「高場先生!バイカーズの拘束を!」
「あぁ、分かった!」
黒子と高場が互いの行動を即座に決定し、それぞれ動き始めるのを見て、佐天涙子はようやく肩の力が抜けた。
車がここに停まってから、ほんの十数秒しか経っていないはずなのに、とても長く息詰まるドラマのワンシーンを見たようだった。
能力者である
その戦いの様を初めて見たことで、不思議な高揚感を涙子は感じていた。
……そういえば、流れでこんなところまで来て、随分遅くなってしまった。
アケミ達、心配しているだろうな。ひとつ連絡を入れておこう。
しかし、何と言い訳したものだろうか。
そう考えながら、携帯電話を取り出した時。涙子の背後で後部ドアが勢いよく開いた。
息を切らした初春が、ラゲッジを掻き漁っている。
「―――ど、どうしたの!?」
驚いて涙子が目を丸くする。
「怪我人!」
初春が、積まれていた毛布かシーツか何かを数枚引ったくるように抱きかかえて、短く答えた。
「多分、重傷」
「救急車は―――」
「応急処置!」
涙子の言葉を遮るように初春はぴしゃりと言うと、小さな体で何枚もの布を抱えて駆け出した。
しかし、すぐに戻って顔を覗かせた。
「佐天さん―――座席のすぐ後ろに、救急箱あります、持ってきてくれます?」
「えっと、―――これ?」
佐天が身を乗り出して見つけたその箱には、確かに赤十字のマークが書いてあったが、救急箱、というには、無骨で頑丈な印象がした。
「そうです、……ごめんなさい」
初春は最後、口調を弱めると、再び炎の燃え盛る方へ駆け出した。
―――なんで謝られたんだろう?
涙子は疑問に思いながらも、救急箱を持ち上げようとした。
予想以上に重く、それを両手で抱えて車から出るのにやや時間がかかってしまった。涙子は初春の後を追って走り出した。
初春飾利が、火に巻かれた人間の元へ到達しようかという時、上空にヴィーンと唸りを立てて何かが飛来してきた。
回転翼を回す、その幾つかの物体が、メレンゲのように白い半液体を炎に向かって噴射する。
学園都市の消火用ドローン。交通状況や地理的条件で、人の手が火災現場に駆け付けるのが遅れる場合、初期消火に当たるものだ。
地面に倒れ伏した人間を巻いていた炎は程なく消えた。初春はゴクリと唾を飲み込んでから、消火剤で泡塗れのその人物の状態を確認する。
腐乱した卵の匂いが鼻をつく。髪の毛の大半は原型を留めずに燃えてしまっている。
顔は煤で汚れ、マスクだかゴーグルだか分からないものを身に着けていたのだろうか。皮膚に癒着していないことを願った。
火傷がひどいのはとくにお腹から胸にかけての胴体部分で、作業着のような物を着ていたのだろうが、溶けてしまい、赤く爛れた皮膚が露わになっていた。
ここまでひどい火傷の負傷者に、初春は遭遇したことはない。
風紀委員の研修で習ったことを必死に頭から呼び起こしながら、初春は対処しようとした。
「聞こえますか!?」
体が震えるのをこらえて、初春は呼びかけた。黒く煤けた唇が僅かに動いたが、ヒューッと声にならない息の通りが聞こえるだけだった。
意識はあるようだが、危ない状態だ。火傷は時間が経てばたつほど、身体を蝕んでいくと習った。
持ってきた布類の中から薄いシーツを選び、消火剤を包むようにして全身を巻いた。初春の手に、溶けかけた化学繊維がいくつもくっ付いた。
「大丈夫です、すぐ助けが来ます!」
今、自分の持ち合わせでできることはこの位だ。初春は励ましの言葉をかけ、立ち上がった。あとは救急車が早く来てくれることを祈るしかない。
周りを見渡すと、コンテナの方の大きな火災にも、ドローンが群がっている。しかし、こちらは暫く時間がかかりそうだ。
「初春ッーーー!」
悲鳴に近い涙子の上擦った声が聞こえ、初春は顔をそちらに向けた。
道路脇に、女性らしき人が座り込んでいる。涙子はその近くから呼びかけたようだ。
初春は急いでそちらへと駆け寄った。
応急キットを抱えた涙子は、初春が向かった方とは離れた所に、座り込む人影を見つけた。涙子はそちらへと駆け寄る。
しかし、数メートルの所で足を止めてしまった。
