「妹が……
窓のない汚らしい一室で、額に包帯を巻いた竜作は絶望を顔に浮かべながら言った。
近くの床には、死亡診断書の写しがビリビリに引きちぎられ、散乱している。
「残念だが」
剃刀のような雰囲気を醸し出す黒服の男、杉谷が仁王立ちして言った。
杉谷の目の前では、椅子に座った竜作が、目を閉じ、頭を抱えて俯いている。
「薬物中毒の治療と、幻想御手による錯乱と……無理が祟ったのだろう」
「俺の……たった一人の妹なんだぞ!!」
竜作が座っていたパイプ椅子を壁に投げつけ、慟哭した。
「レベルアッパーなんて、あんなモノさえなければ……あぁ―――」
杉谷は、膝をついて泣き伏している竜作を見下ろした。
「仇を取りたいだろう」
竜作は、真っ赤に泣き腫らした目で杉谷を見上げた。
「考えてもみろ。レベルアッパーを世間に流したのは誰だ?アーミーだ。本部ビルに乗り込んだお前が転落し、数日昏睡した原因は?アーミーだ。ここ最近の混乱に乗じて、お前たちの同胞を学園都市から駆逐したのは誰だ?尻尾を振る相手を挿げ替えただけの、アーミーの兵隊共だ。お前の妹が命を落とす原因になったのは―――」
「憎い!」
竜作が拳を握りしめて叫んだ。
「殺してやる!俺の妹を、殺した奴を、俺が、この手で……」
杉谷は膝をつき、竜作と視線の高さを揃えた。
「敷島大佐が、明日、一七学区の拘置所から移送される。行先は本国東京だ」
竜作が、ハッとした顔で杉谷の顔を見た。
「奴は政治犯だ。学園都市の壁の外へ出てしまえば、我々の手の及ばない所にいってしまう。ブクブク太った政治家たちの駆け引きに使い捨てられるだけだ。無論、そこにお前が付け入る余地は無い。だが言い換えれば、奴がこれ以上喋る前に、消えてほしいと願う人間は少なくないんだ。お前に、その一手を下すたった一度のチャンスを与えることができる」
竜作は、漆黒のサングラスの向こうにある筈の、杉谷の目を直視した。
「さあ、どうする?」
答えは決まり切っていた。
その翌日。
杉谷から渡された武器の引き金に、竜作は指を架ける。
7月に、第七学区の病院前で、大佐を狙った時と同じだ。
1kmは離れているであろう、訓練を受けた軍人でも容易くはない距離。無人のビルの屋上から、竜作は報道陣が囲む、拘置所の出口の僅かな空間を狙う。前回と同じく、プロトタイプだというオーバースペックの狙撃銃を携えた竜作は、奇妙な高揚感に包まれ、失敗という2文字が全く脳裏に浮かばない。
両手を布で包まれた、屈強な体格の敷島大佐が、警護の者に固められ、フラッシュを浴びながら現れた。まっすぐに前を見つめ、無表情に、確かな足取りで護送車へと向かう。
今度こそ竜作は、狙いを違わなかった。
秒速290m、音速に肉薄する勢いで音も無く打ち出されたスチール製の弾丸は、周囲にいた警護要員数名を吹き飛ばし、そして大佐の巨体を肩口から薙いだ。血潮と共に、大佐が途端に地面へ頽れる。
「やった……やったぞ!」
竜作は照準から目を離し、歓喜の声を洩らす。
「やった!やった!帷子、俺は―――」
歓喜の余り、竜作は、すぐ背後に忍び寄った殺気に、全く気付くことは無かった。
「……ああ、予定通りだ。はぐれネズミは駆除した」
後頭部から銃撃され、程なく事切れた竜作の死体を前に、杉谷は床に手袋を投げ捨てながら、携帯電話の相手へ話す。
「後はそちらに任せた。射撃のデータは、砂皿に。大佐は、『案内人』へ引き継いでくれ」
そう言って杉谷は電話を切ると、床に捨てた手袋に携行缶からオイルを垂らし、空になった缶もまた床に放る。そして、火の点いたマッチを落とすと、竜作の死体から立ち上がる炎に目をくれることなく、屋上から姿を消した。
―――第一〇学区、ストレンジ
……今もなお、現場は大混乱です。繰り返しお伝えします。先ほどアンチスキル広報部が発表したところによりますと、敷島大佐を狙撃したと見られる射殺された容疑者の身元が判明したとのことです。容疑者は、釧路竜作、28歳、男性で、先月7月に第七学区において暴動を引き起こした革新派武装勢力……
