【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

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Ⅱ.上条


 7月2日未明 ―――第七学区 某大学病院

 

「そちらからの報告書は読ませてもらったがね?ずいぶんとちぐはぐな所があるように思えたよ?もっとも、患者の容態が良い分には、文句は言わないけどね?」

 

 一つの病室に、一つのベッドが置かれていて、その周りには何人かが集っている。中肉中背の、カエルのような顔をした医者は、語尾を上げる特徴的なイントネーションで話している。

 

「同意見だ」

 敷島大佐が答えた。医者の話し振りは、ともすると相手の気を悪くしそうなものだが、特に眉間に皺を寄せることもなく、敷島大佐は事務的に話している。

 

 空がもうすぐ白み始めるか始めないかという時間帯。最先端の街が最も静けさに近づく時に、計器の電子音だけが規則的に発せられる病室には、ベッドを囲む男達の気配も覆い隠すような静謐さが漂っていた。

 

「けれど、医者として私から言わせてもらうよ?怪我を治し、元のように陽の下で健康に振る舞えるようにすることを治療と呼ぶからね?君らのような兵隊さん方の考えには、できればあまり関わりたくないのだが―――」

 カエル顔の医者は手元のクリップボードに挟まれた紙をめくった。擦れる音が、部屋の静けさに少しの変化をもたらした。

 

「―――なぜ、昏睡させ続けておく必要があるのかね?私なら、今すぐにでも目覚めさせてやることができるよ?もうじき朝だしね?」

 

「我々はこの者に関心がある」

 敷島大佐は、微かな医者の反抗心を感じたのか感じなかったのか、どちらにせよ取り立てて反応を示さない。

 

「そこでドクター、治療費はこちらで出す。彼を」

 敷島大佐は、額に包帯を巻かれ、ベッドで眠る島鉄雄を、ごつごつした手で示した。

 

「我々が預かる」

 

 医者は視線を書類に向けたまま、黙っていた。敷島大佐は手を下して、念を押すように言った。「何かあるかね?」

 

 敷島大佐の聳えるような体躯を、医者は一度見上げて、また手元の書類に目を落とした。ややあって、一言答えた。

「何もないね」

 

 


 

 

 7月2日昼 ―――第十学区 職業訓練校

 

 真上に居座った太陽から、焼け付くような日差しが重たく降り注いでいた。職業訓練校の建物は、南に向かって開く凹の字の形をしており、遠目に見る限りでは、学区の中でも比較的小奇麗な外観だった。しかし、実際に建物へ入ろうと歩いてゆけば、荒れた様子が見てとれる。中庭へ上がる階段は何か所も亀裂が入っており、箒をひっくり返して地面に突き刺したような欅の木々は、その薄茶色の樹皮に、いくつもの下劣な落書きを刻んでいた。

 

 今日は日曜日だが、訓練校は授業の有る無しに関わらず、行き場のない少年達の溜り場となっている。一時は厳密に施錠しようと試みていたらしいが、警備が少年たちの荒れた行動に追いつかず、半ばサジを投げたような状態になって久しい。うだるような暑さの中、のろのろと行き交う学生達の背中は、いつも以上に曲がって見える。一際大きな欅の木陰に置かれたベンチに、何人かの少年が額を突き合わせていた。

 

「ほら、買ってきたぜ」

「サンキュ、甲斐」

 金田は甲斐から投げ渡されたパンの袋を早速開けた。集まっているのは、金田達チームのメンバーだ。

 

「なんだよ……お前またミルクパンなんか食ってんの?」

 

「文句あっかよ」

 

 焼きそばパンの麺を口元からぶら下げた山形を、金田が睨みつけた。

 

「甘過ぎンだよ、お子ちゃまじゃねえんだから」

 

「どうせ食うなら、タンパク質とカルシウムが入ってるのがいいだろ?」金田が一口目を頬張りながらもぐもぐ言った。「俺達は健康優良不良少年なんだからよ―――ところで、鉄雄の白ビル、判った?」

 

「駄目駄目。ぜェーんぜェーんダメ」

 焼きそばパンの紅ショウガを口元に張り付けた山形が答えた。

 

「俺思うんだけどさ」

 人差し指を立てて、甲斐が言った。

「変だぜ、やっぱし」

 

