7月9日 夜 ―――都市軍隊、ラボ
「全く素晴らしい!ガラス片を取り出してからの回復力は超人的だよ!汎用性がとにかく高い!
アマチュアバンドの指揮者よろしく、無駄な動きに見える腕の大振りを交えながら、大西が興奮した口調でまくし立てるのを、木山春生は半ばうんざりして聞いていた。
41号こと、島鉄雄の本日の実験が終了して15分ほど、同じ話を立ちっぱなしで繰り返し聞かされている。彼の能力の向上が、大層お気に召しているようだ。
「Dr.大西。肉体操作系の能力は、念動系とは分類上、明確に区別されるべきかと―――」
「―――これで私も、ようやく檜舞台に立てる。研究者として、然るべき栄誉をようやく受けることができる……!」
「ドクター?」
「あぁ、木山君、もちろん、君の協力にも感謝しているよ」
わざとらしく、とってつけたように、大西が木山に向かってにんまり笑いながら言った。
ただでさえ深く刻まれた目尻の皺が、よりはっきり、大西の顔の両岸に渓谷を形づくっていた。
「ああ気にしないでくれたまえ!君が自責の念に駆られるのも無理はない。先日の騒ぎは、確かに君の提案がきっかけで起こったものだ……私はヒヤヒヤしたさ?クビが飛ぶのを覚悟したが―――」
厭味ったらしく大西が言った。木山がいつも以上に気怠い顔をしているのを、落ち込んでいる者と勘違いしているらしい。
「だが―――結果オーライだ。
「それは僥倖ですね」
木山は短く答え、踵を返した。
いい加減、これ以上鉄雄を待たせて苛立たせれば、部屋を破壊しかねない。
自分も、片腕に抱えた実験結果の記録書類を、皺くちゃの大西の顔へと投げつけかねない。
「お先に失礼します―――彼と、
「お忘れなきよう!」
歩き去る木山の背中に向かって、大西が声をかけた。
「その幻想御手の波形データを、一刻も早く、こちらにも開示してもらうのだからね……」
―――軍人の犬どもに、渡すものか。
オフィスを後にする木山は、声に出さず毒づいた。
幻想御手は、あの子たちを救うためにあるのだ。
木山はため息をつきながら、鉄雄の待つカウンセリングルームへと足を踏み入れた。
「待ちくたびれたぜ、先生!」
支給された漫画本を机に置いて、鉄雄が言った。足組みをして、テーブルの向こう側に座っている。
「そうだろうと思った。すまないね」
木山も椅子を引いて腰かけた。予想よりも、鉄雄は上機嫌そうだった。
「―――で、何の話だ?」
「そうだね、今日の結果について……やってみて、調子はどうだい?島君」
「悪くはねェ、と思ってる」
やや恥ずかし気に、鉄雄は木山から目を逸らした。
「それは良い」
木山春生はその日の実験結果について、バインダーに綴じた紙をめくりながら振り返り始めた。
「グレードが70を越したみたいだね……昨日はスチール缶、今日はコンクリートブロックだ。
「コンクリは、ヒビを入れただけだぜ、先生」
「―――うん、まあ、3倍以上だ、やはり、アップデートした
向かい合った席には鉄雄が居るが、鉄雄に向かって成果を褒め称えると言うより、図鑑を広げて目を輝かせる子供の独り言のようだった。
研究者という人間は、若い内こそこんな純粋なものなのだろうか。この女性も、いつか大西のように欲を隠そうとしない自尊心の塊になってしまうのだろうか。鉄雄はどこか胸の奥がむず痒い、奇妙な気持ちになり、小さく鼻でため息をつく。
「それっていうのは……凄いのか?」
「さっきも言っただろう、島君。上々だよ。
「そうか、……そうなのか」
なんとなく、自分よりも実験結果に関心があると察せる木山を見ても、鉄雄はさほど悪い気はしなかった。
「自分でも、驚いてる……頭がスーッとはっきりして……今までずっと、
鉄雄は自分の右手のひらを見つめて、呟くように言った。
「正式な
「けど、一体どうして?」
鉄雄が己の手から視線を上げ、不思議そうに聞いた。
「今の今まで底辺だったのが、何でこんな上手くいくようになった?あのガキどもが、俺に悪戯してきたのが良かったってのか?」
「興味深い所を突いてきたね、島君」
木山が薄く笑みを浮かべて答えた。
