―――アーミー本部、ラボ内
不意に両足が固い床を感じ、島鉄雄は周りの景色がさあっと明るくなるのを感じた。
「なンとなく、ガキの声だって感じはしたが……」
鉄雄は鼻で笑って言った。
「マジで、こんなお守りの部屋があるとはな……うざってえ」
鉄雄にとって、その部屋の内装は、養護施設に入れられていた頃の苦い記憶を呼び覚ますものだった。
鉄雄は幾度か頭を振り、鋭い目つきで辺りを見回した。
奥まった所の一角に、コードが何本か繋がれたベッドがある。
その近くで、老人のような風貌をした子供が2人、まっすぐ鉄雄を見つめていた。
鉄雄は、その内の一人に見覚えがあった。
「……お前か。あン時の」
「ハイウェイじゃあ、世話ンなったな……」
鉄雄は、3人へと歩み寄っていく。
ひたり、ひたり、と、裸足の踏み締める音が、静かに響いた。
タカシは、鉄雄から視線を離さなかったが、汗が一筋、二筋と額から滲み落ちてくるのを感じていた。
「……ンで、お前は」
車椅子に座った少年、
「……歩けねェぼっちゃんに、干からびたモヤシのガキか……」
鉄雄はせせら笑った。
「ンでこっちのお姫様は……お人形がかわいくて仕方ないと」
ウサギのぬいぐるみを抱えるキヨコを見て、鉄雄は一層笑みを浮かべた。
「鉄雄君……君が、41号?」
緊張の中、マサルが口を開いた。
「初めまして。君に話したい事が―――」
その途端に、鉄雄の表情は憤怒のものへと変わった。
「気安く呼ぶんじゃねェよ!!」
突然の怒鳴り声に、マサルはビクッとした。
「俺の頭ン中に話しかけてきやがって、寝覚めが悪イんだよこっちは―――ンで来てやったら、出来損ないのガキどもとはな……何の冗談だ、ええ!?」
鉄雄は怒りに燃えていた。
悪夢を見せられたと思ったら、その原因が自分よりもずっと小さい子供の仕業だったとは。
しかもその内の一人は、ここ最近の訳の分からない出来事のきっかけを作った奴だった。
鉄雄は、緊張の面持ちのタカシを再び睨みつけた。
「そうだ、元はと言えば、てめぇだ……詫びの品の一つでも用意してあるンだよなァ?当然!」
「ぼっ僕は……」
タカシは口をぱくぱくさせて、何事か言おうとしているが、上手く声が出ないようだった。
「ハッ、ならてめぇからだ……ふざけやがって!!」
先ほど、兵隊を痛めつけたように、こいつらの脆い手足を砕いてやる。
鉄雄は、警備兵にそうしたように、タカシに向かって集中した。
ただでさえか弱い四肢が、飴細工のように折り曲げられ、みっともない悲鳴を上げる筈だった。
……が、何も起こらない。
「……おい?」
鉄雄は、誰に言うでもなく疑問の声を口にした。
「なンでうまくいかねェ……」
「最初から、全部成功するとは限らないんだよ」
マサルが、諭すように鉄雄に言った。
その口調が、更に鉄雄を逆上させた。
「調子に乗りやがって!」
鉄雄は、タカシを痛めつけるべく、手を伸ばした。
その腕が、見えない別の手に掴まれたように、不意に止まった。
「なんだと……なんで動かねェ」
鉄雄の目が、驚きに見開かれた。
「君は、まだ僕らには勝てない」
マサルが、はっきりと言った。視線は、鉄雄から逸らさずにいた。
鉄雄が手を伸ばす先のタカシも、口を真一文字に結んで、鉄雄を見返していた。
「バカな!俺はさっき、
鉄雄は焦っていた。まさか、このガキどもに、自分が力で劣るとは思いもよらないことだった。
「力は、何かのきっかけであふれ出るんだ」
タカシが、じっと鉄雄を見つめながら言った。
「それは、始めは蛇口が壊れた水道みたいなものだ。みんな、少しずつ、練習して、コントロールできるようになるんだ……僕らだってそうだった。
君は、タカシと出会ったこと、それに、さっき僕らが話しかけたこととか、そういうことがきっかけで、力に目覚めている。でも言い換えれば、僕らが君の力をコントロールしているんだ」
「うるせえ!ガキのお稽古してンじゃねえんだよ!!」
相変わらず動かない片腕を睨みつけながら、鉄雄が歯噛みして言った。
「でも、鉄雄君」
