【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

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XVII.インデックス
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 目の前に、島鉄雄が横たわっていた。

 何をしているのかい?

 そう私は声をかけた。

 君のお陰で願いが叶いそうなんだ。

 お礼を言わなくちゃ。

 

「今、鉄雄君は、眠っているの」

 背後から声をかけられた。

 振り返ると、あのラボにいた少女がいた。

 

 眠っている?

 

「ええ」

 皺だらけの顔の中、異様に紅く血色の良い唇が動いて言った。

 

「彼は、この学園都市でも、最強と言われる人物と邂逅して……死の淵を彷徨った。そして、思い知ったの」

 

 何を?

 

「自分には、力が必要だということを」

 

 ちから。力か。

 

「ええ。私たちよりも、あなたよりも、もっと大きな、とめどない力を」

 

 少女は、己の2本の足でしっかり地を踏みしめ、私の隣に立った。

 憂いを湛えた瞳で、横たわる島鉄雄を見下ろす。

 

 そんな力を、一体何のために?

 

 私が問うと、少女は首を振った。

 

「その疑問の答えは、空を掴むようなもの。飢えと渇きに苦しむ旅人が、水辺へと近づくのはなぜ?それは、水が欲しいから以外の何物でもないでしょう。鉄雄君は、力が欲しくて、力の源に近づいているの。」

 

 最強を目指す、ということか。

 克己心があっていいじゃないか。

 

 少女は暫く目を閉じていた。

 それは一瞬だったかもしれないし、永遠とも思える間だったかもしれない。

 それから、私の方を見上げた。

 老いた目元とは対照的に、吸い込まれるように大きく、潤んだ瞳だ。

 

「あなたは、私たちナンバーズの繋がりを利用して、鉄雄君に、力を授けた。」

 

 少女が手を翳し、私に向けた。

 その掌には、「25」と刻印されている。

 

「あなたから授かった力を、鉄雄君は、もっともっとたくさんの人に行き渡らせた。あなたとの約束を守ったのね。でも、水がより大きな川へ、そして海へと行き着くように、力は、やがて最も大きな渦へと引き寄せられていくの」

 

 ああ、その通りだ。

 私が授けた力だ。最後には、私へと帰結する。

 

「そういう未来もあった。けれど……違うの」

 悲しそうに、25号が首を振った。

 

 どういうことだ?

 私は首を傾げた。

 

 計画は完璧な筈だ。

 幻想御手によって、無数の脳同士を繋ぐ、巨大な演算ネットワークを創造する。

 そして、そのアーキテクチャの頂点に立つのは、この私だ。

 今なお苦しみ続ける、子どもたちを救うために。

 

 私は、25号の華奢な両肩を掴んで揺らした。

 揺れる25号の頭が、メモリが足りないコンピューターのディスプレイのようにいくつもの残像を作った。

 

「総ての力は、鉄雄君でも、あなたでもなく。アキラ君へ集まるの」

 無数の25号が、口を揃えて言った。

 私は悪寒を覚え、彼女の肩から両手を離す。

 

 凄まじい腐敗臭が鼻を衝いた。

 ゴボゴボ、という豪雨時のマンホールのような音がして、振り返った。

 

 大腸に突っ込んだ内視鏡に映る様な、ぬらぬらと鮮やかな光沢を放つピンク色が視界いっぱいに膨らんでいた。

 島鉄雄が、巨大な肉塊となって立ち上がる。

 

 びたびたと音を立て、老廃物と細胞分裂を続ける肉片と莫大な体液のポタージュが雨あられと降り注ぐ。

 

 島鉄雄は、自身の身体が築いた見上げるような頂、そこに超音波検査(エコー)の画像から飛び出て来たと思しき胎児様の頭部を形成していた。

 ほぎゃああああと産声を轟かせている。

 

 島鉄雄が、その肉塊に無数に生えた、何千人という人間の頭部が、レベルアッパーによって接続し合ったネットワークその仮想シナプスを介して同調し叫んでいる。

 

 アキラ。と名を呼ぶ

 アキラ。アキラ。私も叫んでいた。アキラ。アキラ。アキラ。アキラ。

 アあああああああああああぁぁぁぁぁぁキキキキききききいいいいいいいぃぃぃぃぃぃラララララららららららああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ

 

 

 

 私の目の前に、島鉄雄の身体が膨張して迫る。

 私が四方からの凄まじい圧力に潰される瞬間、遥か先に、或いは目の前に、幾何学的構造が垣間見えた。

 

