20時40分―――
こめかみがズキズキと痛む。頭蓋骨越しに、ひっきりなしに拳で脳をノックされているようだった。
ぼやけた視界を晴らそうと、目を擦る。
辺りは野球場のように広く、一帯をぐるっと囲むように、いくつもの照明塔が、白く鋭い光を放っていた。しかし、足元は整備の行き届いた芝生とは異なり、凸凹と砂礫の目立つ地面が広がっている。見上げると、予想外に夜空は広く、下弦を過ぎて新月になろうかという、細身の月がはっきりと見えた。今、立っている場所が、街中ではなく、開けた場所だということが分かる。
振り返ると、意外な物を目にする。
山のように積み上げられた、貨物コンテナだった。列車に載せられる物だ。三段ほどに積み上げられたそれは、10mほどの高さの壁を作り、左右へと続いている。よく目を凝らすと、遠方にも同じように積み上げられ、外界とこの場所を隔てるかのようだ。
ここは、どこだ。
島鉄雄は、自分がここに行き着くまでの事を思い出そうとする。
第七学区では、カオリを学生寮の付近で待ち伏せた。そこで、自分は拒絶された。
忌々しい
俺は、勝てなかった。
(アンタは、どうしようもなく、弱い)
電撃を操る常盤台の女に放たれた言葉が、今になって胸にぐさぐさと刺さる。
これまで、クスリや金、そして幻想御手を求めて、何人もの人間が、自分へと頭を下げにのこのこやって来た。クラウンの憎たらしいピエロ達をはじめ、自分が気に食わない連中を、手に入れた力で何人も潰してきた。いい子ぶったジャッジメントや聖職者気取りのアンチスキル、先輩面して敵対するスキルアウト、自分を馬鹿の一つ覚えで追いかけ回すアーミーの兵隊たち。木山春生から授けられたこの力で、自分に歯向かえる敵はいない。そう鉄雄は信じ込んでいた。
それがどうした。
カオリは自分を拒んだ。自分がかつてそうであったように、日陰者の
自分は、もっと強くならねばならない。
もっと、もっと力を得たい。
そうすれば、あの女たちも、自分へと頭を垂れるだろう。
カオリも、俺を認めてくれるだろう。
金田なんて、最早足元の蟻だ。
もっと強くなる。そのために自分は、この言う事を聞かない身体を引きずって、あちこちへと転移しながら、どうにかここまでやってきた。
目指す場所は、アーミーの駐屯地―――あの
あの皺くちゃのガキども、ナンバーズのもとへ行く。そして、奴がどこにいるのかを吐き出させる。
やつ?奴って誰だ?
再び痛み出した頭を手で押さえながら、鉄雄は、脳裏に時折現れる、ある名前を思い出そうとした。
「そこに居るのは誰ですか、とミサカは
ピッチベンドを無理やりかけたような、機械的な抑揚の声だった。鉄雄が顔を上げると、囲まれた土地の中央方面から、LEDの冷たい白光を背に歩み寄って来る人影があった。学生の夏服のような、サマーブラウスにスカートを身に付けている。逆光のために顔ははっきりと見えないが、肩に届くぐらいの髪がやや茶色がかっていることは分かった。手には黒く長い形をした物を握っており、それは散弾銃のような武器に見えた。
「あァ?」
鉄雄はその人影を睨みつけた。
「てめェこそ誰だ……まさかアーミーのヤツじゃあねえよなァ。こんなとこでガキが何してやがる」
鉄雄からしてみれば、こんなだだっ広い人気の無い場所で、女学生が銃を手に一人ポツンといることの方が不審だった。少女が口を開く。
「ZXC741ASD 852QWE963’, check please.」
「何言って―――」
「
「……アタマいかれてンのか?」
呆れた鉄雄の言葉に耳を貸さず、相手は耳元に手をやり、何やら小声で話している。
鉄雄は、脈打つ頭痛に押されるように、怒りが沸々と湧いてくるのを感じた。カオリに拒絶され、戦いに負けた事への悔しさ。思ったように転移能力を行使できないことへの苛立ち。そして自身の身体の不調。それらを土台にして、目の前に立つ理解できないことを口走る女に対する怒りが募る。
顔は見えないが、その外見が自分を弱いと言い放ったあのレベル5の中学生に似ていることに、鉄雄は気付いた。
鉄雄は眉間に皺を寄せ、目尻を引き攣らせた。
脅し半分に、腕を捻り潰してやる。
頭痛を振り払うかのように首を振り、鉄雄は意識を眼前の少女に集中し始めた。
その時。
「
背中に針を刺すような鋭い痛みを感じ、鉄雄は2,3歩よろめいた。
肩越しに手を回して確かめようとするが、届かない。
それから間もなく、鉄雄の意識は強烈な眠気に覆われ、引きずり落とされるようにその場に崩れ落ちた。
砂礫だらけの地面に頬をついた時、鉄雄には一瞬だけ、レベル5の電撃使いに似た少女が、暗視ゴーグル越しにこちらをじっと見下ろしているのが見えた。
