天下の大宰相・呉鳳明伝   作:蘇芳ありさ

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観光案内の先駆者・呉鳳明

 

 

 

 さり気なく歴史の転換点を内包した合同慰霊祭が終了して、賓客として招かれた王騎・廉頗らの一行は魏国の王都・開封へと向かうことになりましたが……まず、その為に用いられた移動用の手段からして些か尋常ではありませんでした。

 

 

 レンガ並木で統一された開封周辺の街道を滑るように移動するのは、なんと観光客向けの無料の乗合馬車なのです。

 

 動力源こそありふれた馬ですが、アルミニウム合金製の大型の車体は油圧式緩衝装置を搭載していることもあってまったく揺れず──さらにはガラス窓も大きく取っていることもあって、開封周辺の雅な風景まで楽しめるという代物です。

 

 秦趙両国の重鎮である王騎・廉頗一行らは、この時点で自国との格差に新鮮な驚きを味わっていました。

 

 

「わぁ……見て見て、王騎様。街道脇の樹々や植物がまったく途切れることなく造成されているわ。なんて幻想的な風景なのかしら……」

 

「ンフフ。たしかに、その点はたしかにその通りですが、貴女がこの風景を楽しめることを、私は何よりも喜ばしく思いますよ、摎」

 

「……あまり甘やかすな。いかに身内だけの席とて、勝手に透明な窓板を横にずらして、車体から身を乗り出すような真似は褒められたものではないぞ」

 

「そういう貴男は大事に育てた娘を嫁に出す父親のような傷心ぶりですねェ……いいじゃありませんか。若さ故の過ちというものがあるように、若者だけの特権というものもあるのですよォ?」

 

「ハッ。わたしも童心に返って楽しんでおります、殿」

 

 

 開封入りする主な人物は、王騎、騰、摎、昌文君らお馴染みの面々に加えて、厳正なる抽選の結果、随員に選ばれた録嗚未、隆国、干央といった幕僚も同乗していました。

 

 

「……よォ隆国。殿はああ言ってるが、これってマズいんじゃねえか? 魏国の戦車は手強いってよく聞くがよ……この馬車に使われてる技術を流用されたら、手強いどころの話じゃ……」

 

「相変わらず軍事には目敏いな、録嗚未。……だがそうだな。俺たちが随員に選ばれたのは、今の魏国を正確に見定めろという、殿のご配慮だろう。責任重大だな」

 

「……。(密かに痔に障るのではないかと腰を浮かせていただけに、まったく揺れない車体に驚き言葉もないようだ)」

 

 

 この7名に加えて、趙国王政府の代表として合同慰霊祭に参列した廉頗将軍と補佐役の輪虎将軍は、呉慶、霊鳳、凱孟、龍潭、張良ら魏国武官組の馬車に同乗して友好を深めているようです。

 

 そして呉鳳明、信陵君、李斯らの馬車は先頭を直走り──いよいよ開封の代名詞である白亜の三重城壁が他国の軍事関係者の目に止まりました。

 

 

「なっ、なんじゃアレは──ッ」

 

 

 渾身の顔芸とともに叫んだ昌文君の疑問に答える者はいません。

 

 その城壁が如何なる物質で形成されているか想像もできない彼らですが、継ぎ目のまったくない石材に類似した物で出来ていると当たりを付けただけで、その脅威をまざまざと実感したからです。

 

 

 実際の攻城戦においては、分厚い城門を破城槌で打ち破るよりも、石を積み上げて築いた城壁を崩した方が容易に突破できることがままあります。

 

 しかし継ぎ目がまったく見当たらないということは、攻め手にとって城壁を突破する手段が限定されるということ──彼らは歴戦の将だからこそ、この城壁に衝撃を受けたのです。

 

 

 高さも近づくにつれて目算が可能になり、隆国が内心の疲労を滲ませた溜め息を漏らします。

 

 無理だ。少なくとも既存の攻城兵器は通用しない。攻略手段は唯一、損害を度外視した人海戦術のみだが、この高さの城壁に掛けられる梯子があるだろうか。無ければ新たに作るしかないが、それでも突破には防衛側を年単位で疲弊させねば──。