「あの3人は、それぞれが念動力や
天の川銀河の中心に潜む、遥か遠くのブラックホールを観測する術を知っているかい?地球サイズの望遠鏡を作るのさ。といっても、馬鹿でかいレンズを実際に製作することはできない。だが、地球各地の電波望遠鏡……アルマ、マウナケア、フランスのNOEMAに南極点……それらをネットワーク化し、得られた観測データを合成することで、疑似的に構成可能となる。*1それと同じ原理だと、私は考えているよ」
「でも今日は、別にあいつらとお話してねェぜ」
「
木山が矢継ぎ早に言葉を続けるのを、鉄雄は見ていた。木山が、いつもの気怠い表情ではなく、どことなく嬉しそうにしているのが感じ取れた。
「なァ、先生は―――」
木山は鉄雄の言葉を待った。鉄雄は、口を少し半開きにしていたが、間もなくそっぽを向いた。
「どうした?島君?」
「いや……そうだ、やっぱり『アキラ』って何だか、先生でも知らないのか?」
鉄雄の話し振りにほんの少し不自然さを感じ、木山は少し首を傾げた。
「前にも言ったと思うが、私は
「そっか……そうだよな」
「ドクターに聞いてみればいいじゃないか。さっきも大層ご機嫌だったぞ、君のことでね」
「誰があのジジイに!」
Dr.大西に対する評価に関しては、木山と鉄雄は一致していた。
保育園のナンバーズから、「アキラ」という名の実験体に関する情報を仄めかされたことを、木山は鉄雄から聞いていた。
7月初めに大西や大佐と対面した際に出た名だ。
その名前を口にする度、大佐は厳めしい面を更に緊張感で厳しくしていた。
木山も、客員という立場上、詳しくは聞いていない。そもそもどこに存在しているかも分からない一人の実験体など、幻想御手の開発にとって現時点では重要ではないと考え、あまり興味を抱いていなかった。
「……ただ、先人の研究対象だった、という話は耳にしているよ」
「ゲンジン?」
「北京のホモ・エレクトスたちまでは流石に遡らないよ、島君。……まあ、私や、大西たち、今の統括理事会とお偉いさんたちよりも、前の人達だろうね。」
木山はバインダーをテーブルに置き、自らの推測だと断った上で話し始めた。
「この学園都市が、どのように成り立ったかについて、島君はどのくらい知っているんだい?」
「悪ィが先生。考えたことねェな」
予想通りの答えが鉄雄から返ってきた。
「厄介扱いされて、ここに来たんだ、俺は……この街がどう出来上がったかなんて、アリ1匹の興味もねェさ」
「それは構わないさ。まあ、私なりの推測だが、アキラっていうのは、数多ある能力開発の研究で置いて行かれた、遺物の1つ。ただそれだけに過ぎないんじゃあないか?」
「大したことないってのか?」
鉄雄の疑問に、木山は軽く頷いた。
「君も過去に受けたように、この学園都市では超能力開発の方法として、
ここのラボのように、細々と別の方法を模索している場合ももちろんあるけどね」
ここまで、鉄雄は黙って聞いている。以前の彼だったら、この時点で机を蹴飛ばしたり、暴言を吐いたりなど、不平をまき散らしたに違いないが、全く楽しそうではなくとも、話を聞いてくれているだけ、鉄雄が木山へ多少の信頼を寄せているのだと分かった。
「アキラって奴は……ダメだったのか?それにしちゃあ、アーミー共は相当ビビってるようだが」
「核燃料デブリみたいなものなんじゃあないか?放射線を発し続けるゴミのように、そう簡単には処分できないものを生み出してしまったのか……そうそう、この学園都市は、元々、前世紀の原子力研究施設から始まったと言われているよ」
「
「
木山は、まだ鉄雄の顔に退屈さが現れていないのを確かめ、言葉を続けた。
「もう1つ考えられるのは、政府が隠したくなる位の破滅的な研究、そのものを指すキーワードだってことだ。島君、『童夢作戦』って言葉に聞き覚えは……ないか」
鉄雄が早々に首を振った。
「20世紀の冷戦時代に、それこそ学園都市ができる前だよ?当時極秘で研究されていた実験体が、何かの間違いか、埼玉県のマンモス団地で複数体大暴れした事件があった。当時は大規模なガス爆発の事故だということで隠蔽されたらしいが……学園都市の発展と共に、本当のところが報道で暴かれて、政府はそりゃあ、おおわらわだったろうね。
