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7月19日、午後――― 第七学区
「
公園のベンチに座りながら、アケミが愚痴をこぼした。
「実際、
「あ、あたしは―――」
どきっとした佐天涙子は、目をぱちくりさせた。声が心なしか上擦っている。
「そ、そうなんだ、知らなかったなあ……」
「あれれ?噂話ラブのルイコらしくないじゃん、ねえ!」
むーちゃんが両手を頭の後ろに回し、からかうように言った。
「だからさ、あたしらルイコを心配してるワケよ」
涙子の隣から、顔を覗き込むようにしてアケミが言った。
「カオリ、さんだっけ?あの先輩がまあ悪い人かどうかは知らんよ?けどさ、事件ああやって巻き込まれてるってのは、ワルとの繋がりがあるからかもしんないしさ、ほかの先輩からもあんまいい噂聞かないし……」
涙子は、顔を合わせられず、地面に視線を落とした。
反論したかった。カオリ先輩は、そんな人じゃない、と。
バイカーズ同士の抗争にたまたま出くわした日。あの時、傷だらけになったカオリの姿を思い出すと、胸がきりきり痛む。
だから、自分はカオリ先輩の味方になる。
しかし、アケミ達が、善意で自分の事を心配してくれているのも、理解できた。
それ故に、涙子は友人との会話の中で、自分の気持ちを伝えられずにいた。
「悪いこと言わないからさ、距離とった方がいいよ?忠告するよ、友達としてさ」
涙子は、はっとして顔を上げた。
友達。
カオリ先輩とは、友達になった。自分でそう決めた。
けれども、アケミやむーちゃんやマコちんだって、柵川中学校に入学した頃からの、大事な友達だ。
しばらくぶりにアケミの顔を見た。
同級生の中では、彼女の顔つきは比較的大人びている方だと、涙子は思う。
切れ長のはっきりした目が、自分を見つめている。
その視線に、涙子は胃が縮む思いがした。
もしもここで、自分が我を張って、カオリ先輩を庇ったら?
アケミは、がっかりして、自分を冷めた目で見るだろう。そうしたら……
友達を、失いたくない―――。
「まあまあ……悪いのは、その帝国って人達だよ」
赤みがかった頬が特徴的なマコちんが、穏やかな声で言った。
「ま、そりゃそうだ!」
むーちゃんが頬を膨らませて言った。
「あいつらが暴れ回るからさ―――外出制限かかるし、アンチスキルもジャッジメントもピリピリしてるし……このまんまじゃあ、夏休みに入っても、気軽に遊びにも行けなくない?マジざけんな!って感じー」
「あたしらはどの道、遊べんよ」
アケミが涙子から視線を外し、むーちゃんに顔を向けたので、涙子は内心ほっとした。
「期末の能力試験、ダメだったっしょ?宿泊補習、
「ゲッ、そうだった……」
アケミの一言に、むーちゃんはがっくり肩を落としてうなだれた。
「あれさー、納得できなくね?能力だなんて、どーしたって才能じゃん?あーあ、
「
むーちゃんの口から出た言葉に涙子は驚き、思わず復唱した。
三人の視線が一斉に涙子に注がれる。
涙子は、しまったと思った。3人からじっと見つめられて、息苦しさを感じた。
「なに、ルイコ、知ってんの?」
むーちゃんが興味津々な顔で聞いてきた。
「え、えっと……能力を、自動で引き上げるって噂の……だよね?」
どぎまぎしながら、涙子は言葉を選んで答えた。
「なあんだ、やっぱり流石じゃん、ルイコ!」
むーちゃんが顔を綻ばせた。
「2年の先輩が言ってたんだけどさぁ、今バリたっかいお金で取引されてるんだって、それ!」
「取引って、そもそも何なの、それ?ヤバい薬か何か?」
少し心配そうな顔をしたマコちんが首を傾げると、むーちゃんも難しそうな顔をした。
「それがよく分っかんないんだよねー。アプリ?だか写真だか、音声なんだか……噂じゃ、がっこーにもそれ使って最近急に能力が使えるようになったって人がいるとかいないとか……!」
