―――都市軍隊 宿舎
『俺は建築や芸術に詳しい訳ではないが』
携帯から聞こえる相手の声が言う。
『
電話をかけている、
第一〇学区の、石棺の地下深くにある、都市軍隊の実験体封印施設。自分が映像を残すことに成功した「アキラ」の冷凍カプセルは、深海探査船とタコ足配線のコードをぐちゃぐちゃに絡めたような見た目をしていた。少なくとも、門脇はそう感じた。
「大佐は、25号の予知を受けて俄かに焦っています」
門脇が、静かな声で早口に言う。
「だからこそ、普段、セキュリティクリアランス上は入れない筈の私も、一緒に入れてしまう失態を犯したのでしょう」
『そのお陰で、ようやく記録として掴めたわけだ。オカルト話に過ぎなかった、アキラという人物のことを』
向こうの側の声は、冷静ながらもどこか嬉しそうな声色を含んでいた。
「これからどうしますか?」
門脇が聞いた。
「第七学区で暴れた一件だけでも、都市軍隊へ強制査察をかけることは可能だと思いますが」
『“
相手が言った。この人物は時たま、古書に書かれているような格言めいたことを言う。
「わざわざ絶対零度まで凍りついたカプセルに、馬鹿正直に触れる理由もないだろう。まだその機ではない。正面から火力を投じて、開けてみたら死体だけでした、では困る』
「では……待つと?」
遠回しな言い方をする相手に対して、門脇はもどかしさを抱えながら聞いた。
「新たに加わった
質問に直接応えず、逆に相手が聞いてきた。
「外部の研究者も招聘して能力の再開発を試みているようです。今のところ目立った成果は上がっていませんが」
『……彼が
間を置いて、相手が言った。
『彼の伸長を待ち、揺さぶりをかける。いずれ、奴等は再び、学園都市に噛みついてくる。すっかり丸くなった犬歯で』
「……何か策があるのですか?」
門脇は聞いた。
『
「それは……」
『お前達、
門脇は、通話相手の言葉に、答えを言い淀んだ。
『お前たちのボスに確認してみるといい。そして、警備員の関係に強制捜査に乗り出すよう、挑発するんだ。
奴等は勝手に自爆し、学園都市で、如何に自分たちがちっぽけな存在かを思い知ることになるだろう』
門脇は、少し間を置いて、口を開いた。
「杉谷さんの、その見方は……潮岸様がそう仰っているのですか?」
電話口からは、何も返答が無い。
「それとも……あの
『……誰の言葉であれ―――』
相手が低い声で、ゆっくりと言った。
『―――俺たちは所詮、上の指示で動くだけだ。俺も、お前も』
2,3秒、会話が途切れた。たったの2、3秒なのだが、門脇にとっては、それが重苦しく、とても長い時間に思えた。
『―――
念押しのような一言を言うと、返答を待たずに、すぐに通話が切れた。
門脇は、ひとつため息をつくと、携帯電話を操作し、履歴を消した。
そして、机の一番下を覗き込んだ。そこには大人の頭一つ分ほどの大きさの、こじんまりとした箱型の金庫があった。門脇は、金庫に備え付けられた端末で複数桁の
門脇は右の掌の静脈認証を終えると、金庫を開けることができた。先程まで使用していた携帯電話を、慎重に中に置いた。そして元通りに扉を閉め、立ち上がった。
門脇は、胸の内ポケットから、サングラスを取り出してかけた。
サングラスをかけた黒服の男は、腕時計をちらと見て時刻を確認すると、足早に宿舎の自室を出て行った。
7月7日午後―――第七学区 柵川中学校
帰りのホームルームが終わった後、佐天涙子は早足で廊下を進んでいた。
家庭科の授業で使った道具を、被服室に置いてきたことに気付き、それを取りに行こうとしていた。
誰もいない廊下を進んでいき、被服室の扉を開けた。
「……あ~、良かった、あったあ」
白地の作業机の下に、ぽつんと自分のトートバッグが置き去りにされているのを見つけた。授業で使う裁縫セットが入っている。
涙子はバッグを掴み取ると、再び元居た自分のクラスに戻ろうと歩き始めた。
曲がり角を曲がり、階段を降りようとした。
「しらばっくれてんじゃねーよ!」
涙子は突然聞こえてきた怒声に身を震わせ、立ち止まった。
「ちょ、ユミコ、声でかいって……」
慌てたような声と、ぱたぱた、といういくつかの足音が、女子トイレから聞こえてくる。
「……ケンカ?」
涙子はトイレの出入口を見つめた。
一瞬、初春の顔を思い浮かべた。
けれど、勘違いかもしれない……ふざけあってるだけとか。
一応確かめてみようと思い、涙子はそっとトイレに足を踏み入れた。
トイレの角を曲がると、廊下からは見えない位置に、洗面台がある。
そこの鏡に、何人かの女子生徒が映っていた。
「……曖昧な理由付けて学校休んでたけどさ、アンタが、
背の高い女子生徒が、誰かに詰め寄っている。
その相手は、ぼさぼさの黒髪の、小柄な人だった。
涙子は、はっとした。
カオリさんだ。
向こう側から自分が盗み聞きしているとばれないように、背中をぴたりと壁にはりつけた。
鏡は見えなくなったが、会話は十分聞こえる。
「アンタ貧乏だしさぁ、金無いんだろ?だから―――」
詰め寄っている側であろう声が、語気を強めた。
「―――アタシらの財布、盗ったんだろ!!」
「知ら、ない―――」
「じゃあ!なんであんたの机の中からアタシの財布が出てくる訳!?」
カオリの自信のなさそうな声は、間髪入れずに怒鳴り声に押し潰される。
「アンタが昨日からテスト受けに来てんの、知ってんだから―――昨日、今日って、うちらのクラスで財布が続けて無くなってんだよ、ねえユキ!?」
「え、ああ、うん」
ユキと呼ばれた人のだろう声が、突然振られたことに戸惑うような声を出した。
「しかも、ユキのはまだ見つかってないんだよね?」
「まあ、ウン―――」
「この不良!ドロボー!早く出せよ!!」
「だから、ほんとに、あたし、知らない―――!」
カオリさん、人の財布、盗んだのかな?
