【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

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 やってしまった。

 神裂火織の額から、汗が流れた。

 今日会ったばかりの異教の祖であるミヤコを、「七閃」をもって斬ってしまった。

 どういう絡繰りか何らかの術か、彼女は自分の出自まで知っていると仄めかした。過去を言い当てられた怒りか、底の知れない相手に対する恐怖か。

 神裂は、必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔術師として、18才にして多くの任務をこなしてきた。相手の命を奪ったことも初めてではない。しかし今回は、斬ってみれば、相手は既に床に倒れ伏し、赤黒い血溜まりを作る、ただの生身の老人だった。

 相手方が「禁書目録」を狙う異教徒であるといえど、あまりにあっけなかった。

 自分は何か思い違いをしていたのではないか?

 

 焦りに駆られ、神裂は周囲を見回した。

 7人の神官たちが、自分を取り囲むように立っている。

 

 妙だ。

 神裂は、形容し難い違和感を覚えた。

 教祖を屠られたというのに、神官たちに全く取り乱す様子がない。

 憤りに顔を歪めるでも、自身の圧倒的な力に恐怖するでもなく、ただ立っている。

 その表情は、一様に冷静そのものだった。

 

「私の『七閃』は」

 不気味な沈黙に居たたまれず、神裂は周囲の神官へ言った。

「一瞬の間に七度殺すことができる。あなた方をまとめて斬り伏せることだってできます」

 右手は七天七刀の柄を握り、いつでも再び居合できる体勢だ。

「最早、刀は既に一度抜かれました。こちらは覚悟ができています。あなた方はどうなのですか。大人しく、禁書目録をこちらへ引き渡しなさい。保護させてもらいたいのです」 

 

「やはり、込み入ったワケあり、のようじゃのう」

 心臓が跳び上がった神裂は、唐突に声をかけられた方へと振り返った。それと同時に「七閃」を放とうとしたが―――できなかった。

 右手が、動かない。

「……ミ、ヤコ……ッ」

 

「言ったであろう?我々程度では敵わぬと。やはりお主のその技―――剣技なのか魔術なのかは分からぬがの、()()()()()()()にはとてもとても捉えられなんだ。大したものよ、ホッホッ」

 先ほど切り捨てたミヤコと、顔から背格好、服装に至るまで、全く同じ容姿をした老婆が、2人の神官を横に従えて現れた。その口調は、訪問者(神裂)が旋風の如く部屋を破壊していることなど、まるで意に介していないようだった。

 

「しかし、これは……」

 神裂の右手が、七天七刀の柄から離れ、不可視の力によって強引に床へと押さえつけられる。それに引きずられるように、神裂は膝をついた。神裂は目を見開いて自身の右腕を見る。雪のように白い肌に、青く血管が浮き出ていて、これから静脈血を採るかのようだった。

 

「お主の攻撃の引鉄を見極めたかったのでな。ひとまず、その太刀は抜かんでもらえるとありがたいのじゃが」

 

 神裂が焦って周りを見渡すと、先ほどまで突っ立っていた神官たちが、一様に目を瞑り、両掌を神裂へと向けていた。

 

「……皆、術者という訳か……」

 

学園都市(この街)でいうところのテレキネシス(念動力)というヤツかのう。お主らは勘違いしとるようじゃが、わしらが持つ()()()()()()()は、魔術というよりも科学的な方策によるものであるからして。個々の力はか細い蝋燭のようなものじゃが、要はその使い方よ。合わされば、より大きな(ほむら)となる」

 

 「2人目の」ミヤコに従って来た2名の神官は、担架を持ち、先ほど神裂が斬り捨てた「1人目の」ミヤコの躯を乗せる。もはや息はないようで、担架から皺だらけの片腕がだらりと垂れ下がった。心なしか、神裂が相対していた頃より一気に痩せこけたように見える。神官は始めから死体を運ぶ作業を命じられてきたのか、他の能力を行使する神官とは異なり、解剖医のような白衣をまとっていた。その白い生地に、べっとりと赤黒い血がついた。

 その様を見ていた神裂は、別の違和感を得る。床に走る七閃の痕は、ある一戦を境に途切れている。ミヤコが先ほどまで背にしていた、光を象る巨大な浮彫(レリーフ)に、全く届いていなかった。 

 

「それは、影武者か……」

 

「目に見える物だけを全てと思わぬことじゃ」

 神裂の呟きを、ミヤコが拾って言った。

「こう見えて、命を狙われることはこれまでにも度々あったのでな。備えあればなんとやら、よ」

 今ここに立つミヤコの横を、瓜二つの遺骸が担架に運ばれて通り過ぎていくが、ミヤコは全く気にも留めない。

 

「私を試していたのですか。初めから」

 

「人聞きの悪いことを」

 ミヤコの声に、神裂は初めてはっきりとした憤りを感じ取った。

「他所様の家に突然押し入って、家人を人攫いと決めつけた上、斬って捨てたのは誰だ。若い者は気が(みじこ)うてかなわんわい」

 

