午前9時50分 ―――
「かれこれ1時間以上経ちますわ!本日の警邏任務は全て中止、外出を控えるか支部で屋内待機せよとは一体なんですの?」
「白井さん、5分前もおんなじこと言いましたよね?」
白井黒子が苛立った様子で髪を掻くのを、初春飾利は疲れた顔で皮肉った。
黒子も初春もしばらくこの調子だ。そして、支部内には待機を命じられたジャッジメントの仲間が他にも数多く居て、皆そわそわしながら、何が起きているのかあれこれ憶測を話し合ったり、携帯電話のニュース速報に何か上がってはいないかしきりに指を動かし検索したりしていた。
黒子はきっと目を開き、初春を見つめる。
「初春!これは何かおかしいことが起きていましてよ!」
「それもさっき聞きました―――」
「いいえ!解決してませんのであなたに愚痴るしかありませんの!木山先生の行方不明の件について報告を上げたら、
「だから、さっきから言ってるように、私も同感ですってば」
マスク姿の初春は、腫れぼったい目を擦ってぼやいた。
「任務の中断だけでなく、支部からの外出も禁止となると、いい加減ここでデスクワークしてばかりいるのも気が進まないというか―――」
「おい!みんな、これ見ろって!」
黒子と初春の、今日何度繰り返したか分からない会話は、突如仲間の誰かの叫びで遮られた。
え?何?とか、ヤバいんじゃないコレ?といった戸惑いの声があちこちから上がり、仲間同士集まって、コンピュータの画面を見入ったり、携帯電話を忙しなく操作し始めたりした。
「一体何が―――」
黒子が困惑の声を上げる横で、初春が猛然とキーボード上で指を踊らせている。
「白井さん!こっ、これ―――」
初春が驚きの声を上げて画面を見つめるので、黒子も横に並び立ってそれを見た。
「……?なんですの、これ……」
黒子も、他の仲間と同じように目を見開き、画面に表示された動画を食い入るように見つめた。
午前9時55分 ―――アーミー駐屯地、E館
『となると、その金田って奴の言う事が本当なら、島鉄雄も大したことなさそうね』
「ええと……勝手に引っ張って来た私が言うのもなんだけど、こいつの言うこと、麦野は信じるの?」
離れた所で出入口を見張らせている金田を見やりながら、フレンダ=セイヴェルンは声を潜めて通話相手に聞いた。
アーミーの収容棟から逃げ出している途中だというのに、金田は時折大欠伸をしたり、棚に並べられた書類や器具をしげしげと眺めたりしている。フレンダは、ごめんちょっと待って、と断ってから、電話に手を添え、声を潜めながら金田を叱る。
「ねえアンタ、マジメに見張んなさいよ!」
「おいおいィ、早くこんな辛気臭ェとこ逃げようぜェ?いつまで長電話してんだよォ」
わざとらしく腕を広げて肩を竦めながら、金田と名乗る囚人服姿の少年が言った。フレンダにとっては口調も仕草も、気に障る所だらけだった。
「うっさい!大事なとこなんだからしっかり見張ってて!」
「へぇへぇ、大体、どうやってケータイ持ち込んだんだか……」
これだから女子は、等とぼやきながら金田が渋々外の様子を伺う。
警報の作動した収容フロアから脱出したフレンダは、強引に付いてきた金田と共に、監視装置の死角となる薄暗い、人気の無い書庫へと身を潜めている。幸い、この辺りはさして重要でない機材や備品の書庫となっているらしく、アーミーが巡回する人気は無い。
フレンダは気を取り直して電話へ向かった。
「ごめん、ええと―――こいつ、緊張感無いし、今んとこそこらに生えてる不良って感じ。情報、確かだと思う?」
『職業訓練校にいたこととかバイクチームのこととか、喋ってる内容は、こちらが得ている島鉄雄についての事前情報と一致するわ』
電話の相手であり、フレンダの仲間である麦野が、落ち着いた口調で言う。
『依頼内容によれば、今回の‘城攻め’における大きな不安定材料は、その島って