ブラウス越しに、また、腕を伝って、壁のひんやりとした冷たさが、涙子の身体に染みていた。
不良……
何も見なかったことにしよう。あたしには関係ない。
そんな考えが浮かぶが、足が動かない。涙子は天井を見上げる。
昨日、相談室の小窓から見えたカオリの姿。
机に向かうその様子は、真剣そのものだった。
そのことも思い出し、涙子は目を閉じた。
涙子は、バッグの取っ手をぎゅっと強く握りしめた。
大きく息を吸った。そして―――
「あああああ!!!漏れる~~~~!!!」
体育祭のスローガン斉唱のときに、この声を出していたら、たちまちクラスの人気者になれただろう。
大音量で叫んで、涙子は女子トイレに駆け込んだ。
「はァ―――?アンタ、何―――?」
誰か一人が虚をつかれた声を出したみたいだが、お構いなしに、カオリ達の側をダッシュで駆け抜け、涙子は個室の扉をばたんと閉める。
「あああ!!絶対!ぜーったい、聞かないでください!!今からめちゃでかいの出しますから!!」
便器の蓋をぱかんと開け、座るとすぐに叫んだ。そして、涙子は右手親指の付け根辺りを自らの口に押し付け、ぶううっ!!と放屁の音を真似した。
「恥ずいんで、出てってください!お願いしまああす!!」
トイレの水洗スイッチを連打する。
手元のトイレットペーパーを、ガラガラガラと引き出しまくる。
水の流れる音が、女子トイレの中に響いた。
涙子はぎゅっと目を瞑り、巻き付けたトイレットペーパーがくしゃくしゃになるくらい手に力を込めた。
うまくいきますように。
個室の扉を閉めているので、外の様子は分からない。
「……チッ」
舌打ちが聞こえた。
「ムカつく……次の月曜、財布の中身、倍にして返せよ。……行くよ」
興を削がれたような声が聞こえ、何人かの足音がトイレから遠ざかっていくのが分かった。
足音が聞こえなくなってから、涙子の強張った体から力が抜けた。
ふう、と息を吐くと、ゆっくりと、個室の鍵を開け、そろりと外を見た。
「……カオリさん?」
小動物のような目をぱちくりと瞬きさせて、カオリがこちらを見ていた。
「……大丈夫、ですか、ね?」
涙子は、ゆっくりとカオリの前に立った。
カオリは、涙子の姿を、頭から下へと見た。すると、なぜか突然くすくすと笑い出した。
「えっ?えっ?」
涙子は面食らった。「なんか、あたし、変ですか?―――ああ、そっか、
どう答えていいか分からず、言葉を詰まらせる涙子をよそに、カオリはまだくすくす笑いながら、涙子の右手を指差した。
涙子は自分の右手を見た。
先ほど大量に引き出したトイレットペーパーが、ミイラのようにぐるぐる巻かれたままで、それは蛇のようにうねって、涙子が駆け込んだ個室へと続いていた。
「……ごめんなさい」
カオリは笑いを堪えて、顔を上げた。
「けど、なんか、おかしくって―――」
涙子はぽかんとして、カオリと向き合った。
カオリは、指先で目尻を拭った。
「……ありがとう」
混じりけのない、あどけない声。
全て揃った歯を、僅かに見せて、笑っていた。
「あ……ハイ」
―――かわいいな。
涙子は、カオリの笑顔をしばらく見つめていた。
門脇……AKIRA第1巻に登場する、敷島大佐の側近。渋滞に巻き込まれて任務が遂行できない特務警察。名前は鉄人28号から。