「あぁ、俺もそう思うぜ、山形はなんでなンも飲まないでパンをばくばく食えンのか……」

 

「めんどいンだよ」

 

「そうじゃなくてさ……」

 金田と山形の言い合いを制して、甲斐が言った。

 

「鉄雄のお袋に聞いても知らねぇっていうし、(アゴ)高場に聞いてもナシのツブテだし」

 

「あの野郎ォ、味方だとかほざいといて、能無しめ……」

 ま、最初から期待してねぇけどな、と金田は言った。

「カオリちゃんは?」

 

「電話してみた、けど、何も聞いてないって」

 甲斐が答える。

 

「鉄雄の野郎ォ、彼女を心配させやがって、どこに行ったんだァ?」焼きそばパンの青のりを口元にまぶした山形が眉間に皺を寄せた。

 

「ジャージ先生にいい報告はできそうもねェなァ」

 甲斐がベンチの背に深くもたれて言った。

「アーミーの基地に行って、聞いてみればいいんじゃね?『こんちは、ぼくらのともだちをさがしてるんですけど』ってさ」

 

「バカ言えよ……たださ、俺ひとつ気になる話を掴んでさァ」

 金田がもったいぶったように切り出すと、周りのメンバーは目を細めて金田の方を見た。

 

 なんだよ。

 まさか風紀委員(ジャッジメント)のJCとおともだちになったとかァ?

 バーカ、そんなこと言ってるからお前は童貞だっつーの」

 

 メンバーが口々に好き勝手言い始めたのを、金田は腕を広げて制する。

 

「違えよ!……キャブレターボーイズのリーダーに聞いた話なんだけどよ」

 メンバーは互いの顔を突き合わせた。

 

「第七学区にさァ、それこそ上層部のお偉いさんから暗部のゴロツキまで受け容れるお寺みてェながあるンだと」

 

「なンだそりゃ」

 

「本当なんだろうなァ金田?」

 

「俺も実際お世話ンなった訳じゃねェけどよ……案外、ででんと建ってるらしいのよ、その病院」

 金田が続ける。

「……で、そんな病院なら、俺らみてェな不良だって、お見舞いに行ってもいいだろ?」

 

「でもさァ、第7学区だろォ……俺ヤなんだよね、あの辺」

 甲斐が愚痴をこぼす。

 確かに、俺らが歩くような場所じゃねえよなあ、と山形や他のメンバーも言う。

 

 金田が、微かに眉間に皺を寄せた。

「確かにいけすかねェさ……ただ、それだけ顔の広い医者なら、何か知ってるかもしれねえだろ?」

 

 結局、その日の午後は、その噂の病院を当たってみようという話になった。

 第7学区に出掛ける、というのは、金田だって気が進む訳ではなかった。他のメンバーだってそうだ。

 そこは金田達にしてみれば、いわば‘まとも’な所だったからだ。

 

 


 

 

 道中では、制服姿の女子学生や、休みを利用して洒落た服装をした男子学生の、奇異なものを見る視線が金田達に刺さった。金田達の中でも、特に普段の工業科の作業で使うようなツナギを着た山形の服装は目立ったし、先を歩く金田や甲斐の、顎を引いて上目づかいに前をキッと見据える歩き方は、普段この辺りを歩き慣れない者であるという雰囲気を周囲に発するのに十分だった。

 

 能力開発。

 金田の脳裏に、何度目ともつかない言葉がよぎる。

 

 第一〇学区とは打って変わって、ここの道端には、吹き付けられた落書きも、割れた瓶やら缶もない。ゴミがあったとして、学園都市製の自動清掃ロボットがすぐ回収してくれているのだろう。様々な人の声、モノの音が通り過ぎていく通りは、普段金田達が居る場所とは正反対の、明るく開放的な空気に溢れていた。

 自分が施設に引っ越してきた頃のことを思い出す。

 あの頃はまだ、そんな外れてなかったっけ。

 

「おい、金田」

 

「……?あぁ?」

 

「何ボサッとしてンのよ。返事しねえからさァ」

 

「ん、あぁ―――」

 金田は少し頬を緩めた。

「ちょっと、な」

 

