多分、ヤンデレ   作:都月とか

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泣かぬ蛍が身を焦がす

 

 校舎で過ごす時間が嫌いだった。

 

 他人に囲まれた時間が大嫌いだった。

 

 

 授業と授業の合間の時間を縫い教科書を開く。分厚くはないくせに読むのには時間のかかるこの紙の束の、明日の範囲を解く。

 

 短い時間で気持ちを切り替えて集中するのは得意ではないけれど、学校で過ごす時間を有効に使いたかった。嫌いな時間を意義のあるものにするために、嫌いな時間が流れる速さを変えるために、予習に集中する。

 

「それホント?やっぱり木村先生って可愛いよねー」

「そう!!私が男だったら絶対ほっとかないわぁ〜」

 

 鈴の鳴るような笑い声が重なって聞こえて来た。教室の一角をしめる数人程の女子。学校内では聞き慣れた、少しばかり大きな声だった。

 

「それに私はユカちゃんの事もほっとけないよ!」

「私?」

「こんなにいい子で美人でかーわいいのに、ずっとフリーなんだもん!」

 

 集団の中から馴染んだ名前が聞こえてくる。

 『土屋 由佳』

 きめ細やかな黒髪を一つに結い上げた、くっきりとした顔立ちの少女。あらわになった首筋が彼女の活発さ、快活さを思わせる。

 

「私はいいのよ。恋愛とかそーいうの」

 

 淡白な返答が聞こえてくる。

 

「ユカちゃんモテるのに……もったいない」

「あっ……じゃああの人は!? あの白沢くん!! ユカちゃんの幼馴染の!!」

 

 自分の名前が出てきて、こんな盗み聞きのような現状を後悔した。土屋と話している娘からは恐らく俺が見えていないのだろう。気まずい。

 

 そもそも、そんな色恋の話を人に聞かれる場所でするのは一般的なのだろうか。世間知らずの俺には全くわからない。でも、聞いた人に対して無差別に花園を覗き見たような気まずさを与えるのはやめてくれ。悪い事をしていないのに罪悪感が湧く。

 

「あー……白沢君とはそんなんじゃないわよ」

「そもそも幼馴染っての実際どうなのかって感じ」

「ん? どーいうこと?」

「彼、小学校の途中で転校してきたの。そっからずっと一緒ではあるけど……そもそもの話、どこからどこの期間が一緒なら幼馴染って言えるわけ?」

「えー。やっぱり幼稚園から?」

 

 そうやって、話は恋バナから幼馴染の定義なんて曖昧なものについてに流れていった。

 

 土屋とは子供の頃からの友人だ。もう七、八年になるだろうか。転校して来たばかりの友達0人スタートだった俺に、最初に声をかけてくれたのが土屋だった。それが始まりで小学校から中学校、高校となんだかんだと関係が途切れずにいる。

 

 異性の垣根を超えた女友達、それどころか俺にとっては貴重で数の少ない友人。一緒に居て気持ちの良い立派な人間。そんな彼女との関係は浮ついたものでは全くなかったのだが、やはり言葉にされると傷ついたような気になる。

 

 それを残念とは思えなかった。高望んで高嶺の花に手を伸ばすなんて無謀も良いところで、言葉にするまでもなくそれが叶わない事は分かっていた。

 

 初恋の相手。

 

 思いは燻り、何度踏みつけても消えてはくれない。自分が何を考えているのか最早分からない。

 

 ただ、土屋との関係は良好だった。付かず、離れず、干渉し過ぎず、無関心でなく、古い友人としてあまりにも適切な距離感。

 今の関係すら俺には勿体のない贅沢なもの。

 

 わざわざそれを壊して、傷つくなんて馬鹿のやる事だ。

 初恋もいつかは終わる。終わるはずだ。

 

 予鈴が聞こえて来る。

 

 ザワザワとした教室が切り替わっていく。

 

 次の授業が始まる。

 

 手元の問題は一問も進んでいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。開放の時間。自由な時間。

 

 ゆっくりと帰りの支度を進める。結局、予習にも課題にも授業にすらも上手く集中できなかった。きっと今日は調子が悪い日なのだろう。しかし、家に帰ってまで学校にゆかりのあるものを見るハメになることは憂鬱だった。

 

 部活の連中が一目散に教室を出て行った後の、静けさのある教室。それを横切りドアを開ける。

 

 するとその先に、二人の女子生徒がいた。

 たしか別のクラスだった彼女たちの視線は間違いなく俺の方を向いていて、一人が何かを決意したような顔で口を開く。

 

