天下の大宰相・呉鳳明伝   作:後世の歴史家

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幕間『長平顛末記・其の肆』

 

 

 

 ──ここにひとつの誤解がある。

 

 

 白起は陣頭指揮を好まない。

 

 王騎や廉頗といった勇猛な武将がしばしば不利な戦況を覆すために、大将自ら先頭に立ち全軍を鼓舞することはままあるが、白起にはその必要がない。

 

 

 計略に長じ、戦わずして勝つことを至上とする白起という将軍は、多くの戦場でそれを実践してきた。

 

 ならば白起が全軍を鼓舞するために陣頭に立ち、自ら牽引せねばならぬ事態が何処にあろうか。

 

 

 ──誤解である。

 

 

 たしかに白起は勝つために必要な準備を戦う前に終えている。

 

 勝ち易きに勝つ。それが白起の信条であることは否定しない。

 

 

 しかし、それは白起が陣頭に立たないことを保証するものではない。

 

 むしろ若き日の白起は自ら陣頭に立ち、無理をすることが多々あった。

 

 

 

 

 

『これはまた無理をしたものだな。……答えろ白起。ここまで強引に勝ち急ぐ理由がどこにあった?』

 

『知れたこと。そうせねばおまえの到着前に終わらなかった』

 

『……なんだ、俺の所為だと言うのか?』

 

『それ以外に何がある。全軍を預かる臣が軽率にも前に出たことを非難するならば、相国となっても前線に出てくる己の身を顧みるがいい』

 

『フン、そういうコトなら叱言は無しにしてやる』

 

『臣にはあるぞ。手足より前に出る頭など聞いたことがないわ』

 

 

 

 

 

 ……だから白起は決して無理をしない。引き際を間違えない男だとの評価は敵から出た願望の類でした。

 

 連戦連勝。まさに常勝不敗。敵将が白起であると判明した時点で、戦わずして降伏することを決断した彼らはこう願ったのです。

 

 

 どうか無体なことをなさらないでください。

 

 私たちに貴方様の進軍を妨げる意思などないのです。

 

 欲しい物はすべて差し上げます。城も、領土も、国すらも。

 

 ですからどうか、どうか無辜の民だけは手に掛けないでください、と……。

 

 

 

 

 

「なんたるザマだ。徐庵、貴様らしくもない」

 

「す、すまん梁垓」

 

 

 匈族の騎兵に翻弄される僚友と合流するや、援軍を率いる将は迷わず叱り飛ばし、そしてこう告げたそうです。

 

 

「徐庵。殿が前に出られたぞ」

 

 

 それだけで、己が醜態を恥いる徐庵の顔つきは一変しました。

 

 

 

 

 

「──止まれ」

 

「どうなされた、若?」

 

「どうも奴等、ようやく本気になったようだ。……召集の角笛を吹け。戦法も変えるぞ。安易な突撃は厳禁よ。しつこい蠅のように付き纏って奴等を足止めする。決して無茶をするでないぞ」

 

「ハハッ」

 

 

 面倒なことになった、と匈族の騎兵を率いる頭曼は思いました。

 

 

 急に敗戦の気配がプンプンしてきおったわ。

 

 できれば別働隊など無視して本隊の足止めに向かいたいところだが、それもできぬ。

 

 

 アレの前に立ちはだかる鳳明の手下どもよ。

 

 貴様らも何かしらの勝算があってそうしているのだろうが、引き際だけは見誤るでないぞ。

 

 

 下手をしたら全滅もあり得るでな……。

 

 

 

 

 

「ハッ、ハ──ふっ、ふぅうう」

 

 

 呼吸が正常に刻めない。全身が冷たい汗にまみれて寒気もする。

 

 手足も重くて、とてもじゃないが自力で動かせそうにない。

 

 おかしいな。兄様の甲冑は見た目ほどの重量じゃないのに、なぜか指先ひとつ動かせそうにない。

 

 

 何故、どうして。

 

 いや、原因はわかっている。

 

 

 こちらに突撃してくる敵の纏う空気が急に変わった。

 

 少し前まで敵軍の奥深くに掲げられた白起軍の旗が、今では最前列で誇らしげに翻っている。

 

 それだけの変化に過ぎないのに、開戦前は軽口を叩く余裕すらあった敵の姿が怖くて怖くて仕方がなかった。

 