「どっちみち、そんなモン買う金はないさな……」
つまらなそうに言うアケミの横顔を、涙子は見た。
友達を、失いたくない。
ここで、私が3人の助けになれれば……。
涙子は、自分の通学鞄の中身をそっと手で探った。携帯電話が、そこには確かにある。
……それに、もしも
自分だって試してみたい。
「あの……」
涙子はそろりと手を挙げた。
3人の視線が、再び涙子に集まる。涙子は、すっと息を吸った。
「私、持ってるんだ……レベルアッパー」
夏空の下、急に吹き抜けた風が、公園の並木の葉をざわっと揺らした。
―――第ニ学区、アーミー駐屯地 ラボ内「ベビールーム」
「じゃあ、大佐……あなたとは、お別れってことですか?」
球体の移動機に座るマサルが聞くと、敷島大佐はゆっくりと頷いた。
「でも、どうして?」
マサルの横に立つタカシがきょとんとした顔で言った。手には、先ほどまで床のレールの上を走らせていた、列車の玩具を持ったままだ。
「どうしていなくなっちゃうの?僕たちのこと、嫌いになった?」
「そうではない」
大佐が顔を向けてはっきりと言ったが、タカシは俯いた。
「僕が……勝手に外へ出たから……僕のせいで?」
「そうではない。そうではないのだ」
大佐は繰り返し言った。タカシにも、そして自分にも言い聞かせているようだった。
「私はここを去らねばならないが、お前達は引き続きここに留まる。お前達が不利益を被らぬよう、できる限りの手を尽くすつもりだ」
「そんな難しいこと言われたって、分かんない」
タカシが不意に腕をばたばたさせると、手に持っていた玩具が弾丸のように飛び、壁に当たってバラバラに砕け散った。
「やめなよ、タカシ」
「いやだ!もういい!」
マサルの制止を聞かず、タカシは部屋の奥にある寝室へと走り去っていった。
マサルはため息をつき、大佐を見上げた。
「すみません、大佐。寂しがっているんです、タカシは。もちろん、僕だってそうですけど」
「お前達が謝ることではない。私の責任だ。ここまで事態を悪化させてしまった」
大佐が目を伏せて言った。
「大佐……実際、学園都市の人たちは、本当に、僕らに価値を見出しているんですか?」
マサルが探るように言うと、大佐は僅かに視線を落とした。
「……賢いな、
「あなたとはもう、長い付き合いですから。何となく分かるんです」
少しの笑みを浮かべながら、マサルが言った。
「僕だって、外の世界には詳しくない。けれども、外には、アキラ君ほどではないにしろ、僕らなんかよりももっと凄い力を持った人がいる。そう聞いています……キヨコだってそう言っていましたから」
「キヨコが……」
大佐とマサルは、幾つものケーブルや計器が複雑に繋がれたベッドへと目をやる。
玩具が散らばり、遊具も設置されたこの広間に似つかわしくない、ガラス製のドームで守られたベッドが一つ、ぽつんと置かれている。そこには、キヨコが眠っている。
そちらを見つめながら、マサルが口を開いた。
「あの、もしキヨコが起きたら、この事は……」
「お前は、どう思う、マサル?」
大佐がマサルに向かって問うと、マサルは首を振った。
「……言わない方がいいと思います」
「そうか」
「きっと誰よりも……キヨコが寂しがりますから。大佐とお別れするなんて」
マサルの言葉を聞いて、大佐はぐっと拳を握りしめた。
「マサル」
「はい」
「目覚めが近いと。キヨコは言っていた」
大佐は膝をつき、マサルに視線を合わせた。
「キヨコから何か聞いているか?それとも、……何か感じているか?」
マサルは唇をきゅっと結ぶと、ひとしきり黙った後、口を開いた。
「すみませんが、大佐……キヨコはここのところ眠ってばかりですし……アキラ君のことも、何も」
「……そうか」
「僕からも、質問をひとついいですか?」