 

 

「ッ……!?」

 

 

 そうした隆国の計算は、最初の城門を潜った時点で吹き飛びました。

 

 てっきり城門の内側には開封の街並みが広がっていると思っていましたが、なんとそこは一大軍事拠点でした。

 

 広大すぎる敷地に駐屯する魏兵が街道沿いに整列して、右手で兜の面貌を押し上げる奇妙な敬礼をしているのはまだ常識の範囲内でしたが、その背後に立ち並ぶ規格外の高層建築物は、それを兵舎だと推測した隆国の心を軽々と折ってきたのです。

 

 

(無理だ……こんな所に攻め寄せても、疲弊するのは攻め手だけだ。人数分の兵舎が完備されてるのはまだいい。だが、なぜ出店まである? 女の姿まである? 兵の慰安施設まで用意する城塞都市など見たくなかったぞ……)

 

 

 この時点で隆国は今の魏国に攻め入る無謀を理解し、考えるのをやめました。そうすることにより、彼のポッキリ折れた心は、次の城門までかるく一里(約4キロメートル)はあると推測しても砕けずにすみました。

 

 

(次は農園……まあ、そうだよな。魏国の潤沢な食糧事情は俺も聞き及んでいるが、保存の効く麦や米だけじゃなく肉や青物も重要だもんな。開封の奴等は何年籠城しても毎日肉や果物が食えるのか。贅沢な城塞都市だな。完全に魏安君の趣味と一致するじゃねえかクソが)

 

 

 心を無にしてやり過ごす隆国の目に、頭を抱えて荒い呼吸を繰り返す昌文君の哀れな姿が映りました。

 

 生真面目な彼のことです。己の責務から逃げなかったからこそより深刻な被害を被ったのでしょう。

 

 主君である王騎将軍を相手に対等の友人のように振る舞う昌文君を、隆国はあまり好きではありませんでしたが……この時ばかりは、今度から優しくしてやろうと思うのでした。

 

 

「ンフフ、なるほど、なるほど……実に興味深い都市ですね、ここは」

 

「そうね。あの果物は何かしら……赤みがかった黄色で、とてもよい香りが漂ってくるわよ」

 

「あれは斉の特産で、名を 檬果(マンゴー)と。この国でも栽培されていたとは驚きですが、甘露な味わいと評判ですよ、摎様」

 

 

 未だに軽口を叩けるメンタルの持ち主はこの3人ぐらい……負けん気の強い録嗚未の思考は開封の城壁をどうやって乗り越えるというところで止まっているらしく、時折、物騒な呟きをこぼしています。

 

 

「おやおや。楽しい旅でしたが、いよいよ終わりが見えてきましたね。あの城壁の向こうが、私たちの滞在する魏国の王都・開封──その総人口は100万とも言われる中華随一の大都がお目見えですよォ」

 

 

 何かと数字を盛っていると思われがちな古代中国史ですが、開封の繁栄ぶりには一切の誇張が含まれていません。

 

 例えば王騎将軍が言及した開封の人口が100万に達するという件も、超大国を自認する楚の春申君ならば鼻で笑うでしょうが、これはむしろ控えめに数えた方です。

 

 

 なにしろ信陵君が厳格に推し進めた戸籍と照らし合わせると、この時点で開封市内に住居を持つ魏国籍の人間は、軍民合わせてなんと88万人。

 

 そして移住を申請している国内外の民や商人たちの総数たるや、実に54万という圧倒的な数の暴力で、新たに新設された民政省に詰める文官たちを物理的に泣かせているのです。

 

 そう思えば100万という数字は控えめを通り越して、一向に減少しない書類の山に囲まれた担当部署の悲哀を偲ばせてなりません。

 

 

 ともあれ、ひとつ確かなことは、それだけの人口に恵まれてなお、開封の繁栄は糞尿まみれには程遠いという事実です。

 