麦野が電話の向こうで、ひとつため息をついた。
『でも感謝してるわ、フレンダ。何せ今回の
「えぇ~。じゃあ、私のギャラはぁ?」
『
「そんなぁ」
麦野の言葉に、フレンダは目に見えて落胆する。
「バカアーミーの気を引いてまで、ナンバーズの居場所を絞り込んだのに。大体あの必要はあったの?人形仕掛けるだけで充分じゃん、研究者の手引きがある訳でしょ?」
『裏切り者から得た情報は、信用ならないの。個人的にね』
麦野がはっきりと言った。
『偽の情報、罠ってこともあり得るじゃない?だからこそ、あなたに余計に働いてもらって、探りを入れさせたのよ。フレンダから聞けたお陰で、ずーっと安心よ。ご苦労だったわ』
「……にしし、ありがとね麦野」
フレンダの顔が自然と緩んだ。
「で、これ聞いたら一旦切るけど―――」
フレンダは再び金田の方を見た。
「この付いてきた男、もう用済みかな?」
『たかるハエは叩き潰しなさい』
麦野の声は、台所から返事をしたかのように平然としていた。
「さて」
フレンダは携帯電話をしまうと、代わりにヒートカッターを取り出した。
マイナスドライバーのような形状をしたそれは、先端が鉤のように湾曲し、鋭利に尖っている。見た目の小ささに反して、収容室の金属製の扉も立ち切れるほど、局所的に高熱を発する物だった。
(脱獄犯クンには悪いけど、こめかみをプスっと―――)
「オイ、動くなよ」
金田の鋭い声がして、フレンダは動きをぴたりと止めた。
何!?バレた!?
フレンダが動揺して片手にもったカッターをさりげなく背後に隠していると、金田は口元に人差し指を当てている。
フレンダの耳に、部屋の外から近付いて来る足音が聞こえて来た。
2人分。アーミーか?
フレンダが棚の陰に身を隠し、金田は出入口のすぐ脇で構えている。
この部屋には扉が無い。出入口に相手が現れれば、より早く対応するに限る。
「……その発砲音ってのがこの上のフロアで―――」
どちらがそう喋ったのか、男の兵士が2人部屋に入って来たところで、金田が近くにあったモップの柄を手に、先に入って来た兵士の喉元にフルスイングして叩き付けた。
兵士は涎を吐きながら前のめりに倒れて痙攣する。
「あっ―――」
2人目の兵士は呆気に取られているのか、足を止めて倒れた仲間を見下ろす。
「そォれ!」
金田が間髪入れず、モップを兵士が晒している頭に向かい振り下ろす。
べきぃと脆く折れる音がして、兵士が屈みながら後ろによろける。
金田が折れたモップの柄の断面を見て、あっ、と間の抜けたような声を出す。
ぼけてんじゃないよ!とフレンダは心の奥で悪態をつきながら駆け出した。よろけた兵士が、どうにか気力を振り絞って、腰から拳銃を取り出しているのが見える。
しかし、それよりも早く、金田が2,3歩で素早く距離を詰め、鋭く側頭部に向けて回し蹴りを食らわせた。兵士は銃を取り落とし、壁に頭を打ち付けてずるずると床に伸びた。
「へぇ……」
フレンダは素直に感心した。ただの不良少年というだけではなく、体がよく動くようだった。
「やるじゃん」
「かわいこちゃんから褒められちゃあ悪ィ気はしねぇな。どう?俺、使えるでしょ?」
「そうね」
すぐに始末しなくてもいい位には。とフレンダは内心で付け加えた。味方だと思われている限りは、案外役に立つかもしれない、と考えを改めていた。
金田は、床の拳銃を取り上げてから、気絶している兵士の両脇を抱えて引きずり出す。
フレンダはその様子を怪訝そうに見る。
「何してんの?」
「こいつから借りる。服」
金田が、兵士を先ほどまで潜んでいた倉庫まで引きずりながら、やや息を切らして言った。
「いかにも逃げてますって、こんなナリじゃあ埒が明かねェ」
金田は、早速一方の兵士の装備を剥がしにかかった。フレンダは特に見る気も無いので、背を向けた。
「でさ、ちょっと聞いてもいい?」