 二重の、

 10の塩基で一回転の、

 2対のポリヌクレオチドの、

 W&C。

 (CaO)3(SiO2)。

 その砕片。

 

 倒壊したビルの上で、一人の少年が、両の掌を光差す天に向け、念動力(テレキネシス)によって瓦礫の螺旋を描いていた。

 

 

 

「ああああああああああ!!!!!」

 

 自分でも正気を疑う位の叫び声を上げて、私は、目を覚ました。

 

 

 

 

 

 7月20日(木)、未明 ―――第七学区、水穂機構病院

 

 木山春生は、自分自身の息遣いがこんなにもよく聞こえるものなのかと驚いていた。

 

 悪夢にうなされた人間は、息を荒げ、悶え苦しみながら跳ね起きる。フィクションでよくある描写だ。しかし、今の自分自身は、ただベッドに仰向けに横たわっている。その一方で、心臓はばくばくと早鐘を打っている。激しい拍動と周囲の静けさとの対比が、却って先ほどまでの悪夢を嫌というほど思い起こさせる。

 木山は、怪我をしていない方の片手をついて半身を起こした。じんわりとシーツが湿っている。思わずガウンの襟元を掴んで引き寄せた。アンモニアと酢酸、メチルブタン酸の混合した臭いが鼻を衝く。悪夢の中で感じた、やたらとリアルな肉塊の腐敗臭を思い出し、木山は顔を顰めた。

 

 辺りを見回すと、そこは昨晩眠りについた時と、特に変わりのない個室病棟だ。窓からは七学区中心街の街明かりが差し込み、青白く室内を照らしている。

 窓?木山の中で、違和感が頭をもたげた。

 

その時、部屋の出入口の扉がノックされた。

 

「木山先生?入りますよ?」

 入って来たのは、夜勤の看護師だった。

「すみません、呼ばれてもないのに……けれど、大分うなされていたようでしたので。廊下まで声が漏れ聞こえてきましたよ」

 

「それは……すみません。迷惑をかけてしまったようで」

 

「そんな、迷惑だなんて、とんでもない」

 中年の人の良さそうな雰囲気を漂わせている女性看護師は、優しい声色で言った。それから、グラスをベッド近くのデスクの上に置いた。

「水、ここに置いておきますね。飲んでください」

 

「ああ、ありがとうございます」

 

「……無理もないことですよ」

 

「何が?」

 看護師の言葉の意を捉えかねて木山は聞き返した。

 

「お辛い経験をなされたのですから」

 木山の左肩を見つめながら看護師が静かに言った。

「仕事熱心なようですけど……本来、身体はもちろん、心にも休息が必要なんです。無理せず、充分に療養なさってくださいね」

 

「お気遣い、どうも」

 木山は、自身が徐々に苛立っていることを薄々自覚していた。

 看護師の心配はありがたいことだったが、今は独りになりたかった。

 

 木山の心情を他所に、看護師は腰に手を当てて、なおも口を開く。

「アーミーの司令官、クビになって、学園都市(ここ)を去るってニュースになってましたし、アーミーの部隊の規模自体も、大幅に縮小するらしいです。当然ですよ。先生の受けた仕打ちを思えば……」

 

「ええ」

 木山は短く返事した。

 

「……ああ、私ったらつい長く話してしまって……ごめんなさいね、助けが要れば、遠慮なくコールしてくださいな」

 看護師はそう言い、木山に背中を向けた。

 

「……あの」

 木山は、部屋を去ろうとする看護師の背中を呼び止めた。

 

「はい?」

 看護師が振り返る。

 木山は、聞こうか聞くまいか逡巡した後、意を決して口を開いた。

 

「私がうなされていたと、大声で……言っていましたか?その、何か意味のある言葉を……」

 

 看護師は、やや上を見上げて考え込んだ。

「ああ、そうですね……何か、名前を呼んでいましたよ」

 

「名前?」

 木山は、嫌な予感がした。

 答えの続きを聞きたくない。すぐにでも耳を塞ぎたい気分だった。

 

「ええ」

 木山の思いとは裏腹に、看護師は言葉を続けた。

「確か……『アキラ』って、何度も……ご家族か、誰か、お知り合いの方?」

 

 木山は、脳天をハンマーで思い切り打たれた気分だった。

 

 

 