立ち上がりかけた大佐に、マサルが声をかけた。
大佐は再び膝をつく。
「鉄雄君、ここに戻ってきているんですか?」
マサルの言葉に、大佐は僅かに顔を引いた。
「41号か……なぜそんなことを?」
「彼とは、力が通じ合っている気がするんです。前にここで会った時から」
マサルは、はっきりと大佐を見据えた。
「そのとき、眠りにつく前にキヨコが言っていました。『もしもアキラ君が起きるなら、鉄雄君が力が開放する時』だって」
「41号が……!!」
マサルが語った内容に、大佐は目を見張った。
医療区画の一室、そこのガラスの向こうでは、包帯で全身をぐるぐる巻きにされ、各所にチューブを繋がれた島鉄雄が横たわっている。
大佐は、鉄雄を厳しい目つきで見つめ、周囲の人間と話していた。
「41号の容態はどうだ?」
「肉体は驚異的な再生能力を示しています。しかし、意識はまだ戻っていません」
「『
医官からの報告を聞くと、大佐は矢継ぎ早に、後ろに控える部下へと顔を向けて質問する。
問われた部下は背筋をピンと伸ばした。
「ハッ、1540時点で、全ての状態値は許容範囲内とのこと。過去1か月間の履歴も然りです」
「41号の行動履歴については?」
「昨晩、七学区南端の学生寮地区で目撃されて以降、深夜に駐屯地敷地内で倒れているのを発見されるまでの間、これについて目下調査中です。……負傷を負った経緯は、未だ不明です」
部下は、最後の一言を、やや口調をゆっくりとさせて報告した。
大佐は厳めしい表情で、再び鉄雄を見た。
「それだけの傷を、一体誰が?何故お前は、今戻って来たのだ……私は、もうすぐここを去らねばならんというのに」
大佐はガラス越しに鉄雄を睨みながら呟いた。
「あの、大佐……あと5分で、ミーティングです……練馬の中佐殿と。ご移動なされた方がよろしいかと」
背後から、部下がおずおずと声をかけると、大佐は頭を振った。
「ハッ!懲戒異動に伴う引継ぎというヤツか……」
自嘲気味に笑みを漏らすと、大佐は踵を返して去っていった。
それからも、島鉄雄は、一切身動きすることはなかった。
――― 第七学区、柵川中学校
「だから、カオリ先輩は、そのグループ連中に呼ばれて偶々居合わせただけなんです!窃盗騒ぎには加担していないし、今日の仲間割れにだって無関係です、寧ろ金銭を強要されてた、被害者ですよ!今ここで事情を問い質す意味なんて全くないです!
一気にまくしたててから、初春はカオリの手を引いて、相談室をどすどすと後にした。後ろからガタイの良い生徒指導担当が何事か声をかけたが、一顧だにしなかった。
「い、いいのかな、初春ちゃん……」
カオリがおずおずと後ろから言うと、初春はカオリの手を握る力をより一層強めた。
「いいんです。ここの教員はアタマでっかちで、何かと融通利かないですから」
「……初春ちゃんて、何ていうか、強いんだね」
「いちいち先生や上級生の顔色窺って日和ってたら、やってけないですからね」
初春は小柄な体を早足で前へ進める。カオリを引っ張って、人気の無い廊下の角まで来ると、初春はカオリに顔を近づけ、声を潜めた。
「あの、錯乱したユミコって3年生……能力を急激に向上させて盗みを働いてたとなると、やはり疑うべきは……」
「……
カオリは、初春の言葉を引き取った。初春が頷く。
それから、カオリは不安そうに言葉を続けた。
「でも、どうして?何であの人、急激に様子がおかしくなったんだろ……まさか、鉄雄君たちがバラ撒いてたドラッグを」
「それなんですが、先輩。私、ドラッグの中毒じゃあないと思うんです」
「どういうこと?」
初春の言葉に、カオリは首を傾げた。
「帝国は、確かにレベルアッパーと一緒にドラッグも取引して、資金を得ているようです。あの3年生がドラッグを使用していたかどうか、正確なことは病院の診断を待たなければなりませんが……帝国がらみで、彼女のように錯乱状態に陥った者が、ほかにもいるらしいんです」
