36
―――第十学区 ストレンジ、「スター・ボウル」跡
「いいかテメェら、ケツの穴締めてカクテル売りにかからねェと、テメェらの糞が踏ん張らなくても飛び出るくれェぶち込んで穴拡げるぞ……只でさえ、
肥満体で、上下逆さまのピエロのペイントを顔面に施した、異様な風体の男、ジョーカーは、チームのメンバーに脅迫めいた発破をかけた。
「クラウン」の一行は、廃墟となってボロボロのボウリング場跡を根城の一つとしていた。かつて、賑やかに人々がゲームに興じていたであろうレーンは、とっくの昔にオイルが無くなり、至る所の床板が剥がれ、針山地獄の様相だった。壁面には、プロボウラーの大きな広告写真が掛けられ、スプレーによる下賤な落書きでデコレーションされていた。
チームリーダーの強烈な言葉を受けても、メンバーは口々に勝手な意見を喋り、統率の取れていない様子を見せている。
「ここはもう熟れすぎたサラダボウルなんだよォ、第七学区の裏庭にさァ、もっと売り込めばいいんじゃないのォ?」
「バカいえ、あそこはゴリラの駒場のジャングルだろうが……こないだ尻尾巻いて逃げ出したン忘れたンか、マジで脳ミソスカスカじゃねェか」
「やっぱさァ、手ェ広げすぎたんだよ……堅気の学生街でも、俺らのことが噂になってるらしいゼ!そんで
「アホ、女子高生が怖くてクラウンやってられンの!?ヤっちまえばいいじゃんかよ」
「アホはそっちだろォ、チップの奴は死にかけてるし、金田ンとこのデコ坊主は見つからねェし、錠前屋は1週間で抜けちまうし……やってらんねーぜ」
「そのデコ野郎は?金田ンとこに脅しをかけようじゃねェか、引っ張り出して叩き潰してやる」
やられた仲間のことを、相当根に持っているジョーカーは、より強い口調で言った。
「それがさジョーカー、あのツナギの野郎共、バイクしょっぴかれたらしくてヨォ」
ピエロの鼻飾りをつけた、痩せこけた男が嬉々として言った。
「最近じゃあ、マジメに
その場にいた多くが、下品な笑い声を上げる。
「笑ってる場合じゃねェだろ!!」
緊張感の無い―――普段からドラッグをきめている仲間に求めるのは無理な話だが―――メンバーに対して、ジョーカーは怒鳴り声を上げた。
流石に、リーダーの怒気に気圧されて、笑い声が収まる。
「このままじゃァ、俺らはデコ野郎にやられ、新入りにも逃げられ、おまけにケツを追っかけてたら返り討ちにされた、ヘタレのジャンキーの集まりってことになるだろうが!ここから何とか―――」
どう何とかするのか、ジョーカーの言葉は途中で遮られた。
ギシィと床板が軋む音と共に、小柄な少年がホールの入り口に現れたのを、全員が一斉に見た。
「あいつ……」
ガスマスクをした一人が、現れた鉄雄を指さして言った。鉄雄を襲撃した時、チップと共に、訳も分からず返り討ちにされたメンバーだった。
「あンときの……!」
「まさか」
ジョーカーは目を細めて唸った。
「ウワサをすれば、金田ンとこのケツ持ちか……!」
鉄雄は妙な格好をしていた。下半身は、この時期に似つかわしくない、迷彩色の厚手のズボンで、対して上半身は、病院から抜け出して来たかのような、薄緑色のガウンだった。
「なンだ、てめェその恰好。病院のお庭散歩してンのか?」
ジョーカーの一言で、各々がせせら笑った。
「よく、ノコノコと来れたもんだな、え?」
ジョーカーが言葉に怒りを滲ませると、メンバーは次々に、工具やボウリングのピンを手に、鉄雄を囲み出す。
鉄雄は少しこちらに歩いてきたところで、周りを囲まれたことを察したのか立ち止まった。
外が雨だったためか、服はひどく濡れ、水の滴りが、歩いてきた跡を示していた。
「お前らに……用があってな……」
息切れしながら、鉄雄が言った。
「そりゃァ良かったぜ」
ジョーカーが、歯をむき出して笑みを浮かべ、手近にあった酒の瓶を手に立ち上がった。
「俺らもテメェには、たっぷりと払ってもらわねェとな……」
ジョーカーを始め、メンバーが一斉に鉄雄に殴りかかろうとした時だった。
「うるせェ!!」
バアンと、鉄雄の周囲でいきなり床が破裂し、木片が飛び散った。
メンバーはたまらず顔を覆った。
「ジョーカー!やっぱコイツ……」
先ほど鉄雄を指差したガスマスクの男が、ジョーカーの隣で怯えて言った。
「ビビってんじゃねーよ」
ジョーカーは、大して表情を変えず、瓶を手に鉄雄に近づいた。
「見ろよお前ら、こいつ、震えてんじゃねえか……」
明らかに弱っている様子の鉄雄の脳天を目掛けて、ジョーカーは瓶を振り上げた。
その途端、
ゴッ、と後頭部に重たい衝撃を受け、ジョーカーの意識は途切れた。
クラウンのメンバーは、何故か急にリーダーが倒れ込んだことに、何が起きたのか分からず、混乱した。
「
額を抑えて、鉄雄が呻いたが、その小さな声を聞き取った者はいなかった。
