ifルート 紫苑フブキ 作:紫藤アリサってかわいいですよね。
私は何個罪を犯してきたのだろうか。
私の本性は魔女なのではないか。
私が死ぬべきではないのか。
そんな答えの無い問答が永遠と思考をグルグルと回る。
私。紫苑フブキはまた何も出来なかった。
むしろ追い詰めてしまったのは私の方だった。
私は、またしてもーー「知らないフリ」をした。
猛烈に死にたかった。爪は伸びきっていた。
▽▽▽
時は1970年代。
国鉄の駅前に並ぶ商店街では、黒電話のベルがジリリと鳴る横で、子どもたちが10円玉を握りしめてスーパーカー消しゴムを買い、帰り道に瓶のコカ・コーラを栓抜きで開けては、麦わら帽子をかぶって夕焼けの土埃の道を駆けていった。
そんな時代に少女、紫苑フブキは生きていた。
活発的な方では無かった。けれど人との関わりが嫌だったのではなく、受け身なだけのどこにでもいるような少女。
彼女は、華奢な少女だ。肌は雪のように白く、体温の気配が薄いせいか、どこか人形めいた印象を与える。大きな瞳は淡い紫がかった灰色で、感情が薄れると氷のように冷たく沈むが、かすかな動揺や優しさが宿ると一瞬だけ柔らかく揺れる。長い髪は銀白に近い淡い青で、光の加減によって氷の結晶を思わせる冷ややかな輝きを放つ。頬はほとんど紅潮せず、血色を感じにくい。指先は細くしなやかだが、爪の色まで青白く、彼女の生気の希薄さを物語っている。
彼女が小さく鼻歌を歌えば顔を赤らめる同級生は少なくないだろう。
そんな彼女にも親友がいた。
紫苑フブキには、たった一人だけ、心を許せる親友がいた。
名前は水瀬あかり。明るい名前のとおり、笑顔の絶えない少女だった。背は小柄で、少し跳ねた黒髪を二つに結び、誰にでも分け隔てなく声をかける。クラスで孤立しがちなフブキにとって、あかりは初めて差し伸べられた手であり、教室のざわめきに怯えずに済む唯一の拠り所でもあった。
放課後、駅前の文房具店で二人並んでノートを選んだり、帰り道に瓶コーラを分け合ったりする時間は、フブキにとって宝物のようだった。あかりは何かにつけてフブキの手を引き、笑いながら「大丈夫、大丈夫」と言った。その声を聞いていると、世界が少しだけ柔らかくなる気がした。
けれど、教室は優しさばかりを許してはくれなかった。
あかりの明るさは、ときに「出しゃばり」と陰口を呼び、彼女の無邪気さは「調子に乗っている」と嘲笑の的にされた。最初は小さな嫌がらせだった。机に消しゴムのカスを撒かれる、上履きを隠される。それでもあかりは気丈に笑い、「フブキには関係ないから」と肩をすくめてみせた。
だが次第に、それは露骨なものへと変わっていく。
給食の配膳でわざと列から外される。休み時間に近づけば「一緒にいない方がいい」と小声が飛ぶ。あかりは笑って誤魔化そうとしたが、笑顔の奥に疲れと寂しさがにじみ出ているのを、フブキは誰よりも感じ取っていた。
その日、決定的な場面が訪れた。
廊下の陰で、あかりが三人の同級生に囲まれていた。荷物を取り上げられ、突き返され、涙をこらえながら「やめて」と小さく声を震わせている。
フブキは足を止めた。声を上げれば、助けを求めれば――あかりは救われたかもしれない。
けれど、視線が自分に向かうことを恐れた。あかりと同じ標的になることを恐れた。心臓が早鐘のように打ち、冷たい汗が背中を伝う。
「……見なかったことにしよう」
そう自分に言い聞かせ、フブキは廊下を歩き去った。
振り返れば、あかりの必死に縋るような瞳が、自分を呼んでいた。
それでも――足は止まらなかった。
後になって思い返しても、言い訳できる理由はどこにもなかった。
ただ、助ける勇気がなかった。それだけだった。
あの日以来、フブキとあかりの間に言葉は交わされなくなった。
教室の窓際で一人静かに本を開くフブキ。
廊下の端や運動場の隅で、居場所を失い、なお笑顔を作ろうとするあかり。
互いに視線が交わることはあった。だがそこには、かつての温かい絆の名残はなく、ただ「見てはいけないものを見てしまった」という影が横たわっていた。フブキはそれを避けるように、あかりはそれでも縋るように。
そうして二人は、一人で過ごすことに慣れていった。
季節が巡るたびに、あかりへのいじめは静かに苛烈さを増した。消しゴムを隠されるだけでなく、わざと大声で笑いものにされ、暴力なんて日常。周囲は見て見ぬふりをし、フブキもその一人だった。
彼女はのうのうと日常をこなし、図書室でページをめくり、帰り道に麦わら帽子を押さえながら風を避ける。ただ心の奥で、「何も見ていない」と言い聞かせて。
そんなある日――
廊下の隅で、一人の声が背後から響いた。
「おまえ、そういやあいつと仲良かったよな?」