「白沢くん。……大事なお話があります」

 

 目の前の女子。

 去年、同じクラスの同じ委員会で親交を深めていた相手。ありがたい事に今でも出会えば挨拶と軽い雑談をする位の仲であって貰えている。

 

「……付いてきてくれますか?」

 

 果実のように甘くて僅かに酸味がのこる、身近な非日常の気配がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女に連れられて一つの空き教室に来た。

 

 要件は何なのだろうか、なんて、すっとぼけることは出来なかった。恋愛小説やラブコメディーの主人公のように心の底まで鈍感ではいられない。現実はあんな風に、気楽に生きてはいられない。

 好意と言うものは相手に伝わってしまうものだ。生半可な気持ちではすぐに相手に伝播していく。言葉も想いも伝わることが意義だから、必死に押し潰して消し潰さなければ勝手に走り出してしまう。

 

「急に呼び出して、ごめんね」

「別に……何も予定なかったからいいよ。それより、なにかあった?」

 

 楽だから、それだけを理由にとぼける。表面を鈍感で取り繕う。醜いツラだろうと他人事のように思った。そんな己に苛立つ。

 

「うん。その……聞いて欲しくて」

 

 彼女の顔を見て、表情を見て、勘違いは勘違いでは無いと感じた。

 

「白沢 灰くん」

 

「ずっと、あなたの事が、」

 

 こんな男の何が良いのだろうか?

 

「……好きです。付き合ってくれませんか?」

 

 告白を目の前に、別の女の事を考えているこんな男が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……好きです。付き合ってくれませんか?」

 

 その言葉だけが聞きたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 灰と一緒に帰ろうとその姿を探していたら、不愉快な二人組を見つけた。一人は私の幼馴染の灰。こちらは何の問題はない。寧ろ目的の人物だ。

 

 だがもう一人、彼に連れ添って歩く女が駄目だ。

 仕草が駄目だ。甘えている。彼に向かってかわい子ぶって甘えている。

 声が駄目だ。遠くからでも分かる猫撫で声。黄色ばんだ喜色を含んだ、気色の悪い声。

 

 顔が駄目だ。色気付いた化粧だ。

 目が駄目だ。媚びた目だ。

 唇が駄目だ。ニヤつく頬を隠した笑みだ。

 

 苛立つ。

 苛立つ。

 苛立つ。 

 

 空き教室にたどり着いた二人を隠れて追い聞き耳を立てる。嬉しそうに雑談に励む女の声が聞こえて来る。物音を立てる事を必死に我慢する。

 

 灰が本題に切り出した。きっとこの女の無駄話に痺れを切らしたのだろう。しょうがない事だ。

 

 そして、その先の言葉を聞いた。

 

 心臓が止まるかと錯覚する衝撃。

 予想できていたそれに打ちのめされる。

 

 私は怒鳴り狂うのだと思っていた。その言葉を発した頭に掴みかかってしまうのだと思っていた。苛立ちは堪えられず、衝動のままに動くのだと。

 

 しかし、現実に味わったのは、憤怒でも、狂乱でも無い。

 

 恐怖だった。

 

 指先からポロポロと体が崩れ出していくような、避けられない死さえ思わせる恐怖。来るわけが無い、来させるつもりは無いとたかを括っていた私を嬲る絶望。

 

 怖いと思った。

 

 こわいと思った。

 

 失う事はこわい。

 

 心臓が痛いのに痛くない。止まってしまったのだろうか。ただ私は死体で、干渉出来ない。

 

「……少し考える時間が欲しい。偉そうにこんな事言ってごめんけど、ちゃんと考えないといけないと思うから」

 

 その言葉で私の思考は回る。

 

 この場での回答を避けた。断るのだろうか。一度回答を留めて後から直接または非直接な手段で断りを入れるなんてありふれた手段だ。断るのだろうか。断るのだろうか。聞こえて来るのは平坦な声。決して嬉しそうではなく、灰からの好意の矢印は無い。きっと断るんだ。あんな女に靡かない。でも。そうに違いない。でも。灰からそんな話一度も聞いた事がない。でも。灰なら私に一番に相談するはずだ。でも。大丈夫だ。でも。きっと大丈夫だ。でも。でも。そんなわけが無い。でも。でも。でも!!!!

 

 もし、受け入れたら?