タカシが言った。
「
「はっ……何だよ、そりゃあ……」
鉄雄が眉間に皺を寄せて言った。
「だって、キヨコがそう言ってる」
タカシとマサルは、ベッドに横たわるキヨコを見た。
「そうだよね?キヨコ」
鉄雄も、キヨコを見た。
閉じられていたキヨコの目が、不意に大きく開かれた。
「鉄雄君」
キヨコの声を聞くとほぼ同時に、鉄雄は腕を押さえつけていた力から解放された。
「あなたに、見てほしいの……」
次の瞬間、鉄雄の視覚に滝のようにビジョンが押し寄せ、聴覚には無数の音が迸った。
群れ為すバイク。その騒音。
誰かが自分の目の前に立ち塞がっている。痛い。
金田の必死な声が聞こえる。
けたたましい銃声と、嘲る笑い声が聞こえる。
No.28と書かれているのが分かる。
光と爆音に包み込まれる。熱を感じる。
鉄雄は、自分の体が、今やそこらのビルよりも高く、巨大に膨らんでいることが分かった。
自分の内側から、力が溢れ出てくる。
それは、止めどなく溢れて、どんどん大きくなって……
不安げな顔をしたカオリが見える。
眩しい。その向こうに、誰かが……
「そうだ!」
鉄雄はいつの間にか膝を床についていた。
「俺は、クラウンの奴らにやられて、それで、やり返して……そこで不意に力が使えて!そンで……夢を見た。変な、夢を。あれは、……今見たのもそうか?本当に起こるっていうのか!?」
「変えられない未来があるの。けれども、一方向だけに進んでる訳じゃないの」
キヨコが、夢を見るような声で言った。
「近道、遠回りの道……いろんな行き方が合って、私達が選べる未来もあるはずよ……」
「じゃあ、その、アキラってのは!?」
鉄雄が問いかけた。
「一体なんなんだ!いつも頭ン中に、そいつの名前が聞こえてきやがる!」
「僕たちの仲間だ」
マサルが言った。
鉄雄は目を見開く。
「仲間だと!?」
「そうよ」
キヨコが答えた。
「ワタシたちの……28番目の仲間……」
その時、重たい駆動音がした。
「41号!!」
低い声が響いた。
シャッターが開かれた出入口に、敷島大佐と木山春生たちが立っていた。
「41号!どうしてここに……いや、それよりお前たち」
大股に鉄雄たちのもとへ歩み寄るなり、大佐が詰問した。
これが重要機密?
後を付く木山は訝しんだ。保育園という名にふさわしい、テンプレートのような内装だった。
しかし、鉄雄の側にいる、3人の老人のような奇妙な子どもを目にして、木山は僅かに目を大きくした。
そうか、彼らが、ナンバーズ……。
木山とDr.大西、そして敷島大佐が歩み寄る周囲では、警備兵たちが半円状に展開した。
じりじりと、鉄雄に向かって取り囲む形だ。
「タカシ!マサル!キヨコ!……どういうつもりだ。我々が頼んだのは、ただ
大佐が問うた。しばらく、沈黙があった。
「あの」
タカシがそろそろと手を挙げた。
「こないだの事故のこと、謝りたくて……」
「タカシ、下手な嘘はつくな」
ぴしゃりと大佐が言った。どうやら、タカシの言い訳は下手だったようだ。
「41号、さあ」
膝をつく鉄雄に向かって、大佐が言い放った。
「戻るんだ」
「ッ!るせえ!俺をそンな番号で呼ぶんじゃねえ!」
鉄雄が怒鳴ると、周りの隊員たちに緊張が走った。
「やめろ、撃つな!ナンバーズを傷つけたらどうする!」
大佐が制した。
「ここに来たところで、お前が見るものは何もないんだ、41号―――」
「へえ見るものがないって!?」
鉄雄が、半ば自暴自棄になったように乾いた笑い声を上げた。
「訳の分からねェガキと事故って、そんで悪夢を見せられて、こんな建物に閉じ込められてよォ!ああ、そうかい!見てえものはなンもねェさ!それもこれも、アキラって奴のせいなのかよ!?」
「アキラだと!!」
大佐が驚愕して言った。
「……アキラ?」
木山は、どこかでその名前を聞いたような気がした。
大佐は憤りを顔に浮かべ、きっと大西をにらんだ。
「ドクター!何を教えた!」
「っいえ、私は何も―――」
いきなり大西が疑われている。どうも普段から口が軽いのか、こいつは。
