天下の大宰相・呉鳳明伝   作:蘇芳ありさ

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戦乱の世に鋼鉄をもたらす者・呉鳳明

 

 

 

 (まこと)に活気あふれる開封において、安釐王のおわす朝廷は静かなものでした。

 

 ときおり思い出したように碁石が打ち込まれる音が響くだけで、恭しく(こうべ)を垂れる近侍たちも沈黙を守りました。

 

 その静寂ぶりは、かつて多くの群臣が大王の裁可を求め、御前にて激論を交わしていたことを知る彼らに寂寥感をもたらさなかったのでしょうか?

 

 

 はい、彼らは決してそうは思いませんでした。

 

 安釐王の即位前から仕える近侍達は、この静けさこそが主君の御心に適うことを知っていたからです。

 

 

 秦の台頭により覇権国家の座から転落して、不幸にも落ちぶれた小国の大王となった安釐王は、これまで多くの試練に晒されて苦悩する日々を送ってきました。

 

 国境には秦の白起が指揮する軍勢が何度も押し寄せて、自国の領土がどんどん目減りする中、宮内には自身よりはるかに有能で声望もある異母弟までいる始末。

 

 安釐王が信陵君を疑ったのも一度や二度ではありません。

 

 

 呉慶や蕭阿の忠言に耳を傾け、信陵君を追放することこそありませんでしたが、かつての王都・安邑が陥落し、雪崩れ込んできた秦兵に妻子までもが蹂躙される恐怖は安釐王と共にあり続けたのです。

 

 

 ……安釐王の終わりなき悪夢は、しかし、鳳明の登用によっていつしか霧散しました。

 

 念願の遷都以降も鳳明の改革は多岐に及び、行政機関は宰相府の離宮へ、軍事関連は軍司令部の離宮へ丸ごと移転して、安釐王を(わずら)わせる事はなくなりました。

 

 

 今では大王の仕事も激減して、鳳明や信陵君の報告に耳を傾ける以外は、偶に開封へ派遣された三ヶ国の大使と面会する程度ですが、それも昼前には終わってしまいます。

 

 

「むう……」

 

 

 よって今日も安釐王は好物の栗饅頭を手に、頼もしい娘婿が己が無聊を慰めるために開発した囲碁を打っていました。

 

 

「むむむ、やはり半目届かぬか。先手を譲られながらこの結果は、中々に腹立たしいな。蕭阿も少しは加減せぬと、魏慶に言いつけるぞ」

 

 

 その顔は自身の敗北を認めながらも晴れやかで、腹心の蕭阿に向ける言葉も茶目っ気にあふれていました。

 

 

「それは困りましたな。魏慶様に大好きな“じいじ”を苛めたと知られては一大事。ここはみたらし団子で手を打ちませぬか」

 

「良かろう。それならば喜んで買収されてやるが……ちなみに、そなたは儂の敗着を何処と心得る?」

 

「難しいところでございますが、こちらが中央を睨んで布石を打ったのを見逃したのが大きいかと」

 

「ぬう、やはり其処か。慎重に行き過ぎて損をしたわ。……だが、そうなると此方に打っていたら局面も変わっておったか?」

 

「はい、苦しゅうございますな。こちらの連携を早期に牽制しておけば、そう易々と中央を奪われることもなかったでしょう」

 

「ふうむ、奥深いものよな。こんな複雑な遊戯まで思いつくとは、そなたや信陵君の言うように、魏安君はやはり頭の中に万人の賢者を飼っているのであろうな」

 

 

 ……ちなみに魏安君とは鳳明のことであります。

 

 安釐王は綺丹公主の娘婿となった鳳明を自身の後継者である太子に指名した際、魏を安らかにする君主の意味を持つこの名を贈ったのです。

 

 魏の太子、魏安君・呉鳳明──いつまで経っても子供っぽいところが抜けない娘婿を思った安釐王の口角が緩やかに吊り上がります。

 