 昔がどうであれ、今の仲間が大切だ。金田は先ほどまでの考えを払った。甲斐や山形、チームの仲間。バカ騒ぎをしたり、思い切り走ったり、警備員の厄介にもなれど、自分には仲間がいる。

 そして、鉄雄だってその一人なのだ。金田は自然と歩みを早めた。

 

 

 

「島……さんでよろしいんですよね?」

 

「あァ、そうだよ。ここに来てないかなぁ」

 金田が別チームの知り合いから聞いた病院は、特に変哲のない大学病院だった。玄関から受付へと歩いてきたが、ここまでの周囲の様子は、特に怪しいところのない、ただの清潔な病院だった。暗部などという薄汚れたものの気配は、少なくともここまではない。

 

「昨日の深夜、バイクで―――あー、転んだんだけどさぁ……」

 

 金田は受付の看護士に向かって、鉄雄が入院しているかどうかを尋ねていた。しかし、看護士の答えは、「そのような患者は運び込まれていない」とのものだった。

 

「昨晩に交通事故でうちに来た患者さんなら何人かいますけど、島さんという方は受けてないですね」

 

「でもさぁ、夜遅い時間だもの、宿直の先生とかに聞いてみてもらえないかなぁ」

 

「あの、でも恐れ入りますが、皆さんは……」

 

 看護士は少し首を伸ばして、金田の後方を見やった。待合のソファにしかめ面で座った甲斐達は、やはり不良らしい殺気が漂ってしまっている。特に強面の山形や、だぼついた服でどかんと座る、大柄の三方などは、一般の人からすれば近寄りがたい雰囲気だろう。看護士の顔は、応対の事務的な笑顔から、早く帰ってくれ、という迷惑そうな表情へと変わりつつあった。

 

「なんだよ、学生証なら出したでしょォ?3回位再発行してるけど本物だよ?訓練生(トレーニー)だからって怪しい目で見るのは良くないと思いますけどォ?」

 

「いや、でも、とにかく、お問い合わせの患者さんは、こちらには来ていないので―――」

 

「もういいよ、金田」

 甲斐が諦めたように立ち上がって言った。

「帰ろうぜ」

 

 そうだな、胸糞悪ィし。と山形がぼそっと呟いた。金田も踵を返して、出口へ歩き始めた。

 

「誰か友達を探しているね?」

 そこに、金田達へ声をかける者がいた。メンバーが声のした方を見やると、白衣をまとった小太りの医者がこちらを見返していた。カエルのような顔をしている。

 

「何か知ってるのか?」

 金田が数歩早歩きで詰めて問うた。ブーツの靴底が、リノリウムに擦れて甲高い音を放った。

 

 医者は顔の中心から大分離れた両の目をぱちぱちさせて、金田を見た。物珍しいものを見るようで、しかし泰然と構えているような、感情の読み取りづらい目だった。

 

「患者の個人情報は簡単に教えることはできないよ?」

 

「はァ?何だそれ、呼び止めておいて」

 甲斐が反抗心を露わにして言ったのを、山形が制した。

「まぁ待てよ―――情報があるってことは、何か知っているんだな?」

 

「そうだな……先生、目の下にクマができてるぜ」

 金田が先を続けた。

「昨日の夜ここで働いてたんじゃないか?」

 

患者(おきゃく)さんでもない人に敬語を使うのはやめておくよ?まあ君達も相当、年の上下に関係なく、物怖じもせずに話すみたいだしね?」

 

「もったいぶらないでくれ、どうなんだ?」

 金田が答えを急かすように聞いた。

「俺らの仲間なんだ。会わせてくれよ」

 

 カエル顔の医者は、やや肩を上下に動かして一息ついた。

「ここからは私の独り言なんだけどね?」

 そう、口を開いた。

「昨日の夜に、全身至る所に打撲をして、一時的に意識を失った少年を治療したんだけどね?私は医者だから当然治そうとしたし、99%は治したよ?けど、ちょっと私の主義が通らない事情があってね?」

 

 医者は、見舞客や散歩に出た患者のいる中庭へ目を細めた。夏の日差しは明るさだけを窓から差し込ませていた。空調の効いた受付前のロビーは、先ほどまで金田達が歩いていた街中とは異なって、肌に静かに粟立つ涼しさを、消毒用のアルコールの匂いと共に漂わせていた。

