「このカードには何が?」
カオリの手に渡されたメモリーカードを一瞥して、白井黒子が問うた。
「なんだ、てめぇも欲しいのか?」
島鉄雄が、黒子に向かって薄ら笑いを浮かべている。
「何が入っているのか聞いております」
黒子が油断なく鉄雄を見据えて言った。
「さしずめ、碌なモノではないのでしょうけど……」
「へえ、当ててみろよ。どうせ
不敵に笑う鉄雄に対し、黒子は一度唇を噛む。
「
「『レベルアッパー』!」
鉄雄が何か答える前に、初春飾利が鋭く言った。
「私たちジャッジメントにも、情報が既に入っています。どうなんですか!?」
御坂美琴は、厳しい顔で。カオリは、はらはらした表情で。それぞれ鉄雄を見つめている。
佐天涙子は、忙しなく目を瞬かせて、カオリの掌に置かれたカードに視線を走らせている。
鉄雄は、そんな少女たちの様子を見て、笑い声を上げた。
「知りたきゃ、てめえの耳で聞いてみるんだな」
「ふざけんじゃないよ!」
初春の怒声に、カオリや涙子、美琴も驚いて一瞬初春を見た。
「アンタらがバラ撒いたそいつのせいで……私たちの仲間は、何人も傷ついてるんだ!」
「仲間?」
初春の剣幕に、鉄雄が眉を上げた。
「俺の知ったこっちゃねえことだぜそりゃ」
「この、アンタ……!」
美琴が歯を食いしばり、怒りの形相を露わにする。
それは黒子も同じだった。黒子が一歩鉄雄の方へ踏み出し、口を開く。
「惚けないでくださいまし!あなたが『帝国』のリーダーとして、レベルアッパーを取引する元締めを務めていることは、分かっています」
「決めつけんなよ、ジャッジメント」
鉄雄が首を振りながら言った。
「まず、お前ら相手に暴れてんのは俺の指図じゃねえ。下の奴らが勝手に盛り上がってただけだ。俺はてめえらいい子ちゃん達がどうなろうが、さして興味はねえよ。それに、俺はただ頼まれただけなんだぜ?そのカードに入ってるブツを広めろってよ」
「誰に!?」
「どうでもいいだろォ、ンなこたァよ!」
黒子の畳みかけるような問いに、鉄雄が苛立ちを滲ませて声を荒げた。
「俺たちが、ブツを広めて、それを
「想像以上にクソ野郎ね、アンタ……」
美琴の軽蔑も、鉄雄は鼻で笑い飛ばす。
「俺が用あンのは、そこにいる、カオリ。お前なんだよ!なあ」
名を呼ばれ、カオリはびくっと肩を震わせ、上目遣いに鉄雄を見た。
鉄雄が鋭い目でカオリを見つめている。
「
「カオリ先輩……」
涙子が、心配そうにカオリの顔を覗き込んだ。
―――俺と来い、か。
カオリは、いつか鉄雄から、似たような言葉をかけられたことを思い出していた。
どこか遠くへ行こう。
そう鉄雄君は言ってたっけ。
あの日、燃えるような夕焼けを映した水面に向かって、取り留めもなく言葉を紡いでいた鉄雄と、今、目の前で手を差し出しながら冷たい笑みを浮かべる少年は、カオリにとって全く別人に思えた。
「さっきから聞いてりゃ、ちから、ちからって……そんな楽して手に入れて、だから何だってんの……!」
美琴が、ぎゅっと握った両手を僅かに震わせて言った。
「何だと?」
「常盤台中学の
「ンだとこのアマ……」
鉄雄の目つきが、一気に鋭くなり、凶暴さを露わにする。鉄雄の足元の落ち葉が、俄かに、鉄雄を中心とした渦を巻くように舞い上がった。
「
「お姉様だけではありませんの」
黒子が、その小さな体で進み出て、手を差し出した鉄雄とカオリの間に改めて立ちはだかった。
「あなたには聞きたいことが山ほどありますの。そして、帝国を野放しにはしておけません―――初春!」
黒子の呼びかけに、初春は「ハイッ」と淀みなく返事をした。
「アンチスキルに連絡を。佐天さんとカオリさんを連れて避難して。この男は、ここで捕えますわ!」
「戯言ほざいてんじゃねえぞ!」
鉄雄が叫んだ瞬間、念動力が奔流となって、メキメキとアスファルトを抉りながら黒子へ向かった。
しかし、その力が届く前に、黒子の姿は突如消える。
「!?どこに―――」
鉄雄が首を左右に振って辺りを見渡した。次の瞬間、鉄雄の頭上へ転移した黒子から、重力を乗せた強力な踵落としを首筋に食らい、鉄雄が倒れ込む。
「アンタにはムカついてんの!ちょっと痛い思いしてもらうよ!」
