【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

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Ⅹ.ケイ
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 5年前―――

 

 兄の葬儀場には、数える位の人しか居なかった。兄が逮捕されたのは、爆弾テロの武器製造に関わった罪を問われてのことだった。財政緊縮派の剛腕として名が知られた議員を狙い、会館から出て来た所へ仲間が爆弾を投げ付け、ボディガードを何人かバラバラにし、議員の片足を吹っ飛ばしたテロ事件があった。その使われた爆弾の製造を、西東京の山間に隠された廃村を改造したベースキャンプで行っていたのが兄だった。兄は、ゲリラの活動に身を投じた政治犯として無期懲役を受けて投獄され、暫くした後に病死した。政治犯は、収容者同士、或いは面会者との意思疎通を最小限に抑えられた上、独房に入れられるという事で、収監されてから精神的におかしくなり、食事も碌に摂れなくなっていたという。兄は、刑務官から暴行を受け、その傷が元で死んだのだ、とか、絶望して自殺したのだ、とか、そういった噂も耳にしたが、自分にとってはどうでもいいことだった。

 

 兄と自分は、10ほど年齢(とし)が離れていた。高校を卒業して上京した兄は、間もなく、家族と疎遠になった。あの子、連絡も大して寄越さないの。と母が愚痴る度、仕事帰りの父は、分かった、メール送っとくよ、と適当に返事をしてはぐらかしていた。近所の誰々さんの娘さんは、ちゃんと毎晩テレビ電話させてくれるのに、ウチの子ときたら。と、母は口癖のように言っていた。学校のクラスメートの一人が言うには、ウチも似たようなもんだよ。大学生って、最後のセイシュンなんだって。だから、自分のやりたいようにやるんじゃない?ということだった。

 

 まさか、ゲリラ活動に関わっているとは、両親は予想だにしなかったし、自分だって知る訳がなかった。テレビやSNSを通して、連日火炎瓶を投げまくってシュプレヒコールを上げる、覆面の集団の様子や、ハッシュタグを付けて賛同の数を稼ぐ仮想デモが行われているのは知っていた。自分はそれらを、騒がしいなあとしか思わなかった。後日、半分物置と化していた兄の部屋に、警察の家宅捜査が入ると、男子がエロ本を隠すような場所から、「革新的な思想」とやらについて書かれた本がたくさん出て来た。古びたパソコンも押収され、ゲリラと連絡を取り合ったという履歴も発掘された。要は、家を出る前、高校生の時からそういう兆候があったという事だ。

 

 父は、会社を退職した。酒の量が増え、母や自分にしょっちゅう暴力を振るうようになった。ある時、酔いつぶれた父は、依願ってのはイガンじゃねえんだ。そういう風にしろってことなんだ。と、自分で割った窓ガラスで自らの手を傷つけ、だらだら滴り落ちる血に涙しながら、愚痴を零していた。赤ら顔で、涎をみっともなく垂らしながら泣き腫らす父の顔を見て、自分は絶対酒はやらないと決めた。母はテレワークの仕事をクビになり、壁に向かってブツブツ独り言を言う時間が増え、その反面、こちらから話しかけても返事をしなくなった。父も母も碌に家事をしなくなり、かと言って自分も手伝う気がせず、家は荒れ放題になった。

 

 自分は学校に通えなくなった。兄の逮捕直後から不穏な視線を感じていたし、それまで付き合っていた友達もあからさまに自分を避けるようになった。決定的だったのは、ある日の理科の授業で行われた実験で、汚れた白衣を身に付けた担当教員が、燃焼ってのは注意してやるんだ、じゃないとテロみたいにケガしちまうからな、と口を滑らせたことだった。この先生の一言というのは、朝礼の並び方が悪いとか、何で次の授業の準備を机の上に出してから休み時間にしなかったとかドヤされる時とは異なり、効果てきめんだった。それからたくさんのあだ名を押し付けられた。犯罪者、テロリスト、ゲリラ女、下痢娘とかそういうのだ。呼ばれるだけでなく、机、ノートの表紙、上履き、そこかしこに書かれた。表立って行為に参加しない者は、ただ自分のことを居ない者だと無視した。極めつけは、担任の教員に個室に呼び出され、校長も同席している所で、他の保護者から苦情が来ている、テロリストの家族と一緒の学校に自分の子供を通わせたくないんだそうだ、だから別室で授業を受けないか、その方がお前も安心だろう、という話を一方的にされたことだった。最早、自分にとって学校に通う価値は一つも無くなった。

