「鉄雄の携帯繋がったか!?」
「ダメだ、何ンとも出ねェな」
「まあ、乗りたがってたもンなァ、金田のバイク……」
金田と甲斐、山形は職業訓練校敷地内の一画で顔を突き合わせていた。
今は使われなくなったプールの近くにある、水質管理棟の陰になるこの場所は、金田達のたむろす場所の一つだった。
「なァ、ちょっと」
そこへ、別行動していた仲間が数人やってきた。茶髪の男を一人引きずりながら。
「どうしたよ」金田が仲間たち見て言った。
「なンだそいつ」
「1階商業棟の男子トイレでコソコソ電話してやがった。」大井が茶髪の男を地面に投げ出して言った。「ちょっと詰めたら、すぐビビッて吐いたぜ、相手はクラウンだ」
「何ンだと!!」
山形が跪いている茶髪の男に詰め寄り、襟元を乱暴に引き上げた。
「てめェ、あのピエロ共に何チクりやがった?」
山形に詰問された男は激しく瞬きした。
「お……おれ、なんも知らねえよ……ダチと話してただけで―――」
金髪の男が上擦った声で答えた。汗をだらだらと流していて、鼻の穴に通した2つのピアスにも雫が光っている。
「あァ!?」山形が襟元を握る手に力を込めた。
「鉄雄って言ってたよなァ、お前」
大井が男を見下ろす形で言った。
「そのナリじゃあ、工業科じゃねェだろお前。鉄雄くんのお友達ですかァ?」
どうなんだよ!?と山形がもう片方の手を握り拳にして振り上げた。他の仲間が、男が逃げられないように両足首を押さえつけた。
「ま、待って―――もう殴んないで、言う!正直に言うから!」
慌てふためいて男が言った。
「戻ってきたら教えろって頼まれてたんだよお、あの島って1年生が!追っかけるからって言ってよぉ」
「誰にだ?」
金田が問うた。
「じょ、ジョーカーだよ……おめぇらも知ってんだろ」
男が声を小さくして言った。
「俺、知らない内にあいつらのヤクを運ばされちまって、それで脅されて、仕方なく……ほんとだ、俺、あいつとは知り合って1週間しかたってねぇよお!」
片足を抑えている蛯名が、男の関節に圧力をかけたので、男は呻きながら声を張り上げた。
「なぁ、金田、思い出したぜコイツ」
鉄雄に何度か電話を試みている甲斐が金田に言った。「どっかで見たことあると思った。商業科の錠前屋だよ」
「なァるほど、道理で最近あいつ等やたら羽振りがいいと思ったらねェ」
金田が口元を歪ませて歩み寄った。山形が掴み上げていた手を離したので、男が両手をついてゼェゼェと肩を上下させた。
「なぁ、錠前屋さんよォ」
金田が膝をついて、男に話しかけた。ライディングブーツが、男の地面についた指を軽く踏んでいる。男は目を見開いた。
「お前、名前は―――?」
男は素早く辺りを見回した。金田達のほかには、物陰になっているここに寄って来る者はいない。
「は、はまづら―――」
男が声を絞り出した。「
「渡辺」
金田はブーツに体重をかけながら、丸刈りの仲間を見た。渡辺は男から取り上げたらしい学生証を読んだ。
「合ってる」
学生証をひらひらさせて伊瀬原が言った。「商業科3年生―――おう、
「ふーん……甲斐、鉄雄に連絡とれたか?」
金田が甲斐に聞く。
「ダメだな、出ねぇ」
甲斐が答えた。
「なァ、金田、鉄雄のドジは自業自得だとしてもよォ、カオリちゃんとこ行ったんだろォ?危ねェぜ」
山形の言葉を聞いて、金田は暫し無言で考えた。
「……あのバカが」
そして誰にも聞こえない位の声で呟いた。
金田はもう一度浜面の方に向き直った。じっと睨みつけると、浜面は顔を僅かに引いた。
「よし、浜面センパイよォ」
金田が低く言った。
「『追っかける』ってフかしたそのお仲間に、連絡とれますよねェ、当然」
浜面は、今の自分が人生で一番情けない顔をしているに違いない、と思った。汗だか涙だかよく分からないもので、目の前の金田の顔がひどくぼやけた。
―――第七学区 柵川中学校
「カオリちゃんか!?今どこにいる!?」
佐天涙子は思わず顔をしかめて、携帯電話を睨みつけていた。自分のものではない。
恐る恐る、先ほど拾った携帯電話の着信に出たところ、鼓膜を震わせるくらいにやかましい声で男がまくし立ててきたからだ。
「あ、あの、カオリさん、じゃないです」