「だから、それは薬物で―――」
「先輩。連続発火強盗って聞き覚えあります?」
初春が語った言葉に、カオリは視線を斜め上に上げて考え込んだ。
「えと、確か、
「ええ、こないだの日曜日に」
初春が頷いた。
「けれども、そのチームの主犯格の丘原って男がいるんですけど―――そいつは、アンチスキルに拘束された後、一昨日月曜日に病院送りになりました……ちょうど、今日のユミコさんのように、貼り付けたような笑顔を浮かべて、笑いながら、うわ言を言っていたそうです。そして、彼はドラッグを使用した痕跡がありませんでした」
「えっ」
カオリは口に手を当てた。
初春は話し続ける。
「同様に、直近の
「じゃあ、あんな風に彼女がおかしくなったのは!」
「……はい、ドラッグではなく、レベルアッパーに起因する副作用と、私は見ています」
初春が深刻な表情で語った。
カオリがごくりと唾を飲み込んだ。
「そんな危ない物を、鉄雄君は……!そうだよ、考えて見たらおかしいよ、初春ちゃん!大した訓練もなしに、能力がすぐに使えるようになるだなんて、話がうま過ぎる。何か裏があるはずだよ、そんなの」
「私も同感です。レベルアッパーは、想像以上に危険な物かもしれません」
初春がカオリに答えた。
「私はこれから、あのユミコって人の携帯電話をジャッジメント支部で解析します。昨日、島鉄雄が残したメモリーカードに残された物と同じデータが見つかれば……それがレベルアッパーでしょう。正体を掴まなければ、知らずに手を伸ばした人が危ないです」
初春の言葉を聞いて、カオリはハッとした。慌てて自分の携帯電話を手に取る。
「そうだ、涙子ちゃんにも知らせなきゃ……レベルを上げるとか、そんな怪しいデータは絶対開いちゃダメだって!」
初春は、涙子へと電話をかけようとしているカオリの様子を見守りながら、内心ドキドキしていた。
カオリの言う通りだと思った。
涙子は、普段こそ明るく振舞っているが、
けれども、まさか。
佐天さんだって、帝国がどれほど悪どい連中かというのは、理解している筈だ。
レベルアッパーを見つけた所で、使ってみようだなんて、思わないはず……。
初春が見つめる前で、カオリは携帯電話を耳に当てた。
しかし、カオリは首を小さく振った。
「……ダメだ、出ない」
何をしてるんだ、佐天さん。
初春は、妙な胸騒ぎを感じていた。
柵川中学校の校区内にある公園では、アケミが手を叩いて歓喜の声を上げていた。
「すごいよ、ルイコ!私、今までコップ持ち上げるのがやっとだったのに!」
「痛ってえ……だからって、私を落とすことないじゃん……」
空中から不意に落とされたむーちゃんが、腰をさすりながら恨み節を吐いた。
大丈夫?とマコちんが声をかける。
その傍の木陰では、涙子が地面にしゃがみこみ、自身の両手を見つめている。
涙子の両手の上では、欅の葉が数枚、渦を描いて舞っていた。
微かな、けれども確かな、涼やかな空気の流れが、優しく涙子の掌をくすぐっている。
「これが……私の力」
噛み締めるように呟く涙子の背中に、夏風が揺らす枝葉の影が日差しと交じり合って、不規則なストライプの模様を煌めかせている。
「私……なれたんだ、能力者に……」
白井さんや御坂さんに比べれば、ほんのささやかな能力。
それでも、涙子は嬉しかった。
目を瞑っている涙子の肩が、ぽんと叩かれる。
「良かったね、ルイコ」
見上げると、優しい笑みを浮かべるアケミの姿があった。
「……うんッ!」
涙子は、はにかんで答えた。
睫毛に、小さく一粒の涙が光った。
ベンチの上に置かれた、イヤホンを繋がれたままの携帯電話が、しきりに震えて着信を告げていたが、涙子は気付くことがなかった。