「御坂……さん」
「あなたが、なぜここにいるのか、私には分からない」
美琴は、ケイから目を逸らすことなく言った。
不可解な状況だった。美琴の目の前にいるケイは、先ほどまでスキルアウトらしき男と戦っていた。加えて、このビルの入り口から脇に逸れた所では、2人の明らかに柄の悪い男が倒されていた。ケイは、ジャッジメントでも何でもない、美琴よりちょっと年上の少女だ。美琴にとってみれば、数日前に一度だけ会っただけだ。そのような人物が、どうして自分のルームメイトである白井黒子が危機に陥ったであろう現場に居合わせているのか。どうして、スキルアウトと単身戦っているのか。
黒子は未だ見つからない。その事も相まって、目の前で傷つき、顔を血で汚しながら膝をついているケイという人間を、どう判断すればいいのか、美琴は悩んでいた。その精神面の不安定さを表出するように、美琴の髪は逆立ち、時折パチパチっと音を鳴らし、青白い光を放っていた。美琴は、自らを落ち着かせようと、肩で深く呼吸した。
「私は、黒子からの救援要請を知って、ここに来た。それは、
「……それは」
「黒子から、あなたの話は聞いた。帝国っていう連中との戦いに偶然加勢してくれたと。そして、黒子は今日、その帝国の奴らに挑んだ。人質がいるっていう情報を掴んでね。その情報も、あなたが黒子に知らせた」
ケイの端正な顔を、幾筋も汗が伝っている。ケイは片手で脇腹を抑え、もう片手を床についたまま、荒く息をして、立ち上がろうとはしない。美琴が言葉を連ねる内に、ケイは徐々に目を伏せていった。
「……正直に答えて。あなたは、味方なの?それとも……敵なの?―――ううん、何者?」
ケイは顔を僅かに俯かせた後、やや歯を食い縛って、美琴を見上げた。
「敵じゃない」
ケイの声と息遣い、美琴の体が放つ火花の音が、広い空間に微かに木霊している。
「そして、私が何者かは……言えない」
「ッ!正直に言わないなら―――」
御坂はバチバチッと放電を俄かに激しくし、拳を握り締めた。
「言いたくなるようにする……黒子がどこにいるかもね!」
美琴は、湧き上がる疑問と不安をぶつけるかのように、ケイを睨みつけた。ケイが、ごくりと唾を飲み込むのが見えた。
「―――お姉様ッ!」
聞き慣れた、甲高い声が美琴の耳に飛び込んでくる。美琴は声のした方向に意識を向けた。
奥へと続くエレベーターホールの壁に寄り掛かるようにして、黒子が立っていた。
「黒子ッ!」
美琴が声を上げ、ケイもそちらを見た。
「あんた、ケガは……」
「
「馬鹿!心配させて!」
美琴は黒子に駆け寄ると、両肩を掴んで叫んだ。黒子が目を一瞬丸くした後、済まなそうに伏せた。
「いくらジャッジメントだからって、こんな、一人で突っ走るようなマネはやめて!たった一言でも、私に言いなさいよ!私は、あんたの……だって……何かあんたの身にあったらって……」
美琴は、安堵と憤りとがない交ぜになった感情を黒子にぶつけるが、言葉がまとまらなかった。自然と口調が尻すぼみになる。そんな美琴の様子を目の前にして、黒子はそっと、自分の肩を掴む美琴の両腕の袖をきゅっと握った。
「ごめんなさい、お姉様……」
暫く沈黙が流れた後、黒子は顔を上げた。
「お待ちなさい、あなた」
黒子がそれまでより鋭い口調で言う。
「なぜ、ここにいるのですか?ケイさん」
ケイは、床に転がったハンドガンを拾おうとしている所だった。銃に触れかけていた手を止め、黒子と美琴の方へ顔を向けた。
「私は……」
ケイが言いかけるが、唇を噛み締めて黙り込む。
そんなケイの様子を見て、黒子がゆっくりと歩み寄った。
「ひどい様子ですの。あなた」
黒子の口調には、厳しさと優しさとが同居している。ケイは、歩み寄る黒子から視線を外さずにいる。黒子の靴音が響いている。
「帝国の連中とやり合ったということは、あなたもまた、何かの目的があってこちらにいらしたのでしょう。もうすぐアンチスキルも到着しますわ。ですから、そんな物騒な物は置いて」
黒子は、ちらりと床に転がる銃を見やり、ケイとの距離を詰めて語る。
「……今は、怪我の治療に専念するべきですわ、ケイさん」
「……これは」
ケイが、重い口を開いた。
「置いて行くことはできない」
そう言って、ハンドガンを拾い上げる。
「黒子!やっぱりこの人……!」
美琴は黒子の隣から一歩前へ進み出て、腕を伸ばして黒子を庇う姿勢をとり、警戒感を露わにした。
黒子の表情も、美琴に同調して厳しいものへ変わった。
「ジャッジメントとして告げますわ。武器を捨てなさい。でなければ―――」
「捕まえる?私を?」
ケイは手早くハンドガンを懐に仕舞い込み、痛みを堪えてよろよろと立ち上がった。
「私は、あなた達には敵対しない。けど、ここで止められる訳にはいかない。アーミーにも、アンチスキルにも……ジャッジメントにも」
「理解し難いですわ」
「私には……やらなきゃいけないことがある」
表情を明らかに歪ませながら、埃を髪に被らせたケイが美琴と黒子を見返す。
美琴と黒子の2人は、無言でケイと対峙した。
いつの間にか、砂を流すような雨音が、匂いを微かに漂わせて外から聞こえている。
それが美琴には、一瞬のようにも、とても長い間のようにも感じられた。
雨音の幕をくぐって、サイレンの音が徐々に聞こえてきた。ケイは、深く息を吸って、口を開いた。