「一体、何がどうなっているんだ」
廃棄された立体駐車場の事務室で、ラジオから流れる音声を聞きながら、チヨコが唸るように言った。
「竜作の奴、ラボ以来音沙汰が無いと思ったら……何を一人で勝手に突っ走りやがって……」
「私たち、連絡をとる術がなかった」
狭く埃臭い室内で、ボロボロになった壁紙に背中を預けたケイが、深刻そうな面持ちで言った。
「私のせいだ。私が、まんまと帝国の罠にかからなければっ……!」
「悔やむなら、足掻き切った後にすることさね、ケイ!」
ハンドガンのマガジンの装填を確かめたチヨコが、厳しい声で言った。
「仲間の拠点一網打尽。根津様も死に、外部に助けを求める手段は無し……」
チヨコは事務所を後にして、慎重に歩を進める。
「いよいよ私らは袋のネズミって訳だ。抜け穴を探さなきゃね」
「運び屋を?」
「ああ」
背後を警戒するケイに、チヨコが答えた。
「今の私らにどれだけの値打ちがあるか……だが、ここで野垂れる訳には―――」
その時、2人に、動くな!と野太い声がかかる。
「追手!」
言うが早いか、チヨコとケイは咄嗟に、近くの放棄された車の陰へ滑り込む。
機動隊か、
2人が身を隠す車両に、幾つもの銃弾が襲い掛かる。窓ガラスが割れ、フレームが引き裂かれていく。
チヨコが、相手のちょうど頭上に位置していた、明かりの点かない電灯を打ち抜く。バラバラと砕けた照明が降りかかり、掃射の嵐が一瞬止む。その隙に、チヨコとケイは全力で駆け出す。
「階段はダメだ!」
チヨコが叫び、2人は舗装の荒れたスロープを下へと走っていく。
地上階層まで、まずは何とか辿り着かなければ。
何度目かのスロープを下り、角を曲がった所で、息が切れ始めたケイの眼前に、別の一団が銃を手に待ち構えていた。
止まれ!!
誰かがそう叫ぶのが聞こえた。
挟み撃ちだ。
心臓が早鐘を打ったその時、ケイの体はぐいっと横へ引っ張られた。
「おばさんも!こっちへ!」
短く、急き立てる女の声がした。
チヨコが受け身を取りながら、脇の駐車スペースへと飛び込む。
その代わりに、小指程の大きさの金属球が床を転がり、待ち受けていた部隊の方へと散らばっていく。
「伏せて!!」
空気を吸い込むような音がした次の瞬間、 凄まじい爆風が壁の向こうで巻き起こり、金属の砕片が、つい先ほどまでケイとチヨコが立っていた辺りまで、強烈な勢いで衝突し、めり込んでいく。直撃を受ければ、人間などひとたまりもない。
「……い」
ケイは自分たちを助けてくれた人物を見上げる。
切れ長の目に、日本人形のように真っ黒な、腰まで伸びる髪。痩せた顔。
「
「久しぶり、ケイちゃん、おばさん」
ケイにとっての、この街での唯一といえる親友。長らく行方不明だった、竜作の妹、釧路帷子がそこに立っていた。微かな呻き声を圧し潰すように、後から追いかけて来る部隊の足音が迫り来るのを聞いて、帷子は腰に下げたポーチに手を突っ込み、スチール製のパチンコ玉をいくつも手に取った。
「アイツら、殺すから」
そう言うと、帷子はパチンコ玉を、今度は追手の方へと転がす。
目を丸くしたチヨコが、姿勢を立て直して帷子を見上げる。
「お前、今までどこに―――」
「話は後!」
憎しみの込もった目で、追手が沈黙したのを覗き込んだ帷子が、チヨコの言葉を遮った。
「助けが来る」
帷子がそう言うのとほぼ同時に、ギャアンとスキール音を響かせて、一台のワゴンがケイたちの前に急停車する。
「乗れっ!!」
タンクトップ姿で、逞しい腕を露にした金髪の男が、下げられた窓越しに叫んだ。
「浜面君!?」
続けざまに驚くべきことがあり、ケイは混乱した思考のまま、チヨコや帷子に続いて車に乗り込んだ。
