【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

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「また、なんでアタシに面倒くさいことを押し付けてくるのかね、アンタは」

 寮母の呪詛を聞きながら、カオリは押し黙ったまま、自室へと向かう階段を歩いて上った。

 カギさえ渡してくれればそれでいいのに。

 中学生であるカオリが退院する際には、身元引受人が同伴しなければならなかった。そこでやって来たのが、カオリの住む学生寮の寮母だった。突き出た顎と骨ばった頬、意地悪そうな小さな目で作られる顔を、カオリ含む寮の住人は「ヤギ女」と呼んでいた。

 

「大体、カギを失くしたって、何度目だい、ええ―――?迷惑しかかけないねぇ、全く」

 

「失くしたんじゃない、盗られた―――」

 

「どっちでも同じことさね!同類同士、集まるってもんだ、自業自得じゃないか!」

 

 階段を上がり切って、昼間でも薄暗い廊下を歩く。

 真っ赤な生地に花柄を散りばめたワンピースからはわざとらしく、きつい、柔軟剤だか香水だかの香りが、嫌というほどカオリの鼻腔を刺激した。それと共に、この寮母はヘビースモーカーらしく、タバコの匂いが混ざって漂ってくる。

 タバコの匂い―――カオリの背筋に冷たいものが走る。

 

 自分の身体を痛めつける足、辱める手の感覚がする。

 

 カオリは自分の身体をかき抱いた。

 

「―――おい、オイ、アンタ!」

 寮母のがなり立てる声がする。それは、ひどく金属質にキーキーと耳に響いた。

 カオリは俯かせていた顔を少しだけ上げた。

 自分の部屋の前で、寮母がただでさえ小さい目を更に細めて立っていた。カギをチャラチャラわざとらしく音を立てて見せつけている。

 

「ボーッとしてんじゃないよ、全く」

 自分はしばらく立ち止まっていたようだ。

 のろのろとカオリは寮母の前まで行き、鍵を受け取った。

 

「奨学金が下りてさえなきゃ、あんたをここに置いとく理由なんざないんだ」

 カギをカオリの掌に押し付けて、寮母が吐き捨てた。

 

「大体その金だって、あんたの努力でもらえてるものじゃないくせに―――あんたの親がムショ行きになったお陰で降って来るんだろう?悪者のガキの癖していいご身分だよ。今度何か面倒を起こしてみな。いい加減ここから出てってもらうよ。あのバイカーズ共の寝床がお似合いじゃないか、掃き溜めに行くがいいさ」

 

 ぶつぶつと文句を垂れながら、ヤギ顔の寮母は去っていった。

 

 カオリは、掌のちゃちなカギを見つめた。

 ゆっくりと鍵穴に差し込み、回して開けた。

 

 オートロックも防犯カメラもない、前世紀からタイムスリップしてきたかのような、狭い部屋。

 カオリが住むことのできる寮はここくらいしか無かった。

 

 硬いベッドに仰向けになって、カオリは天井を見つめた。

 

 所々染みがついている。

 

 先ほど思い出した感覚がまだ残っている。

 自分の体中を虫が這いまわっているようで鳥肌が立つ。

 カオリはタオルケットを掴み取り、全身くるまった。

 

 

 

 自分が、クラウンのメンバーに殴られていた時。

 痛みで考えがまとまらない中、カオリがぼんやりと分かったのは、鉄雄が何か能力(ちから)を発揮したこと。

 それで、クラウン(あいつら)を蹴散らしてくれたこと。

 

 そういえば、何年か前に能力測定の話をしたとき、鉄雄くんは何て言ってたっけ?

 念動力……テレ、なんとか、だったか?

