とあるコンビニが建つ一角に、人だかりができている。
通りに面したレンガ調の外壁面には、バスケットボール大の焦げ跡ができており、ところどころヒビが入っている。周囲には、黒く変色した金属片が散らばっている。
「……何?なんかあったの?」
「バクハツ。ほら、ここ最近立て続けに起きてる、アレじゃない?」
「でけえ音するからビビったよ、人騒がせだなぁ……誰か死んだん?」
「ケガした人、いないらしいよー。まあ、ちょっとおっきい花火くらいだったんじゃない?」
若者を中心とした野次馬が、携帯電話で写真を撮ったり口々に言い合ったりする中、一人の少年が、人混みを抜けて離れていく。やせ型で、皺の目立つ白ワイシャツを身に付けている。前髪が眼鏡にかかり、骨ばった面長の顔を、より陰のある印象にしていた。
人目に付かない、大通りの外れまで来た所で、介旅初矢は自分の携帯電話を取り出し、先ほどの爆発現場の写真を表示した。
それから介旅は、指を画面上に走らせて、いくつかの写真を比べて見ていく。日付は異なるが、同じような、爆発現場の写真だった。
「……ダメだ」
介旅は歯を食い縛ると、携帯電話を乱暴にポケットに突っ込み、天を仰いだ。
「威力が変わってない……これじゃあ風船をちょっと派手に割ってるようなもんじゃないか……」
介度が立ち尽くす建物と建物の間には、じめっとした真夏の空気が淀み滞っている。介旅は、ハンカチで額の汗をぬぐった。額の前髪を掻き分けた後には、まだ新しい、青痣がはっきりと見えた。
「……やっぱ、無理なんかなァ、僕には」
隈の目立つ目を細めて、介旅は呟いた。脳裏に、先ほどの野次馬の言葉が蘇る。
「怪我人も、ましてや死人も出てない……まだ」
介度は、壁を背に座り込んだ。
「……やめとけって、神様が言ってんのかなァ……こんなこと」
しばらく、顔を俯かせてじっとしていた。壁のひんやりとした冷たさが、背中から、徐々に体に染み渡っていく。
「よォ、兄ちゃん。浮かない顔してるねェ」
不意に、気障ったらしく声をかけられ、介旅は顔を上げた。
いつの間にか、3人の男が、介度の傍に、大通りへの出口を塞ぐ形で立っている。2人は、明らかに不良と分かる、派手に髪を染めたり、顔にペイントを施したりした男だった。残る1人は、尖った革靴を履き、シャツにネクタイを締め、前髪を上にまとまるように固めた優男だった。服装からして学生かとも思ったが、面立ちは介旅よりも年上に思えた。
介旅は男たちを一瞥すると、俯きながら立ち上がった。
「―――悪いけど、今日は何もないよ」
「何が?」
介旅の投げ槍な声に、優男が眉を顰める。
「僕から金を巻き上げようってんだろ?……昨日も盗られたばっかだし、マジで今日は一円玉ひとつも持ってないんだ。殴ったって出てこないよ」
「そりゃ災難だったねえ」
優男がくっくっと含み笑いをした。
「だから、……そこを空けてくれよ。僕に絡むだけ、時間の無駄だよ」
介旅は男たちの隙間をすり抜けようとするが、男の一人が腕を伸ばしたことで遮られた。
「まあ、待てって」
ポケットに手を突っ込んで、優男が振り返って介旅を見る。小馬鹿にしたような笑みを浮かべているのを見て、介旅の気持ちは更に落ち込んだ。
「実はさァ、俺達、さっき面白いモン見ちゃって……これ」
優男が、ポケットから携帯電話を取り出して、画面を介旅に見せつけた。介旅は、それを見て青ざめた。
「!!……これ……」
「このスプレー缶……さっきドカン!ていった奴だよねェ?」
「そ、それは……」
うろたえる介旅に、優男は肩を竦めて、大仰に首を振った。
「いけないねェ、こりゃあ……幸い、ケガ人は居なかったみたいだけど?一歩間違えれば、救急車騒ぎだよ?