全員が乗り込むなり、浜面仕上は車を急発進させる。ケイは窓の外に、血塗れになった、迷彩服姿の人影を幾つか垣間見た。何か軟らかい物の上を、明らかに車が乗り上げたが、考えないことにした。
「駒場さんの指示だ。君らを助けろって」
ハンドルを操りながら、浜面が運転席から、後部に座るケイとチヨコに言う。
「それはっ、ダメだよ、浜面君」
ケイは申し訳ない気持ちで一杯だった。
ただでさえ、ケイには、帝国との戦いの中、浜面が自分を助けようとした時に負傷したことへの負い目があった。
「私たち、今は追われている身で」
「それは、駒場さんも承知だ」
「いや、浜面。ケイの言う通りだ」
チヨコも厳しい面持ちで言う。
「助けてもらったことは感謝するさ。けど、その辺で降ろしてくれ。学園都市から、私らは明確に敵だと見定められちまったんだ。あたしらを囲えば、駒場のチーム全員に危険が及ぶ」
「それでも、駒場さんはメリットがあると判断したんだよ、チヨコさん」
駒場が答えたとき、車は折れかけたバーを吹っ飛ばし、陽の差し込む路地へと出た所だった。
「あなたが『帽子屋』として、長いことこのストレンジで築き上げて来た人脈は、今も生きてる。俺達には、あなたの存在は有益なんだ。これから起こる戦いのためにも」
「戦い?」
「ああ、ケイちゃん。もちろん君も必要だ。この子に絶対救えって頼まれたからな」
浜面が、助手席に座る帷子を親指で指し示す。
「一昨日、屋台尖塔の地下街でふらふらになってるところを、たまたま俺たちの仲間が見つけたんだ。聞いてみたら、ケイちゃんとこの組織の身内だっていうから……」
「私、高校に入るとき、暗部の人間に誘われたの。
帷子が一気に語っていく。その内容はどれも初めて聞くもので、ケイもチヨコも聞き入るしかなかった。
「足がつくと不味いから、そいつらに偽名で
「確かに、もうちょっとこう、何か捻りがないと……」
浜面が心の声を正直に口に出したが、キッと帷子に鋭く睨みつけられたことで、頭を下げる。
「迷惑かけちゃいけないと思って、ケイちゃんや兄さんとも連絡とらないようにしてた。けど、どんなに訓練しても、4から5の間には壁があった。その内、私、おかしくなってた。ドラッグに手を出して、レベルアッパーにも。おかしくなってる間に、兄さんは―――」
「帷子ちゃん」
ケイが、シート越しに手を伸ばし、帷子の華奢な肩に手を置く。
「いいよ、もういいよ、喋らないで―――」
次の瞬間、帷子は肩に乗せられたケイの手を強く掴み、振り返った。
「竜作兄さんを殺した奴らを、私は許さない……!!」
血走った目で、帷子がケイに向かって訴えた。
その顔は、ケイの思い出に現れるものとは大きく変わっていた。ケイは思わず、寒気がした。
帷子は、血走った眼で、ケイを、チヨコを、浜面を、一同をギョロッと見回す。
「私がそっちに力を貸す。私、こう見えても強くなったから。その代わり、そっちも協力して。兄さんの仇を打つ!いいよね?」
有無を言わさぬ帷子の物言いに、他の三人は暫く黙り込むしかなかった。
「……俺はいいと思う」
沈黙を破ったのは、浜面だった。
「どうせ俺らだって、この街の爪弾き者なんだ。ケイちゃん、チヨコさん。だから、互いに助け合うべきだ」
「なら、駒場の言う『戦い』ってのは、何なんだい?」
チヨコが疑問をぶつけると、浜面の表情に影が差した。
「ああ……ここ最近、特にひどくなってる。相手は恐らく、能力者だ」
「ひどくなってるって、何が?」
チヨコに続いて疑問を口にしたケイの顔を、浜面は視線だけ動かし、ルームミラーで捉えた。
「……
「無能力者、狩り……」
ケイが、浜面の言った言葉を反芻する。
その短い言葉は、なぜかとてつもない重みをもっているように、ケイには感じられた。
一行の乗った車は、北へと走り去っていく。空には、俄雨をもたらすであろう、かなとこ雲が見えた。
―――第七学区、「窓のないビル」
