【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

120 / 123
本編最終話です。


120

「……なんてことじゃん」

 眼前に広がる光景に圧倒され、黄泉川愛穂は息を呑んだ。

 

 かつて、石棺があった位置に、地下から巨大な構造物が噴出し、直後から辺り一帯で島鉄雄が変異したという異形の生物が暴れ回っていた。負傷を押して駆けつけたところ、巨大な光球が出現し、直後、眩い光と共に、瓦礫の山は消え去った。

 今、黄泉川の目の前、一面に大口を開けているのは、野球ドームを幾つも呑み込んでしまいそうな程の広大なクレーターだった。月面からそのまま切り取って持ってきたかのようなその赤茶けた荒野は、底に至るまでは家屋を何軒も重ねる位の深さがある。水道管が露出したのか地下水脈を断ったのか、あちこちから水が噴出してちょっとした湖を形づくっている。辺りは真夏とは思えないような冷たい風が吹いたかと思うと、熱風が吹き抜けることもあり、奇妙な空気感で満たされていた。巨大な光球が輝いた頃には上空に黒雲が沸き立ち、一時は俄雨も振ったが、今は一時の勢いを弱め、雨は止みかけている。台風が襲来した時のように刻一刻と形を変える厚い雲の隙間からは、徐々に紺碧と光が差し込んで来ようとしていた。

 

「鉄装……!」

 先行して現場へ向かった後輩の名を、黄泉川は悔悟の念を込めて口にした。

「すまない……私が、こんなザマなばかりに。若いお前が命を散らすことになるなんて―――」

 

「そ、そんな自分を責めないでくださいよ。まあ、いや、死んだかと思ったのは本当ですけど!」

 

「ああ、そうだとも!」

 黄泉川は拳を握りしめ、自らの脇腹を打った。負傷した片足が疼く。

「私は、子どもたちを止められなかったばかりか、仲間すら死に追いやった大バカ者じゃん!」

 

「あの、黄泉川先生?私、死んでませんってば!!」

 

「ああ、死んで―――えぇ!?」

 目を丸くした黄泉川が、背後を振り返り、素っ頓狂な声を上げた。

「鉄装!!生きてたじゃん!?」

 

 鉄装綴里が、笑みを浮かべて黄泉川へ近寄る。眼鏡についた乾いた泥が、はらはらと剥がれ落ちた。それを見た黄泉川の顔にも、張り詰めた糸が解けたように笑顔が浮かんだ。

「良かった!!通信はずっと繋がらないし……一体何があったじゃん?」

 

「自分も何があったか、どうも分からず……カオリさんを確保した直後に、突然、私や他のチームメンバーは空間移動(テレポート)させられたんです。あんな一遍に、大人数を……」

 

「カオリ……今、あの子は?」

 

「無事です」

 鉄装が答えた。

「酸欠状態に陥っていたので、まだ万全ではないようですが、命に関わるものではないです」

 鉄装は、広大なクレーターを眺め、ため息をついた。

「変異した島鉄雄は……異様でした。正直、自分は怖くて、足が竦んでしまって……まだ、生きているのが夢じゃないかと思います。先遣隊のメンバーも手ひどく被害を受けましたが、幸い全員生きています。島鉄雄は……どうなったのでしょうか?影も形もないです」

 

 黄泉川は俯き思案しながら、鉄装の言葉に聞き入っていたが、ふと顔を上げた。

「上条当麻と、御坂美琴は……?」

 

 黄泉川の問いに、鉄装は口を開いたが、暫く答えに窮した。

「……今、皆で捜索しています。転移させられる直前まで共に行動をしていたのですが、その後は……」

 

「上条……!」 

 鉄装の答えに、黄泉川は唇を噛み締め、クレーターを睨む。

 空からは、何台もの救援のヘリコプターのローター音が聞こえ、雨の匂いが急速に漂ってきた。

 

 


 

 

 夜明け前と見まがう程、光が乏しく、湿気に塗れたクレーターの底で、御坂美琴は雲の隙間から徐々に青を覗かせつつある空を見上げた。

 

「帰ってきた……んだよね?」

 

「じゃなきゃ、なんだ?ここは地獄の窯の底か?最も、こんな湿っぽいんじゃあ、マッチ一本の火も起こせないだろうけどさ」

 後ろから、上条当麻が冗談めかして声をかける。

「色々あり過ぎて、よく分かんねえけど……俺たち、生きてるのは確かだと思うぜ」

 

 美琴は振り返り、上条を見てふっと笑みを浮かべる。

「あんたに助けられた……ってことでいいんだよね?ありがとう」

 

 美琴の礼に対し、頷きながら上条は歩く。

 薄い反応のまま、上条が自分の横を通り過ぎたので、美琴はやや不服そうな顔をした。しかし、すぐにその表情は消える。

 

 上条は、膝をついて座り込んでいるライダースーツの後ろ姿に歩み寄っていた。

 

「……金田」

 上条が名を呼ぶ。

「すまない。助けられると思ったんだけどさ……ダメだった。アイツは……」

 

 沈んだ上条の話し振りを耳にして、美琴も黙って金田の背中を見つめる。

 慎重に言葉を選んで話そうとする上条に対し、金田はすぐに返答せず、ゆっくりと立ち上がり、空を見上げる。

 ブーツが泥を踏みしめ、湿った音を立てた。

 

「……行っちまった」

 金田は、まず一言、そう口にした。

「鉄雄も。実験体(ナンバーズ)の奴らも。アキラも……」

 