 

「まぁ良かろう。此度の敗北を糧とする為、反省会はそこから打ち直すとしようぞ」

 

「御意のままに」

 

 

 以降もふたりが碁石を打ち込む音が響きますが、それも正午を報せる鐘が鳴るまで。

 

 この瞬間を一日千秋の想いで待ち侘びていた安釐王は、直前までの囲碁への熱中ぶりも放り出してソワソワと立ち上がりました。

 

 蕭阿はその様子に小さく溜め息を吐いたものの、近侍たちに碁盤をそのままにするように命じてから安釐王に同行しました。

 

 

 彼らが向かったのは、魏の公主・綺丹に続いて、斉の王妹・思涵を娶った鳳明に朝廷から与えられた離宮──通称・無憂殿という宮殿です。

 

 本来であれば、そこは厳格な男子禁制が布かれる後宮という扱いとなり、いかな魏の大王とて娘婿の離宮に足を踏み入れるのは適いませんが、今のこの国はその辺が大変ユルい。

 

 

 これにはいくつかの要因がありますが、第一に女性の社会進出がとみに著しいことが背景にあります。

 

 国難の時代を乗り越えて自信をつけたのは、野郎だけではなく女性も同じ。

 

 そして鳳明の農政改革によって食糧事情が劇的に改善し、自信とともに体重も倍増させた“オカン”たちは、それまで後宮の貴重な労働力であった宦官たちをあっという間に駆逐したのでした。

 

 

 もちろん鳳明自身も、子供のうちに“男”を奪われる宦官たちの製法を知ってタマヒュンを起こして、非人道的な処置に反対したのもあります。

 

 あえて不幸な宦官を増やす理由もなくなった魏国の王政府は、鳳明の提言を受け入れて宦官制度を廃止──お役御免となった宦官達には開封市内の土地と財産を与え、養子を取ることも許したのでした。

 

 宦官達もこれを喜び、これまで許されなかった自由な生活を謳歌したといいます。

 

 

 以降の後宮における規範は安釐王や信陵君ら男性王族に委ねられましたが、むろん彼らとて親族間の女性問題を引き起こすつもりは毛頭ありません。

 

 よって安釐王と蕭阿のふたりは、その道中において半裸同然の格好で野良仕事をする逞しいご婦人方の姿をたびたび見かけ、些かならず気まずい思いをしたものの特に問題もなく鳳明の離宮に到着──宮女らの出迎えを受けました。

 

 

「いらっしゃいませ大王様。宰相のお爺ちゃんもようこそ兄の家へ」

 

「おお、玲麟や。そなたも宮女の制服が似合うようになってきたな」

 

 

 その中に玲麟の姿があったことも安釐王の格別の喜びのひとつです。

 

 

 喜色満面の安釐王は鳳明と玲麟の関係を知りません。

 

 彼が知っているのは、鳳明の子を宿した綺丹公主が体調を崩したと知るや、玲麟が献身的に介護してこれを立ち直らせ、それ以降も宮女に身をやつして兄の家庭を支えていることだけです。

 

 

 もちろん蕭阿は信陵君や呉慶と同様にそれ以上の事も知っていましたが、この好々爺は玲麟に「上手くやっているようだな」と片目を瞑って見せるばかりで、余計な事は主君である安釐王にも漏らしません。

 

 蕭阿のウインクが意味するところに気付き、微かに頬を染めた玲麟もその件には触れず、闊達な足取りで“おじさんたち”を目当ての部屋まで案内しました。

 

 

「さあ、母は此処ですよ魏慶。小夏と牡丹も貴方を応援しています。だからもう少し、もう少しだけ頑張ってみましょう」

 

「あー」

 

 

 そこでは多くの宮女や第二婦人の思涵、愛犬の小春や愛猫の牡丹が見守る中、実母である綺丹公主をハイハイで追いかける生後9ヶ月の魏慶が、今まさに腰を浮かせて立ちあがろうとする瞬間でした。