「着いたわ」
若い女の声と共に、付けられていた目隠しが外される。
敷島大佐は、久方ぶりに晴れた視界で、まず周囲の状況を確認する。
窓の見当たらない、奥行きのある室内だ。それどころか、目視できる範囲では扉も無い。内壁から天井、床に至るまで黒一色で、ところどころにハロゲンライトのような赤橙色の無機質な照明が取り付けられ、光沢のある床に反射している。空調はよく利いていて、微かに背後から奥へと向かって空気が流れているのが感じ取れる。
空気がやってくる方向、背後を大佐は振り返る。
「あなたは
そう告げたのは異様な風体の少女だった。高校生程の
その恰好を前に、大佐はほんの僅かに顔を顰めた。
少女が微かに嘆息した。
「……自分で言うのもなんだけど、私を初めて目にして、そこまで反応が薄い男はそうそう居ないわ」
「ここはどこだ」
「さあ。あなたを招いた主なら、奥にいるから」
少女は、大佐の短い問いに対して、部屋の奥を指さして答える。
「聞いてみたら?どうせ碌でもない誘いだろうけど」
少女の案内に従い、大佐は部屋を奥へ向かって歩いていく。以前負った傷のために、その歩き方はどこかぎこちない。やがて大佐の前方、頭よりやや高い位置に、天井から吊り下げられたモニターが降りて来た。
モニターに映されているのは、長い銀髪の人物だ。肌の状態からしてまだ若い年齢だと、はじめは思えたが、静かにこちらを見据える緑色の瞳は、永い年月を見てきたようにも感じられる。加えて、長髪なこともあいまって、男にも、女にも見える。画面は薄い朱色で染まっていて、液体で満たされているかのように、その人物の髪も揺らめいている。不思議なことに、その顔は上下逆さまに映っていた。
「アーミーの司令官殿。御足労頂き、かたじけない」
アルトとバリトンが混ざったような、どこか機械的な響きのする声が聞こえた。映像の中の人物の口は、ほとんど動かされていないように見える。
「昔の肩書だ」
大佐は、まっすぐに逆さまの人物を見上げて答えた。
「学園都市の……上層部の者だな」
「統括理事会の定例会において、既に君とは出会っている。音声のみではあったがね」
敷島大佐は、記憶を辿り、ある一つの存在に思い当たる。
「……まさか、理事長か」
統括理事会の長、学園都市の頂点に立つ人物が、僅かに目を細めた。
「東京の政治屋共に、君を引き渡すのは大変惜しい。故に、君を縛る枷を断ち切った。感謝してほしいものだ」
映像の中で、微かに泡が立った。
「己の言う通り、最早肩書など捨て去れ。私のために働いてもらう。
「……アキラか」
大佐は、相手を正面から見据えて言った。
「非常に興味深い」
スピーカーから聞こえる声がそう言った。
「そうだ、私からも礼を言いたい。あの日、そちらが『ひこぼし』に搭載された
「……やはり、ひこぼしのコントロールをわざと開けたな。後から顧みれば、軍籍を剥奪された元幹部如きが、SOLを一発でも撃てたのがおかしかったのだ」
相手の言葉を聞き、大佐は眉を顰めた。
「あの時、起こったことは、一歩間違えれば破滅だった。この街がまるごと廃墟になってもおかしくなかったのだ。アレは、触れてはならん力だ。何を目論んでいようが、制御できる訳がない。例え、科学の街の最高権力者であろうとも」
「そう言われると、やってみたくなるものさ。私は探究心が強い人間でね」
カメラがズームし、緑色の瞳がやや大きく映る。大佐を覗き込んでいるようだ。
「お前は、私の何を知っているというのだ?」
「20世紀の始まりに、
大佐は、小さく鼻を鳴らした。
「それは名が同じというだけのオカルティストか……アキラは、カラコルムとは比べるべくもない。第一、最早奴は、この世から遠く去ったのだ。私に何ができる?」
「為すべきことは、山ほどある」
合成音声のような相手の声が答える。
「プランは、幾つも備えておくに越したことはない」