 上条と美琴が、金田と同じように上を見上げる。すると、3人は急に眩しさを感じ、それぞれ腕を翳す。

 雲の隙間から日の光が差し込み、3人の居る位置をスポットライトのように照らし出す。それは凹凸の激しい荒れた地面の上を静かに滑り、湿り気を纏った黄金の帯を揺らめかせた。

 

「ありがとうな」

 金田が感謝の言葉を述べて、上条はえっ、と聞き返す。

「あれは俺の記憶だったけど……お前、(すげ)ェよ。その右手、人の心にまで上がり込んで引っ張れるんだな」

 

 どうも素直に礼を言われているとは思えず、上条は曖昧に笑う。

 

「アンタにも感謝しなきゃだ、美琴」

 金田から、存外にも下の名で呼ばれたことで、美琴は驚く。

 

「俺、ずっと忘れてたよ。俺ら、前にも会ってたんだな」

 

 美琴は、金田の言葉を聞くと、ふっと肩の力を抜き、笑った。

「……そうね。私も心の奥にしまい込んでた」

 

「お陰で、2人とも戻せたんだな」

 上条が、美琴と金田の間に入り、しみじみと言った。

 

 その時、3人の頬に、ほぼ同時に雫が落ちた。

 

 改めて3人が上空を見上げる。

 天気雨だ。

 光の帯が、いつの間にか無数の粒となって煌めき、土埃を洗い流すと、3人の体にも荒れた大地にも、潤いを降らせている。それらは、頬を、体を伝い、地面で跳ね返って、泥と混じって3人の体を濡らした。そうして、3人は、数え切れない光を纏っていた。

 

「……鉄雄」

 金田が、両の掌を上に向け、雨を受け止める。

 

 美琴は、金田が言わんとすることが何となく分かるような気がした。

 不思議と温かみのある雨粒だった。それらは、一粒一粒の中に、遥か遠くからの記憶を秘めている。島鉄雄に、キヨコ、タカシ、マサル、アキラ。そして、幻想御手(レベルアッパー)を通して繋がった、一万人を超す人々の思いが、光になって、今、降り注いでいる。それらは土へ、川へ、海へ、水蒸気へ、形を変えながら、元の持ち主の所へ還り、或いは互いの人間の心へと溶けていく。

 

 

 

 雨と光をもみくちゃにしながら、一台のヘリコプターが降下してくる。

 ダウンウォッシュとローター音の渦が、金田たち3人の元にも届く。

 

「おぉぉい!!上条ぉ~!御坂ぁ~!」

 メガホンを手に、黄泉川愛穂が、スライドドアを開け放って叫んだ。

「あれぇ!!?金田クンじゃん!どうして―――」

 

「黄泉川先生……!」

 美琴が笑みを顔いっぱいに浮かべて、大きく手を振る。

 

 対照的に、金田はゲッと声を出した。

「あのセンセ……まさか俺を捕まえに来たんじゃねェだろうな……」

 

「黄泉川先生!」

 上条が、笑いながらも心配そうに叫んだ。

「あの、そんな体乗り出したら、危ないですって!!」

 

「とにかく、生きてて良かったじゃん!!」

 上条達の言葉は駆動音にかき消されて聞こえていないだろう。操縦席の方へとしきりに顔を向けながら、黄泉川は破顔して叫び続けた。

「ずーっと電話がかかってきてるんだ!白井や小萌から『無事か』ってなぁ!!待ってろ、今助けてやるからな!!オイ、早く降ろしてくれ!無理!?ケチくさいこと言ってないで、ほら、ランディングだランディング!じゃなきゃ梯子出すじゃん、梯子!!」

 

 ヘリコプターのローターに散らされる雨は、徐々にその勢いを弱めつつあった。クレーターに、光が広がりつつある。その光は、街全体の空と繋がり、よく見慣れた夏の風景へと合わさっていく。

 

 

 

 

 

「黄泉川先生!?無茶しないでください!聞こえてますぅ!?上から見てて、冷や冷やしますってば!!」

 接続状況が相変わらず不安定な通信機に向かって叫びながら、クレーターの外縁に立つ鉄装は、はらはらと学生達の救出の様子を見守っていた。

 そこへ、別の隊員が駆け寄り、何事かを鉄装へ知らせる。

 

「あ、ハイ、何でしょう……えぇっ!?木山春生が!?どこに!」

 仲間から知らせを受けた鉄装は、踵を返して走り出す。

 その途中、一度立ち止まった。

 

「ああ、カオリさん!まだ安静にしてなきゃ―――動いちゃダメですよ!」

 

 言うが早いか、慌ただしくまた駆け出した鉄装には目もくれず、ふらふらと一人の少女が歩く。

 輝くような日差しが戻って来た空と、巨大なクレーターを眼前に、少女の頬に涙が一筋伝う。

 それは、もう間もなく止んでしまうであろう雨と一緒になって、少女の頬を濡らし、服に染みを作っていった。

 少女が片手を伸ばす。

 掌に、雨粒が2,3滴弾ける。ほんの僅か、光が煌めいた。

 

「……鉄雄君」

 カオリは、濡れた手を愛おしそうに胸元へ寄せ、強く握り締めた。

 

 学園都市は、夏だった。それは、いつも通りのようなうだる暑さに、ほんの少し、瑞々しさを垂らしたものだった。

 

 

 




本編はこれにて終わりです。

エピローグを投稿して、完結します。

最後までお付き合い頂ければ幸いです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。