「このブールは美味しいね!てっきり
「ごめんよー、すぐに用意できるのが、配布用のパンしかなくって……でもキミ、今にもおなかと背中がくっつくぞ!って勢いだったし?」
「ううん、無償の施しで頂ける
「ところがどっこい、ぶどう酒はございませんからねー!いやぁ、それにしても、ほんッといい食べッぷりで、あたい、見てるだけで癒されるわー!インデックスちゃん!」
早朝に、空高く尖塔の切っ先に引っ掛かっている所を救出された、外国から来たと思わしき修道女風の装いの少女は、流暢な日本語で空腹を訴えた。今、少女は朝の陽光が差し込む和室で、炊き出し用のパンを頬張りながら、年が近いであろうモズとお喋りに興じている。外見は小学生程にも見えるし、10代半ばにも思える。しかし、ひたすら食べ物を口に詰め込みつつお喋りに興じる、その言動は、ミヤコの懐刀である3人の娘にとって、随分と幼く感じられた。
「ところでここは……
窓の外、広場に列を為す人々をちらりと見て、インデックスが言った。
「まあ、神仏習合してんのはそうなんかな?割とゆるめだよ、アタイらは」
ハムスターを思わせる程にインデックスが膨らませている頬を悪戯っぽく見つめながら、屈託なくモズが答えた。
「ここんとこね、職を失って困ってる人が増えてね。そういう路頭に迷った人たちのために、朝こうやって食べ物を無償配布することもあるんだ。そのパンなんか、近くのベーカリーから譲り受けてるんだよ」
「時間かけて焼き上げたのが分かる柔らかさに、仄かな甘み……このインデックスの深き腹も満たされるってものなんだよ!
「でしょでしょ!
「へえ~!それって
「どう考えても……怪しいな」
楽しそうに会話に興じる二人を遠目に、サカキが疑いの目を向けて言った。
「『
「競合宗教からの差し金かもしれない」
同じく、警戒の色を顔に浮かべて、ミキが囁いた。
「十字教系列の……
「無理もない、今は平日朝だ。アンチスキルも動きは早くないだろう」
自身の顔程もある巨大なブールにストロベリージャムを塗りたくるインデックスに向けて、目を細めながらサカキが答えた。
「あたしたちもぼやぼやしてられない。ミヤコ様のお手を煩わせる前に、何を企んでいるのか吐き出させて―――」
「それには及びまいて」
背後からの飄々とした皺枯れ声に、サカキとモズは途端に居住まいを正し、振り返った。
「声で分かるわい。何とも可愛らしい客人だこと。さながら西洋人形だろうの」
黒髪を巨大に結い上げた老婆、ミヤコは、サカキ達が用意した脇息に肘をつきながら、インデックスに向かって話す。
「ミヤコと言ったね?あなたは……ここの主?」
「いかにも。
インデックスの言葉遣いに思う所があるようで、背後でサカキが顔を顰めたが、ミヤコは気にも留めず首肯した。
「お恵みに感謝申し上げるんだよ。お陰で、右も左も分からない街で行き倒れる心配は、一先ず無くなったんだよ」
「ホ。それはそれは、僥倖よの」
相変わらず独特な口調ではあるものの、しおらしく正座しているインデックスは、ミヤコに向かって頭を下げた。ミヤコはその様子があたかも見えているかのように笑みを浮かべた。
「して……神官らから聞く所によると、お主、拝殿の塔の切っ先に……あぁ~、なんじゃ、サカキ、何と言えばよい?」
「ハッ、凧のように引っかかっておりました、ミヤコ様」
「おぉ、それそれ」
空を指差す仕草をして、ミヤコはサカキの言葉に何度も頷いた。
「為してそのような所におったのかの?神妙不可思議じゃて」
ミヤコの疑問に、インデックスはなぜか頬を膨らませた。
「感謝を述べた後で恐縮ではあるけど、いくらなんでも、他人を忌むべき海産生物の筆頭たる
「あいや、すまん、
「同じ発音なの?日本語って難しいんだよ」
きょとんとした様子のインデックスを見て、我慢しきれなくなったサカキが口を開いた。
「いい加減にしろ!ミヤコ様に対して傲岸不遜な!」
「構わぬ。お前達、もう支度せい」
ミヤコは片手を挙げてサカキ達を制した。
「ですが……」
「わしの愛娘達が、遅刻やら欠時やらをこれ以上重ねるのは、あ~、わしとしても、ちと立つ瀬が無いでの……いや、半分以上わしの使いの所為だというのは分かっておるよ?故にじゃ、故に」
「なら、ミヤコ様から学園長に一言申し伝えて頂いて―――」
「馬鹿を言うでない」
少し悪戯っぽく言ったモズに対して、ミヤコはぴしゃりと言った。
「ホレ、早う行け、行けい」
ひらひらと手を振るミヤコを見て、3人は幾何か顔を見合わせた後、一礼した。
サカキは、顔を上げた瞬間、ちょこんと座るインデックスに対して痺れるような視線を送った。
そして、3人は部屋を出て行き、後にはインデックスとミヤコのみが残った。
異国の幼い修道女と、大垂髪の老婆という異形の組合せが対峙する。