「断れば?」
大佐が、僅かに反抗心を込めて聞く。
相手は、言葉を発する代わりに、壁一面に突然、画像を表示することで答えた。
部屋が、画面光によって急に明るくなる。
大佐は、息を呑み、目を見開いた。
壁には無数のモニターが埋め込まれていた。そこに表示されているのは、軍服姿の、正面を向いた何人もの人物の顔写真だ。
「君がかつて率いていた兵力は、総て私の統制下に入った」
画面の人物が、無機質に言う。
「安心したまえ。本国の無能共と、私は違う。反逆罪で問うことはしない。彼らは、無謀な上官に付き合わされただけの、忠実な士官だ。お陰で、今、この学園都市の治安は劇的に向上している。君が私に対しても忠誠を誓うというのなら、引き続き、彼らの命は保証される」
見知った部下たちの顔が、次々と表示される。
光に照らされた大佐の顔に、汗が流れる。
大佐は、逆さまの人物を、これ以上ない敵意を込めて睨みつけた。
「賢明な判断を期待する。敷島大佐」
学園都市統括理事長、アレイスター=クロウリーが、ほんの微かな笑みを浮かべて言った。
―――第一ニ学区、ミヤコ教団、本部
「舌の根は乾いたかのう?わしの記憶がボケていなければ、お主らはひと月ほど前に、この地で
「それは影武者だったろう、何を戯けたことを」
飄々と語る教祖、ミヤコを前に、炎を操る異国の魔術師、ステイル=マグヌスは苛立ちを露にしながら答えた。
教団本部の大拝殿で、ステイルは上段に座るミヤコの小さな体を睨みつけている。
「とにかく、言っているだろう。方針が変わったのだ……あぁ、クソ、こいつは話が長過ぎる。神裂、なぜあの時全員一思いに斬り殺さなかった?容易いことだろう」
ステイルの背後に控える、巨大な刀を携えた神裂火織は、苦し気な表情を浮かべたまま、答えなかった。
ステイルは舌打ちすると、嫌々ながらも再びミヤコと向き合う。
「7月23日に顕現したモノ。あれは存在してはならないものだ。科学の力で生み出された人間が、新たな世界を創世するなど!許せる筈がない!
「おうおう、何とも苛烈な言葉じゃ。わしゃあ、今夜、寝小便に気を付けなければならぬのう」
「ミヤコ。教えていただきたい」
黙っていた神裂が、一歩前に進み出て口を開いた。
「あの存在……アキラは、本当に消えたのか。我々イギリス清教は、疑っているのです。あなたが世の行く先を見定める眼をお持ちなら、教えてほしい」
「本当にボケているのでなければな」
「貴様!ミヤコ様を愚弄する気か!」
ミヤコの傍には、3人の白装束の少女が傅いている。その内、まとまりの無い髪をした、松葉杖をついた少女がステイルに対して激昂した。
ミヤコは手を上げて制す。
「みっともなく大声を出すな、サカキ……そうよのう。わしもとても興味があるよ。アキラにはの」
「十字教といっても、その中身は一枚岩ではない」
神裂が言った。
「もっと過激な行動に打って出ようという動きもある。ローマ正教が、近々強力な魔術師を差し向けると情報が入っているのです。そうすれば、この学園都市で戦争が起きる。あなた方にとってもただでは済みはしないでしょう」
ミヤコが僅かに顔を上げ、遮光眼鏡の奥の盲いた瞳を、神裂とステイルへ向ける。
「……アキラは流れの中には居らん。遠くへ去ったとも言えるし、或いは……その辺を彷徨っているかもしれんのう」
ミヤコの言葉に、ステイルと神裂はハッとした表情を見せ、互いに顔を見合わせた。
ステイルが口を開く。
「どこだ!どこに―――」
「盟約を結ぶ意思はあるかね?」
ミヤコが今までにない強い声色で畳みかけるように言い、ステイルは言葉を呑み込んだ。
モズとミキに支えられ、ミヤコはゆっくり立ち上がり、壇を降りて神裂とステイルの前に立った。