倒れ込んだ所を狙い、美琴が落雷の如く電撃を炸裂させる。
幾つものシンバルがかき鳴らされるような音が響き、鉄雄が白い光に包まれた。
「鉄雄君!」
「ダメです、先輩!ここは早く逃げないと!」
声を上げるカオリを、涙子と初春が腕を引っ張って引き留めた。
美琴が電撃を落とした辺りには、土煙が立ち込めている。
「……えっ?」
徐々に拡散する煙の中から、のっそりと人影が立ち上がったのを見て、美琴は声を漏らした。
「何で効かねえんだって思ってンだろ?」
美琴の心を見透かすように、鉄雄が言った。
金属が軋む、不気味な音が響いた。
道路の両脇の街灯や電柱が、不自然に曲がり、その先端を美琴の方へ向けている。
バチイッと音を立て、電線が幾つも破断した。
畑の雑草を引き抜くように、軽々と、電柱や街灯が土くれを散らして浮かび上がる。それらは、蛇のように美琴へと狙いを定めて向かってくる。
「お姉様!」
駆け寄った黒子が美琴の腕を取り、その場から空間移動した途端、美琴の立っていた場所に電柱たちが凄まじい音を立てて衝突した。その様はまるで、鯨の死骸に群がり食いつく深海魚だった。
アスファルトの礫が土くれと共に飛び散り、千切れた電線が鞭のように空をしなっている。引き抜かれなかった電柱もバランスを崩し傾いている。大地震が残した爪痕のようだ。
土煙の中から、鉄雄が姿を現した。片手の特に目立った傷という傷はない。鉄雄は浮遊し、あっという間に築かれた、瓦礫の小高い丘のてっぺんに降り立った。
様変わりした辺りを見回し、鉄雄は獰猛な笑みを浮かべて口を開く。
「
「ヤな感じ、アイツ……やっぱり並の電撃は効かない」
建物の陰に隠れ、鉄雄との距離をとった美琴が、様子を伺いながら呟いた。
「ちょっと気絶させようかと思ったけれど、思ったより力出したほうがいい感じ?」
「どんなタイプの
美琴の隣で、黒子が冷静に言った。
「さっさとお縄にして、塀の向こうにブチ込むべきですわね。これだけの破壊活動をした時点で、彼の負け。アンチスキルも血相を変えて追い詰めるでしょう」
「どうせ近くで聞こえてンだろう!ジャッジメントの女ァ!」
鉄雄の声が響き渡った。
「出て来ねえなら!!……ここらの建物一軒一軒イクラにするぞォ、オラァ!!」
「不味いね、こりゃ」
美琴が右手を地面に向けて翳した。辺りに散乱した金属片や、黒い砂鉄の粒子が手元に集まり、槍のような外見を形成していく。それら細かなひとつひとつの構成物が、ヴヴヴと低い音を唸らせて振動している。
「セブンスミストで見たけど、奴は能力を発動する時、腕を振り回す。そこを貫けば、頭も冷えるんじゃない?」
「私もお供致しますわ」
黒子が太腿に忍ばせた金属製の矢を手に取って言った。そして、美琴の左手にそっと触れる。
「私は彼の背後へ飛びます。挟撃しましょう」
「分かった、じゃあ、1、2の―――」
数えかけた所で、美琴は口を噤んだ。
小さな人影が、街路樹の倒れた道路脇から飛び出し現れたからだ。
「やめて!!」
精一杯の叫び声が響いた。
カオリが、両手を真横に広げ、鉄雄の眼前、瓦礫の山の麓に立っていた。
「何だ、カオリ……」
美琴や黒子に対する口調とは打って変わって、静かに鉄雄が呼ぶ。
カオリは広げた両手を震わせている。
「もうやめて!こんなことは―――」
「やめてって、何だよ」
やや落胆したように鉄雄が言う。
「これを見ろよ。俺の……俺の力だ」
鉄雄も瓦礫の上でゆったりと手を広げて、破壊された周囲の様子を誇示して見せた。
「ひと月もたたねェ内に、ジャッジメントやアンチスキルなんて目じゃなくなった。スキルアウト共も、雁首揃えて頭を下げてくるのさ。レベルアッパーが欲しいってな。今じゃ、あのレベル5ですらかくれんぼときた!ほんと、すげえだろ」
熱っぽく語る鉄雄の様子を、カオリは口を真一文字に結んで、じっと見上げている。
「カオリ、お前だって、レベル0だろ?レベルアッパーを聞いてみてくれよ。もう、肩身の狭い思いをしなくていいんだ。ピエロ共に乱暴されることも、ロクデナシの親の顔色を窺うことだってないんだ。中学で、お前をひどい目に合わせる奴らに、いくらだって仕返ししてやれる!