「おい!見ろよ!あれ……」
誰かが指差した方では、いつの間にか、ピットの奥に眠っていた筈のボウルが1個、どこからともなく現れ、天井近くに浮いていた。
足元を見ると、ジョーカーを仕留めたボウルが、ゴロゴロと床の勾配に沿って転がっていく所だった。
「おい、クスリくれよ……」
「へっ?」
鉄雄が発した言葉に、何人かが聞き返した。
「お前らの売ってるヤツ……アタマ、スッキリするやつ……
痛くて、ガンガンして、たまんねえんだよ」
「お、お前―――アタマおかしイんじゃねえのか!?」
白髪を長く伸ばした一人が、口をパクパクさせながら、鉄雄を指差して言った。
「おい、馬鹿やめろ―――」
ガスマスクの男が、嫌な予感がして、仲間に声をかけた。
次の瞬間、浮いていたボウルが、白髪の男に向かって急降下し、鈍い音と共に、白髪の男はあぶくを吹いて床に倒れた。
「ひえええ」
他の残ったメンバーは、頭を抱えたり、蹲ったりして動けなくなった。
「聞こえてねえのか!!」
鉄雄が今までで一番大きな声で叫んだ。
「クスリだ!すぐに用意しろ!テメエらのド
―――都市軍隊本部、ラボ
「もっ、申し訳ありません―――目の前で仲間がやられ、本当に―――本当に、命の危険を感じました―――あんな能力者を相手にするのは、初めてで……」
「……もういい、休め」
目の前で、震えながら顔を俯かせる隊員に対し、敷島大佐は短く、静かに声をかけ、その場を後にした。
41号こと、島鉄雄脱走の報せを受け、大佐は基地内の出入口という出入口を封鎖する指示を出した筈だった。
途中で、正面玄関に41号が現れたという連絡が入り、兵力をそこへ集めた。強行突破するつもりか、と大佐は流血も覚悟して警戒感を高めていたが、それは41号に脅された隊員の虚報だった。
「―――怪我人の状況は?」
尋問室を後にした大佐は、別の隊員から歩きながら報告を受ける。
「合計2名です。先ほどの隊員と同行していた、裏手の警邏が1名―――意識は戻っています。そして、Dr.木山も、先ほどの診察では、目立った外傷はありません。念のため、腹部内蔵の検査を行う予定ですが―――」
「……それだけか?」
大佐は、報告の途中で足を止めた。
「はっ?」
「ほかに、傷ついた者はいないんだな?」
「はい」
大佐は、3日前の夜に、居住スペースを脱走した41号の制圧に当たり、重傷を負った兵士のことを思い出していた。あの時の41号は、能力を得たことによる、それまで秘めていた暴力性を明らかに花咲かせていた。
それに引き換え、今夜の脱走は全く異なる。無駄な交戦をせず、手際が良過ぎる。
「……」
大佐が思索に耽っていると、廊下の向こうからDr.大西が駆けてきた。
「大佐!お呼びで―――」
「41号は?今どこにいる?」
「そっそれが大佐―――」
肩を竦めながら大西が困ったように言う。
「位置情報は、追えません……発信機が何らかの原因で、不具合を起こしたのか、反応がなく―――」
「その発信機ですが、カウンセリングルームと非常階段との間のトイレに、投げ捨てられていました」
大西の言葉を継いで、部下が報告する。
「鋭利な刃物状の物で、取り外したのか、41号の物と思われる血痕も残っていました」
「―――このまま放っておく訳にはいかん、何をしでかすか分からんぞ」
「仰る通りです、大佐。恐らく、彼の活動場所であった、第10学区方面に行ったのではないかと……」
大西の言葉に耳を傾ける間もなく、大佐は部下に指示を飛ばした。
「捜索隊をすぐ編成しろ!統括理事会に至急、派遣許可の申請を!
いいか、相手は能力者だ!理性のない獣だと思え!
厳しい大佐の言葉を受け、周囲の部下たちがそれぞれ駆け出していく。
「……どう思う?」
兵士達が慌ただしく行き交う中、大佐は大西に問い掛けた。
「41号のことですか?」
「……もっと、深刻な被害が出ていてもおかしくはなかった。そう思わんか」
「確かに、41号の成長は目覚ましい物がありました。この数日でのグレードの伸びは―――」
「違う!」
隙あらば研究成果の誇示を始める大西を、大佐は一括して黙らせた。
「妙だと思わないか?ここの兵士は皆、学園都市の恐ろしさを忘れている者ばかりだ。金曜日の暴れようを、覚えているだろう?
……なのに、なぜ今回は、これ程スマートに事を運んだのだ?もっと血を流してやりたい、己の力を見せつけてやりたい……奴はそういう人間だ。違うか?」
「そ、それは―――」
視線を逸らす大西を、大佐は軽蔑の眼差しで見下ろしていた。
この研究者が、41号の自己肯定感の低さに付け込み、嗜虐思考を極端に刺激することで、能力向上に繋げようとしていたことは、大佐も知っていた。
それを、うまく調整したのは誰か。
「……Dr.木山」
医務室に運ばれている、学園都市から来た人物の名前を、大佐は険しい表情で呟いた。