「アキラは今、微妙なバランスの上に、偏在している……いつぞや、また力を解き放つやもしれん。さすれば、学園都市どころか、地球にも関わる事態にもなるであろう。わしらだけでも、お主らイギリス清教だけでも、危機を乗り切るには不充分だ。どうだ?ここは互いに矛を収め、手を取り合うべきだと思うが……無論、双方にとって得になるように話を進めるとも。どうかのう?」
ステイルと神裂は互いに目配せした。
やがて、ステイルが大きくため息をついた。
「何が望みだ?」
―――第一七学区、特別拘置所
「15分だ。規定に則り、時間を厳守するように」
男性の刑務官が厳めしく言い、金属製の重厚な扉を開けると、面会室を出て行った。
御坂美琴は、部屋に備え付けの時計を見上げる。
15分。
知りたいことは山ほどある。あまりにも短い制限だ。しかし、今の自分には悠長にしていられる余裕などない。
鋭く冷たさを湛えた美琴の目の下には、紫色の隈が現れている。
そして、美琴は、アクリル板の向こう、拘留者側スペースの扉が開かれるのをじっと見つめる。
「珍しい方が面会に現れたものだ」
木山春生が、椅子に座るなり口を開いた。かつて出会った時のような白衣ではなく、くすんだ青色の作業服姿だった。
「
美琴は、木山の虚ろな目をじっと見た。木山は拘留中に髪を切ったようで、前髪はかつての目元を覆い隠す程の長さではない。原子力実験特区での一件の時に見かけたロングヘアではなく、記憶の世界で見た、かつて教師を務めていた時のような、清潔感のある短い髪形だった。それでも、相変わらずその瞳は暗く、生気に乏しかった。
「分かっていると思うが、
美琴は、木山の後ろに控える屈強な刑務官の姿を一瞬意識する。しかし、目は木山の顔を捉えたままだ。
「……夢の、話をしたいの」
「夢。夢か。いいじゃないか」
木山は、手錠を架けられた
「夢の中で、私は彼の心に触れたんだ。君は見たのかな?確かに、私は一度、右腕を失った筈だった。ところが、今こうしてちゃんと存在している……だがね、時々感じるんだ。この腕には、私のものではない意思が働いていると。それは、アキラかもしれないし、島君かもしれない。ではなぜ腕を再び得たのか?ナンバーズの情けか?大覚様の為せる奇跡か?どうだい、素敵な法螺話だろう?弁護人に言わせれば、責任能力を回避するストーリーとしては落第らしいのだけどね」
「違う。そんな話が聞きたいんじゃない」
要領を得ない口上に苛立ち、焦ったことで、美琴は強く木山の話を遮った。
刑務官が僅かに顔を顰めるのが見えた。美琴は一度深く息を吸う。
「私が聞きたいのは……
木山は、美琴の言葉を聞き、薄く笑みを浮かべた。
「私の、ね。君は、救いを求めているのかい?」
「そういう言い方もできる」
相変わらずはぐらかすような木山の言い方に、美琴は努めて冷静に答えようとする。
激昂してはいけない。馬鹿正直に突っ込んだら、この面会は途端に終いだ。
自分が背負っているという「絶望的な運命」。目の前に座る人物は、その正体を探るための、ほんの僅かな手がかりなのだ。
「
心臓の鼓動が僅かに速まるのを感じながら、美琴は話した。
「都市伝説じゃないかっていう意見が大半だけど、避けられるなら避けておきたいじゃない?科学的に突き詰めていくと、脳機能の働きによるっていう説もあるんでしょ?じゃあ、人間の脳は、
とってつけたように最後の一言を言い切ると、美琴は木山の表情をじっと窺った。
頼む。伝わってくれ。
美琴は祈った。
数秒の間を空けて、木山は僅かに身を乗り出して口を開いた。
「オカルトとしては古典的かつ魅力的な話題だとは思うよ。けれどもね、科学的に考察しようとする研究は、率直に言って既に尽くされた議論だと言わざるを得ない。君自身も先ほど述べたように、アレは脳機能の誤作動によるものだよ。自己像の幻視と言ってね、側頭葉と頭頂葉の接合部にはボディ・イメージを司る部分があるのだけど、腫瘍が生じるなどして損なわれると、自分の肉体が離れた場所にあるかのように錯覚してしまう症例が実際に複数確認されているんだ。新鮮味のある研究の余地は無いと思うが―――或いは」