その人は、自分と同じ中学校の制服を着ていた。
ブラウスは前で引き裂かれ、胸元が露わになっている。スカートも無理やり下ろされたように乱れ、下着が覗いている。
そして、顔を見て更に涙子はショックを受けた。
まず右瞼が大きく腫れ上がっていて、目がほとんど見えていないような状態だ。額の辺りにもひどい青あざがあり、鼻は不自然に曲がりだらだらと血を垂らしていた。唇にも切り傷があり、半開きの口からは涎と血が混ざったものが糸を引いて、引き裂かれたブラウスを更に汚していた。
「……ッ!!」
涙子は悲しいような、怖いような、とにかく良くない感情が胸に駆け上がって来るのを感じ、震えた。
「初春!!」
助けを求める声は、自分でも怖くなるくらい上擦った。
涙子は唇を噛み締めると、走り寄り、その人の姿を周りから隠すように、目の前にしゃがみこんだ。
「……カオリさん?」
あの、校門の所で、バイカーズの少年の後ろに乗っていた、3年の先輩だ。
カオリは顔を上げた。顎から血の雫が滴り、ブラウスに一層赤い染みを作った。
「……だれ?」
奇妙に息が抜けるような発音だ。
涙子は恐怖で、しゃがみこむ足がガクガクするのを感じた。何とか、言葉を継ぐ。
「―――あなたの、後輩です」
言いながら、脇に置いた救急キットを開ける。
中には、消毒液やガーゼ、包帯、大きなチューブ等が入っている。
どれを使えばいいんだろう?気持ちが落ち着かず判断力が乱れている。涙子は中からガーゼを取り出そうとするが、手が震えて上手く取れない。
「佐天さん―――!ッ」
初春が、残った毛布を抱えてやってきた。カオリの姿を目にして、口に手を当てる。
抱えていた毛布が、ふぁさっと地面に落ちた。
「……ひどい……」
一瞬、3人は動きを止めた。
炎の燃え立つパチパチという音、ドローンの駆動音、消火剤の巻かれる噴射音。
カオリが、唇を動かした。
「あたしは、大丈夫……」
そして、傷だらけの顔を歪ませた。歯が欠けているのが見える。
笑っている。
涙子はそれを見て、ハッとした。
ボーッとしている場合ではない。
「初春ッ!貸してッ!」
涙子は地面に落ちた毛布を引ったくると、カオリを抱きしめるようにして身体を覆った。
たった今知り合ったばかりだが、こんな姿をほかの人に見られたくはなかった。
涙子の行動に、初春も動き出した。涙子の持ってきた救急キットから、太いチューブ状の物を手に取ると、すぐ掌にジェル状の中身を押し出した。
「対外傷キットです」
初春は早口に呟きながら、それをカオリの痣や傷口に塗る。
「消毒と、止血、それと―――傷口を塞ぐ、3つも同時にこなしちゃう、優れもの、なんです―――ど、どっかの病院の、ドクターが、っは、発明したらしい、ですよ?」
自分に言い聞かせるように、初春はカオリの傷にジェルを塗っていく。
「っす、すごいですよね?」
涙子は、初春の言葉を聞いて、もう限界だった。
カオリの顔を見ることはできなかった。
「なんで―――大丈夫、なんて、言うんですか……?」
毛布ごと、カオリの身体を抱き締めた。
カオリはとても痩せていた。いろんな場所で、骨が皮膚に浮かびあがるような体つきだ。毛布越しでもそれが分かった。
涙子は頬を温かいものが伝うのを感じた。
なんで泣いてるんだろう、わたし―――。
「……ありがとう」
涙子の耳に、カオリのか細い呟きが聞こえた。
遠くから、サイレンの音が聞こえる。
―――なんで、そんな顔をしてやがる。
金田は歯噛みした。鉄雄の痣だらけの顔は、怒りに歪んでいる。
包帯が巻かれていた筈の額には新しい切り傷があり、血が頬を伝って赤い跡を残していた。
「……鉄雄」
金田はゆっくり歩み寄り、肩に手をかけようとした。
その手を、鉄雄はパシッと弾いた。金田は目を見開いた。
「なンだてめェ」
金田低く言った。
「お前こそ、なんで来やがった」
鉄雄が金田を睨みつけて言った。
「何ィ」
金田も怒りが湧いてきた。
「てめェ、それは一体どういう―――」
「俺一人でもやれたんだ!」
鉄雄が眉間に皺を寄せ、突然大声で言った。