「……では、お前たち、41号に何を教えた?」
大佐がナンバーズの子供たちに向かって聞いた。
「……アキラ君に、会うの」
高い、少女の声が聞こえた。
ベッドに横たわる、少女のナンバーズの声だと木山が気付くのに、少し時間がかかった。
「やがて、人が、死んでしまう、街も……だから、鉄雄君に……」
「待て、キヨコ!どういうことだ?」
大佐は要領を得ないようだった。
「アキラは変わらない。ずっと
「うるせェ!いい加減にしろォ!!」
鉄雄の堪忍袋の緒が切れたようだった。
鉄雄が両手を固く握り締めているのが、背後にいる木山にも分かった。
ピシイッ、と鞭を打つような音がして、部屋全体が揺れ、照明がチカチカと明滅した。
「ダメだ―――!」
マサルとタカシが、驚愕して目を見開いた。
「あ、うえから―――」
警備兵の誰かが口走るのを聞いて、木山は咄嗟に上を見上げた。
バリバリイッとけたたましい音を立てて、はるか高い位置の照明や天井が、バラバラになって落ちてくるのを、木山は見た。
「退がれェ―――!!」
大佐が叫んだ直後、凄まじい音と衝撃が部屋を揺らした。
「……ッカハッ!」
頭を抑えて伏せた木山は、止めた呼吸を再開した途端に咽た。粉塵が辺りに舞っている。
手探りで、とりあえず自分の体に大事がないことを確かようとすると、指先に痛みを感じた。
きっと照明のガラス片だ。
五体がひとまず無事なことを実感すると、安堵した。
「……島君、やるじゃないか……!」
なお五体を投地したまま、鉄雄の成長を嫌という程実感し、木山は呟いた。
「ッハッハッハッ!―――ッゲホッゴホッ―――」
鉄雄の振り切れた笑い声の聞こえる方へ、新調に顔を向けた。
木山の髪を、塵や礫が滑り落ちていく。
粉塵の向こうに、鉄雄の姿を垣間見た。
「……!あァ、そうかい、ハハ……」
鉄雄の声には、諦観が滲み出ていた。
キヨコが眠るベッドを中心とした同心円状の小さな範囲が、破砕片もなく無傷に見えた。
あのナンバーズ達が守ったのだと木山は推測した。
それを見て、鉄雄は肩を落としていた。
木山は立ち上がった。靴が、ガラス片を踏みしめ、軽い音を立てた。
「島君」
木山が呼びかけると、鉄雄は振り返った。
「先生、俺は……こんなガキ共にも勝てねェんだなァ……」
鉄雄の顔は蒼白でありながら、半分が、べっとりと血に塗れている。
「自分がこのザマじゃァな……」
ガウンの腹や肩の辺りからも、出血していることが見てとれた。
「41号!」
「すぐに処置を―――」
大佐やDr.大西、兵隊たちも動き出す中、木山はゆっくりと鉄雄に歩み寄った。
「島君」
鉄雄に向かって木山は語り掛けた。
鉄雄の真っ赤になった頬に、血ではないものが伝っているのが見えた。
「さっきも、言ったろう、君は、強くなれると……今は休んで、それから、またやってみようじゃないか」
鉄雄は、少し目を見開いて、ふっと笑った。そして、膝をついた。
「……なンだか、寒ィぜ……」
まずいな、血を失いすぎている。
木山が内心焦り出した瞬間に、大佐の鋭い声が響いた。
「救護を!担架だ、早く!ナンバーズの心理チェックの準備も急げ!」
バタバタと、動ける警備兵や研究者たちが駆けていく。
鉄雄は止血の処理を施されると、担架に乗せられて木山の横を通り過ぎて行った。
ふっと木山はため息をつき、ポケットに忍ばせた小さな機械をスカートの上から触って確かめた。
この一連の騒ぎを、一通り観測できた。
一刻も早く自分の研究室に帰りたいと、逸る気持ちを抑えつつ、木山は、3人のナンバーズの方を見やった。
キヨコは目を閉じて、眠るように横たわっていて、マサルとタカシは疲れた表情でこちらを見つめていた。
木山は笑みを浮かべた。
「ありがとう。色々と学ばせてもらったよ」
3人は押し黙ったままだったが、木山は返事を待たずに踵を返した。
「彼も、私もね」
(アキラ君に会って……それが鉄雄君の進むべき道よ)
担架に乗せられる道中、キヨコが最後に語り掛けた言葉が、鉄雄の頭の中で反芻していた。