言葉を選びながら、再び携帯電話を耳に当て、涙子は言った。周りの生徒たちが怪訝そうな顔をして涙子の方を見ているので、校庭の端の方へと足早に移動する。
「あれ、カオリちゃんじゃないのォ?」
素っ頓狂な声で相手の男が言った。エンジン音だろうか、けたたましい音が電話の向こうから絶えず聞こえている。
「ちがいます!わたし、これ、拾ったんです」
涙子はエンジン音に負けないよう、ゆっくりはっきり答えた。
「持ち主の、女の子なら、さっき、知らない男のバイクに、乗っかっていきましたよ!」
「マジか!!」
相手の男が驚いた声を上げた。
「何色のバイクだった!?」
「えっと、赤です、赤!」
涙子が答える。
「めっちゃ、真っ赤っか!!」
「あンの野郎ォ!!」
柄悪く相手が唸った。
「それ、俺のなんだよ!どこ行ったか知ってる!?」
「知るわけないでしょお!」
涙子の口調もつい乱れる。
「あの、これ、落とし物で届けておきますから!」
「あぁ、サンキュー!できれば……えっと甲斐、何中だっけ?」
相手の言葉が途切れた。
「知ってますよ!柵川中!」
涙子が相手の言葉を継いだ。
「あたし、そこの生徒ですから!」
「なァんだあ!そうなの!」
一層相手の方の騒音がうるさくなり、男の声は辛うじて聞き取れる位だった。
「じゃ、ヨロシク!」
「あ、ちょっと―――」
涙子が言いかけた途端に、電話は静かになった。
「
飴玉を転がすような軽やかな声が背後から聞こえた。
涙子が振り返ると、頭にかなり目立つ花飾りをつけた小柄な女子生徒が立っていた。
「初春!」
涙子が目を丸くした。
「聞いてたの!?てか、ええ―!!」
涙子は口を抑えた。
「あの人、バイカーズなの!?」
「校門に不良が来ているっていうから、駆け付けようと思ったんですけど」
涙子の同級生である、初春飾利は、右腕を少し上げて見せた。盾の紋章をあしらった腕章が付いている。
「もう行っちゃったみたいですね」
「?―――それで、なんでバイカーズって分かったの?この携帯の相手」
涙子が聞いた。
「
初春が答えた。
「最近、十とか十九学区の方でバイカーズ同士の抗争が激しくなってるんです。今日校門に来てた人もそれ絡みらしくって、今夜あたりもケンカが起きるかもしれないから、見廻りを強化するところです」
初春は涙子の目を覗き込むように話し続ける。「さっきの会話、お相手はまさか涙子さんのお友達じゃあないですよね?バイカーズの関係者でしょ?」
「でも、バイカーズ相手なら―――」
涙子が心配そうに初春に言った。
「―――初春、あんた一人で平気なの?」
「後で先輩と合流する予定です。固法先輩か、白井さんか―――」
ふと、初春は言葉を止めた。
「そういえば、どこで落ち合うか、話してなかったな……」
「なら!」
涙子は初春の肩に手を置いた。
「あたしも一緒に行く!」
「ええ!!だめですよ佐天さん!!」
初春は慌てたようにぶんぶん首を振った。花飾りが揺れて今にも落ちそうだ。
「それこそ、風紀委員でもないあなたを巻き込む訳にはいかないです!」
「とりあえず、先輩達と落ち合うまでよ!」
涙子が笑って言った。
「道中、何があるか分かんないし!」
「で、でも―――」
「水臭いこと言わないの!パンツを曝け出し合う仲じゃあない!」
「それは佐天さんだけです!」
顔を真っ赤にして初春が否定する。
「私は佐天さんのスカートをめくったりしません!」
「まぁまぁ、で、ひとまずどこへ行くのー?」
佐天は言うが早いか、初春の手を引いてさっさと歩き出す。
「それは、先輩と連絡を取ってからです!」
初春は早足で佐天に付いていく。
「っていうか、本当に来るんですかぁー?」
「あーもしもし、アケミ?ごめーん、ちょっと急用できちゃってさあ―――」
「佐天さーん!人の話を聞いてますかあ!?」
2人は噛み合わない会話を続けながら、学校を出て行った。
「みんな心配してたよ、鉄雄くんのこと……死んだんじゃないかって」
第七学区南側の、他学区との境を為している川。その河川敷に、カオリと鉄雄は来ていた。
「……わたしも、何か鉄雄くんにあったら、どうしようって……」
カオリの声はとてもか細く、河川沿いの道路を車が走り抜ける度にかき消される。鉄雄は時折手に持ったジュースを口元に運びながら、目の前の川を見つめている。