「くそっ!……」

 看護師が出て行った後、木山は、ガウンの裾を握り締めて、悪態をついた。それから、着ている服を乱暴に脱いでいく。左腕が思うように動かないため、骨の折れる作業だった。ナイトブラのフロントパネルが、じっとりと濡れている。その湿り気は、今の木山にとって、ただただ嫌悪でしかなかった。とにかく、この嫌な気分から少しでも抜け出ようと、木山は下着を付けず、直に新しいガウンを引っ張り出して羽織った。

 

 どういうことだ。

 木山は、看護師が口にした名前を反芻した。アキラ。アキラ。

 ダメだ。

 思い浮かべる程に、不安感が重石のように圧し掛かる感覚があり、木山は頭を振った。

 

 アキラの名前は、確かにアーミーのラボで耳にした。しかし、あれは大西たち黴臭い研究者共の世迷言に過ぎないと思っていた。自分はアキラに直接会ったことはないし、資料も目にしていない。第一、過去の実験対象となった実験体(ナンバーズ)の一人に過ぎない筈だ。自分には、一切関係が無い。

 

 それなのに。

 木山は、看護師が置いていったグラスのミネラルウォーターを一息で飲み干し、口元を拭った。

 

 夢の中にも、確かにその名が現れた。何人もの人物が。異形の姿と化した島鉄雄が、その名を呼んでいた。

 それだけではない。昨日夕方に自分のもとを訪れた風紀委員(ジャッジメント)が言っていた。曰く、幻想御手(レベルアッパー)の使用者が昏睡状態に陥る際に、口にした名だと。

 

 洗面台に立った木山は、自身の顔を睨みつけた。

 不健康で、街明かりと同じように青白い顔。目の下の隈は、一向に消えないどころか、よりはっきりとしてきた気がする。

 

 ここのところ、眠れない日が続いている。レベルアッパーのネットワークの形成状況を分析することに執着し、夜遅くも作業している。しかし、それだけが原因ではない。

 悪夢だ。先ほど見た悪夢は、初めてではないのだ。今までにも何度も見ていて、それがどんどん鮮明になっているのだ。

 

 水道水をグラスに汲み、再び水を飲むと、木山はベッドまで戻った。

 街明かりが、窓からしんと差し込んでいる。

 

 明かり?

 木山は、看護師が入る前に一瞬感じた違和感の正体に気付いた。

 

 眠る前に、自分はカーテンを閉めた筈だ。なぜ開いているのか?

 木山はベッドを回り込み、窓に手をかけた。

 

 カビ臭を隠し切れないクーラーの送風とは異なる、心地よい夏の夜風を頬に感じた。

 ほんの僅かだが、窓の端に隙間があった。

 木山が窓を全開にすると、風に髪が揺れ始めた。

 

「まさか……25号」

 ラボで相対したことのある、寝たきりのナンバーズの少女(と言っていいのか木山には計りかねたが)。

 先ほど見た悪夢には、彼女が現れていた。

 まるで、自分と現実のように会話していた。

 

 夜風が、木山の汗を乾かし、思考を覚醒させていく。

 木山は踵を返すと、デスクに向かい、コンピューターを立ち上げた。

 

 レベルアッパーの被影響者の数は、既に1万人にまで迫ろうとしていた。

 ネットワークが拡がれば拡がる程、木山に与えられた能力は一層高まる。

 

「原因を究明しなければ……そのためにも……そちらが干渉してくるというのなら……私だって黙っていないさ」

 木山は、取り憑かれたように画面へ目を走らせながら、呟いた。

 

 行動を、予定よりも早めに起こす必要があると、木山は徐々に確信を強めていた。

 この計画を、邪魔される訳にはいかないのだから。

 

 

 

 

 

早朝 ―――第一二学区、ミヤコ教団 本部

 

 

 

 東の空が白みがかって来た頃、敷地内の一画で、修行を始めて間もない若き神官達が集まって騒めいていた。

 

「何事?」

 白装束に身を包んだ3人の少女がそこへ現れた。その内の1人であるサカキが、近くにいた双眼鏡を首からぶら下げた若い神官に問い掛けた。

 

「あっ、サカキ様、おはようございます。これは―――」

 

「こんなとこで油売ってていーの?」

 天然パーマを揺らしながら、モズが悪戯っぽく言った。

「朝の勤行、サボったら修養長にドヤされるんじゃないの?」

 