俺がそうさせてやるよ、カオリ。お前に、もう不幸せな思いはさせねェ」
「……すごいね」
カオリが静かに言った。
「だけど、それは―――」
「カオリ先輩!」
初春が道路脇からカオリの下へ駆け寄って来た。
「マジであの人ヤバいって、逃げなきゃ―――」
涙子も後を追ってきた。
初春がカオリの伸ばされた手を掴む。
「アンチスキルには通報しました。早くこの場を―――」
「ンだと、こらァ!!」
初春の言葉を聞いて、鉄雄が激昂する。
「邪魔すンじゃねェェ!!」
「ダメ!!」
カオリが咄嗟に初春を突き飛ばす。初春は後ろによろけて尻餅をついた。
鉄雄が右手を振るうと、アスファルトがバキバキと音を立てて砕け、瓦礫が散弾のように炸裂した。
「……ッ!!」
「か、カオリ先輩……」
鉄雄が息を呑むのと、初春が声を漏らすのと、ほぼ同時だった。
両手を地面についていたカオリが、ゆっくりと立ち上がり、顔を鉄雄へと再び向けた。
服はひどく汚れ、所々破れている。片目を覆うように、べっとりと額から血が流れている。
「みんな、心配してたんだよ?」
静かに、しかし力を込めてカオリが言った。
「わたしも、金田君も……」
「ッあ、アイツは関係ないだろ!」
明らかに狼狽して、鉄雄が言い返す。
「私の知ってる鉄雄君は、ちょっと背伸びするのが好きで、けど気はそこまで強くなくて……金田君や甲斐君、山形君に頼ってて―――」
「やめろ」
「それでも、私に、優しくしてくれた。優しい人だった」
「やめろ!それ以上言うな!」
「鉄雄君、一体何があったの!」
髪を振り乱し、カオリが叫んだ。
「今のあなたは、私の知ってる鉄雄君じゃない!私は、あなたには守られない!私は、私を大切にしてくれる人がいるんだって知った!こんな私でも、もっといろんな人と繋がれるかもしれないって、気付けた!私の、大事な友達を傷つけるなら―――」
カオリが、座り込む初春と涙子を庇うように立った。そして、再び両手を広げた。
「今度は、私が友達を守る!あなたに、傷つけさせはしない!」
「なンだと、畜生―――ッ!」
鉄雄は、急にこめかみを押さえた。
「あ、アタマが、痛ェ―――ああッ!?」
次の瞬間、鉄雄は弾かれるように体を仰け反らせ、瓦礫の山から転げ落ちた。
「カオリさんの言う事は正論―――そして、あなたは今、動揺している様子。精神的に集中できなければ、ご自慢の力も上手く働きませんわよ?帝国のリーダーさん」
地面に倒れて呻く鉄雄を、黒子が見下ろした。
鉄雄は自分の右肩を見て、目を見開いた。2本の金属矢が刺さっている。
すかさず、黒子は鉄雄のシャツやズボンの端を地面に縫い付ける。鉄雄は息を荒げて、恨めしそうに黒子を見上げた。
「てめ、こんなことして、タダで済むと思うな―――」
「あら、じゃあ、仕返ししてみれば!」
美琴が黒子の隣に立ち、鉄雄を見下ろして言った。
鉄雄はギョッとして、美琴の手元に浮かぶ、高速振動する砂鉄の槍を見る。その先端は、鉄雄のすぐ眼前に向けられている。
「けど、何か少しでも抵抗する素振りを見せようモンなら、その瞬間に、もっと大きいのがアンタを串刺しにする。マジだからね!」
「クソッ、畜生ッ!」
鉄雄が唾を垂らして悪態をついたが、美琴は意に介さない。