 

 そして、程なく両親は離婚した。母は家の一部屋にほとんど籠り切りになり、父はある夜出かけたっきり、帰ってこなかった。兄の葬儀は家族葬という形で行われたが、喪主になっているのは嫌々引き受けたらしい、神経質そうな遠い親戚だった。だったら最初からやらなきゃいいのに、と、片手で数える程しかいない参列者を見ながら、自分は喪主側の席でぼんやり考えていた。

 

 一通り式が終わった後に、自分に話しかけくる人がいた。プロレスラーと勘違いする程の大柄な女の人だった。兄にもしものことがあれば、妹は只じゃ済まないだろうから、助けてやって欲しい。そう兄から頼まれていたのだという。虫のいい話だ、と初めは無視した。てめえの所為でこうなったんだ、と兄を恨んでいた。ただ、どの道自分は、このままでは養護施設に入れられる。親戚は、自分を厄介払いするばかりだ。人殺しの家族となれば、施設のカーストの中でだって、自分は苛められるに違いない。マシな道を選ぼうと思い、その女の人に付いて行くことにした。

 

 女の人の家で食べた、サンマの塩焼きは美味しかった。今じゃ人工物も流行ってるけど、うちは天然て決めてるんだ、いい味してるだろ?と女の人は言った。久しく、誰かが作ってくれた温かい食事というのを食べていなかった。お腹が空いていたので、3回もご飯と合わせておかわりした。

 

 自分はチヨコおばさんの養子になった。

 

 おばさんにある日、兄と同じゲリラの仲間なのかと聞いたことがある。おばさんは、知らなくていいことだと怖い顔をして言ったので、それからは気にしないようにした。ただ、おばさんは手先がとても器用で、夜遅くには、和室のちゃぶ台の上で、銃の手入れをしている所を見てしまったことがある。恐らく、この人もゲリラなんだろうなと察しはついていた。自分はゲリラを憎んでいた。けれども、普段は優しく、住まいと食べ物を提供してくれるおばさんのことは好きだった。だから、ゲリラのことは頭から忘れようとした。

 

 おばさんが気を使って、学校に行けない自分のために、小学校高学年から中学校くらいの勉強に関わる本を色々揃えてくれた。日がな一日それを読んで過ごしていたけれど、一番お気に入りだった本は、本棚の一番高い所に置かれていた、20世紀の中米の革命家が著したという戦術書だった。それは確かにゲリラの思想に通じていた筈なのに、まるで詰将棋を楽しむかのように、圧倒的不利な状況からどう事態を打開するか、想像を膨らませてワクワクしながら読めた。自分の国のゲリラは嫌いだったが、それはそれとして、本に書かれていることを、海の向こうの御伽噺として読んでいたのかもしれない。

 

 ある日、大勢の警官が家に踏み込んできた。彼らは見慣れた制服ではなく、皆ショッピングモールて買い物をしてから寄りましたという風な、一般人と見紛う格好をしていた。後で聞いた話によると、ゲリラに対処する特務警察という部署から遣わされた連中だった。彼らは皆冷たい目をしていて、自分に両手を壁についてじっとしているよう、銃を突きつけながら命令した。言われたままにしていると、おい、かわいい子だぜ。と1人が言い、2、3人の男が集まってきて、この間お前らに仲間がリンチされ、丸焦げにされたんだ、クソッたれ、と言いながら、わざわざ手袋を外し、自分の身体を乱暴にまさぐり始めた。自分が自分でなくなるような、気持ち悪さと不安とで動けなくなっていると、急に背後で激しくもみ合う音がして、すぐに、大丈夫か、とおばさんが声をかけてくれた。自分を取り囲んでいた警官たちは顔の部品がずれたんじゃないかと思う位打ちのめされていた。