期待とは外れた言葉を連ねられたことに対し、美琴が口を挟もうとしたのを察して、木山は口調を強めた。
「……
予定よりも大幅に面会時間を短縮された木山は、自らの単独室へ戻ると、お世辞にも寝心地が良いとは言い難いベッドに腰を下ろした。
国際法上で厳禁されている筈の、クローンの生成。第三位の複製体を、もちろん本人のあずかり知らぬ所で生み出し、様々な研究へと利用する。木山が知っているのは、
しかし、科学の発展のためなら倫理など簡単に捨て置ける学園都市のことだ。もっと常軌を逸した研究の人柱へと、クローン達が使われていることは想像に難くない。実際、先ほど面会した御坂美琴の目は、明らかに何かを知ってしまったことを窺わせた。
「……一撃を食らわせてくれよ、レールガン」
ほんの小さな声で呟くと、木山は部屋の天井の隅に設置された監視カメラを睨む。
カメラが、微かに唸るようなノイズを発した。
アーミーのラボで、「彼」と面談していた時と同じだ。
「人の皮を被った悪魔どもが、慌てふためくのを、私だって見たいのさ」
自分は当分、娑婆には出られないだろう。
そのことを分かっていて、木山は美琴に小さな期待を抱くことにした。
木山は、自分の右手へ視線を落とし、左手でそっと撫でる。
血管が青く浮き出て、脈動しているのを感じる。熱を孕んでいる。木山はその熱を、左手の指先で味わった。
「そうは思わないかい?島君」
やがては、自分もこの力を利用して、戻る。
眠れる教え子たちを、救わなければならない。
そのために木山は、今の間は機会をじっと待つことにした。
―――第ニ三学区、情報送受信センター
学園都市が誇る最高峰の頭脳、衛星軌道上のスーパーコンピュータと唯一交信できる場所は、美琴の予想に反してもぬけの殻だった。
「
「嘘でしょッ……!」
膨大な量のデータの中から、「統括理事会への報告書」と銘打たれたドキュメントファイルを見つけ出し、美琴は愕然とする。
「樹形図の設計者は、スクラップになったっていうの……?」
ダメだ。妹達を救わなければ。何か、何か手がかりがある筈だ。
諦めきれず、藁にも縋る思いで、美琴は更にデータを斜め読みしていく。
暫くして、ただ一人の侵入者を除いて誰も物音を立てない交信室で、息を呑む音が響いた。
「……《『
その演算申請ファイルの日付は、7月27日。樹形図の設計者が破壊される前日だった。
美琴は、液晶に表示された文書を、逸る気持ちで読み進めていく。
……以上のように、都市軍隊科学研究班「ラボ」から接収した研究ファイルを勘案すると、7月23日午前10時23分42秒に、第一〇学区原子力実験特区で生じた大質量の物理的特異事象(以下0723事象)は、防衛省管下超能力研究プロジェクト内の、28番目の実験体
本事象に於いては、発生の中心座標からほぼ同心円状に拡がる半径300mの区域の建材、土壌が大量に消失し、瞬時にクレーターを形成した。それと同時に検出された現象として、ガンマ線及び重力波の発生、赤方偏移、放射性崩壊、原子核融合、原子崩壊等が列挙される。これらの分析結果を統合すると、宇宙の誕生とも言うべき現象がその時起こっていたといえる。
このことは、「アキラ」が人為的に別次元の世界を創造し得る、つまり神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くという、学園都市の能力開発の究極目標=SYSTEMへの到達の道を切り拓く鍵であることを強く示唆している。
しかし、アキラの遺伝子情報は、現時点までに、ラボ跡地及び0723事象発生地の捜索において獲得できていない。一方で、0723事象におけるアキラの覚醒へ触媒としての役割を果たしたと思われる、ラボ実験体41号―――本名「島鉄雄」の細胞を、現場から回収することに成功した。島鉄雄は、書庫の最新記録によれば「無能力者=レベル0」であるが、