「……まさか、これで勝ったつもりですか」

 神裂は荒く息をつきながら言った。

「今はあなた方の力で抑えられていても、私はロンドンでも十指に数えられる魔術師。ほかにもやりようはあります。繰り返しますが、我々は、()()()なのです」

 

「そうじゃのう、今、ここにいる数名で抑えられてはおるが、まさかこれがそちの限界ではあるまい。お主の言う通りであろうよ」

 ミヤコが、膝をつく神裂の前に立って言った。

 

 神裂は、目の前の老婆を睨みつける。

「先ほどの人形が代わり身であるなら、次の手を打つまで。私はこの楔を絶ち切り、あなた方全員を倒す。禁書目録(あの子)を取り戻すためです」

 

「ああ、そうよの。お主なら可能であろうな」

 ミヤコが、よりはっきりした声で言った。神裂の返答に対するその口調は、どこか満足そうだった。

「じゃが、今一度言う……目に見える物だけを全てと思うな」

 上階まで吹き抜けとなっている、広大な空間に響くのは、ミヤコの声と、神裂の息遣いだけだ。

「ここにいる数名による戒めであれば、お主がもう少しばかり力を現せば、容易く突破できるであろう。じゃが―――我らには、数多の(ともがら)がおる。それをも、全て斬り伏せる覚悟か?神の使いたるお主が、心を悪鬼とするか?」

 

「敵とあらば」

 神裂は歯を食い縛った。同時に、神官達が及ぼす束縛を打破する術を思考する。

「それが、ネセサリウスの一員たる、私の務め―――」

 

「それが、無辜の民であってもか?」

 

「無論―――今、何と?」

 

 神裂の言葉に動揺が現れ、ミヤコが、僅かに唇の端を歪ませた。

 それから、唐突にミヤコが神裂へ背を向け、歩き出す。

「お主の意志は、よう分かった」

 

 神裂は、ふっと体が浮き上がるのを感じた。

 手は相変わらず、刀に届かない。

 そのまま神裂は、静寂の中、ミヤコの後を歩かされる。

 

「それほどまでに、あの娘を護りたいと願うのならば、行くがよい。お主はここで(たたこ)うている場合ではないぞ」

 

 ならば、行き先を教えろ―――神裂は反論しようとしたが、なぜか声が出ない。

 首元を締め付けられている感覚があり、足が勝手に前へ進む中、神裂は目だけで周囲の神官を睨みつけた。

 これも、こいつらの仕業か―――?

 

「それでもなお、刃を向けるというのなら―――」

 たどり着いた先で、ミヤコが足を止め、神裂を振り返った。

「―――我ら全員の屍を超えて行け」

 

 神裂は、ミヤコの横に並び立たされた。

 そこは、先刻ミヤコが信者に向かって手を振ったバルコニーだった。

 神裂は、眼下の広間を見て、息を呑んだ。

 

 無数の目が、神裂を見ていた。

 ミヤコに向かって縋り、歓喜の声を上げ、祈りの言葉を垂れていた数百人の信者たちが、今、全く音を立てず、ただ神裂を見ていた。

 その顔は一様にただただ無機質であり、何の感情も読み取れない。

 全て、意思を奪われ、操られているように見えた。

 注目を一身に浴びて、神裂は喉が急激に乾いていくのを感じた。

 視線の一つ一つに、神官の手から発せられるのと同じ「力」が込められていた。

 

「誰もが、偶々今日ここに集った者」

 いつの間にか、神裂の背後に回っていたミヤコが言った。

「我らを倒そうとするなら、彼らもまたお主の敵となろう。命を投げ打つ者たちじゃ」

 

「ッこんな―――これは!」

 神裂に声が戻った。ひどく狼狽した声が出た。

「人柱だ―――幼子までいるというのに、市民を盾にするなど、許されることでは―――」

 

「我々の教義では―――」

 ミヤコの声は淀みない。

「こう教える。人は誰しも、『上層』へと辿り着かんとする望みを秘めておると。それが、『触媒』としての原動力じゃ。一度(ひとたび)火花が散れば、それらは互いに火を灯し合い―――やがては、『聖人』にも抗い得る力となる。

 のう神裂よ。お主らは、イギリス清教であろう?おおよそ500年もの歴史を辿る、十字教の一翼。わしらといえば、お主らに比べれば、島国のちっぽけな一団に過ぎぬ。しかし、お主ら魔術師がその大杖を振ろうとするならば、我らは出来得る手を尽くして反抗する。覚えておけ、窮鼠は猫をも噛むぞ」

 

 神裂はうなだれた。

 ここに集っているのは、何の落ち度も無い市民であり、彼らの尋常でない様子は、恐らくミヤコと神官たちの術によるものだと、神裂には察しがついた。

 神裂の手が震える。

 為そうと思えば、七天七刀を抜き、技を発動し、辺りを血に染めることもできたかもしれない。 

 神官たちの手は、既に下げられていた。

 しかし、神裂の戦意は、とうに喪われていた。

 

