「今日捕まった帝国のメンバーは3人……」
土曜日の午後。普段の休日であれば静かな
黒子は、向かい合わせの初春と、今日起こった事件について情報交換をしていた。
「
「大通りで倒された人と、
初春が返した言葉に、黒子は頷く。
「つまり、爆発を引き起こした能力者は……あの逃げ遂せたバンの中に乗っていた可能性がある。初春、事件現場近辺の、監視カメラの映像にアクセスできます?」
「できますよ。アンチスキルにアクセス許可をもらってから―――」
「そんな悠長なことしてる場合じゃありませんの!」
黒子がパソコンの上から、顔を初春に近づけて語気を強めた。
「貴方なら、その位のハッキング、お手の物でしょう?相手はまた爆破事件を引き起こして、私たちを狙ってくるかもしれませんのよ!?」
「白井さん!声が大きいですって!」
初春は慌てて、口の前で人差し指を立てて周りを見渡す。
皆、熱心に作業に当たっていて、今の黒子の言動を気にする仲間はいないようだ。
「……分かりましたよ。今回は事が事ですから……始末書を書くのは、御免ですけどね」
「まあ、こういう手合いはナンバーの偽造が常ですけれど……どの方面に逃げたかぐらいは、できる限り把握した方が役に立つでしょう」
「そうですね。あっ、そうだ、ハッキングといえば―――」
初春は、何かを思い出したように、黒子に目を合わせた。
「白井さん……昼にあなたが出かけるとき、丁度言いかけたんですが……どうも、昨日あたりから、ここの支部のネットワークに、誰かが侵入を試みているみたいなんです」
「ちょっと!それって―――」
黒子は立ち上がり、小走りで初春の近くに駆け寄った。初春は、パソコンの画面に、アクセス履歴を表示する。
「ほら、ここ―――発信元のアドレスは、警備員でも、他の支部でもありません。書庫よりも数段強固なセキュリティを組んでるここにハックしてくるとは、相手は相当手練れですね」
「まさか、帝国!?」
黒子が顔を青褪めさせる。
「私たちの行動が筒抜けだとしたら、由々しき事態でしてよ!」
「できたばかりのスキルアウトチームに、そんなハッカーがいるとも思えませんけど―――」
初春は話しながら、キーボードを素早く打ち、プログラムを次々に起動させた。
「ファイアウォールを組み直します。あと、退避サーバーにバックアップをとって……上にもすぐ報告した方が良さそうですね」
「誰が、そんなことをしているのか、分かります?」
「突き止めたいです」
初春がカタカタと指を動かしながら、早口に答えた。
「任せてください―――こういうのは、私の仕事ですから」
「それにしても、能力者が既に3人、それにハッカーもいるかもしれないとなると―――」
黒子は、窓のブラインドに指を差し込み、隙間から外を眺めて言った。
「―――思った以上に、油断のならない相手なのかもしれませんね、『帝国』とやら……でも、逃がしません。必ずトップまで辿り着いて……倒してみせますわ」
窓の外の、少し傾きかけた陽光が照らす街並みを見つめながら、黒子は決意を口にした。
夕方 ―――第一九学区
「着いたぞ、降りろ」
「ここって……旧スタジアム?」
運転をしていた、フードを被った若い男に促され、介旅初矢は、車を降りた。
手入れが長らくされていないだろうだだっ広い敷地には、アスファルトの隙間のそこかしこから草が伸びている。介旅たちが立つ場所の前には、イタリアのコロシアムを思わせる、2ないし3階層から成る楕円形の競技場が建っている。人の気配は、近くには無い。
「どうしてこんなとこに?」
「さあな」
フードの男はぶっきらぼうに言うと、歩き出した。
「俺だって最近入ったばっかりなんだよ。ただ、隊長から、お前を連れて来いって言われただけだ」
「隊長……」
「何ぼさっとしてんだよ、早く来いよ」
立ち止まったままの介旅を見かねて、苛々した様子の男が振り向いた。
「あ、ああ、うん……」
介旅は、慌てて小走りで駆け寄った。
「あ、あのさ……」
「なんだよ」
介旅は、相手の顔色を窺いながら恐る恐る話しかけた。