 

 

「ンン〜ッ、魏慶ちゅわん! チュキチュキ大チュキお爺ちゅわんでちゅよぉ〜!?」

 

 

 ですがそのタイミングで、空気の読めない安釐王が乱入──ペタンと腰を落として振り向いた魏慶の姿に、母の怒りは爆発します。

 

 

「…………いつもいつも、ここぞという機会ばかり狙って台無しにして、今日という今日は赦しません! そこに直りなさいお父様!!」

 

「なっ、なんじゃいきなり怒鳴りおって……そうじゃ鳳明! 鳳明はどこに居るのじゃ!? 儂はあの子に用があって来たのじゃ!!」

 

 

 そこで娘婿に「お父様を怒らないであげて」と言わせようとする辺りが、この大王の救えないところであり、同時に、彼が暗君の資質に恵まれなかった所以(ゆえん)でもありますが……残念ながらこの場に鳳明は不在なので、相談役の蕭阿が場を収めることになりました。

 

 

「大王様。魏安君は昨日より例の都市の視察に向かわれて不在ですが、臣の見たところ、綺丹様は魏慶様の成長したお姿を旦那様にお見せしたいご様子。ならば大王様自ら昼食後に“あんよが上手♪”の音頭をとって見せれば、綺丹様のご機嫌も麗しくなると愚考しますが?」

 

「むっ、そうだったのか……空気の読めぬ父で相済まぬ。魏慶にはこの儂が責任を持って歩行の指導をするゆえ堪忍せよ」

 

「折角ですけどお断りします。どうせお父様のことだから、魏慶のことを甘やかしてお馬さんごっこに移行するのは目に見えてるんだから……いいわ。小言はお昼が終わってからにしましょう」

 

「そ、そうか……ところで魏慶が乳離れをしたのは小耳に挟んだが、もう固形食を口にしておるのか?」

 

「いえ、そちらはまだですね。今は段階的に減らしていますが、まだ母乳も恋しいようですからおっぱいもあげてるんです」

 

 

 そこでお冠の綺丹公主に代わって玲麟が答えると、安釐王は愛娘よりかは豊かな少女の胸をまじまじと見つめて、ついに決定的となる一言を放たれたのでした。

 

 

「……そうか、そなたには苦労をかけるな。どうか起伏に乏しい綺丹の代わりに、哀れな魏慶に母親の愛を与えてくれ」

 

「──お父様?」

 

 

 どうやら玲麟が魏慶の乳母をやっていると誤解したらしい安釐王は、誠に健気な鳳明の妹を称賛する過程で触れてはならないモノにも触れてしまい、綺丹公主のさらなる怒りを買われてしまいました。

 

 蕭阿が溜め息を吐きながらも魏慶を抱っこして安全圏に避難し、思涵が色々と納得のいかない玲麟の様子にクスクスと忍び笑いをこぼす中、またしても綺丹公主を激怒させた安釐王は渾身の土下座を披露したそうです……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呉慶将軍には納得できないコトがありました。

 

 

 せがれ(・・・)の鳳明──宰相を兼任する魏安君の推し進める軍政改革はいいのです。

 

 一時は軍務大臣を兼任する元帥というよく分からない地位を押し付けられて、ひたすら途方に暮れた時期もありましたが、それも過去の話です。

 

 

 数々の旧弊を改めた息子が無意味なことをするとは思えませんし、彼の指揮下にある宰相府の文官達がこの改革を絶賛しているのも知っています。

 

 軍関係者の意見も、新たに幕僚総監を拝命した霊鳳が「とても合理的な制度だ」と感心しており、同じく装甲陸戦総監に就任した凱孟も「なんかカッコいいな」と新制度に前向きです。

 

 

 ならば違和感を覚える自分の頭は旧来の常識に囚われているのだろう。

 