 

 何にしても、鉄雄も自分もLEVEL0(無能力者)と判定されたっきりだったため、あまり能力の話題は普段からしていない。

 

 もしも、鉄雄が能力を高めて発揮したのだとしたら……

 それで自分を守ろうとしてくれたのだとしたら。

 

 カオリは、少しだけ不安が和らいだ気がした。

 薄いタオルケットを、より強く抱きしめた。

 

 カオリは携帯電話を手に取った。

 鉄雄の番号にかけてみるが、電源が切られているという機械音声が返ってきた。

 

 

「……鉄雄君、大丈夫かな……」

 そう呟いて、携帯を見つめていると、別のことを思い出した。

 

 今回、携帯を盗られたり壊されたりすることがなかったのは、あの、2人の女子生徒のお陰だ。自分と同じ制服を着ていた。

 なぜかは分からないが、あの現場に居合わせて。

 知りもしない自分のことを介抱したり、抱きしめたり、優しくしてくれた。

 中学校に通っていて、ほかの生徒から優しくされたり気遣ってもらえたりした経験は、カオリには思い出せるものは無かった。

 みな、自分を避けて、無視したり、悪意をぶつけてくるだけだ。

 

 誰だったのだろう。確か、後輩と言っていたか。2人とも、名前も聞けていない。

 

 すんと、カオリの脳裏に、ふんわりとした優しい感覚が呼び起こされる。

 長い髪の女の子。あたたかくて、いい匂いがした。

 

 携帯の拾い主でもある彼女に、後でちゃんとお礼を言いたいと、カオリは思った。

 

 

 

 音を大して遮らない壁を隔てた隣の部屋からは、自分と同年代の女子が甲高く話す声が聞こえてくる。

 

「……メーメーメーメーうるさいってのあの寮母(ババア)……ホント、ヤになっちゃう!……明日の3時?ウン、いいよー……」

 

 今はまだ明るい時間。隣の女子は学校に通っているのかどうか、怪しい人だった。きっと携帯でまた誰かと遊ぶ約束をしているのだろう。

 普段はこちらが向こうのことをうるさく思っていたが、今ばかりは、隣人の愚痴に、カオリは完全に同意した。

 

 明日の3時?明日は確か金曜日だったか……

 

 カオリの思考から、包容力のある髪の匂いはどこかへ飛んでいく。

 

 期末テスト……やってない……

 

 カオリは勉強が得意な方ではないし、欠席も多いため高得点はもとから望んでいない

 けれども、卒業までは頑張る、と宣言した。河川敷で。鉄雄に。美しい夕焼けを眺めながら。

 自分に優しくしてくれる学校の生徒もいるのだと知った。

 

 柵川中学校の職員室の電話番号を呼び出す。

 友達といえる友達のいないカオリにとって、学校関係で一番話した回数が多いのは、多分この番号だ。鉄雄たちバイカーズ絡みの不良行為で、よく電話がかかってくる。

 

 とはいえ、自分からかけたことがあっただろうか。

 カオリは少し躊躇った後、番号を呼び出した。

 

「……あ……私、3-Bの……はい、そうです。

 えと、私、今日、退院して……それで、テスト、受けたいんですけど……」

 

 


 

 

  第一〇学区――――「石棺」 地下

 

 

 

「第10室……148K(ケルビン)……チェック」

 

「第9室……118K、チェック。許容範囲内です」

 

「緊急用発電装置(パワージェネレータ)……チェック」

 

 オレンジ色の防寒着に身を包んだ都市軍隊の特殊能力研究機関の研究員達が、ガラス張りのコントロール・ルームの中で、呪文のように言いながら状態確認を行っていた。

 

 25号(キヨコ)の予知を受けて、敷島大佐率いる研究チームは、原子力施設が集中する第一〇学区の地下深くにあるこの場所に来ていた。

 ちょうどこの真上の地上には、かつて東京西部一帯に甚大な被害をもたらしたという旧式の原子力発電施設跡があり、それを封じ込めるためのコンクリート構造物や、更に外側から覆うためのシェルターがある筈だった。

 

 最初の扉を開けた後にある空間は体育館半面ほどの広さで、ほぼ灯りはない。温度を氷点下に保とうとする空調の音が、ゴオオと絶えず鈍く響いている。入って右手にあるコントロール・ルームだけは、室内灯や計器類の光が目立っており、研究員達の口元に浮かぶ白い吐息が、極寒の中で頼りなく生命の温かみを主張していた。

 

 敷島大佐は、忙しなく作業に追われる研究員達を後目に、入り口とは正反対側へと歩みを進める。

 コントロール・ルームの明かりは十分に届かない。よく目を凝らせば、壁面は結露に覆われているのが分かる。

 

