絵のように閑静だった住宅街は、ボウルの中の板チョコレートのように粉砕されたアスファルトによって様変わりしていた。道路の建材同士が擦れ合ったり砕け合ったりする地鳴りが断続的に響き、いくつもの箇所から水流が夕暮れの空目掛けて打ち上がっていた。
「鉄装!!」黄泉川は先ほどの爆発で倒れ伏していた
一方、警備員と同様に気絶していた山形は目を覚ましていた。火傷を負っている甲斐と共に、黄泉川たちとは逆側に避難し、目の前の異様な光景に呆気に取られていた。
「なンだこりゃァ……あいつらの仕業なのか!?」
「おーい!金田ァ!どこだァ!!!」
甲斐が思い切り叫んだその先で、再び道路が変動し、一部分が大きく隆起した。
金田の姿は見えない。
甲斐は、一番高く盛り上がった場所に立つ小男を睨んだ。
タカシは隆起した道路の一部分の頂点に立っていた。すぐ側にマサルが現れている。
「マサル!タカシを連れてすぐこちらへ戻るんだ!」
敷島大佐が無線でマサルに呼び掛けた。
「もう大丈夫だタカシ!さぁ一緒に!」
「ウン」タカシはようやく少し安堵の表情を浮かべて、汗と泥に汚れた手をマサルの浮遊ユニットへと差し出した。「ありが―――」
その時、ソフトボール程の大きさのアスファルトの塊が勢い良くタカシ目掛けて飛んできた。タカシは後頭部に衝撃を受け、バランスを崩し転がり落ちていった。
「タカシ!―――ううッ」
マサルはタカシの痛みを共有し顔を歪めた。
「マサル!どうした!」敷島大佐は後方から叫んだ。マサルから明確な応答は無い。
「へへッどうだ!!」先程銃の暴発で倒れていた金田が再び立ち上がっていた。鼻血を流している。ゴム弾とはいえ、何発も顔面に受けそれだけで済んでいるのは驚くべきことだった。「さっきのは山形と甲斐の分―――そしてこれが―――」
「あッ」両手をついたタカシは、自分目掛けて足を振り抜こうとする金田の姿を見た。
「鉄雄の分だァ!!」
「やめて!!」
マサルが痛みから意識を呼び起こし、金田へと集中した。
金田はサッカーボールのように、タカシを蹴り飛ばす算段だったが、タカシの目と鼻の先で足を取られたような感覚がした。そのまま、金田は後方へと飛ばされ、強かに背中を地面に打ち付けた。
タカシが、吹き飛ばされた金田の方を見た。その顔は、不安ではなく寧ろ怒りで歪んでいた。
「やべっ」金田は痛みをこらえて、何とか体を捻って転がした。間一髪、金田のいた場所を亀裂が走り抜けていく。そのままタカシの能力(ちから)は、金田達の後方に控えていたアーミーの部隊の方へと達していく。
「退避ィ!」慌てた兵士たちは隊列を崩した。何人もの兵隊が足を取られ、倒れ、そこかしこで叫び声が上がった。
金田が避けたのを見て、タカシは一層表情を険しくして、再び意識を集中した。目は見開かれ、額にはこれ以上ないほど汗が浮かんでいた。「―――ッ!!」
「もうやめてくれ!」
次の瞬間、タカシの放たれようとしていた力は不意に霧散した。タカシは肩に置かれた手を見た。
上条が、右手をタカシの肩に置いていた。
「これ以上能力を使ったら、よく分かんねぇけど、お前―――」上条は息を切らして語り掛けた。「持たないんじゃないのか?」
上条の声を聞き、そして自分の能力が思ったように出せないことを自覚して、いよいよ意識が薄れかけたタカシは、その場にへたりこんだ。
すると、波打っていた地面は動かなくなり、地鳴りも止んだ。
「おいッ」上条はタカシを揺さぶった。「しっかりしろ!」
「タカシを離して!」マサルが、上条の頭上から呼びかけた。上条は見上げて、浮遊ユニットに入ったマサルを見た。
「彼は、ぼくらと一緒じゃなきゃ、いけないんだ」マサルはガラスの中から手を差し出した。その掌に、27とプリントされているのを、上条ははっきりと見た。
「お前らは一体―――」
「確保ォ!!」上条が言いかけた時に、兵士の誰かが叫び、一斉に上条達へと距離を詰めてきた。
まずい、このままじゃみんな捕まる―――上条は苦しむタカシを、次にマサルを一瞥して、兵士たちが逃れようとその場を駆け出した。