 もとより己の生涯は第二の祖国と家族のために使い切ると決めている。故事に学び、鳳明に学んだこの身は未知に適応する苦労を厭うものではない。故に魏軍の政戦両略を担う元帥とやらも、遺憾なく務めあげるのみよ──呉慶将軍も今ではこの件に納得しています。

 

 

 ですから、彼が納得できないのはもっと別のコトです。

 

 

 元帥の仕事が思ったよりも大変で、家族の時間が十分に作れないことは慚愧(ざんき)に堪えませんが、これは仕方のないことです。

 

 毎日のように魏安君の離宮に通う安釐王に初孫が懐いたことを、空気の読めない主君に自慢されても悔しく思う呉慶でもありません。

 

 

 少しだけイラッとしたりもしましたが、彼とて週に一度は爺やを連れて初孫の魏慶(ぎけい)をその手に抱いているのです。

 

 この記憶があれば、自分はどこまでも戦える──この件について呉慶将軍は、息子と嫁に恵まれた我が身の幸福を喜ぶばかりです。

 

 

 ……それでも呉慶将軍には納得できないコトがありました。

 

 

 娘の玲麟が兄の新婚家庭に居着いてしまったのはいいのです。

 

 彼女の気持ちを初めて知ったときは無論のこと驚きましたが、同時に深く納得するところもありました。

 

 

 紫伯もそうですが、たまたま兄妹に生まれたからという理由で諦めきれるものではないのでしょう。

 

 玲麟が鳳明をあれほどまでに慕うようになったのは、父たるこの身が家庭を蔑ろにしたからだという自責がある呉慶です。

 

 ふたりの関係を公然と認めることはできませんが、父として娘の幸福を応援しようと思いました。

 

 

 しかし……。

 

 

「姉様だけズルい。僕も兄様と結婚したかったのに」

 

 

 鳳明と玲麟の関係を知るや、そう憤慨して収まりのつかない次男の龍譚はどうしたことでしょうか……?

 

 彼が結婚制度の何たるかを、まったく理解していないとは思えません。

 

 

 あの幼かった龍譚も年明けには12歳。

 

 兄の鳳明が新設した士官学校を、韓より留学中の張良ともども優れた成績で卒業し、彼の補佐をもって初陣に赴き、華々しく武功を挙げている龍譚なのです。

 

 男同士の結婚が不可能であることを、今さら言い含める必要があるとは思えません。

 

 

 ……だからこれは冗談か、さもなければ鳳明と玲麟の関係が変化したことで、自分との関係も変わってしまうのではないかと、不安を覚えているだけなのだろう。

 

 呉慶はこの件もそうやって無理やり納得するように努力したのです。

 

 

「ふむ、龍譚様もお年頃のようですな。もし宜しければ、この爺やが龍譚様に相応しき良縁を紹介することもできますが?」

 

「いらないよ。兄様がダメなら張良で我慢するから」

 

 

 やはりこの件だけは納得するワケにはいかない──思わず酒に逃げたくなる呉慶将軍でしたが、絶対に外せない公務は目前に迫っています。

 

 

 彼が居るのは、自身の領内に築かれた極秘の軍事都市です。

 

 開封周辺にある衛星都市のひとつであり、鉄鋼というまったく新しい資源を生産、研究、活用する地図上では存在しないことになっている秘匿都市。

 

 そこで数年に渡って開発された成果を魏の太子であり、宰相でもある魏安君・呉鳳明が信陵君と視察に訪れたのです。

 

 公人として恥ずかしくない振る舞いをする以外の道を、この謹厳実直な呉慶元帥は知りませんでした。

 

 

「ようこそ璧嶺(へきれい)へ。臣下一同、魏安君と信陵君の来訪を歓迎いたします」

 

「うむ、呉慶元帥よ。あまり時間がない。早速だが例の物を見せてくれるかな」

 

 

 そう厳かに応じたのは信陵君ではなく鳳明でした。

 