「今日はうまくいったんかな?僕」
「ハッ、まあな」
介旅の先を歩くフードの男は、振り返りはしなかったが、口調には少し嬉しさが滲み出ていた。。
「お前がもってる能力、
「あ、そうだね。自分でもびっくりさ。こんなすぐに
「な、そうだろ?」
「はは……でもさ」
少し緊張が解け、介旅は思っていたことを口にする。
「2発目は、やり過ぎじゃないかなーって」
「ええ?」
「だってほら、とりあえず一人やっつけたし、追い討ちをかけるようなマネはよした方が―――」
「おいお前」
フードの男が突然歩みを止め、介旅の方へ振り返った。
「何甘えたこと言ってんだ?」
「え?」
介旅は、凄んできた男に面食らった。
「いいか、やるからには徹底的にやるんだよ」
「そ、そこまで?」
「当たり前じゃねえか!」
男は、介旅の眼前に顔を寄せて怒鳴った。フードで作られた影の奥に、ギラギラした瞳が見える。
「お前、何しにこの帝国に入ったんだ?」
「そ、それは」
介旅は唾を飲み込んだ。
「ジャッジメントに仕返しするため……」
「ああ。ジャッジメントだけじゃねえぞ」
男は歯を剥き出しにして言った。
「アンチスキルも、他のうざってえスキルアウト共も、マジメに勉強腐ってる学生どもだってな、みんなぶちのめす相手だぞ」
「そ、そんな無茶な。何で一般の人まで―――」
言いかけた所で、突然左頬に熱を伴った痛みが走り、介旅はよろめいた。
少し間を置いてから、顔を張られたのだと気付き、介旅はぞっとした。
「それが隊長からの指令で、ボスからの命令なんだよ!」
男は唾を飛ばして喚いた。
「いいか。生半可な気持ちで入ってきてんじゃねえぞ。お前がトロいことをしてたら、組んでる俺までとばっちり食らうんだ。もしそうなったら、お前のタマ潰してやるからな」
「わ、わかった、分かったよ……」
介旅が泣き出しそうな声で言うと、男は鼻を鳴らして、再び歩き出した。
結局、介旅はそれから相手に話しかけられず、黙って暫く歩いていった。
二人は、過去に資材を競技場内へ搬入するために使われていたであろう、地下の通用口から中に入った。人気の無い、暗い廊下を進み、暫くしてから重たい扉を開けると、大勢の観客が行き来できるような、広いホールに出た。
「よう」
二人に、声をかける者がいた。
介旅を数日前に勧誘した、ネクタイを締めた優男だ。休憩スペースとして使われていたのかもしれないカウチに、悠々と腰かけている。優男の周りには、部下らしき数人の人物もいる。男のように見えたが、中には顔の上半分を、目の模様を描いた布で覆っている者もいて、得体の知れなさを感じさせた。
「ご苦労だったな……おい、お前はもう帰っていいぞ」
「え、ハイ、でも隊長……」
介旅を連れて来たフードの男は、何か言いたそうにしている。
「何だ」
「あの、や、約束の、金。とカプセルは……」
隊長と呼ばれた優男が舌打ちをした途端、フードの男は黙り込んだ。
隊長が立ち上がり、詰め寄る。その背後から、隊長よりもずっと大柄な、筋骨隆々の黒髪を伸ばした男も着いてくる。
介旅も、フードの男も、二人を前に何も言い出せず、縮こまっていた。
「おいてめェ」
隊長が、フードの男に言った。
「今日の仕事を振り返って、どうだった?」
「ど、どうだったって……ガッ!?」
フードの男の言葉は、途中で呻き声に変わった。
大柄な男が、半袖の腕を突き出し、片手で彼の首を掴み、持ち上げたからだ。
「てめえは確かにジャッジメントを一人倒したそうだな……けどよ、あと3人いた筈だ。そいつらはどうした?」
首を絞められている男を見上げて、隊長が問い詰めた。
「そ、それは……」
目を泳がせながら、フードの男が苦悶の声を出す。
「あいつら、時間稼ぎをして……もうすぐ戻ってくるはず……」
「来なかったら?」
隊長が冷たく言い放った。
「相手は腐ってもジャッジメントだ。ブービートラップじゃなくてよ、そいつらが面と向かってやり合って、絶対に勝てるって保証はあンだろうなあ?捕まれば、俺らの情報が筒抜けになるかもしれねえんだぞ!!」