 

 ……視える。見たくないのに視えてしまった。

 

 

 あれが白起。中華の誰もが認める天上天下・東西南北不敗の将軍。

 

 だというのに大将自ら先頭をゆくという、この常軌を逸した突撃は何なのか──あまりにも愚策じゃないか。

 

 

 父様が言っていた。将たる者の責務は兵を指揮すること。

 

 故に戦死することと、敵前逃亡することだけはあってはならないって。

 

 

 だから、だから、これは白起将軍を討ち取る好機だ。

 

 長槍の穂先を揃え、彼を討ち取ってしまえばこちらの勝利だ。

 

 

 そこまでわかっているのに、何もできそうにない……。

 

 

 見られている。睨まれている。白起軍の全員に。

 

 凄まじい眼光に射抜かれて、何ひとつ敵対行動ができずにいる。

 

 

 ……これが父様の言ってた軍の重圧なのだろうか。

 

 

 迫り来る猛獣の姿から目を離せる人間はいない。

 

 何故なら視線を逸らした次の瞬間に自分の喉笛を食いちぎられるからだ。

 

 

 だから、もう、敵の姿しか見えない。

 

 僕も、良さんも、兵たちも。誰もが頼もしい戦友と肩を並べているのを忘れて、孤独になってしまった。

 

 たった一人で、中華最強の白起軍と戦うことになってしまった……。

 

 

 

 

 

「……いけない」

 

 

 その重圧に恐怖を覚えたのは輪虎将軍も同じでしたが、彼には白起軍と同格の王騎軍や廉頗軍に挑んだ経験があり、それが若き勇将の心を救いました。

 

 

 しかし何度か実戦こそ経験したものの、これほどの覇気をみなぎらせる強敵と相対するのは初めてのこととなる龍譚や張良……そして新たに編成された魏軍はその経験不足から完全に飲まれていました。

 

 このまま白起軍の突撃を許せば、魏軍の壊滅は必死──。

 

 

「龍譚様号令を! せめて兵たちに武器を構えさせ──龍譚様! このままでは鳳明様も危険です!!」

 

「──ッ!?」

 

 

 咄嗟に鳳明の名を出したのは偶然ではありません。

 

 輪虎が最低限の軍を編成して挨拶して以来、龍譚の口からは鳳鳴への愚痴という自慢話がたびたび飛び出したからです。

 

 

「いいですか! 今はあの船に留まっている鳳明様の退路を確保するためにも、この拠点は断固として死守しなければなりませんが、そのためには龍譚様の率いる魏軍に踏ん張ってもらわなければならないのです!!」

 

 

 その通りだ……危ういところで我に返った龍譚は唇を噛み、ただちに声を挙げました。

 

 

「──全軍に告ぐ! ただちに白起軍の突撃に備えよ! 見ての通り白起将軍の姿は先頭にある!! 彼さえ討ち取ればこの戦争は終わりだ……!!』

 

「あ、ああ……たしかにそうだ……」

 

「龍譚様の仰るとおりです! 最前列の歩兵は隙間なく盾を構えよ! 二列目の歩兵は長槍だ! 穂先を揃え、白起のみを狙うのだ!!」

 

「『うォ、オオ、オオオオォォ』」

 

 

 輪虎の喝は龍譚の激を呼び、張良の指揮をもってその軍は迎撃の用意を間に合わせた。

 

 その身を包む甲冑は贅沢にも鋼鉄製で、構える盾も、並べる槍も、それなりに名の知れた武将である自分が羨むほどの業物ばかりだ。

 

 これならば、そう易々と突破を許すことはない──そうした輪虎の見積もりが甘かったわけではありません。

 

 

 この場合、白起が辛すぎた(・・・・・・・)と言うしかありませんでした。

 

 

「来るぞ!!」

 

 

 すぐさま警告を発した龍譚でしたが、そのとき、彼はとても不思議な経験をしました。

 

 

 先頭の白起に固定したはずの視線が際限なく()に引っ張られる。

 

 なんだ、これは……宝刀を振りかぶった白起将軍の姿が、天を衝くほどの巨人に見えて仕方ない。

 

 

「──、────────」

 

 

 そしてソレが衝突した瞬間、耳を塞ぎたくなるような轟音を最後に……戦場から音が消えた。

 

 