「
『身元と、侵入目的の確認のため、尋問する。こちらへ搬送されたし』
「了解」
倒れて動かない鉄雄の背後の闇から、2人組の人物が溶け出るように姿を現した。アンチスキルに似た、黒と深い青色を基調とした出動服に身を包んでいるが、白色のラインは無い。代わりに特徴的なのが、両肩に装着された、甲殻類を思わせる形状のプロテクターで、照明から投げかけられる光を、鈍く跳ね返していた。
「なんだ、コイツ?まだガキじゃねえか」
通信を行っていた一人の男が、ゴーグルを額に上げ、懐中電灯で照らした鉄雄の頭を爪先で小突きながら、怪訝そうに言った。
「産業スパイにしちゃ、のこのこと不用心過ぎるし、さっきまで道路工事でもしてましたって感じの格好だな。どこぞの暗部の鉄砲玉じゃねえか?」
もう一人の仲間が、拳銃を長く引き伸ばしたような銃を手にしながら言った。吹き矢のように細長く伸びた銃身が、光を反射して煌めいた。
「ま、
ゴーグルを上げた警備兵が肩を竦めて後ろを向いた。
「車を回してくる。早いとこコイツを乗せようぜ。第一位様の遊びの巻き添えになるは御免だからな―――」
くしゃり、と、硬い物と柔らかいものを同時に圧し潰すような音が聞こえ、警備兵は足を止め、振り返った。
先ほどまで会話していた仲間が、こちらを向いていた。
目を見開いて、首だけがこちらを向いている。
「オイ……」
警備兵は思考が追いつかず、間の抜けた声をかけた。
返事をする代わりに、相方は糸の切れた人形のように地面へ体を投げ出した。頸部が強引に捻られ、裂傷から血が規則的に水鉄砲のように噴き出ている。
その向こうで、島鉄雄が笑みを浮かべて立っていた。
緊張から来るものか、恐怖か。一人残された警備兵は、顔が急激に熱くなるのを感じた。
『……Travis、
「……ありがてェぜ。薬を射ってくれてな。お陰で、頭がスッキリしたぜ」
一般では認可されていない、強力な麻酔銃による鎮静を克服した鉄雄が、獰猛な笑みを浮かべて言った。
話しかけた相手は、地面に倒れている。頭部は、破裂した水風船のようになっていた。
傍に落ちている、破壊を免れた親指サイズのスピーカーが、ノイズ交じりに名を呼んでいるが、鉄雄は気に留めなかった。
アーミーの駐屯地はどっちだろうか。当初の目的に立ち返った鉄雄が、辺りを見回したその時。
ず、ずうん、と重たい物が地響きを立てて落ちる音が聞こえた。
興味本位で音の聞こえた方向へ歩いていった鉄雄は、やがて別の死体を見つけた。
麻酔銃に撃たれる前、鉄雄が相対した少女だった。壁を成していたコンテナの一つに、どういう訳か圧し潰されている。右腕と頭部だけがコンテナによる下敷きから免れ、視認することができた。砂礫が、少女の物であろう血を光沢にして輝いている。少し離れた所には、少女が携行していたライフルが転がっていた。
「おい、お前……」
鉄雄は、身を屈めて、少女の首を覗き込んだ。
暗視ゴーグルは付けていない。光を失った目がある。その
「……
あの常盤台の
瓜二つ。更に言えば、明らかに同一人物だと言えた。
「なんで……」
混乱する鉄雄の耳に、石ころの上を踏みしめる足音が聞こえた。
何者かが、広場の中央の方から歩いてくる。
背後の照明塔からの白光と、細長い月が落とす光が、その痩躯を描き出している。
男とも、女とも見える長さの髪の白さが、光を受けて明らかに分かる。
「て……てめえの仕業か?」
つい先ほどまで勝ち誇っていた気分だったが、今の鉄雄の肌は粟立っていた。
もしも、レベル5を殺せるような人物がいるとしたら。
それは、同じレベル5に他ならない。
強い奴。自らが並び立ち、そして超えるべき存在。
鉄雄は、歯を一度食い縛ってから、口を開いた。
半ば無意識の内に、鉄雄は叫び、覚醒した思考力をありったけ集中させた。
鉄雄の目の前の地面に、亀裂が走る。衝撃波が石礫を飛ばしながら、急速に痩せた謎の人物へと迫る。
もしも、この人物を倒すことができたなら―――。
鉄雄の脳裏によぎったそんな期待は、突然自分に襲い掛かって来た石礫がもたらす痛みによって吹き飛んだ。
咄嗟に両腕で顔を覆ったが、ナイフのような鋭さを伴った飛び石によって、腕や顔のあちこちに傷が作られた。
痛みが、鉄雄のアドレナリンを急激に上昇させる。
荒い息をつきながら、鉄雄はもう一度近づいてくる人物の姿を見た。
衝撃波を真正面からぶつけた筈なのに、バラバラになって吹き飛ぶどころか、全くダメージを受けていないように見えた。
鉄雄の鼓動が速くなる。
「こンの野郎ォ……うざってェんだよおォォォ!!!」
鉄雄の叫びが木霊した時、光を背にした相手は、影の差す顔の口角を動かし、僅かに笑みを浮かべていた。