 

 ドアの開く音がした。

 

 慌ててロッカーの影の奥に身を隠す。さっきまで死んでいた心臓が都合よく鳴り始めて、冷や汗が流れる。

 バレない。バレていない。

 

 出て行ったのは女だった。

 不安気な背中の、緊張した足取りの、それでも眩しい希望を持っている、恋する少女。

 

 陰から盗み見る事しか出来ない私とは違う、自分の想いを形に出来た少女のその肩に、彼の手が置かれる幻覚を見た。笑い合う二人の幻覚を、あり得る未来を幻視した。

 

 女が角を曲がり視界からいなくなった後に、幽鬼のように影から這い出る。

 

 あぁ、何で私は

 

「土屋?……聞いてたの?」

 

 この男を手に入れていないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分で言うのも何だが、私はモテる。

 

 親からバランスよく受け継いだ遺伝子は、私を器量良く育ててくれた。それに胡座を描かず日頃から毛や肌に気を遣い適度な運動を欠かさない事が自慢ですらあった。

 

 表面だけではなく中身も努力している。警察官である父親を理想として、文武両道、義のある人になる事を心掛けている。部活も、学業も、友人付き合いもそつなく完璧にこなす。外面だけの空っぽな人間になんてなりたくは無かった。

 

 再三になるが私はモテる。異性から時には同性からも、求愛の言葉をいくつも受けて来た。恋愛対象に求めるステータスが軒並み高く備わっていた私がそうなるのは最早自然の流れで。

 

 畢竟、私は調子に乗っていたのだ。

 

 いつでも手に入れられるのだと思っていた。

 

 淡く燻り続けるこの初恋を、いつだって叶えられるのだと愚かに思い続けていた。

 

 きっかけは何でもない、よくあり、ありふれた、ただの一目惚れ。

 

 溢れ出そうとする感情と、身を焼く恥ずかしさを今でも鮮明に思い出せる。

 

 そんな相手に、私は踏み出せなかった。"自分は優れているから"なんて理由で、彼はきっと私に振り向いてくれる。むしろ彼の方から私を選んでくれると、子供じみた妄想をしていた。

 

 そしてそれは、今でも続いている。

 

 大人への階段を一段飛ばしで順調に登っていく私は、成熟していっている筈の私は、彼のことに関してだけは極めて幼稚だった。感情の制御が上手くいかない。様々な感情が多頭の龍の如く暴れ回る。

 

 そのくせに、決して自分から想いを口にする事は無かった。荒唐無稽な子供心のままに、彼はどんな風な告白をしてくれるのだろうと、阿呆のように考えていた。

 

 わたしはバカだ。

 

 わたしは子供だ。

 

 だからこんな思いをするんだ。

 

「っ!! 土屋!! どうしたんだ!?」

 

 私の顔を見て慌てたように近寄る彼に首を傾げる。何をそんなに慌てているのだろう。

 

「えっと……ホラ。これ使え」

 

 ハンカチが手渡される。何に使えと言うのだろうか。

 

「あぁもう! 俺が拭くぞ?」

 

 ハンカチが頬に当てられる。よく、分からないが、布越しでも触れられることを嬉しく思った。でもどうして、わざわざこんな事を?と疑問に思い何となしに下を見た。ほおに添えられたハンカチのさらに下を。そこには幾許の水滴があって。

 

「何かあったのか?」

 

 心配気に優しく問われる。

 

 泣くなんて、それこそ子供ぶりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのままではいけないと空き教室にまで手を引かれ椅子に座らされた。

 

 しばらくの間、私は静かに泣いていた。

 鼻を啜る事なく、咽び泣くこともなく、ただ両の目から涙を流す。身体は冬に凍えたように震えていた。初めて体験する泣き方だった。

 

 そんな私を、彼は黙って見守ってくれていた。一言も喋ることは無く、私の背中をさすってくれていた。その手が温かくて、また涙が出た。

 

 

 

「……落ち着いたか?」

 

 涙が止んだタイミングを見計らい彼が問う。

 言葉をうまく出せなかったから頷く。

 実際、涙が止まったのかそれとも枯れ果てたのか判断がつかなかったのだが。

 

「そろそろ学校が閉まる。一旦家に帰ろう」

 

 そう言って立ち上がり自分のバックを持ち、私の物まで持ってくれようとして、

 

 私から、離れようとして、

 

 ……それは嫌だと思った。

 

「土屋?」

 

 右手で彼の制服の裾を掴む。

 

 離れたくない。離れて欲しくない。

 我儘に甘える。

 

「……一緒に帰ろう。お前ん家まで送るよ」

 