「あの修道女(シスター)は、西へ向かった」

 俯く神裂に近づき、ミヤコが静かに言った。 

「七学区と呼ばれる街がある。そこには、お主らイギリス清教の出先があった筈じゃろう。彼女はそこを頼ろうとしておる」

 

 神裂は、ひどく疲れ切った顔を上げた。

「……しかし、あれはただの出張所に過ぎない。裏の顔を知らないのです。そこにいる神父は、魔術師の『ま』の字も知らない」

 

「だとすれば、尚の事」

 ミヤコが言った。

(はよ)う追いかけるがよい。ただし、ここを去るにあたり、ひとつ条件があるでの」

 

「条件?」

 

「ああ」

 ミヤコが言った。

「今しがた入った報せによれば、修道女は既にわしの娘たちの手を離れておる。じゃが……お主の仲間がの、未だ疑念をもって娘たちを制圧せんとしておるようなのだ。赤髪の、(かぶ)きたる風貌の、大男だという。なれど、これは不運な誤解に基づくもの。そうじゃろう?」

 

 神裂は、横目でミヤコの顔を見た。

 赤黒い眼鏡に、自分のひどく弱った顔が映っている。ミヤコが口を開く。

「互いに、無益な戦は止そうではないか。のう?」

 

 盲目とは聞いている。しかし神裂は、ミヤコに全てを見透かされている気がしてならなかった。

 はち切れんばかりの不安に耐えきれず、神裂はその場を脱兎の如く駆け出した。

 

 信者と神官の顔が、全て、その背中を追っていた。

 

 

 

 

 神裂がその場を去って、しばらく後。

「……奇跡だ」

 信者の間から、誰となく、声が上がり始めた。

「い、今、何が起きたんだ」

「光が、光が、見えた―――」

「なんだか、すごい幸せな気分だったような……」

「これが……救いなのか!」

 

「ミヤコ様!」

「ミヤコ様!」

「ミヤコ様!」

 

 先ほどまでの静寂はどこへやら、信者たちは皆、感極まってミヤコの名を呼んでいる。

 その信者たちに手を振ると、ミヤコは背を向け、()()()()、己の足で歩き出した。

 

「……肝が冷えましたぞ」

 高位の神官が一人、ミヤコの傍に寄り、声を潜めて言った。

 

「なあに、ちいっとばかし脅かしただけのことよ」

 ミヤコは、からからと笑いながら言った。

「あやつは……そこまで鬼畜生の心の持ち主ではないと分かっておったからの

 寧ろ……仲間の若造よ。愛娘に傷をつけようものなら、ただじゃおかん」

 

 後半の言葉に込められた語気の強さに、側近の神官はごくりと唾を呑んだ。

 

「……『身代わり』を補わねばのう」

 ミヤコが世間話でもするかのように、軽く言った。

「目ぼしい者は居るかえ?」

 

「今日集っている者の中に、齢八十程の、身寄りがなく、戸籍も随分前に売り払ったという女がおります」

 

「おう、それじゃ」

 ミヤコは、軽く人差し指を上げて言った。

「早い内に、()()()()()おくように。『アキラ』のことといい、あの『修道女』のことといい、命は大いに越したことはない」

 

「……はい」

 密かに冷や汗を流している神官の心情を知ってか知らずか、ミヤコは信者たちの歓声を背に歩いていった。

 

 

 

 どれくらい走っただろうか。

 神裂は建物と建物の間の路地に入り、冷たい壁に手を突いて息を切らした。

 ミヤコ教の神殿から逃げ出した後も、すれ違う住民の視線が自分に向けられている、そんな不穏な感触を振り払えずにいた。

 今の自分は、片脚だけ大胆に短くしたジーンズに身の丈を大きく超える七天七刀を腰に下げているという状態だ。刀はともかく、服装は術式の発動の効率に関わることだが、ただでさえ、この街ではあからさまに異物感を出す外見だ。

 いや、あれだけの信者をマインドコントロールするミヤコのことだ。ひょっとすると、この街の住民全員を操ることができるのかもしれない。

 

 紆余曲折あったとはいえ、インデックス(仲間)の行き先を聞き出すことはできた。だとすれば、ミヤコの配下にも、この国の警察組織にも目を付けられる前に、武器を隠し、早い内に去ることが得策だ。

 

 早鐘を余韻の様に鳴らす胸の内に、先ほど神殿で呑まれた悪寒がまだ残っているようだ。

 それを悟られぬよう、神裂は首を何度か振ると、携帯電話を取り出し、同僚へと繋いだ。

 

「―――ステイル。あの子の行き先が分かった―――」

 

 




 展開が遅いのは自覚していますが、いざ書き始めるとあれもこれも入れたくなってしまいます。
 魔術師関連は次話で区切る予定です。

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