「いつもいつも、助けに来やがってェ!俺だって―――やられてばかりじゃないんだよォ!」
鉄雄の言葉は、怒りの声かと思うと、途中には悲痛な響きも混じっている。
「いつまでもガキ扱いしやがって―――沢山なんだよォ!」
金田はじっと黙って聞いていたが、しばらくして口を開いた。
「うるせェよ」
金田が言うと、鉄雄は目をより大きくして金田を見た。
「元はと言えば、てめェが他人様のバイクで、ヘマこいたからこうなったんだろうが」
「うるさあああい!!俺に命令すんなァァァ!!」
鉄雄が両手を握りしめ、思い切り叫んだ。
「鉄雄……」
金田が静かに言った。
「お前、どうし―――」
その時、金田達のすぐ傍の地面に、甲斐と山形がドタッと倒れ込むようにして突然現れた。後ろ手を拘束され、腹這いになる形だった。
「あぁ?お前等―――」
「金田ァ、ひでェよォ」
甲斐が情けない声を出した。
「俺ら、なーンもしてねェんだぜェ」
甲斐と山形がもがいていると、次にツインテールの小さな女が現れた。
制服に腕章―――あの能力者の風紀委員だ。
ゲッ、と金田は声を漏らした。
「そこの2人!」
ツインテールはビシッと金田と鉄雄を指さし、声を張り上げた。
「ジャッジメントですの。ほかの男共同様、事情聴取のためにそこを動かないでくださいまし」
「はァ、待てよ!!」
憤慨して金田は反論した。
「俺らは仲間を助けようとしただけだぜェ、やられたのはこっち!!」
「嘘臭いですわね」
風紀委員の女は、汚い物を見る目で金田を睨んだ。
「あそこにいるアイツら―――」
風紀委員がくいっと指さした先には、やや離れたところで倒れている二人の姿があった。金田と反対方向に逃げた、クラウンのメンバーだ。
「あなたとケンカしてたんでしょう?」
ええ!?と山形が戸惑ったような声を出した。
「だから違うッて!」
金田は強く否定する。
「俺が蹴り飛ばしてやったのは、そこにいる一人だけ!」
金田は片腕で、先ほど倒した相手を示す。地面にのびて動かない。
一瞬、沈黙が流れる。甲斐が、「あちゃ~」と脱力しながら、地面に額をコツンと打った。
「―――吐きましたわね?」
風紀委員が勝ち誇った笑みを浮かべて言った。
「アンチスキルに引き渡しますわ」
「ああッ!てめえ、はめやがったな!」
金田は慌てて叫ぶ。
「何のことですか?」
風紀委員が拘束ロープを取り出した。
「大人しくしなさい!」
「……ケッ」
金田達と風紀委員とのやり取りを見ていた鉄雄は、小声で吐き捨てた。
「どいつもこいつも……」
何事かぶつぶつと呟きながら、その場をよろよろと離れようとする。
「おい、鉄雄!」
金田は、風紀委員から鉄雄の方を向いて声をかけた。
「どこへ行く気だ!」
「勝手に動かないでくださいまし!」
風紀委員も声を張り上げる。
「うるせぇ!!放っといてくれえ!」
鉄雄が頭を押さえ、叫ぶ。
「おい、様子がおかしいぜアイツ……」
甲斐が困ったような声を出す。
「島!!」ドタドタと、高場もその場に現れる。
高場の声も鉄雄は無視して背を向けている。
「……鉄雄くん」
弱弱しい声がした。なぜか、全員がその声の方向を振り向いた。
カオリが、毛布に身を包み、ゆっくりとこちらに近づいていた。
「う、動いちゃダメですって……」
初春と涙子が両脇を支えながら、引き留めようとしている。
「カオリちゃん……」
痛々しい姿のカオリを見て、山形が声を漏らした。
鉄雄がカオリの方を振り返り、目を見開いた。
「カ、カオリ……」
先程までの威勢は消え、急に鉄雄は弱気な声を出した。
「鉄雄くん」
カオリは、傷だらけの顔を上げて言った。
「しょうがなかったんだよ。運が悪かったんだね」
カオリはゆっくりと、言葉を続ける。
「……大丈夫だよ。鉄雄くんはわたしを守ろうとしてくれたんだもの」
鉄雄は、カオリの傷だらけの顔を見て、毛布にくるまれた姿を見て、カオリの弱弱しい言葉を聞いて―――絶望した。
―――俺のせいだ。
俺のせいで、カオリは……。
頭痛が波となって、何度も鉄雄に押し寄せた。たまらず、膝をついた。