 その産地と製法を知る鳳明が鋳造させた、タングステン鋼の大盾が易々と両断された。

 

 

 割られた盾はひとつではなかった。斬り飛ばされた槍先は十では済まなかった。

 

 

 胴を輪切りにされて即死した兵は幸運だった。ひしゃげた甲冑に包まれたまま宙を舞う兵は、どう見ても人間のカタチをしていなかった。

 

 

 たかが一閃。ただの一閃で魏軍の死者は二十を数え、その陣形に決して開けられてはいけない穴を開けられてしまった。

 

 

「オオッ、殿に続けェ!!」

 

「応ッッ」

 

 

 忘我の一瞬──そこから立ち直ってからが本当の地獄でした。

 

 

「うヒィ!?」

 

「ひギャァ!!」

 

 

 陣形の亀裂はそこに侵入した白起軍の騎兵よってさらに拡大され、一方的な殺戮を繰り広げられてしまいました。

 

 

 さっきまでとは違う意味で息が苦しい。たぶん血と臓物の雨が降っているからだ。

 

 そして安邑から開封に移って以来、久しく嗅いでいなかった糞便の臭いもする。

 

 

 しかも、かなり直近……ああ、これは自分のだ。

 

 ごめんなさい姉様。せっかく仕立ててくれた一張羅を僕は汚してしまいました。

 

 でも仕方ないですよね。僕がこんな戦場(じごく)に立つのは初めてなんですから。

 

 道理で僕がここの守りに就くことに兄様が反対するはずだ。父様だって反対こそしなかったけれども決していい顔はなさらなかった。

 

 

 ……だというのにしつこく志願したのは誰だ?

 

 僕だ。身の程知らずの甘ったれ小僧である僕が英雄気取りで志願したのだ。

 

 

 だとしたら……であるのならば!!

 

 失禁と脱糞を恥じる前に、こんな僕を信じてくれた兵たちのために。

 

 将として、やるべきことがあるだろうに──。

 

 

「聞け! 勇敢なる魏軍の将兵たちよ!!」

 

「えっ……?」

 

「……龍譚様?」

 

「見よ、皆の比類なき献身をもって我が軍は白起軍の突撃を受け切った!! これは偉業である。何故なら中華最強たる白起が全軍を強烈に牽引したにも関わらず、我が軍を突破できずその足を止めたのだからな……!!」

 

「あ……」

 

「た、たしかに……」

 

「ここから先は我慢くらべよ! こちらは増援の趙軍が続々と集結している! 時間が経てば経つほど有利になるのは我らだ!! 張良!?」

 

「はいッ、龍譚様──後衛は中央の厚みを残して前衛の支援を急ぎなさい! 余裕のある者は負傷者の搬送を! 決して独断で動かず龍譚様のお言葉に耳を傾けなさい。さすれば我が軍の勝利は明るいぞ!!」

 

「『応ッッ』」

 

「……やりますね」

 

 

 もしここで龍譚が絵空事を口にしていた場合は全軍の士気が崩壊することもありえました。

 

 しかし、彼が示した勝利の道筋は極めて現実的でした。すでに渡河した趙兵は1万を超え、輪虎と同じ廉頗四天王の介子坊が軍の編成を終えようとしていたからです。

 

 

「聞きましたね介子坊さん。僕らもそろそろ白起軍の横腹に食らいつきますよ」

 

「うむ。この献身に応えずして何が武人か」

 

 

 こうして精鋭部隊を率いた輪虎・介子坊の両将軍が左右から白起軍を挟撃──必死に踏み止まる魏軍に掛かる圧力を軽減しようと試みます。

 

 

「クッ」

 

「ぬうッ」

 

「ふん、愚かな奴らよ。我が殿が両翼を固めておらぬと思ったのか? 貴様らは我が軍の最も堅固なところに無策で突っ込んできたのだぞ」

 

 

 しかし、その策も凌がれ──苦しい防戦を強いられる魏軍は後退を余儀なくされました。

 

 

「殿、もはや大勢は決したようです。残敵は我らが……どうかお退がりを」

 

「……いや、まだだ」

 

「殿、まだ何か……?」

 

「廉頗だ。奴は何処だ。奴はこの地の重要性に気付かぬ男ではない。だというのになぜ他人任せにした。奴は何を企んでいる」

 

 