今じゃ、超能力研究の負の歴史の1つとして、我々研究者には周知のことだよ。そして、そんな闇に葬られるような研究が、今でもそこかしこで続いているんだからね。アキラがそういった表に出せない産物だって可能性は、十分あると思うよ―――」
「ちょっと待て、先生。その、ヤバい研究ってのが、当たり前に今もやられてるって?」
鉄雄の言葉で、木山はハッとなった。
つい、熱くなって余計なことを喋ってしまった。
「―――それより、島君。アキラのことよりもだ。」
木山は、話題を逸らすことにした。
「……君は、もっと別のことを聞きたいんじゃあないのかい?」
木山の目論見はうまくいったようだ。今度は、鉄雄が下を向いて黙った。
やがて鉄雄は、それまで胸の奥で引っかかっていた疑問を、口にすることにした。
「―――どうして俺なんかに、その、こんなに良くしてくれるんだ?」
「どういうことだい?」
木山は、テーブルの上で両手を組み、視線を改めて鉄雄に向けた。
「
鉄雄は、言葉を探し当てるように言った。
木山は、頭を一度揺らし、前髪を払った。
気怠そうでいて、色の深い瞳が、鉄雄を見つめた。
「より良い手段を探しているのさ」
「手段?」
鉄雄が首を傾げて聞き返すと、木山は目を閉じ、天井を仰いだ。そのため、鉄雄には、木山の表情は見えない。
それでも、鉄雄は木山の心情が、何故だか解る気がした。
「もっと良いやり方が、必要なんだよ。誰も傷つかず、傷つけず……〈救える〉……」
木山の言葉は、だんだんと小さく、最後はただの独り言のようだった。鉄雄は、まだ上目遣いで木原を見ている。
「……先生、あんたは、焦ってんのか?」
木山は顔を上げた。
「いや……何だこりゃ、むしろ……期待してんのか……」
「島君」
木山の顔が俄かに明るくなった。
「―――私の考えていることが分かるようだね?」
鉄雄は一瞬勝ち誇ったような笑みを浮かべたが、間もなく怪訝そうな顔になった。
「……さっきから、そんな気もするし、けどよくわかんねェ。勘が冴えてんのか?これも実験の成果かよ?」
「
木山は意味ありげに念を押した。それから、バッグからタブレットを取り出し、指を画面で滑らせてから、再び鉄雄の方を見た。
「ただね……もしかすると、君のその勘は、良い兆候なのかもしれないね」
「よくわかんねェな」
木山は鉄雄の怪訝そうな言葉を聞き、ふっと小さくた笑みをこぼした。それから、椅子に座り直し、より鉄雄と真正面から向き合う姿勢になった。
「では、もしもだよ?君が念動力に加えて読心能力も得たとしよう!言うなれば、
「あのジジイがどうなろうが、知ったこっちゃねェな」
鉄雄は顔を上げ、階上のガラス向こうを見やった。
白衣を着た何人かが見える。大西は、今は見当たらない。
「けど、この可能性については、報告しないでおくつもりだよ」
「どういうつもりだ?」
鉄雄は眉を顰めた。
「ここでの会話が全部録音されてることぐらい、俺だって分かるさ。下手に隠しごとしたら……あいつらが黙っちゃいねえだろうよ」
鉄雄は親指で白衣達を指し示した。
「まあ、この会話は、
木山は意味ありげに鉄雄に向かって瞬きした。
「ただ、カメラまでは止められなかったからね……今まで通り、普通に会話してくれないかい」
天井の片隅では、監視カメラが静かに二人を見つめている。
鉄雄はそちらを睨んでから、再び木山へと視線を戻した。そして、口を開いた。
「―――何を考えてるか、頭ン中に入って来るぜ、先生」
「それは嬉しいね。では……当ててごらん?」
木山はそこで言葉を切った。微かに顔を下げ、鉄雄に続きを促した。
「……俺の、卒業式を開いてくれンのかい?」
「あぁ、合格だ」
木山は、はっきりと笑みを浮かべた。
「ひとつ、やってみようじゃないか」
鉄雄がカウンセリング中に木山春生を昏倒させラボを脱走したと、敷島大佐が慌ただしい報告を受けたのは、翌日のことだった。