「ここを開けてくれ」

 

「はっ……?」

 傍に居る、黒服の上から防寒着を羽織っている部下が、呆けたように聞き返す。寒さのためか、声は明らかに震えていた。

 

「メインハッチだ!コントロール・ルームに伝えろ!」

 

「……ハイ!」

 側近は、首元の通信機器を弄ろうとしたが、手袋を付けているためなかなか上手くいかない。

 

 その様子に、大佐は苛立ちを募らせた。

「馬鹿者!この低温で使える訳ないだろう!直接行け!」

 

「ハッ!」

 大佐の叱咤を受けて、部下は慣れない耐滑の防寒靴で、不格好に早歩きしながら、コントロール・ルームの大西に伝達しに行った。

 大佐はその背中を睨みつけた後、再び目の前の壁に向かい合った。

 

 やがて、敷島大佐の目の前の壁に動きがあった。

 目前にあったのは、扉だった。

 

 まず、上下右の三方向にある、フレームと扉とを繋ぐパイプがバシュンと空気を勢いよく動かしながら引っ込んだ。次に、巨大なカバーに覆われた蝶番(ヒンジ)が軋みながらゆっくりと回転し、扉を手前へと引いた。扉の表面を覆っていた結露は、パラパラと砂糖のコーティングのように一斉に剥がれ落ちた。

 大人の頭1つ分ほどの厚みを持つ重い扉が開かれ、向こう側には闇が待ち受けていた。

 闇の中で、ぼうっと赤い灯りが灯っている。

 

「第1室―――0.0005K。チェック

 ―――各デュワー壁にも、問題は見られません」

 

「全て、正常なんだな?」

 コントロール・ルームで、研究員からの報告を受けた大西が念を押すように言った。そして、鋭い視線を、敷島大佐が入っていった虚空へと向けた。

 

 扉の先へ数歩足を踏み入れた大佐は、目の前の闇をじっと見据えた。

「何年経った?あの瓦礫の山から」

 誰に言うという訳でもなく、大佐が低い声で語った。

「能力の研究が軌道に乗り、金と人が入り、この学園都市(まち)は見事に復興した。……だが今や、大人たちの欲望の掃き溜めであり、若者どもの遊び場だ。秩序の無い……見てみろ」

 

 大西が、コントロール・ルームから出て、大佐の横へと並んだ。

「―――そして、そこに付け込む奴等だ。このアキラさえも、奴らには科学を前進させるための燃料でしかない。お前達の先人が、自ら空けた大穴を、恐怖で、不安で、たまらずに、恥も外聞もかなぐり捨て、慌てて埋め立てた……

 その結果が、このカプセルだというのに」

 

 敷島大佐や大西の目が暗闇に慣れ、目の前にあるものをだんだんと認識できるようになった。

 自動車程の幅がある、太いパイプが、天井からも横からも伸び、更にその周囲を、無数のコードや配管らしきものが、巣穴に向かわんとする蛇が群れるように中央に向かっている。

 それらが向かい接続された先は、巨大な球体だった。まるで投げ捨てられてそのまま長い年月が経ったかのように、セメントに不自然に埋まり、配管の繋がり方も一見秩序だったものが皆無に思えた。

 

 赤い非常灯が大佐達のほぼ真正面で灯っている。

 非常灯に照らされて、球体に刻印された文字が浮かび上がっている。

 

〈 A K I R A    N o. 2 8 〉

 

 

 

 

 

 敷島大佐達の背後から、黒服の上に防寒着を着込んだ一人の部下が見守っていた。彼は、サングラス代わりの防寒ゴーグルを片手で弄る仕草をした。

 

 学園都市の技術研究で開発された、南極の環境下でも電力消費の効率を低下させないというバッテリーを装備したゴーグルが、暗視モードに切り替わり、大佐と大西、そしてその向こうにある巨大な冷凍カプセルの姿を録画し始める。

 

 「掴みました、杉谷さん―――」

 彼が呟いた声は、極寒の空気へとすぐ吸い込まれ、他の誰にも伝わることはなかった。

 


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