 生来というか前世から引きずっている日本人の感性ゆえに、いつまで経っても子供っぽい言動が改まらない鳳明ですが、この時ばかりはその地位に相応しい公人の振る舞いをしてくれました。

 

 

 頼もしくなったな、と密かに感動する呉慶元帥ですが、これは知らぬが花の極致に存在する話です。

 

 もし彼が鳳明の推し進める軍政改革の正体──例えば中身は丸ごと某架空戦記物の銀河帝国を参考にしており、先の気取った発言も、呉慶の着用する黒と銀のカッチョイイ制服を見てテンションが上がり、思わず若き皇帝になりきって発したものだと理解することが出来ていたら、さすがにその拳を愚息の脳天に叩き込んでいたことでしょう。

 

 

「では、こちらへ」

 

 

 無論そんなコトを知る(よし)もない呉慶は直ちに応じ、表面上は大軍の駐屯する軍事都市を装った城邑の内部へ──徹底的に戸籍を洗われた軍司令部直属の職業軍人と技師だけがその存在を知る、鉄鋼都市・壁嶺の秘匿された地下施設へ案内したのです──。

 

 

「……うん。換気体制に問題はなさそうですね」

 

 

 本来であれば、コークスや高炉を扱う製鉄所を地下に建設するなど愚の骨頂。たちまち黒煙と酸欠に襲われるはずですが、まだ入手できる鉄鉱石が少量だったことと、鋳造技術自体が試験段階だったため、この地下製鉄所は鳳明が設計した空気清浄機の許容範囲内に収まってくれたようです。

 

 

「今は、な。今後はどうなるかわからんが……」

 

「どうせこちらを秘匿しても、鉱山の規模を拡大したら他国の間者が嗅ぎつけてきますから、その時は堂々と地上に建設しますよ。ただし噴煙対策は徹底してね」

 

 

 信陵君の耳打ちに答えた鳳明が、いよいよ広大な地下施設に足を踏み入れます。

 

 

 そこで待ち受けていたのは壁際に整列する霊鳳、紫伯、龍譚ら高級武官と、その巨躯を鋼鉄の甲冑で包んだ凱孟と、もうひとり──。

 

 

「──来たか」

 

 

 到着した鳳明に不躾な視線を向けてきたのは、信陵君の食客におさまった“木こりの煖さん”という怪人物でした。

 

 

 凱孟にも匹敵する巨躯に、心得のあるものほど戦慄せずにはいられない隙のない身ごなし──信陵君の推薦があったから採用したが、もし奴が他国の息の掛かった者であったら、はたして鳳明を守り切れるだろうか──密かに警戒して入口側に手練を配置した霊鳳でしたが、当の本人は暢気なものでした。

 

 

「どうも、お久しぶりです煖さん。開封の食事は気に入っていただけましたか?」

 

「……悪くない。飯も、酒も、菓子も。おそらくアレ以上の物は、この中華に現れまいよ」

 

 

 そして煖さん自身も鳳明に悪感情は持っていないらしく、意外なことに雑談にも応じました。

 

 

「それは良かった。今回も大変なことを頼んでしまいましたが、他の方には頼めないことです。すみませんがよろしくお願いします」

 

「……礼は貴様の清酒と、斉の海産をふんだんに使った寿司で寄越せ。それで帳消しにしてやる」

 

 

 その言葉と同時に、煖さんが巨岩をも両断すると言われる大矛を構えます。まだ煖さんを完全に信用していない武官たちに緊張が走りますが、その標的は鳳明ではなく、不満げに立ち尽くす凱孟でした。

 

 

「なあ、やっぱりワシの扱いって悪くねえか?」

 

「何でそんなに不満そうな顔をするんですか? 適材適所ですよ。歴史に名を残す絶好の機会じゃないですか。さあ笑って笑って」

 

「笑えるか! それで死んだらどうする気だ!!」

 

「そのときは凱孟様の葬儀で心にもない弔辞を読んで、見えないように舌を出してやりますよ。ほらほら、せっかく盾を持たせてくれたんだから構えて構えて」

 