「……敵じゃない、ってもし信じてもらえるなら。黒子ちゃん、御坂さん。ひとつ聞いてほしい」
ケイが手の甲で鼻から伝う血を拭うと、まっすぐに二人を見つめた。
「『レベルアッパー』を追って。それが、奴ら帝国の武器……」
「れべ―――?」
聞き慣れない単語に、美琴も黒子も首を傾げる。
「奴らは、それを使って力を―――」
「少女3名を発見!」
声を響き渡り、アンチスキルの一団が足音を鳴らして駆け寄って来る。ケイは言葉を止めると、そちらには目を向けず、僅かに黒子と美琴に頭を下げた。
「黒子ちゃん、無事でよかった」
「ケイさん、あなたは……」
ケイの言葉は、黒子にも、美琴にも、意表を突かれるものだった。ケイは、よろめきながら2人の横を通り過ぎようとする。先ほどまで、いざとなれば電撃を放つつもりだった美琴も、ケイの様子を間近に見て、動けずにいた。
「いつか……ともだちになれたらいいな」
ほんの小さな声で、下を向いたケイがそう言うのが、美琴には聞こえた。突然ケイは、怪我の様子からは想像できない位の力強さで走り出し、アンチスキル達とは反対方向へと去っていった。
「待っ……」
黒子が声を上げるが、途端に何人かのアンチスキルが側へ駆け寄って来た。
「一七七支部のジャッジメントってのは?どっちだい?」
バイザーで顔が見えないが、やや乱暴な口調の声で、男だと分かった。アンチスキルに、黒子が黙って腕章を示す。
「対象を保護!付近を捜索しろ、柄悪ィガキはひとまず全部お縄だ!……全く、なんで常盤台の嬢ちゃんが、それも2人も?こんな貧乏街に来てんだ?訳わからん……」
「お言葉ですけどね!」
美琴はむっとして食って掛かった。
「私はこの子のルームメイトで、助けに来たんです!七学区から!」
「な、七!?」
美琴の言葉に、アンチスキルの男は驚愕した。
「どうやって、ここまでこんな早く……?」
「それよりも、みなさん、ここの学区の担当でしょ?もう少し早く来れなかったんですか?」
「よく言われますがね」
男は、バイザーを上げた。浅黒く、精悍な顔が、困ったような表情をして現れた。体育の教師によく見る顔つきだと美琴は思った。
「こちとら、カネもヒトも足りてなくてね。今日だって、3キロ離れた高速で、なんといったか?あの帝国とかいう連中が走りまくって騒ぎを起こして……ああ、言い訳だな。申し訳ないってこった。……で、これも帝国がらみだっけか?」
「ええ」
面倒臭そうな男の言葉に、黒子が返事をする。
「この階の、北の会議室跡で、2名、私がギッタギタ……失礼、拘束しましたから。奴らは少年を一人、誘拐して拘束しているという情報を受け、私はここに来ましたの。詳しく問い質してみてくださいな。本当は、もっと他にもいたのでしょうが、この様子じゃ逃げられましたかね」
「分かった。ところで、そっちで延びている不良も、あんたが倒したのか?」
男は、先ほど美琴が倒した、金髪の男を親指で指した。
「いえ、あれは……お姉様が?」
「まあ、私っちゃあ、私だけど」
美琴は、男に足蹴にされていたケイの姿を思い出して、歯切れ悪く答えた。そんな美琴の心情を知ってか知らずか、アンチスキルの男はまじまじと美琴の顔を見た。
「……流石、英才の常盤台だな。見かけによらないってことか。まあ、助かったよ。アイツは、ここ最近派手に暴れてた、俺らも手を焼いている筋金入りのワルだからな」
「そんなに?」
「ああ」
美琴の問いに、男が頷いた。
「
男の口調が、最後はやや柔らかになった。
「で、入り口の横の通路で、もう2人気絶してるやつがいたんだが、それもアンタらが?」
美琴と黒子は顔を見合わせた。美琴は首を振った。
「私じゃない。きっと……」
「そういえば、さっきもう1人女の子がいたろ?どこ行った?」
男の問いに、美琴も黒子も、何とも答えようがなかった。
「……この件について、先ほど、アンチスキルの広報官は声明を発表しました。それによると、『強盗事件の容疑者を、強制的にアーミーが連行したことは、共同警備に関わる7月合意に真っ向から反するものであり、重大な懸念を表明。統括理事会にこの問題を提起……』」
カーステレオからは、激しい雨音の隙間を縫うように、ニュースキャスターの声が聞こえる。
「アンチスキル共が乗り込んでいったから、肝を冷やしたぜ。この足で、すぐ銃を処分するぞ。薬莢は回収できてないんだろ」
寂れた街に、時雨が降り注いでいる。竜作が運転する車は、深く暗いかなとこ雲が立ち込める西へ向かって、ただ一台、雨のカーテンをくぐり抜けて走っている。
「……後ろの応急キットは自由に使え。で、お前も休め……骨までいってないといいけどな。まあ、その白井ってジャッジメントだって無事だったんなら、よかったじゃないか。何でそんなに塞ぎ込んでるんだ?」
ケイは助手席で、窓ガラスをじっと見つめている。雨粒が止めどなく叩きつけ、雨季を迎えたサバンナのように、幾筋も表面を流れて落ちていく。
「……なんであんなこと言ったんだろ」
「何だって?」
竜作が聞き返しても、それ以上ケイは何も口にしなかった。
やらなきゃいけないこと?何だったろうか。
何にせよ、友達になどなれない。
黒子とも、美琴とも、棲む世界が違うのだと、ケイは自らに言い聞かせていた。