「所詮、アンタは身の丈に合わない能力だけ与えられて喜んでる、子どもなんだよ。いちいちキレて辺り構わず力を振り回すアンタは……弱い!」
「馬鹿な、俺は、強いんだ!」
もがきながら、鉄雄が必死に叫んだ。
「俺は、強くなったはずだ!なァ、カオリ!」
離れたところで、カオリは何も言わず、じっと鉄雄を見つめている。血が滲む額には、初春が応急処置としてタオルを巻いていた。カオリの表情は、怒りに満ちていて、それでいてどこか寂し気だった。
周囲に、人が集まり始めていた。近隣の住民だろうか、電柱がいくつも倒れる騒ぎに、様子を見に来たようだ。
「弱いよ、アンタ、どうしようもなく」
美琴がため息交じりに言い渡した。
「この街にはね、アンタなんか足元にも及ばないようなバケモノみたいな連中が、まだたくさんいるんだから」
「強い、奴、だと……」
鉄雄が歯噛みして言った。頭痛がエコーを響かせて、どんどん強くなっているのを感じた。
「あら、お姉様も、その『バケモノ』の麗しきおひとりでは?」
「褒めてんのかけなしてんのかよく分かんないけど?黒子」
「まさか!私が、お姉様に礼を失するなど、あり得ないことで……オホン、それより、初春!アンチスキルの到着はまだですの?」
「学生街の方に人員割かれてるみたいで遅れてましたけど、もう間もなく……」
鉄雄の耳に、少女達の会話が聞こえているが、次第にどんな意味をもった言葉なのか、判らなくなっていた。
俺より、もっと、強い奴―――。
((そうだよ))
あどけない少年の声がする。
((君はもうすぐ、アキラ君に……))
別の声が続ける。
アキラ?
アキラだと!!
((そう))
幼い少女の声が答える。
ワタシたちの、28番目の、仲間。
「ぼくは!ここだよ!」
「どこだ!どこにいるんだ!!ああああああ!!!」
鉄雄が今までになく大声を上げたので、美琴と黒子は驚いて振り返った。
黒子によって縫い付けられた金属ピンが、地面から外れてひしゃげる。
鉄雄を中心として、地面に亀裂が走る。
「危ない!!」
黒子は空間移動し、美琴は磁力を操作してその場から急速に飛び退く。
初春、涙子、カオリは全速力で走り、逃げ出す。
ドオンと爆発音が轟いた。
鉄雄は突如として姿を消した。
様変わりした現場では、破裂した水道管から白く吹き上がる水が、辺りにミストを漂わせていた。
初春と、美琴と黒子は、アンチスキルからの事情聴取を受けている。鉄雄がカオリに渡そうとしたデータカードも、アンチスキルに提出され、分析に回されていることだろう。
カオリは、手当を受けている。
一人木陰のベンチで待つ涙子の頭の中に、突如声が響いた。
((力がほしいのだろう))
「へっ!!?」
あまりに突然のことだったので、涙子は跳び上がり、辺りを見回した。
心臓がばくばく早鐘を打っている。
「だっ、だれ!?」
((鉄雄様は、力を欲する者に、施しを与える。受け取れ))
涙子の横で、微かにカツンと音がした。
涙子が目をやると、ベンチの上に、小さな物が落ちている。
「これって……」
涙子が指で摘み上げたそれは、鉄雄がカオリに渡そうとした物と同じ、データカードだった。
涙子は、そのカードをじっと見つめた。
心臓が、まだドキドキしている。