優男が言う間、二人の仲間が、がっちりと介旅の両腕を掴んで、逃げられないようにした。
「ま、待って!」
介旅の口から、必死な声が出た。
「今は、金はない―――けど、部屋に戻れば、いくらかあるから、この事は―――」
「チッチッ。まあ慌てなさんなって」
人差し指を立てて、目の前で優男が左右に揺らした。
「いけないことはいけないこと。けどさ……聞かせてくれよ。なーんで、こんなことしてるんだい?」
優男の言葉を聞き、介旅は、ごくりと唾を呑みこみ、俯いた。
「……ムカつくんだよ……風紀委員も、不良どもも……僕のことをバカにしやがって、無視しやがって……」
介旅は、地面に向かって振り絞るように言った。
「だから、仕返ししてやりたいんだよ、悪いかよ!強い力が僕のモノになれば、お前らみたいな奴らに、暴力振るわれることも、金を盗られることもないんだよ……!」
介旅は、殴られることを覚悟で、必死に啖呵を切った。
顔を上げて叫ぶと、優男が憐みの表情で自分を見ているのが分かった。
「……ウンウン、分かるよォ、その気持ち」
「……え?」
優男の反応は、介旅にとって意外なものだった。
「いやァね、俺もさ、昔、ジャッジメントにとばっちり受けて、そりゃあ人生おーきく損してんだよ。だから、分かるぜェ」
優男が、ずいっと介旅と近い位置まで、顔を寄せて来た。介旅は、腕を取られながらも、思わず顎を引いた。
「……奴らって、融通利かなくて、能無しでさ!いつも上から目線でサァ!そんでもって、肝心なとこで役に立たねえ!俺達のこと、助けちゃくれねェんだもんなァ!な?そうだろ!?」
「……ああ、うん……」
介旅は、目の前の優男が、自分と同じ思いを抱いていることに驚き、思わず声を漏らしていた。
いつの間にか、両脇の不良が、介旅の腕を離していた。
「だからさ、俺達も、奴らに仕返ししてやりてェのよ」
腕を広げて、演説のように優男が言う。
「お前と、おンなじ気持ちなのさ……分かるな?」
介旅は、ゆっくりと頷いた。
「……だが!そのためには、能力の
だったらよ!……我が帝国に、入り給えよ」
「て……帝国?」
聞きなれない名に、介旅は目を丸くした。
優男はニヤッと笑うと、一枚のメモリーカードを差し出した。
「携帯、持ってんだろ?これをさ、入れてみろよ」
介旅は、優男からカードを受け取った。
何の変哲もない、その辺の家電屋で手に入るであろうものだ。
「これって……」
「怪しいか?あァ、そうとも!誰だってハジメはそう思うものよ!」
半信半疑の表情を浮かべる介旅を見て、優男が言う。
「俺も、最初は信じられなかった……でもよ、そいつを
優男の言葉に、周りの仲間も頷いて同意する。
介旅は、それらの顔を見回してから、ゆっくりと、自分の携帯電話の挿入口にカードを差し込んだ。
「歓迎するぜ。我が帝国臣民よ」
不安そうな表情を浮かべる介旅に向かって、男は両手を広げて言った。
7月15日、昼 ―――第七学区、風紀委員第一七七支部
「だから、その大覇星祭看板の落書きの件は私が出張ることでは―――何なら、やった当人達にやらせてくださいまし!―――ええ、そりゃ私も分かってますよ!その辺のゴロツキの仕業に違いないでしょうから、適当にとっ捕まえて消させればいいと思いますの!……容疑?見た目が風紀を乱すとか、ムカつくとか、その辺ぶち上げればどうでしょう!?