「あ……だって、俺のせいじゃ……」
首を絞める大柄な男の腕には、漢字で何やらタトゥーが刻まれており、その皮膚に血管が浮き上がる。フードの男は言葉を出すことも難しいらしく、顔がだんだんと赤くなってきている。
「おい、この生意気なヤツを仕置きしてやれ」
隊長が大柄な男に言うと、男はもう片腕で、釣り上げられた相手の顔面を掴んだ。そして、ホールの壁面に体を向けた。
流石に見ていられず、介旅は顔を背けた。
くぐもった悲鳴と、何度か鈍く壁にぶつけられる音がする。
「おい、そっちのお前……名前、何と言ったっけ?」
隊長は、介旅に声をかける。
「か、介旅、初矢です……」
「そうそう、介旅クンだったなあ。お前、喜べ―――鉄雄様が、お前に会いたがっている」
「て、てつおさま……?」
壁に打ち付けられているであろう男の方を直視しないよう、顔を背けながら、介旅はか細く言った。
「ああ、そうだ」
隊長は、親指でホールの奥の通路を指差した。
「鉄雄様をお待たせするな。早く行け!」
「は、ハイ!」
介旅は、踵を返して歩き出した。なるべく、形容しがたい鈍い音の響きを耳に入れないようにしながら歩いた。
途中、音も聞こえなくなり、介旅は立ち止まった。介旅が歩いているのは、競技場の外周を巡る通路らしく、先が左方向に曲がっている。隊長達が居たホールは既に見えない。
周りは静寂に包まれ、人の気配がしない。電気が着いていないため、既に夕方に差し掛かったこの時間帯では、通路は不気味に暗くなりつつあった。介旅の足が微かに震える。
((そのまま歩めよ))
「えっ何!!?」
突然男の声が聞こえ、介旅は息を呑んで辺りを見回した。
誰も居ない。
((鉄雄様は、真っ直ぐ行った先だ。遅れるなよ臣民))
「て、
隊長が従えていた部下の中に、その方面の能力者がいるのだろうか。介旅は唾を飲むと、再び歩き出した。
一、二分歩いただろうか。やや開けた場所に、写真撮影スペースのような舞台があった。そこには、他の場所から運んできたのであろうカウチが一つ置かれ、少年が一人座っていた。逆立った黒髪と、首に巻かれた、赤いマントが目立つ。
「あんたか……モノを爆弾に変えちまう新入りってのは」
少年の声はハスキーで、声変わりをしたばかりのような声だった。
「は、はい」
介旅は、舞台の下で頭を下げた。先ほどのフードの男の悲鳴が耳にこびりつき、相手を直視する気になれなかった。
「俺が、誰だか知ってるか?」
「て、鉄雄様?」
「そうだ」
介旅は、顔を上げなかった。一刻も早く、ここから帰りたい一心だった。
「今日は良い働きをしたそうだな」
「……ありがとうございます」
「そのジャッジメント、死んだのか?」
唐突な問いに、介旅は言葉に詰まる。
「どうなんだ?」
「びょ、病院送りだって……死ぬくらいのケガでは、なかったかも……」
「ふーん」
上司に叱責される企業社員にでもなった気持ちだった。介旅は、次の反応を聞くのが怖く、ひたすら頭を下げて、摩耗の激しい床の絨毯を見つめ続けた。
「それならいい」
返って来たのは、介旅にとって意外な一言だった。
介旅の前髪から、汗が雫になって落ち、絨毯に黒い染みを作った。
「顔を上げろ」
鉄雄の声を聞いて、介旅が恐る恐る顔を上げると、目の前にふわふわとカプセルが一錠浮かんでいるのが目に入った。
「褒美だ、取れよ」
介旅が両手を差し出すと、ぽとりとカプセルが掌に収まった。それは赤色と青色に丁度等分するように塗られていて、如何にも毒々しい印象を介旅に与えた。
「てめえで飲んでもいいし、その辺の、
鉄雄は、薄く冷たい笑みを浮かべた。
「これからも、期待してるぜェ、新入りさんよ」
ああ、この人は。逆らってはいけない。
介旅は、直感的にそう確信した。
何度も自分は殴られ、虐められてきたが、そういった奴らは、少なくとも自分を金蔓だとか目下だとかいう風に見ていた。
目の前にいるこの男は違う。
金とか格がどうこうとかいう問題じゃなく、底知れなさを感じた。
恐れが噴き出る介旅の顔を一瞥して、鉄雄は小さく笑い続けた。