「みこと、美琴か!」

 少年は、ニッと歯を見せて笑った。

「美琴、助けてくれてありがとな!」

 

「さっきはそんなこと言わなかったくせに」

 呆れたようにため息をついた女の子は、少年へ顔を向ける。

「で、あんたは?」

 

「俺?俺は、金田ってんだ」

 

 互いに名乗った2人は、ロボットの玩具を手にする男の子を見る。

 

「俺たちさ、人数多い相手に、一緒に立ち向かったんだ。すごくね?なあ!」

 金田の誇らしげな言葉に、男の子は目を丸くする。

 

「僕」

 少年が、口を開く。

「僕は―――」

 

 

 

「御坂」

 上条当麻が、美琴へと声をかける。

「金田」

 ()()()()()()()()()()と、()()姿()()()()が、上条の方を振り返る。

 2人とも、一瞬呆けたような表情を浮かべる。

 

「……そうだ」

 美琴が、静かに言った。

「帰らなきゃ―――」

 

「いや、でも」

 金田が、夕日の差す方を振り返る。辺りに、夜がひたひたと迫ってきている。

 

「鉄雄」

 ポロシャツ姿の、幼い姿のままの鉄雄が、名前を口にした。どこか、安心したような表情を浮かべている。

「島、鉄雄っていうんだ」

 

「鉄雄」

 金田が、手を伸ばす。

「俺は、あの時……友達になろうって、そう思ったんだ……」

 

 金田の声を聞いた鉄雄が、はっきりと笑った。

 

「ともだち、友達……」

 

 上条が、意を決して島鉄雄へ歩み寄る。右手で、自分よりもずっと背の低い、鉄雄の頭に触れる。

 

 次の瞬間、遠くから眩い光が差し込んだかと思うと、夕焼けがぼろぼろと剥がれ落ち、風が唸る音が響き出す。

 上条は後方へ弾かれてよろけた。態勢を立て直すと、夕陽の代わりに、アキラの光球が輝いているのが見える。辺りの風景は、それを目指して崩壊し、引き伸ばされていく。

 金田が、ふらふらと鉄雄の方へ歩き出す。上条はそれを見て、引き留めようとする。

 

「金田」

 

「金田ッ!」

 上条と美琴が、ほぼ同時に金田の肩を掴んだ。

 

「か……ね……だ…………」

 アキラの光を背に、笑顔を浮かべた鉄雄の姿もまた崩壊していく。

 

「てっ」

 声を漏らした金田の瞳は、潤んでいた。

「鉄雄ォ!!」

 

 強烈な引力が3人を襲う。金田の姿もまた歪み出す。

 力の奔流に巻き込まれながら、上条の右手が、青白く、眩く光り出す。

 美琴が上条の手を両手で掴み、目をしっかりと閉じて踏み止まろうとする。

 上条は、美琴の支えを借りながら、右腕をあらん限りに伸ばす。

 金田が、涙を流しながら、振り返り、手を差し出す。

 

 3人の手が、重なり、触れ合った。

 




次話が、本編最終話です。

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