 

 ゲリラへの憎しみが消えた訳じゃなかったけれど、自分たちを追い込む大きな体制というものが、何となく分かった気がした。彼らは彼らで、敵意を持って、どこまでも追い掛けてくることを知った。

 

 避難先で、おばさんに、ゲリラの仲間に入れてほしいと頼んだ。兄の遺志を継ぐ訳じゃないだろう、と胸の内を見透かされた。自分は、ほかにやりようがないと言った。強いて言えば、おばさんへの恩返しがしたかった。別に今の政治体制がどうとか高尚な理由があった訳じゃなく、ただ現状をぶち壊したいという思いがあった。

 

 避難先では、おばさんの仲間だという、20歳かそこらの男に出会った。竜作と名乗るその男に紹介されると、まず中学校までは最低勉強した方がいいということ、そのためには、今から遠く離れた所へ身を移すことを忠告された。

 

 ちょうど、学園都市に任務があるんだと竜作は言った。数年は潜り込む必要のある、大掛かりな任務だと。竜作は、今なら、学齢期の児童の転入についてキャンペーンもやっている。政府が大々的に補助金を出すんだそうだ。それに乗じよう。高度な学力と確かな身分を求められる名門私学なら兎も角、庶民的な学校であれば、自分にも入れるものもあるだろうと言った。いくらなんでも、実験都市と言われる学園都市の学校に、半年も不登校の自分が入れるか、半信半疑だった。しかも、竜作の妹だという、ちょうど同い年の子も一緒に行くという。どちらかが落ちたら気まずいなと思ったが、ともかく、短い間に猛勉強した。幸い、チヨコとホームスクールをしていたのが役に立ち、学力的には何とかなりそうだった。

 

 一度、おばさんのことを「お母さん」と呼んでみたことがある。おばさんは、ひどく驚いた顔をしてから、寂しそうに微笑んで、私はお前の母親には代われないんだよと言った。気恥ずかしいのだろうと思ったが、今まで通りの呼び方でいいと言われて、特に断る理由も無かった。何となく母と呼んでみたのにも深い訳はなかったし、そもそも呼び方一つで、おばさんとの関係が左右される事でもなかったからだ。

 

「名前を変えよう」

 入学申請の書類を出さなければいけない時になって、おばさんがそう言った。チョコという名も、竜作という名も、本当の名前ではないのかもしれない。家族とも縁を切った自分にとって、本当の名前に未練は無かった。イニシャルを一文字とって、下の名にした所だけが、名残だ。

 

 そして、私は学園都市の、とある中学校に入学した。

 

 竜作の妹だという子とは仲良くなれた。というより、友達という関係がどんなに脆いものか十分に思い知らされたので、彼女以外に交友関係を深める気もなかった。竜作の妹は、感情が表に出ない内気な子で、長く伸ばしていた黒髪と、その前髪の奥にある細く切れ長の目が、彼女をとっつきにくい雰囲気に仕立て上げていた。彼女も私以外に気を許せる相手がいないようだった。

 

 ある時、彼女が、顔が良く強気な女子を中心とした集団に囲まれていたのを連れ出したら、翌日、逆恨みを買ったらしく、複数の男子に言いがかりをつけられた。そして、おばさんに仕込まれた護身術で相手をまとめて返り討ちにした。そんな事が何回もあり、特に彼女が自分の傍にいたがったことで、常に一緒に行動するようになった。自分の保護者として呼び出されたおばさんを相手にして、教員が竦み上がったこともあり、自分と竜作の妹は、周りから近寄りがたいペアとして認識されるようになった。でも、お互いに勉強は真面目にしたし、それ以外の場面で、必要以上に目立たないようにした。放課後はいつも一緒に帰り、他の生徒が寄り付かないような、学区の外れで遊んでいた。

 