 その指摘に側近たちも周囲を見渡す。

 

 たしかに殿の指摘はご尤もだ。あの廉頗めの性格を思えば、予想だにせぬ連環計により溜め込んだ鬱憤を晴らさんと前に出てこない方が不審である。

 

 

 しかし何度見回しても周囲に廉頗の騎影はなく、近くに潜んでいる気配もない。

 

 

「殿、たしかに不審でございますが、奴はもしや、出てきたくとも出てこれないのでは……?」

 

 

 もちろんその可能性もある。火災の折に負傷したか、それともそう思わせることで油断を誘うつもりか……いずれしろ断定はできんが、奴が居らぬというなら成すべきはひとつだ。

 

 

「……良し。後衛の歩兵軍2万を前に出し、魏軍を押し込め。両翼も左右に押し込め。活路が開け次第、拠点の趙兵を蹴散らし浮き橋を焼き払うぞ」

 

「ハハッ」

 

 

 これは長平の合戦における最終局面──後世の歴史家や、戦史家の多くが、白起将軍の勝利を確信したこの局面を、分かりやすく盤面に直すと以下の通りになります。

 

 

 盤の左には趙の本陣がある城砦と、それを飲み込む洪水。

 

 そして東の城壁から対岸の平野部までを浮き橋が結び、その出口には趙軍の拠点。

 

 ここに白起軍は北から攻め込み、途中で北東から襲ってきた匈族の騎兵を足止めするために、合計3万の軍を派遣。

 

 残りの5万は、白起を先頭とする騎兵1万が拠点の手前に布陣する龍譚の魏軍を一蹴。

 

 そして輪虎と介子坊の横からの攻撃も、両翼の軍それぞれ1万に阻まれ。

 

 しつこく食い下がる魏軍の残党も後ろから呼び寄せた歩兵軍2万に押し込まれ。

 

 いよいよ白起は、健気に集結する趙軍の拠点に王手を掛ける寸前でした。

 

 

 ……もちろんこの光景は、北の高地に布陣する李牧たちからもよく見えました。

 

 

「李牧様、これってどういうことなんですかね……?」

 

「……見ての通りですよ、傅抵」

 

 

 そのとき李牧の顔は、まるで博打に大敗したかのごとく自棄っぱちであったといいます。

 

 

「こんな、何度も不確定要素に揺らいだ盤面を、最初から想定して動いていたんですから、なるほど──やはりあの方は怪物だ」

 

 

 

 

 

 もうすぐだ、もうすぐだと、何かに憑かれたように白起は宝刀を振いました。

 

 量産される死体──それが魏兵から趙兵のものに変わったことに、途中まで気づかないほど没頭していたことに驚きながらも黙々と。

 

 

 ……我ながらいつになく浮き足立っておるな。

 

 だが、それも致し方なし。あと少し、あと少しで我が夢が叶うのだ。

 

 

 昭王の、魏冄の、臣の見た夢が、遂にこの手で……。

 

 

「殿ォ! どうかお退がりを──」

 

「奴が! なんと背後から強襲を!!」

 

 

「ヌハハ! 今回はいつになく無理をしたものだな、白起よ!!」

 

 

 ──廉頗?

 

 馬鹿な。なぜ廉頗が北から──白起将軍が当惑するのも無理はありません。

 

 

 実はこの廉頗将軍、魏国の使者が浮き橋の建設を提案したときにこれを囮にする策を思いついたのです。

 

 腹心たる輪虎将軍を東の戦場に派遣しながら、彼自身は側近の兵たちと馬を連れ、なんと南の城壁から荒れ狂う黄河を泳ぎ、南の森林地帯まで渡ったのです。

 

 

 ……勿論、言うほど簡単なことではありません。

 

 渡河した兵の半数が濁流に呑まれましたが、彼らは見事にやり遂げました。

 

 

 そして南から北東まで広がる森を大きく迂回し、なんと李牧軍の備えに残した羌貂の軍と、匈族の騎兵と交戦する徐庵・梁垓の軍のど真ん中をブチ抜き──輪虎が足止めする右翼の軍を斬り分けながら白起の背中を捉えたのでした。

 

 

「今度こそ儂の勝ちだ白起ッッ」

 

 

 ()られる──咄嗟に宝刀を振りかぶる白起の脳裏に不思議と浮かび上がるものがありました。

 