「いや、モズ様。でも、あそこに、ホラ……」

 言葉に詰まりながら若い神官が指差した先には、教団の象徴たる神殿が見える。その屹立した塔の最上部に当たる突起部分に、何かが引っかかっている。

 

「貸して」

 神官よりも背の高いミキが、有無を言わせない口調で言い、返事を待たず双眼鏡を手にした。

 

「……人形……いや、人、だね」

 

「嘘ォ!!」

 唸るようなミキの言葉に、モズが口を押さえた。

「けど、あんなとこにどうやって?」

 

「事情はよく分かんないんですけど、とにかく、空が明るくなり始めたら、何かがあそこに引っかかってるって騒ぎになって……」

 神官が困ったように言った。

「一応、専門の外壁塗装業呼んでるんですけど、この時間帯じゃあすぐ駆け付けてくれる訳もないし……第一あんなとこにいるあの人を、どうやって下ろすのかって。とにかく危ないから、何とかしなきゃって」

 

「ミキ」

 サカキが仲間に声をかけた。

「ちょっとここからじゃ距離がある……()()()()もらえる?」

 

 ミキは黙って頷くと、サカキを軽々と肩に担ぎ上げて、集まっている神官たちを掻き分け、前へ進み出す。

 

「え?ちょっと―――」

 双眼鏡を取られた神官が、呆けたような声を出す。

 

「だいじょーぶだよ」

 モズが安心させるように、神官に隣から言った。

 

 さざめく神官たちの前で、サカキを担いだミキが猛然と走り出す。

 その走り方はやがて飛び跳ねるような大股のものになる。槍投げと走り高跳びの助走を混ぜたような姿だった。

 ミキが気合の乗った叫び声と共に地を踏みしめると、次の瞬間、サカキが斜め上方へと飛んだ。

 

「サカキもミキも、とーっても強いんだから!」

 呆気にとられる若い神官の隣で、モズは笑った。

 

 サカキは自身の周囲の気流を操り、神殿の屋根を2度、3度踏み台にして、たちまち尖塔の先端へと辿り着いた。

 サカキが生み出す激しい気流によって、引っかかっていた物の纏う服がはためき、その拍子に何かが光ったのが、地上にいるモズにも見えた。

 ちょうど、朝陽が東の地平から顔を覗かせた所だった。

 サカキは塔に引っかかっていた人型の物を抱きかかえて離れ、空中を飛ぶ。それから徐々に緩慢な速度となり、元居た広場へと降り立った。

 

 自然と、修行もそっちのけで見物していた神官たちの群れから、拍手と歓声が波立った。

 

「サカキ!」

 モズとミキが駆け寄ると、サカキは抱きかかえていた物を地面に下ろす。

 すると、それは脱力したようにへたり込んだが、鳶足の形で姿勢を保った。

 

「生きてる」

 サカキが言うと、モズとミキは目を丸くした。

 

「……十字教」

 ミキが低く呟くと、サカキは目つきを鋭くした。

 サカキ達とほぼ同じ背格好のその人物は、純白の修道服らしき物を身に纏い、頭には一枚布のフードを被っている。銀髪と言えるだろう滑らかで輝くような髪は長く垂れ、俯いた顔を隠し、明らかに異国の雰囲気を醸し出していた。

 モズは、その長い髪を軽く手で除けるようにして、顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫―?あれ!」

 

「どうした?」

 サカキが聞くと、モズは振り返って笑顔を浮かべた。

 

「こっこの子……!(ちょォ)ーかわいいンだけど!!お人形さんみたい!」

 

「はァ?」

 ミキが顔を顰め、サカキは咳払いした。サカキは膝をつき、修道女らしき人物と顔の高さを揃えた。警戒の色を絶やさず、慎重にサカキは言葉を選んだ。

「オイ、アンタ、一体なぜあんな所に……怪我は―――」

 

「おなかへった」

 

「え?なんだって?」

 聞き取れない程の小声で何事か呟いた相手に対し、サカキが聞き返す。

 

 その人物は、ゆっくりと顔を上げた。

 緑色の瞳が、サカキを捉えた。

 白い肌。その端正な顔つきの少女が口を開く。

 

 

 

「おなかへった、って言ったんだよ?」

 

 サカキも、ミキも、モズも、周りの神官達も、その一言に呆気にとられ、暫し言葉を失った。

 

 徐々に熱をもたらす朝陽が、少女の衣服に縫い付けられた金糸の刺繍を、静かに煌めかせた。

 


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