「何を?」
「ねェ、アンタみたいな嬢ちゃんが、鉄雄に何の用があるのかってさ」
「それは―――」
今回の任務のターゲットだ、と馬鹿正直に伝える気はフレンダに無かった。
「作戦よ」
作戦?と金田が聞き返した。
「アーミーが、ここんとこ我が物顔で学園都市をうろついてるでしょ?お陰で何人も、アンタや島―――てつお、みたいな、私らと同じ若者が、無実の罪で連行されて……」
へえ、と金田が意外そうな目でフレンダを見た。
「反政府ゲリラってヤツ?」
「あんな政治屋ごっこと一緒にしないでくれる?」
フレンダは顔をしかめて金田を睨んだ。
確かに、今は合同で動いてはいるらしいが、あの連中は所詮、一回限りの
こっちは、今まで何度も死線をくぐっているのだ。フレンダの胸の内には、金田の言葉に対する反感があった。
ふーん、と金田は気の無い返事を返す。
「でもさァ、作戦ッてことは、ほかにも仲間が居る訳だろ?この後、何か策があンのかよ?」
「そうね」
フレンダは適当に相槌を打ちながら、携帯電話をちらりと見た。
「結局―――ちょうどいい時間って訳よ」
フレンダが呟いたまさにその時、建物中の至る箇所で爆発が起きた。
午前10時00分 ―――アーミー駐屯地、本部、中央館
「41号が―――意識を取り戻したと?」
執務室にいる敷島大佐は、部下からの報告に耳を疑い、長大なデスクに両手をついて身を乗り出した。
「それで、現状は?」
「いえ、ただ、その報告を急ぎ上げたいと、現場のチームから連絡がありまして……」
「起きた、の一言だけで済むと思うか!」
大佐は部下に対して詰問する。
「今の精神状態は?また前回のような騒ぎを起こす訳にはいかん!冷静に対処しなければならんのだぞ」
「しかし、詳しい評価は、現場の専門家の判断を待たなくては……」
「この大事な時に!
大佐が歯噛みしたその時、ズズゥン、と断続的な地響きが聞こえ、執務室が小刻みに揺れた。
その揺れと音に、大佐は心当たりがあった。
「何の爆発か!!」
大佐の言葉から意を察した周囲の部下たちは、状況の確認へ出向こうと駆け出す。
しかし、それよりも前に執務室の扉が慌ただしく開かれた。
「何事だ」
大佐が問いかけた相手は、数日前から派遣されていた、学園都市外の別基地から派遣されてきた中佐だった。骨が浮き出たような顔つきで、小さな目をした男だ。
その中佐が口を開く。
「大佐。担当直入に言う。あなたに逮捕命令が出ている」
「何だと!」
大佐は驚き椅子から立ち上がった。中佐は後ろに手下をぞろぞろと引き連れて、つかつかと大佐のデスクの前まで歩み寄った。一方、部屋を出ようとしていた大佐の部下たちは、皆困惑して大佐の側へ後ずさる。
中佐の手下の一人がタブレットを取り出し、大佐の前に画面を突きつけた。
その画面に目を通した瞬間、大佐は眉間に深く皺を寄せる。
「これは―――貴様、陰謀だ!」
「それはこちらの台詞だ。大佐」
中佐は唇の端に笑みを浮かべ、自分よりもずっと背の高い大佐を見上げている。
「クーデターの画策―――学園都市内で爪弾きにされているのが余程応えたのでしょうなあ。これは立派な、国家転覆罪にあたる」
「何を言う!私はあと2日でこの座を明け渡す身だぞ!」
大佐は先程まで座っていた革張りの椅子をばんと叩いた。
「そのような根拠がどこにある!」
「無論、あるとも!オイ」
中佐が顎でしゃくると、部下が手に持っていたタブレットをスワイプして、一つの動画を表示する。
そこには、今まさに自分たちがいる執務室の背景―――学園都市第二学区の街並みが見える―――を背景に、座った大佐が正面を向いて話す様子が映っていた。
『―――私は、学園都市の治安維持を任されたアーミーの指揮官として、ここに宣言する。無能や日本政府役人や、ゲリラのネズミたち、統括理事会の狂人どもにこの街を明け渡す訳にはいかない。今こそ、武装決起の時だ。我らアーミーが、反国家主義者並びに日の本に巣食う奸賊ばらを一気に殲滅し……』