「ふぁっきゅう!!」

 

 

 副官の荀早に急かされて大楯を構える凱孟に迫る、煖さんの動きを目で追えた人物はごく少数でした。

 

 凱孟もその一人でしたが、さすがの彼も渾身の力で大楯を構える以外は何もできませんでした。

 

 煖さんが大矛を振り抜き、超硬度の金属を強引に削る厭な音を響かせながら、凱孟の巨体は2mも後退しましたが……火花と粉塵がおさまった時、大楯の表面には横一文字の溝があるのみでした。

 

 

「どうやら硬度と装甲厚は合格みたいですね。次は盾無しでアレを受けきってください」

 

「お前には人の心とか無いんかッッ」

 

 

 荀早のさらなる注文に憤慨する凱孟でしたが、煖さんが次の一撃を用意するのを見て覚悟を固めたようです。

 

 

「ええいッ、やってやるわい!!」

 

 

 奇しくもはるかローマの国父と同じ構えをとる凱孟を、無慈悲な一閃が蹂躙──今度は5mも後退して、彼の巨体は壁面に叩きつけられますが、すぐに立ち上がって鼻息を荒げている様子から、やはり煖さんの振るった刃は凱孟の肉体には届かなかったようです。

 

 

「……運のいい男だ。この矛が同じ材質であれば、貴様の肉体は二度も両断されていたであろうにな」

 

「なんだとテメェ!!」

 

 

 またしても激昂する凱孟の目の前に開封の発泡酒をチラつかせて、慣れた様子で手懐ける荀早でしたが、ふたりの漫才に興味がない煖さんの言葉は、一連の闘いを見守った武官達を大きく唸らせました。

 

 

「どちらにしろ大した物だな、貴様が開発させた鋼鉄製の甲冑は。既存の銅板を組み合わせた甲冑とは強度といい硬度といい雲泥の差よ。

 それと甲冑の下に用意させた、羊毛を使った緩衝衣も見事だ。アレが無ければあの男も肋骨を粉砕されていたであろうからな」

 

 

 寡黙な煖さんらしからぬ絶賛に、鳳明も会心の笑みを浮かべます。

 

 そう、まさに凱孟の装着している甲冑こそが、鋼鉄の発明以降、鳳明が真っ先に実用化を急いだ新装備になります。

 

 

 西洋式の全身鎧(スーツ・アーマー)をベースに、現代の戦車でも用いられている傾斜装甲や中空装甲、複合装甲の理論を持ち込んで完成させたこの甲冑は、過酷な戦場に赴く将兵の死傷者を必ずや激減させることでしょう。

 

 呉慶もまたそう確信し、この画期的な製鉄技術を武器や軍艦の装甲にではなく、自分たちの身を守る甲冑の刷新にこそ優先的に使用したことに、将兵を慈しむ鳳明の在り方を再確認して深く感動しました。

 

 

「これは急いで全軍の配備を目指すべきだが、量産体制はどうなっている?」

 

「そう言うだろうと思ってすでに準備を進めているが、ここの地下施設では日産50が限界だそうだ」

 

 

 信陵君も霊鳳に確認してただちに決断します。

 

 

「わかった。休眠状態の地上施設も稼働させろ。鉄鉱石の採掘もさらなる増産を目指す」

 

「いいのか? あまり派手にやると間者どもに嗅ぎとられるぞ、叔父貴よ」

 

「構わん。仮に技術流出が生じたところで製鉄技術の全貌が掴めるはずがない。今はこの優位を最大限に活かすべきだ」

 

「……相変わらず慎重なようで大胆な男だ。せいぜい足元に気をつけるがいい」

 

 

 と、そこに口を挟んだのは煖さんでした。

 

 霊鳳は底知れぬ武力を見せつけた煖さんをますます警戒しているようですが、すでに数年の付き合いになる信陵君は気さくに軽口を返しました。

 