「おい待てェ!」上条は数歩走り出したところでいきなり足首を掴まれてつんのめった。金田が唾を飛ばしながら、大声で上条に叫んでいた。「置いてくなァ!」
「はァ!?」上条は足を引き抜こうとしたが、金田が予想以上に強い力で掴んで離さなかった。「こんなことになったのもお前のせいだろおが!!」
「足くじいたんだよ!」片足を引きずって立ち上がり、今度は肩を掴んできた金田の言葉に、上条はここまで自分勝手な人間がいるものかと顔をしかめた。「お前も人助けが好きなら俺だって―――」
「逃がすなァ!」何人もの兵士がすぐ側まで来ていた。上条は必死で金田の腕を引っ張り、再び走り出した。
「ええい畜生お!!早く逃げるぞ!!」
二人は兵士たちの腕を掻い潜りながら、無我夢中ででこぼこになった道路を逃げ出した。
「マサル……もう限界だ……」上条と金田が去った後、タカシは立ち上がれずに、マサルへと助けを求めた。
「タカシ……!」マサルはユニットのガラスを開けて、ポケットから何かを取り出した。「カプセル!」
数錠のカプセルが、タカシの掌へと収まった。「さァ、早く!」マサルはタカシの側へ再び近づいた。タカシが急いでカプセルを飲み込むのと同時に、二人は大佐のすぐ後ろへと転移した。
「あれは!!」その時、大佐の側の兵士が何かを指さして叫んだ。
別の警備員の車両が、先ほど退避したアーミーの部隊を蹴散らすように猛スピードで突っ込んできた。「黄泉川先生ェェ!早く!」
運転席の窓から、尖った前髪と顎が声を張り上げた。車は先程の地割れで通れなくなるギリギリの所で急停車した。
黄泉川はまだ意識がはっきりしない同僚に肩を貸して立ち上がった。
その時、地面に何かが落ちているのを見つけた。
「これは……?」
「あーッあのアゴ!!」「助けにきたのかァ!?」金田や上条達は痛めた場所を抑えながら慌てて駆け寄った。
「助かったじゃん!高場先生!」黄泉川も同僚に肩を貸して乗り込んだ。
「鉄装さんは無事で?―――あれェお前らァ!」高場は黄泉川や上条に続いてよたよたと乗り込んでくる、金田、甲斐、山形の3人を見て声を裏返らせた。「アーミー相手に何やっとんだァァ!?」
「話はあと!!」黄泉川は後部座席に同僚を座らせると、すぐ助手席のドアを勢いよく閉めた。「出して!!」
ギャァン、と音を立てて、車は急発進し、元来た方へ走り出した。
「大佐!逃げます!!」
「構わん!!」追跡しようとする部下を大佐が押し留めた。「これ以上、荒立てるな!」
大佐は、泥と水に塗れ、大地震の後のように崩壊した目の前の道路と、その奥を遠ざかるアンチスキルの車両をじっと見ていた。「もう十分暴れてしまったが……」
「点呼ォ!確認次第、動ける者は作業にあたれェ!」辺りがようやく落ち着いた所で、兵士たちは現場の応急的復帰と、負傷者の確認を始めていた。
「理事会にはなんと?」隣の黒服が大佐に聞いた。
「私が責任を取る。これはやむを得なかった事だ」大佐は低い声で答え、踵を返した。
軍用トラックの中にはマサルとタカシがいた。タカシは先程瓦礫をぶつけられた後頭部を、衛生兵に手当てしてもらっている所だった。
「大事はないか?」大佐が膝をついて、マサルやタカシと目線を合わせた。
「出血が多少ありますが、一先ず、骨や脳に異常はないでしょう。安定剤を摂取したため、落ち着いていますし」衛生兵が答えた。
「あの少年、タカシの力を止めたんだ」マサルが横になったタカシを見ながら呟いた。
「それは今重要ではない、タカシ」大佐はタカシを厳しく見据えて言った。「あの場でカプセルを与えたのか?」
ビクッと肩を震わせてマサルは身を縮めた。「は、ハイ……タカシが危なくて……」
「落としてはいないだろうな?」
大佐の重ねての問いに、マサルは、それはない、きっと。と小さな声で答えた。
「なンだよ」金田は、こちらを腕組みして見据える黄泉川を睨みつけて挑発した。
その日の夜、金田達は警備員の事務所へと連れて来られ、傷の手当てを受けていた。金田はタカシに吹き飛ばされた際の足の負傷を、また、山形と甲斐、上条は車が爆発した際に負った火傷を手当てしてもらっていた。
「お前、助けてもらっておいて、その言い草は―――」上条が憤慨して金田に言った。