「何だこの映像は……」
一気に体温が冷えていく感覚がする中、大佐は声を振り絞った。全く身に覚えのない演説だった。
「知らん。知らんぞ、私は!」
「言い訳なら、軍事法廷ですることだ、大佐」
中佐がそう言い放った瞬間、部屋中にはっきり聞こえる、館内放送が流れ始めた。
『全隊員に告ぐ。ただいま
中佐が勝ち誇ったように笑みを深くした。
「分かってると思うが、これはかの准将閣下もお認めだ。お前は見捨てられたのだ。大佐。何、一足早くお役御免となるだけのことだ」
中佐は周囲の配下に、大佐一行を武装解除して拘束するよう命じる。
それを見た大佐の小数の部下は、腰に手をやる。
「やめろ!」
大佐が腕を上げて大声を上げた。抵抗を試みた部下たちが、悲痛な表情で大佐を見る。
「賢明な判断だよ、大佐」
中佐が頷きながら言った。
「きっかけさえ与えてくれれば、今ここで制圧してもいいのだが―――つまりは、敵対行為に対する正当な対応というヤツだがね」
顔に汗が伝う。大佐は目を瞑り、思考を巡らせた。
中佐率いる相手は20人以上。対してこちらはたった4人。
多勢に無勢だった。
これまでか。大佐の胸に、キヨコ、タカシ、マサル達の顔、アキラの収容カプセル、それらナンバーズの姿が去来する。
今ここで自分が任務を放棄すれば、この国は、この学園都市は、どうなる―――。
「……オイ、何だお前」
唐突なざわめきと、中佐の困惑した声に、大佐は顔を上げた。
そして、目を見開いた。
「よお」
患者衣のシャツ姿、小柄な身体に、小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、
「ガキ共はどこだ?」
つい先ほどまで昏睡していたとは思えない程、明瞭な声だった。
それは同時に、底知れない冷酷さと愉悦を秘めている。大佐にはそれが感じ取れた。
「41号―――」
警戒心を滲ませて大佐が口を開いたが、中佐が部下と共に、鉄雄へと銃を向けた。
「貴様、何者だ―――どうやって入って来た!?」
中佐の声は上擦っていた。
ナンバーズ特有の、空間移動だと大佐は悟った。
しかし、この能力は他のナンバーズとの共鳴が無ければ使用できなかった筈。
まさか―――と大佐が思い当たったその時、鉄雄は大きく舌打ちをした。
次の瞬間、炸裂音と共に、鮮血や金属片が辺りに飛び散る。大佐は咄嗟にデスクの陰へ身を隠した。
中佐がああああっと叫び声を上げている。構えていた拳銃が暴発したらしい。右手の先は、中側の3本の指が千切れ、どこかしらへ吹き飛んでいる。辛うじて皮一枚で繋がった小指が、ぷらんぷらんと子どもが下りた直後のブランコのように揺れていた。
「そんなに俺を殺したいか?」
鉄雄が笑みを浮かべた。髪が風に舞い上がるかのように逆立っている。
「やってみろよ雑魚どもォ!」
「いかん、撃つなァ!!」
大佐は身を潜めながら、できる限りの声で叫んだ。
幾つもの銃声が鳴り響き、その音の雨は程なくして悲鳴の渦へと姿を変えた。
「……そう、予定変更ね」
とある車中で、助手席に座り携帯電話を耳に当てていた女が呟き、通話を切った。
それから、手を打ち合せ、ぱんぱんと2度鳴らす。
「はーい、依頼主からの追加オーダーよ」
「てことはもしや、フレンダには超朗報ですか?」
後部座席に座る2人の内、茶髪のショートカットの少女が身を乗り出して聞く。
その隣で、黒髪のジャージ姿の少女が眠たげな目で助手席の女を見る。
「ええ。きっと喜ぶわ」
助手席の女は、スラリとした脚を組み替え、後ろの仲間2人を振り返って言った。
「『アイテム』の出番よ。ターゲットがお目覚めですって。ナンバーズの41号、島鉄雄」
麦野沈利は快活に言い、ドアの取っ手に手をかけた。