いいですか!こっちは今、
電話を切ると、白井黒子は、パソコンのキーボードの上に顔を突っ伏した。
「……罪状の捏造はご法度ですよ、白井さん」
黒子の向こう側から、機械のように両手の指をカタカタ動かしながら、初春飾利が諫めた。
「初春……私達、活動が制限されている筈では?」
黒子は頭を持ち上げて、バックスペースキーを長押しした。今しがた、顔面で入力された無作為な文字の羅列が消されていく。
「却って忙しくなっているのは気のせいですの?」
「平日の活動時間が減った分、休日出勤で皺寄せが来るのは違いないですねー」
「車道のど真ん中にジャンプ台!往来に向かって露出狂!おまけに看板の落書き!!なァーにが『中止だ中止』ですって!文句があるなら実行委に言ってくださいまし!いつも後始末をするのは私達……」
「まあ、それだけ、私たちジャッジメントが頼られてて―――その中でも、みんな白井さんのこと、頼りにしてるんですよ」
初春が宥めるように言った。
「私たち1年生の中でも、白井さんの働きぶりは、みんなが認めてるとこですから」
「学園都市の平和を守るのが私たちの仕事、ですけれど……」
書きかけの報告書データと睨めっこしながら、黒子がぼやいた。
「こうも案件が多いと、事件で危険に晒される前に、過労で危険ですわ……はァ、お腹がすきましたの」
「白井さん、お昼買い出しに行く前に悪いんですけど、ちょこっとだけ見てもらっていいですか?」
「ハイハイ、今度は何ですの?」
初春の頼みに、黒子が席を立ち、向かい側の初春のパソコンを覗き込む。
「……昨日からの、ここのサーバーのアクセスなんですけど、何だか気になるところが―――」
初春が言いかけたところで、入り口の扉が慌ただしく開かれ、3年生の固法美偉が入って来た。
「三九号線沿いの喫茶店で爆発!」
ジャッジメントたちに緊張が走り、一斉に固法の方を見た。
「……残念ながら、居合わせた仲間が―――1名負傷したわ」
初春は口を手で押さえ、黒子は目を見開いた。
「
バイカーズのメンバーからの警告が、黒子の脳裏によぎった。黒子は拳をギュッと握り締めた。
「現場へ、何人か来て欲しいのだけれど―――」
「あたし、行きます!」
固法の呼びかけに、黒子は真っ先に手を挙げた。
固法は黒子の方を見て頷いた。
「オーケー、白井さん。準備を―――」
「初春!お昼は後で!」
「ちょ、白井さん、気を付けて―――!」
固法が何か言うのを待たず、初春の声を背に、白井は部屋を飛び出した。
仲間がやられた。
その事実に、黒子は疲れた体を奮い立たせ、決然とした足取りで進む。
「……どこの誰だか知りませんが―――必ず捕まえてみせる……!」
腕の腕章に触れながら、黒子は、そう自分自身に言い聞かせた。
―――第十学区、「帽子屋」
休日の昼間、「closed」の掛札を掲げた扉の向こうで、電話が着信を告げている。
その受話器を、大きな掌が取り上げた。
「……まだやってないよ」
筋骨隆々とした体格に、不釣り合いな割烹着を身に付けたチヨコが、低い声で相手に言う。
「……ケイ!」
廊下に向かってチヨコが呼ぶと、2階から足音を立てて、ケイが駆け下りて来た。
「竜から」
「……やっぱり」
気の進まない顔をして、ケイが受話器を受け取る。
「はい……あたしの出番?」
『察しがよくて助かるよケイちゃん』
どんよりとしたケイの声とは反対に、どこか嬉しそうに竜が答えた。
『島崎から連絡があった。あの
「急だね……簡単に言うけどねぇ、竜」
ケイは文句を言う。
「仲良くしろって言ったって……どう声をかけろっていうの?」
『そこは、若いケイちゃんの女子力で、なんとか頼むよ』
「アーミーが来る可能性は?共同で警備に当たってるんでしょ?」
『俺も、見えるところから見張るさ。アーミーが来るようなら、お前の携帯にすぐ連絡する……最も、お前は俺達とは違って、顔が割れてない筈だ。あまり緊張しなさんな。怪しまれないようにな』
「……今月のお小遣い、割増してくれる?」
『それはだな、お前さんの働き次第だ』
「ケチ」
言うが早いか、ケイは竜の返事を待たず、受話器を置いた。
「どこだって?」
「七区の学生街。ケンカ通りじゃない、多分さ」
チヨコの問いに答えながら、ケイはこめかみに手を当てた。
「は~、相手はLEVEL4のテレポーターかぁ……面倒なことにならなきゃいいけど」
「……任務じゃなきゃあね」
チヨコの含んだ言い方に、ケイは振り返る。
畳の間にどっかり胡坐をかくチヨコは、ケイをじっと見つめていた。
「……ケイ、あんた、まだその年なのに……私らと一緒に働いてくれてさ。ほんとなら、もっと人並みに、友達つくったり、遊んだりしたいだろうにね」
「そんなの、気にしないでいいの!おばさん」
ケイは顔に当てていた手をぱっと放し、慌てて言った。
「私は、兄さんが死んだ時から……自分で選んだ道だから。大丈夫」
ケイは顔を上げてそう言うと、部屋を出て行こうと踏み出した。
「……おばさん、ありがとう」
ケイは足を止めて、チヨコに視線を送った。
チヨコは、ケイに向かって頷いた。
「……気を付けて行っておいで」
「行ってきます!」
ケイは、帽子を被ると、外へと駆け出して行った。
チヨコが、住んでいた家で何か営んでいたという直接の描写は、原作にありません。
料理上手なことと、1巻冒頭でケイが仲間と待ち合わせていた場所から、捏造設定しました。