 

「誰か邪魔をしたのか?」

 金田が問うた。

 

「私はこう見えて、この都市(まち)の色んな人たちに顔が利くんだけど、普段あまり関わらない人たちもいてね?外部から来た人たちなんかは特にね?」

 

「アーミーか!?」

 メンバーが顔を見合わせた。

 

「……それで、鉄雄は?」

 

「私は気が進まなかったんだけどね?本国の政府機関の仰ることには―――」

 

「鉄雄はどこだって聞いているんだよ?知ってるんだろ?」

 金田がやや声を荒げた。金田達のただならぬ雰囲気を察してか、周りの患者や見舞客は自然と遠ざかっていた。

 

「私には知らされていない。君たちが思っている以上に、彼は大変な事に巻き込まれてしまっているかもしれないんだよ?」

 

「何だよそれ、どういうことだ?」

 

「ただ、先ほどから様子を見ていたが」

 医者は金田達メンバーを見渡した。

「君たちは、とても仲間思いなようだ、見かけによらずにね?」

 

 いきなり何を、と金田達は面食らった。

 

「私は医者だよ?医者は、患者を治すのが仕事―――怪我や病気や、それに、もしも傷ついたなら、人との、仲間との絆も治したいと思うんだがね?君たちが彼を追うなら―――答えは持っていないが、一つ、手掛かりになりそうなことがあるんだよ?」

 メンバーと顔を見合わせる金田を、カエル顔の医者はじっと見つめた。

「知りたいかい?」

 

 


 

 

 第七学区の、とある学生寮へと向かう道を、一人の少年が歩いていた。成績が冴えない彼は、高校の土曜補修を終え、くたびれた体を、午後の暑さの中引き摺って帰っていた。

 中身の貧しい財布との相談にはなるが、何か飲み物を買って帰るか―――そう思案していた時。

 

 ビルとビルの隙間を抜ける脇道の奥から、ドスの効いた声が複数聞こえてきた。

 反射的に顔をそちらへ向けると、明らかに素行不良そうな若者たちが、暗がりの中で何かを囲んでいるようだった。第7学区は明るい表通りとは裏腹に、少し裏路地へ出れば、特に夜間や休日ともなると、不良グループが出没することも多い。

 きっと誰かが不幸なことにカツアゲでもされているのだろう。助けてやろう、という正義感が顔を覗かせたのも束の間、やはり関わらないのが身の為、と彼はそそくさとその場を立ち去ろうとした。

 

 ピシッ

 

 明らかに聞きたくない音、ガラスに小石をぶつけたようにヒビが入る音が聞こえた。彼が近くにあった電化製品店のショーウィンドウを見やると、パキンッ!と展示ガラスが割れた。

 

 ガラス片が外側へ向けて飛び散る。驚いて彼は咄嗟に学生鞄で顔を庇い、道の方へと数歩よろけた。行き交っていた人たちが驚いて立ち止まった。その時ほぼ同時に、脇道の奥からくぐもった叫び声が聞こえてきたが、彼には気にしている余裕はなかった。そして次の瞬間、

 

 あぶない!! と誰かが叫んだ。

 

 危ない?言葉を反芻して辺りを見渡した彼の周りに、バラバラと何かが落ちてきた。

 

 いくつものコンクリート片だった。大きなもので拳を超えている。

 

 はっとして上を見やると、ビルから道へせり出した看板が、根元から抜き取られた雑草のように落ちてくる所だった。

 彼は鞄で頭を多い、身を屈めて、どちらとも知れず無我夢中で駆け出した。間一髪で、背後に叩きつけるような衝撃を感じた。

 

「不幸だ」

 

 悲鳴や驚きの声が次々に飛び交う中、彼は呟いた。少し間を置いてから、周りを見渡す余裕が出てきた。

 

 目の前の、脇道への入口に、一人出て来た。子供のようだ。

 

 強烈な白日の元に、その子どもらしい人物の顔が晒された。その顔が不幸な少年の方を向く。

 

 体格に恐ろしく不釣り合いな、皺の深く刻まれた老人の顔を、上条当麻は口をぽかんと開けて見つめた。

 

 

 

 


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