 私の顔を見て彼はそう言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 共に徒歩で登校している私達はたまに一緒に帰るときのように同じ道を並んで歩んだ。

 

「…………」

「…………」

 

 気安い会話は無い。彼は時たま優しく話しかけてくれるがそれに応える事はできなかった。 

 つっかえたように言葉が出せない。

 想いはある。言いたい言葉も、聞きたいことも幾つもあった。それでも、腹から登っていくものが喉の辺りで行き詰まる。後一歩のところで言葉が詰まる。多量の大きなそれが、詰まる。

 

 だから、口を開けないもどかしさを晴らすためか彼の裾を握り続けた。万力のように、指の先が白くなるまで力を込める。

 

 一瞬たりとも油断したくは無かった。これを離せば彼はたちまち消えてしまうのだと、根拠のない確信を持っていた。妄執に取り憑かれていた。

 

 小さな子供のようだと思った。 

 裾を掴ませて手を引いてもらって、後ろを歩いている。人混みの中で迷子にならないようにお兄ちゃんを頼る。私は迷子になり掛けている。貴方と逸れて迷子になりそうだった。

 

 そして、こんな風に彼の裾を握りしめている状況は初めてではない事を思い出した。いつのことだったか、何処のことだったかは思い出せない。ただ裾を握る手が彼の手と触れ合うくすぐったさと、前を向けば彼の後ろ姿があった事を覚えていて、それが今の視界と重なる。

 更に握る力を強めた。

 

「ほら。家、着いたぞ」

 

 気づいたら私の家に着いていた。

 

 …………一ついい考えが浮かんだ。

 

「そうだな……風呂でも沸かしてあったまってからでもすぐに寝ろ。疲れてるよ」

 

 うん。私は疲れてる。でも疲れてないんだ。

 

 今度は逆に私が彼を引いて家に連れ込む。

 

「ちょっと! 土屋!」

 

 声を無視して鍵を回しドアを開け、彼の手首を握って引き摺り込む。

 

 ドアを閉めた。

 

 その勢いのままに土足で家に上がる。動揺に飲まれた彼を持ち、廊下に上がって体を引く側と引かれる側の位置を入れ替えた。

 

 密着し、体重をかけて彼を押し倒す。彼が下で私が上の馬乗りの状態。初めてなのに上手くいって喜ばしい。廊下は暗く、部屋から光も溢れていない。家には誰もおらず好都合だった。誰かいようとこれからすることに変わりは無いが。

 

「っ痛、土屋おま「土屋土屋土屋言わないで!!!!由佳って呼んで!!!!」

 

 気に入らない。そんな他人行儀な呼び方ずっと受け入れられなかった。

 

「ねぇ。灰」

 

「……なんだ……由佳」

 

 名前を呼ばれて笑顔になる。嬉しい。悦に満たされる。

 

「告白、断って」

 

「は?」

 

「今すぐにLINEでも電話でもなんでもいいから、今すぐに断って」

 

 目の前の男が私以外の誰かのモノになる可能性が僅かでも有るのが許せない。これ以上我慢できない。

 

「そんな勝手なこと」

 

 口を開く。

 

「お前の都合でっ、い゛っっ!!」

 

 首筋にかぶりつく。筋肉質でキレイな首の肉に歯を抉り込ませる。深く。消えないように。

 

 痛みを堪える音が聞こえる。

 駄目だ。きちんと名前を書かないと。

 

「……ぷはっ。…………うんって言うまで続けるから。次逆ね」

 

「………………由佳まっ、、グぁっ!!」

 

 肌から甘美な血が流れ出す。

 

 私は、好きだなんて言わない。

 

 この胸に抱えた想いは、恋よりも何百倍も巨大で、愛よりも何千倍も重い。

 

 他の奴らが使う生半可な言葉じゃ表せられない。それ程にこの想いは大事なのだ。

 

 彼にも不粋な言葉は言わせない。私と彼の想いは同じ大きさの同じ重さでないといけないのだから。

 

 これから彼に刻みつける。二度とあんな薄っぺらい言葉に惑わされないように、徹底的に、誰のものか教えてあげる。

 

 この感情はなんなのだろか。

 

 恋よりも熱い想いだ。

 

 愛よりも淡い想いだ。

 

 憎悪よりも濁った想いだ。

 

 これは何だ。

 

 これは何だ。

 

 あぁ、

 

 あぁ!!

 

 おそらく

 

 おそらくこれが

 

 私の初恋なのだ。

 

 古く澱み切った、私の初恋なんだ。

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