 

『だから言っただろうが。なりふり構わぬ泥臭いヤツには気をつけろと……ったく、俺の言うことを聞かんからそうなるんだぞ?』

 

 

「フッ、そうだな魏冄。結局、この(オレ)がおまえの敵になることはなかったが、やはり一度は負ける運命か……」

 

 

 なぜか穏やかに微笑み、まるで己の死を受け入れるかのように目蓋を落とす白起将軍の姿に、他ならぬ廉頗将軍が衝撃を受けます。

 

 

〈此奴、よもや不意打ちにケチをつけて勝ち逃げを──冗談ではないわい)

 

 

 そう思った廉頗将軍は刃を止め、ケチの付けようのない一騎打ちを提案しようとしましたが、渾身の力で振り抜いたものがそうそう止まるはずもありません。

 

 ですから、廉頗将軍はその横槍に心から感謝することになります。

 

 

「ンォフゥ」

 

 

 大胆にも敵の立場で浮き橋を使い、適当な馬を(勝手に)拝借した王騎将軍がギリギリのところで割り込み、その刃を受け止めたのです。

 

 

「──王騎」

 

「ンフフ、一瞥以来お変わりなく、廉頗将軍。今のはなかなか痺れましたよォ」

 

「おう、王騎か。助かったぞ。危うく白起めの勝ち逃げを許すところであったわ。……して、今回の横槍はどんな了見じゃ?」

 

「ンフ、それは長平侵攻軍総司令官として、正式な休戦の申し入れのためですよォオオ?」

 

「なるほど、そう来おったか。だが白起めが承諾しおるかの?」

 

「……構わん」

 

 

 紛糾を期待する廉頗とは裏腹に、白起はすんなりと引き退がりました。

 

 

(わし)としたことが欲をかきすぎた。これでは魏冄を笑えぬ……少し頭を冷やすとしよう」

 

「お? すると認めるのだな? この儂の記念すべき初勝利を!?」

 

「……しつこいぞ。勝利を吹聴したいなら好きにするがいい。それで恥を掻くのも貴様の自由だ」

 

「フン、可愛げのないヤツだな。少しは悔しがってみせんと勝った気になれぬではないか」

 

「ンフフ、代わりにこの王騎がお付き合いしますよ。廉頗将軍の記念すべき勝利を祝う宴にね。停戦の条件もそのときに話し合うとしましょう」

 

 

 そんな遣り取りを他所に、潔く敗北を認めた白起将軍は速やかに軍を纏めて北へと去りました。

 

 

 遺されたのは夥しいほどの死体と、呆気にとられる生存者のみ──はたしてこれを勝利と呼べるのか、龍譚は疑問に思いました。

 

 

 ……晒せるだけの醜態を晒した。

 

 ここまで負け知らずであった自信も打ち砕かれ、兵も大勢死なせ、血と臓物と糞尿に塗れた今の自分が勝者の名に値するのだろうか。

 

 

「勝ちましたよ、龍譚様」

 

 

 だが自分と大差ない姿の張良はそう繰り返す。

 

 

「龍譚様が踏みとどまってくださったからこそ、私たちも踏みとどまることができた。それにより廉頗将軍の救援も間に合い、王騎将軍の停戦も間に合ったのです」

 

「そうですよ、龍譚様……どうか元気をお出しください」

 

「自分たちがあの白起軍と戦えたのは、龍潭様のお言葉があったからです。ですから、どうか……」

 

 

 半分しか生き残らせることのできなかった兵たちもそう言うのだ。

 

 無能な将をなじるのではなく、誰もが晴れやかな笑顔で──何もかも、自分の指揮があったからだと。

 

 

「うっ、うう……」

 

 

 その言葉に龍譚は子供のように泣きじゃくりました。

 

 

 情けない姿を見られているはずなのに、なぜか恥ずかしいとは思いませんでした。

 

 

 

 

 







今回、長平の合戦を描いてみて思うことはひとつです。小説という文章しか使えない媒体で、これを描ききる作家さんは凄いなということです。
同時並行で描かなきゃいけないことが多すぎて、何度挫折しかけたか……やるんじゃなかったとは思いませんがね。

次回はようやくずっと描きたかったお気楽宴会。今から筆を滑らせて摎将軍の一夜の過ちを捩じ込むのが楽しみです。



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