悪寒がして、何度も咽て咳込んだ。胃から酸っぱい物が駆け上がり、吐き出した。
べちゃべちゃと音を立てて、どす黒い血や内臓が口から飛び出してきた。
―――血?内臓?鉄雄は自分の身体を見た。
腹がぱっくり切り裂かれていて、桃色をした腸が血だまりの中に引きずり出されていた。ぬらぬらと炎の揺らめきを受けて輝いている。
「あ、あ、あ―――」
途切れ途切れに声を上げ、鉄雄は急いで臓物を自分の腹の中へ押し戻そうと、集め出した。両手が血で真っ赤に染まり、生温さに包まれた。
次の瞬間、鉄雄の座り込む地面が大きく揺れた。バランスを崩し、鉄雄は両手をつこうとした。
地面がぱっくり割れていた。
今、鉄雄は虚空の中にいた。身体が、どこまでも下へと落ちていく。
鉄雄は、あらん限りの声で叫んだ。
突然、目の前が緑色の光に包まれ、眩しさに鉄雄は目を覆った。
声が光の向こうから聞こえる。
「知らない!!そんな奴は知らない!!」
鉄雄は頭を振った。
「……彼、ドラッグでもやってるんですの?」
黒子が胡散臭そうに言った。
皆が不安げに見守る中、鉄雄は膝をついて、目の前の地面に転がる何かを、必死にかき集めるように腕を動かしている。
「いや、あいつ―――だって、酒も一口でやられるような奴だし―――」
「酒?」
「ああ、いや、なんでも―――」
金田と黒子がそんなやり取りをしていると、急に高場が大声をあげた。
「やっと来たか!―――おおい、こっちだ!」
眩いライトに気付き、全員がそちらを見た。
白色の大きな車体、救急車だ。金田達を明るく照らすように近くで止まると、すぐに何人かの白衣を着た人物が、医療器具を手に降りてきた。
「こっちです、ケガ人は3名、重度の火傷が1人―――」
初春が白衣達を案内しようと駆け出したが、途中で止まった。
救急士とは明らかに出で立ちの異なる、黒服とサングラスをまとった大柄な男が数名、行く手を塞いだからだ。
「おい、お前たち、どういうつもりだ―――」
高場が抗議しようと詰め寄る。黒服と高場はほぼ同じ体格だ。相手は何も言わない。
黒服達の壁の向こうで、白衣の人物達が鉄雄を取り囲んでいる。
「なんだてめェら?葬式帰りかァ?」
金田は不敵に挑発した。鉄雄の様子を見に近付こうとするが、黒服の1人に強く押し戻され、尻餅をついた。
「金田!」
甲斐や山形が叫ぶ。金田は顔を上げて、黒服達を睨み付け、隙間から様子を伺おうとした。
ペンライトで瞳を照らしたり、子供のお菓子で見かけるような冗談みたいな緑色の液体を注射する様子が辛うじて見えた。
彼らはひたすら鉄雄だけを診ていた。他のカオリやクラウンの連中には近づきもしない。
「ねえ!ほかの人は!?」
我慢できなくなり涙子が叫んだ。
「この子ひどい怪我なんです、ねえ―――」
涙子が懇願する間に、白衣の連中は鉄雄を担架に乗せて車へ運び込んだ。黒服の男たちも何も言わず乗り込んだ。
鉄雄は行ってしまった。
「なんなんだ、あいつら……」
金田が呟いたのとほぼ同時に、サイレンの音が近付いてきた。
今度は反対方向から、救急車がやって来た。
「風紀委員からの通報を受けて来ました!負傷者は!?」
降りてきた男の救急士が高場や白井たちに声をかける。先ほどの白衣の連中と比べ、より機能的な服装をしている。
「こちらです!特に、火傷の人が重傷で……」
初春が案内を始めた。涙子は手当てを受けるカオリに付き添っている。
「あの!」
黒子が一人の救急士に声をかけた。
「先ほど1名、別の方々に連れていかれましたが……」
「えっ?」
救急士が怪訝そうに言った。
「今回要請を受けたのは我々だよ?我々が一番に来たんじゃないのかい?」
「どういうことだ?」
高場も疑問の声を上げる。
「そういえば金田」
相変わらず這いつくばったままの甲斐が言った。
「さっきの連中、サイレンとか全然鳴らしていなかったよな……」
そうだ。あいつらは、突然現れた。
まるで、すぐ近くからずっと見張っていたかのように。
金田は唇を噛み締めた。
ドローンはいつの間にかコンテナの火災も大方消火し終えていた。
木が燃えた後の煤けた匂いが、辺りに漂っていた。