心臓が一瞬にして凍りつく。振り返れば、数人の取り巻きを従えた主犯格の少女が立っていた。口元にはあざけりを含んだ笑み。彼女の視線は、フブキをまっすぐ射抜いていた。
「紫苑、おまえって、あいつとよく一緒にいたろ? ……なあ、どんな子なの?」
その問いかけには、無邪気さなど微塵もなく、純然たる「選別」の色があった。
ここで何を言うかで、自分の立場が決まる。あかりの隣に並ぶのか、それとも――。
喉がからからに乾き、声が出ない。
フブキの頭の中で、親友の笑顔と、廊下で助けを求めた瞳が重なった。
主犯格に声をかけられたその日の放課後だった。
あかりは、また校舎裏に呼び出されていた。机の上に置かれていた水の入ったバケツ、そこに泥が混ぜられ、嫌な匂いを放っている。
「紫苑、おまえもやれよ」
背後から響いたその声に、フブキは心臓が大きく跳ねるのを感じた。取り巻きの笑い声、あかりの怯えた顔、逃げ場のない沈黙。すべてが彼女を押し潰そうとする。
「……私なんかが止めても、無駄だ」
「ここで断れば、次は自分が標的になる」
そんな言い訳が、頭の中でぐるぐると回った。
そして――フブキの手に、バケツが押しつけられた。
冷たい水の重みが腕に食い込む。あかりの瞳が、必死にこちらを見ていた。
やめて、という言葉は声にならなかった。ただその震えだけが伝わる。
「……ごめん」
口の中で小さく呟いた瞬間、フブキの腕は勝手に動いていた。
泥水が頭から降りかかり、あかりの制服を汚し、頬を伝い落ちる。取り巻きたちの笑い声が、やけに遠くに聞こえた。
フブキもまた、声を上げて笑っていた。
自分でも気づかぬうちに、喉から無理やり搾り出すような笑い声が漏れていた。
その声が、あかりの瞳から光を奪っていくのを、はっきりと見てしまった。
笑いながら、心の奥は真っ黒に沈んでいく。
これ以上の裏切りはない――そう理解しながら、彼女は止まれなかった。
その夜、フブキは布団を頭までかぶり、目を固く閉じていた。
だが瞼の裏には、何度もあの場面が焼き付いて離れない。泥水に濡れたあかりの髪、制服、そして光を失った瞳。取り巻きたちの笑い声と、自分自身の震えた笑い声が、耳の奥でいつまでも反響していた。
「どうして……」
声に出しても、答えは返ってこない。
助けたかった。助けるべきだった。あかりは親友だったのに。
でも、その場で拒めば自分が狙われる。明日から自分が同じ目に遭うのが怖かった。それだけの理由で――あの手を伸ばさなかった。
「ごめん、ごめん、ごめん……」
口の中で繰り返すほどに、心臓が締めつけられる。
頭の中はぐしゃぐしゃで、思考は乱れ、同じ言葉と情景が渦を巻く。
――明日、謝ろう。
――ちゃんと伝えよう。
――いじめなんて、もうやめようって言おう。
そう決めても、次の瞬間には「また笑われるかもしれない」「誰も味方をしてくれない」と恐怖が押し寄せてくる。
布団の中で身を丸め、心の奥でぐちゃぐちゃになった思考を抱えながら、フブキは眠れない夜を過ごした。
どれだけ目を閉じても、あかりの濡れた姿が浮かんできて、涙が頬を濡らした。
その朝のことは、今でも断片的にしか思い出せない。
教室に入れば、きっとあかりがこちらを振り向き、少し驚いたように笑う――そう信じていた。昨日のことを謝って、もう二度とこんなことはしないと誓おうと、何度も言葉を繰り返し練習していた。
だが、教室の空気は異様に静まり返っていた。
担任の硬い声が「水瀬あかりさんが……」と告げたとき、フブキの耳は凍りついた。言葉の先を聞いた記憶はない。ただ胸の奥を、鋭い杭のような痛みが突き抜けた。
そこからの記憶は、まるで誰かに奪われたかのように空白だった。
葬儀の場にいたのかも思い出せない。友人たちが泣いていたのかも覚えていない。すべてが霧の中に溶けていった。
ただ一つだけ鮮明なのは、自分が「何もしてこなかった」という事実。
いや、それどころか――最後には泥水をかけ、あかりを笑った自分の声が、耳の奥にこびりついて離れなかった。
フブキは知らないふりをするために、家の奥に閉じこもった。
布団を頭までかぶり、何日も何日も眠り続けた。眠っているあいだだけは、罪の声が消えた。夢すら見ず、空腹すら感じず、ただ無に沈むことができた。
「眠っていれば、私は誰も傷つけない」
その静けさに縋るうち、フブキは気づいた。
これはただの逃避ではなく――自分に与えられた力なのだと。
眠りは彼女を包み込み、現実を閉ざし、心を辛いことから遠ざけてくれる。
それが「魔法」だと理解するまでに、そう長い時間はかからなかった。
▽▽▽
あれから何年経っただろうか。
私は今、私が知らない場所にいて。
同じような境遇の子たちが12人もいて。
私たちは殺し合いをするらしい。