「いいじゃん、上条君」黄泉川は上条の言葉を遮って、なおも金田を見つめていた。
「私らが謝らなきゃいけないじゃん」
は?と肩透かしを食らって、金田や甲斐、山形は黄泉川を見直した。
「今回、君たちをあんな危険な目に巻き込んでしまったのは、私らの判断ミスじゃん」黄泉川はじっと金田を見つめている。その目は金田の予想に反して、こちらを叱ったり見下したりする教師の目ではなく、憂いを帯びたものだった。金田は見返すことが躊躇われ、顔をややそむけた。
「アーミーがあそこまで強気で来るのも、連れて行こうとした彼の
「黄泉川先輩……」額に包帯を巻いた同僚の警備員が、そんな黄泉川の姿を見て声を漏らした。
金田達も、上条も黙っていた。少しの間、部屋は静けさに包まれた。
「……どうした先生、優しいじゃん……」金田が頭を掻いて呟いた。
「けど、君にはひとつ聞かなきゃいけないじゃん」黄泉川は顔を上げ、金田に向かって言った。声色がやや厳しくなっていた。
「なんであの時、鉄装の―――」そう言って黄泉川は同僚の方をちらりと見た。「銃を奪って、あの彼を人質に取ったん?」
「俺らの仲間があいつにやられたからだ!!」金田が握り拳を作って言った。「それも、2度もだ!」
「だったら!」黄泉川は声を張り上げて言った。「―――仲間を思ってやったんなら、その結果どうなった?」金田は黄泉川に言われて、甲斐を、山形を見た。二人とも、あちこちに傷を作った顔を、居た堪れなさそうに金田から背けた。
「―――少なくとも、アーミーやあの少年達を焚きつけるようなことは、するべきじゃなかったじゃん」黄泉川は諭すように、少し声のトーンを弱めて言った。「君も、チームのリーダーなら、その判断力を磨いてかなきゃいけないじゃん」黄泉川は腕組みを解いた。「仲間を守りたいんならね」
そして、同僚の方を向いて言った。「鉄装、始末書を書かなきゃいけないんだけど、手伝える?」
「も、もちろんです!」鉄装と呼ばれた、眼鏡を掛けたアンチスキルはがばっと立ち上がり即答した。
「大丈夫?ありがとう」黄泉川の表情が、柔和なものになった。「じゃあ行こうか、あ、それと君たちも、もう帰っていいよ」
「ハイ」黄泉川の言葉に、まず立ち上がったのは上条だった。
「上条君、今日は迷惑かけたね、すまなかったじゃん」扉の近くで、黄泉川は振り返って上条の方を見て言った。
「いえ、そんなことは」上条が答えた。
「ありがとう、力を貸してくれて」黄泉川はやや声を大きくして言った。「君らも彼に感謝するじゃん」
「は?どういうことだよ」甲斐が訝しげに言った。
「あの爆発で、君たちや鉄装がただの火傷や気絶で済んだのは……上条君のお陰じゃん」黄泉川は上条に微笑みかけ、それから鉄装と一緒に扉を開け、部屋を出て行った。
あとには、学生達が残された。
「お前、なンかしてくれたンか?」山形が部屋を出て行こうとする上条の背中に問いかけた。
「別に―――」上条は背中を向けたまま言った。「上条さんは何もしてませんよっと」
「うわ、自分のことさん付けとかきめェ……」甲斐がからかうように言った。
「こっちこそ、お前らとはもう会うのはごめんだよ」上条は手をひらひらさせながら出て行った。
そして、部屋にいるのは、金田と甲斐と山形だけになった。
「……なあ、金田」甲斐が金田におずおずと言った。黄泉川の言葉を聞いてから、金田は俯いて押し黙ったままだった。「俺ら、気にしてねェぜ?なァ山形」
「ん?あぁもちろん」山形も笑って言った。「こんな傷、クラウンのやつらとしょっちゅうやり合ってできてんじゃんかよ」
金田は甲斐と山形の方を見て、何とも言えない表情で口を開いた。「いや、俺は……」
「それより、いいニュースだぜ、金田」山形が、ポケットから携帯を取り出して、画面を突き出して見せた。そこには、メッセージアプリが表示されていた。
「鉄雄の奴、さっき帰ってきたらしいぜ!」
オフィスで報告書を作っていた黄泉川は、一旦パソコンを打つ手を止め、伸びをした。そしてため息をひとつ大きくつくと、ポケットの中をまさぐった。
「これが……何か手掛かりになるかも……」
黄泉川の手には、一錠のカプセルがあった。