命題:「超電磁砲量産計画」では、生成されるクローン『妹達』のスペックが素体の1/100にも満たないことが問題視されたが、上記の通りに島鉄雄のクローンを生成した結果、スペックの劣化は同様に起こり得るか。それは0723事象直前の島鉄雄オリジナルと比較した場合、どの程度の差であるか。
「レベル6を目指す計画は、妹達を
衝撃を受けた美琴は、震える指でコンソールに触れる。
この演算申請は、了承されたと分かった。
ならば、その結果はどうなったのか。
美琴の指が、結果へとアクセスするボタンへと近付く。
―――某所
ゴポゴポと気泡を立てながら、容器内のリンゲル溶液が排出され、モジュールのガラス蓋が開閉する。そして、裸体の少年が前のめりに床へと倒れ込む。
「……見た目はうまくいったけど」
床に突っ伏した少年の姿を見下ろし、黒のタートルネックの上に白衣を纏い、派手な金髪をヘアバンドで纏め上げた女が慎重な面持ちで言った。おおよそ研究者らしくない外見だった。
「肺機能は?生きてる?」
金髪の科学者が少年の体に顔を近づけたその時、骨のくっきり浮き出た背中が不意に跳ね、少年はゲホゴホと激しく咳き込んだ。
「やっとだよ!……やっとだ」
ヘアバンドを巻いた額に手を当て、金髪の科学者は緊張の糸が一気に解けたように大きく息をつく。
「これで何体目だっけ?え?」
「あー、確か18番目です」
茶髪で黒縁の眼鏡をかけた、より若い助手の研究員が、タブレットの画面に目を落としながら言った。
「その……人の形してて、良かったです」
「同感ね」
まだ咳き込んでいる裸の少年を見下ろしながら、金髪の研究者が言った。
「『
「いや、でも」
眼鏡の助手がタブレットで顔を隠しながら言った。
「こないだはまだ同性だったから……今度は、おっ、男ですよ……何で私たちが担当なんですか?まともに見られませんよ」
「仕事を選り好みできる立場じゃないのは分かってるでしょ!」
金髪の研究者が呆れたように言った。
「いい!?
「えー、私が……」
助手の研究員は、顔を赤らめながら、額をついて蹲ったままの少年へと屈みこんで近寄る。
「あー、君の名前、なんだっけ……動かしてもいい?」
「バカ。これから知能を15歳並みに上げるとこだってのに、出てきたばっかの新生児に名前聞いてどうすんのよ」
「あー、そうでした……」
上司にどやされたことで、若い助手はこほんと咳払いをし、床に這いつくばる少年の左腕を恐る恐る自分の肩に回す。
「ていうか、この人、私より絶対重いですって」
助手は少年を支えて立ち上がろうとしたが断念し、息をつく。
「あの、やっぱり手伝って―――」
上司からの返事は無かった。
膝をついた少年の右腕がいつの間にか上げられていた。その肩から先が奇妙に引き延ばされ、骨など存在しないかのように捻じれ、ぬらぬらと赤く光沢を放つ筋繊維を露にしている。その先では研究者の相方が顔を肉塊に覆われ、声も上げずに、首から下がじたばたともがいている。
「ぼくは」
声変わりしかけの、独特な掠れ声が耳に入って来た。
助手の研究員は、唇を震わせながら、自分が今支えている少年の顔を見た。
あどけなさの残る顔に、伸び放題の黒髪。感情のこもっていない黒い瞳が、じっと研究員を見つめていた。
近くで、何か重たいものが、どしゃっと湿り気を伴って床にぶち撒けられる音がした。
研究員の目は、少年の顔を凝視したまま、動かすことができない。
「鉄雄―――島、鉄雄」
こちらで最終話になります。
お読みいただきありがとうございました。
後書きのようなものを書きました。↓
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=276252&uid=82823