先に口を開いたのはミヤコだった。
「……のう、インデックスとやら。年端もいかぬ女子一人が、何故、暁にあのような所に現れたのか。ましてやお主は、十字教の門徒と見ゆ」
ミヤコは、身をインデックスの対峙する方へと乗り出した。昔ながらの斜光眼鏡が、まっすぐにインデックスを捉えている。
「大方、訳アリじゃろう?我々に用向きがあるのなら、話せ」
インデックスは、先ほどまでの大食らいとは打って変わり、落ち着いて静かにミヤコに視線を返している。
「……私から言える事は少ない」
喉が渇いたような、どこか掠れ気味の声だった。
「私は追われてここに来た。私が持っている知識を守るため……私を追っている連中の正体は推測だけれど、どこかの敵対魔術結社だと思う。必死で、逃げて……あんな高い所に行き着いたのも、成り行き」
「ほう、魔術とな」
興味深そうにミヤコが相槌を打つ。
「食べ物をくれて感謝しているよ、ミヤコ様。あの白い女の子達もね。でも、このまま長居すると、きっと追っ手が現れて、あなたたちにも迷惑をかけてしまう」
「では、何処へ?」
顎をさすりながらミヤコが聞くと、インデックスは暫く目を伏せた。
「……教会へ。私はこの街に来るのは初めてだけど、ここ一帯は霊的な力が満ちているのを感じる。ねえ、ミヤコ様?この辺りにイギリス清教の教会はある?」
「
「西、ね」
ぺこりと頭を下げると、インデックスは立ち上がった。
「ありがとう。恩は忘れないよ」
「なに、大したことはしとらん」
くっくっと笑い、ミヤコが言った。
「忘れない、などと気張らずとも良い。人は、いつか忘れる衆生よ……」
立ち上がったインデックスは、何か思う所があるようにミヤコを見つめた。
「ミヤコ様は、変わってるね」
「この神殿一つ、こさえた主じゃからの」
冗談めかしてミヤコが答えた。
「私のこと、もっと問い詰めないの?」
「どういうことかのう?」
「……本当に興味が無いのなら、もちろんそれはそれで、いいのだけど」
インデックスは、自身が纏う、白銀の修道服に視線を落とした。
「異教の指導者なら、のこのこ飛び込んできた私を、私が持つ価値ある物を、ただ野に放つ訳はないと、思ってたんだ」
降り出しの雨粒のように、インデックスは言葉をぽつりぽつりと零した。
ミヤコは、口元に小さな笑みを浮かべた。
「お主が居るべき場所は、ここではない」
静かな、しかしはっきりとした声だった。
インデックスは顔を上げる。
「お主自身の未来は全く見えん。大方、その
ミヤコの言葉に、インデックスの目が見開かれる。
「流れじゃ……この街が、この世界が向かう先に目を凝らすと……どことなく分かるのよ。インデックスとやら。お主は先へ進むとよい。そうすることが、お主自身に新たな道をもたらすであろうよ」
インデックスは、あどけなさとは裏腹の、凛とした真剣さを顔に浮かべ、ミヤコを見つめた。
「……教会の
「はは、教祖直伝じゃぞ」
笑い声を上げて、ミヤコが言った。
「有難く受け取れい―――おお、そうじゃ」
ミヤコは、引き戸の向こうへちらりと目をやった。
「お前達―――この者を
「えっ?」
インデックスが見ると、開けられた戸の先に、再びサカキ達3人が姿を現した。
「第七学区でしょ!夏季講習ナシってことで、OK?」
モズが黄色い声を上げると、ミヤコは僅かに首を傾げた。
「すまんのう、やっぱりわしの御遣いを頼まれてしもうて。学園長にはよーく伝えておくでな」
「でも、ミヤコ様―――」
インデックスが当惑した声を上げる。
「案ずるな。僧共だけでなく、
ミヤコが言ったが、インデックスは不安そうな表情を崩さなかった。
「でも……」
「それに、この娘らは、お主が思うより、よく鍛錬を積んでおるぞ」
「ミヤコ様の命とあらば」
サカキが部屋へ入り、インデックスを真正面から見つめた。ちょうど同じくらいの背の高さだった。
「お前を目的の地まで送り届ける。どんな事情があるかは知る所ではない。気遣いは無用だ」
インデックスはミヤコとサカキ、モズ、ミキへと忙しなく首を振って、それから深々とお辞儀した。
「……どうもありがとう」
消え入るような声だった。
「外に車を用意してある」
ミキが低い声で言った。
「行こう」
サカキに促され、インデックスはもう一度ミヤコへと振り返り、礼をすると、部屋を出て行った。
(……もしも追っ手が現れたなら、どのような手の者かを観て、報せよ)
(ハイ)
ミヤコが、
(無理にあの修道女を
(御意)
サカキは応え、踵を返して仲間とインデックスの後を追った。
入れ替わりに、神官が2名部屋に入り、ミヤコが立ち上がるのを支えた。
「異能が通じん……そう、あれはまるで……『幻想殺し』のようにな……」
ミヤコの呟きは、隣で腕をとる神官の耳にも入らないほど、小さなものだった。