 

「そう言う龐煖殿こそ今回はえらく協力的でしたね。何が武神である貴方の琴線に触れたのでしょうか」

 

「ぶ、武神だと……!!」

 

 

 信陵君の明かした正体にギョッとする霊鳳でしたが、龐煖は不快そうに鼻を鳴らしたのみでその場から立ち去ろうとしました。

 

 ただ、その直前に──。

 

 

「……呉鳳明のような男が現れることは、天の知り得るところではなかった。あの男が王道楽土を実現した時点で、我は天の災いたる資格を喪失した。

 故に見極める。奴がこの繁栄を永続たらしめるのか……我は大いに期待している」

 

 

 そんな禅問答を残して、龐煖という孤独な求道者は地上への階段を登っていきました。

 

 

「俺には奴が何を言っているかカケラも理解できんが、叔父貴にはわかるのか?」

 

「さあ? 私にわかるのは、彼が挫折から立ち直ったくらいのものだよ」

 

 

 霊鳳はこの秘密主義者の叔父を問い詰めたくなる誘惑に駆られましたが、それは今夜にでも酒を飲み交わした時にできることです。

 

 今は新設された軍務省の次官として、鳳明の代わりに国政全般の実務を取り仕切る信陵君と政策の擦り合わせをしなければなりません。

 

 

「地上の施設を稼働させれば日産200に届くだろうが、叔父貴が急いでいるのは趙に援軍を派遣することを考えているからか?」

 

「……ああ。長平の領有権を決める秦趙の争いはますます過熱するばかりだ。早めに手を打ちたい」

 

 

 かつての栄華を凌ぐほどの繁栄を手にした開封市民は忘れがちですが、秦国の脅威はいまも各国を脅かしています。

 

 ささい(・・・)な国境紛争を容易に一国の滅亡に結びつける昭王の野心が、いよいよ歯止めが効かなくなってきたのです……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 史記において、馬陽を占領して長平に進撃した秦国六大将軍・王騎と摎の連合軍25万は、これを阻まんとする廉頗の指揮する趙の大軍を三度も撃破したとありますが、これは間違いでした。

 

 

「殿ォ!?」

 

「おのれッ、輪虎を逃すでないぞ!!」

 

 

 実際には廉頗の 智囊(ちのう)である玄峰の偽装退却で、優勢を確信して前に出てきた王騎を討ち取る算段でした。

 

 僅差で輪虎という“廉頗の剣”はギリギリ届きませんでしたが、王騎の利き腕に決して軽くない傷を付けられたことは、王騎軍の幕僚たちを戦慄させるには十分でした。

 

 

「殿、ただちに手当を」

 

「ンフフ、貴方まで大袈裟ですね騰ォ? 見ての通り骨には達していませんし、指もすべて動きます。包帯でも巻いておけば明日にでも血が止まるでしょうよ」

 

 

 しかし王騎にはわかっていました。

 

 これが自分をもっと熱くさせろという、廉頗式の熱烈歓迎だという事を。

 

 

「……まったく、厄介な御仁ですよォ、廉頗将軍は。

 本質的にはこちらの麃公サンと似たような本能型の猛将だというのに、後付けの理性で兵法と軍略を意欲的に取り込み、実践してこられるのですから始末に困ります。

 おそらく、最愛の夫であるこの私が斬りつけられたと知って激昂した、摎の猪突猛進も計算に入れているでしょう。

 早めに使者を派遣して摎を退かせなさい。いいですね騰?」

 

「ハッ、ただちに」

 

 

 戦火に燃る長平の地で相対せしは、起翦頗牧──戦国四大名将とまで呼ばれる秦国六大将軍と趙国三大天、その全員(・・)の激突。

 

 そして鳳明登用以降の魏国が、初めて他国に遠征した戦い。

 

 

 戦乱の世は、否応なしに平和を謳歌する鳳明たちを巻き込んでいったのです……。

 

 

 

 

 

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