 中学2年生になって、自分の身体検査(システムスキャン)の判定は変わらず無能力者(レベル0)だった。自分は精神感応系の微弱な素質があるらしかったが、どうでもよかった。元々、能力向上を目的に学園都市に来た訳ではなく、仮に得られたなら、将来の任務に役立つかもしれないな、とは思っていた位だ。一方の彼女は、予想外に強度(レベル)が向上し、強能力者(レベル3)になっていた。けれども、互いの能力についてはあまり話題にしなかった。加えて彼女が、自分よりもレベルが高いことを笠に着ることもなく、それまでと同じように付き合いが続いた。彼女の能力は、ミクロな世界に作用するものらしく、説明を聞いてもよく分からないものだった。ただ、もっと極めれば、物理学の方面で就職に有利になるのだと、彼女は珍しく顔を綻ばせて語っていた。

 

 竜作の妹は、兄がゲリラ活動に参加しているのを、知らなかったのかもしれないし、知っていたのかもしれない。竜作が、あいつには普通の人生を送らせてやりたい、と何度か口にしていた。ある時彼女は、名前を変えようかな、と呟いた。どうして、と聞くと、だって発音しづらいじゃん、と冗談なのか本気なのかよく分からない様子で返された。それから中学の卒業が近付いて、彼女は他の学生と同じように高校へ進学することになった。自分は、高校には進学せず、チヨコおばさんの店を手伝いながら、本格的にゲリラの道へ歩もうとしていた。この学園都市で、高校に進学しないというのは、学園都市外へ出てやり直しを図るのか、はたまたスキルアウトへの道を進むのかという、滅多にない選択だった。当然、進路担当の教員からは白い目で見られたが、気にも留めなかった。寧ろ驚いたのは、竜作の妹が特に何も言わなかったことだ。自分で選んだ道なんだからいいんじゃない、とだけ言ってくれたのが、嬉しかった。もしかするとやはり、自分がゲリラに関わっていることを、薄々感付いていたのかもしれない。

 

「ケイちゃん。これからも、私たち友達だよね?」

 長く絹のように滑らかな黒髪についた桜の花びらを払いながら、彼女は、卒業式の日にそう言った。

 

「うん、帷子(イコ)ちゃん。これからも友達だよ」

 彼女に対してなら、私は素直にそう言える。

 きっと今も。

 

 

 

 7月15日、夕方 ―――第十学区 「帽子屋」

 

「……ケイ。……ケイ、起きな」

 

 頭がガンガンする。ケイは、チヨコの呼びかけで、目を覚ました。

 

「駒場が来たよ。アンタ、話したいって言ってたじゃないか」

「……もう、そんな時間なのね」

布団にも、タンクトップの背中にも、ぐっしょりと汗が染みついている。

「なんか……長い夢見てた気がする」

 

「昼寝ってのは浅い眠りだからね、夢を見やすいモンさ。それより、7区で張り切った後じゃないか、疲れてるんなら、休んでても―――」

「平気。ありがとう……すぐ着替えるから、行くよ」

 

 チヨコが部屋を出て行くと、ケイは汗ばんだ自分の服を着替え始めた。

 上半身が露わになったところで、ケイは自分の体を見下ろす。

 女として成長していく自分の体が、ケイは嫌いだった。特務警察に踏み込まれた一件以来、男性に対して、ケイは拭えない恐怖感を持ち続けている。だからこそ、男から見た女という存在になりたくなかった。寧ろ、自分がその恐れる男に、なれるものならなりたかった。膨らむ双丘は、自分を女として際立たせる邪魔者にしか思えなかったし、月の障りだって、なぜ男にはなく、女だけこんな苦しい思いをするのかと、常に理不尽に感じていた。

 

 頭を振ってから、体の汗を拭き、新しい服に着替える。

 

 部屋を出かけた所で、ふと、ここ暫く連絡がとれない一人の友達の事を思い出す。

 彼女が、ケイの夢に現れた気がする。

 

「……イコちゃん、どこで何してるんだろ」

ぽつりと呟いてから、ケイは客人の元へ向かった。

 

 

 


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