傾きが増し、橙色を強める陽の光が、さらさらと流れる水面で、燃えるように輝いている。ここ数日、天候は梅雨の合間の晴れが続いていたため、川の流れはとても穏やかだ。火柱のように縦方向に伸びた光は、向こう岸へと続き、遠くのタワーマンションや工業地帯の陰影とのコントラストを強くしていた。空は地平線でぼうっと明かりを燈しているが、上に行くに従ってベージュ、薄紫、藍色と裾模様を描いて、鉄雄とカオリの上空は完全に夜の色を現していた。
「……心配、ね……」
鉄雄はカオリの言葉に対して、ただ呟いた。そして、空になった空き缶を前方に向かって放り投げた。法面の芝生の上を、音も立てずに空き缶は転がっていき、二人からはやがて見えなくなった。
「……そのアーミーの病院で目が覚めたら、手術台みたいな所に寝かされてて―――」
唐突に鉄雄が語り始める。体育座りをしているカオリは、膝をより自らの体に抱き寄せた。
「その検査ってのが、こう……」鉄雄は目を瞑って、頭を押さえた。「頭の中をいじくられているような……」
「
カオリが問いかける。
「どうだろ、そんな学校みたいな感じじゃあなかったような」
鉄雄は頭に巻かれた包帯をなぞるように手を動かし、空を仰いだ。
「あそこにはもう戻りたくねェな……」
カオリも空を見上げた。仰いだ先の空では、星が瞬き始めている。
鉄雄がカオリの方を久しぶりに見た。
「逃げようぜ、どっかへ」
「どっかって……?」
カオリも鉄雄を見た。二人の視線が暫く交わる。
やがて、鉄雄は足を延ばし、芝生の上に身を横たえた。
「どっか……遠くへさ」夜空を見上げながら、鉄雄が言った。
観測用の機器だろうか。明るい西から東へと、赤色に点滅する一際輝く光が、ゆっくりと移動している。
車の音がしばらくしていない。どこからか、時間を間違えたかのように蝉の鳴き声が遠鳴っている。
「あたしね」
カオリが川面を見つめながら言った。
「なんとか、卒業まではがんばる」
「なんだよ」
鉄雄が少し語気を強めて言った。
「逃げるなってことかよ」
「そうじゃないの」
カオリの口調は、先ほどまでよりもはっきりしたものになっている。
「あの学校も、今の寮も、―――親も、好きじゃないから……言ったでしょ?中学の卒業資格を取らないと、あたしだけじゃ、この学園都市を離れられないって」
カオリは、再び鉄雄を見た。
「鉄雄くんが外へ行くなら、あたしも、行きたい……」
鉄雄は空を見上げたままだ。西の橙色は、急速に夜の闇に溶かされている。
「そうだな」
ぽつりと鉄雄が呟いた。「もう少し、粘るっきゃねェかな―――」
声色はどこか嬉しそうだった。
鉄雄は体を起こした。
「今夜、金田達が祝ってくれるってんだ」
はっきりした口調で鉄雄が言った。
「また、走るの?」
困ったような顔をしてカオリが言った。「もう、無茶しないでよ」
「悪いな」
鉄雄が立ち上がり、カオリに向かって言った。
「遅くなっちまった。寮まで、送るよ」
ここに来てから、初めて鉄雄ははっきりと笑った。カオリに向かって手を差し出した。
「……うん」
カオリも嬉しそうに鉄雄の手を握った。
「チップ、あいつら、動くぜ」
ナイトスコープで覗いていた一人が言った。
鉄雄とカオリの様子を、数十メートル離れた所から、夜の暗闇に溶けるような服装をした数名が見張っていた。それぞれ、マスクをしたり、ヘルメットを被ったりしていて、表情や風貌は分かりづらい。
「チッ、もう少し暗くなるまでいちゃついてくれてりゃァ良かったが」
一人がやや苛ついた声で言った。ピエロのペイントが施されたヘルメットをつけている。鼻を覆うように包帯が巻かれていて、雑なフェイスガードのようだった。
「まぁ、そろそろ頃合いだ」
男がカプセルを一錠、口に放り込んだ。カプセルはガリッと音を立てた。
「追うぞ」
大井……AKIRA1巻、高場の指導シーンに登場する、一番左の大きな少年。他のメンバーに比べて表情に乏しい。
渡辺……映画版の、高場の指導シーン後に現れる、丸刈りに眼鏡の少年。個人的には一番怖い風貌していると思います。→(アーカイブスの情報をもとに名前を変更)