 下車した異国の客人を出迎える開封の街は清潔そのもので、ゴミのひとつも落ちてはいません。

 

 

 ……もちろん厠の存在を知らない他国人が街中で用を足そうとして、現地の住民とトラブルになるという事例は枚挙に暇がありません。

 

 しかしながら呉鳳明が手ずから設計した先進的なウォシュレットを一度でも体験した者は、二度と街中で用を足そうとは思いませんでした。

 

 後年に花の都と讃えられる欧州のある都市は、この問題を解決できなかったからこそ芳香で中和しようとしましたが、開封市内に咲き誇る名花の数々はそんな悲しい現実とは無縁でした。

 

 

 開封は商人の街とよく言われます。食い倒れの街とも言われます。しかし文官達の鬼気迫る仕事ぶりに触発された王宮の園芸家たちが趣向を凝らしたこの街は、この時代に例がないほどの花の都でもあったのです。

 

 

「わぁ……」

 

 

 この街の立役者でもある呉鳳明の正妻・綺丹公主に因んだ牡丹が元気に咲き誇れば、その背後に植えられた芍薬が凛と背筋を伸ばし、あどけない百合の開花を心待ちにしているようでもありました。

 

 

「ねえ、爺や知ってる? 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花って、この国の美人を形容する言い回しらしいんだけど、これってあの子の二人の奥さんと妹さんに因んだ例えなんだって」

 

「そうか。そうだな。……うむ。やはりお前もそう思うか。この街は狂ってる。狂ってるぞ、摎よ」

 

 

 圧倒的な人口を誇りながらも狭苦しい印象がまるでない街路の傍で、満面の笑みとともに身を翻した摎将軍は見るからに上機嫌でしたが、従者である昌文君の余裕のない振る舞いには不満があるご様子。

 

 

「爺やったらまだ言ってるの? 王騎様もあの子の街なんだから何があっても不思議じゃないって仰ってたのに、まったく頭が固いんだから……」

 

「狂ってる。この街の代名詞である白亜の三重城壁はまだ分かるわ。継ぎ目のまったく無い石の城壁など製法の想像もつかんが、他国の侵略を抑止する為と思えばあの異常なまでの高さも、分厚さも、まだ必要とされとると理解できる……だが、だが城門から次の城門までかるく一里はあるとは何事だ?

 一番外の街区は軍事拠点と言うが、あんな過剰な敷地と設備は要らんだろうが! 

 次の街区も鳳明の私的な農場とか、この街は何を目指していると思ったら、ようやく辿り着いた市街地は一面花まみれとか、理解に苦しむわ!! 贅沢にも程があるとは思わんのか……!!」

 

 

 どうやらこの街は質実剛健な昌文君のお気に召さなかったようですが、ここは飽くまで一般的な開封市民の居住区に過ぎず、もう少し歩けばまた違った街の姿が見えてきます。

 

 

「おっ? なんだか旨そうなメシの匂いがしてきやがったな」

 

「ああ。この先は開封の商業地区……各国の商人達が出入りする街区になるらしいから、専用の出店があるのだろうよ」

 

「それは楽しみだな」

 

 

 人間の想像力には限度があります。1から2を想像できても、0から1を想像することはできません。なまじこれまでの市街地が外見だけは既存の常識に留まっていたために、彼らが想像したのは雑多な商人が行き交う活気ある街並みでしたが、違います。

 

 

「こ、これは──」

 

 

 まず昌文君の眼に映ったのは、住宅地に隣接した公園と学校でした。

 

 どちらも大勢の子供が詰めかけて元気よく走り回っています。

 

 

「……道理で市街地に子供の姿がないわけだ」

 

 

 そして、この先は商業地区といっても、それは古代ではなく現代のものです。外見こそ古代中華風ですが、所狭しと建ち並んでいるのは紛れもないビルディングです。階層間の移動には原始的ながら昇降機(エレベーター)も完備されています。

 

 北側の港湾地区まで出向けば普通の店も存在しますが、この辺りの店はほとんどビルの中に店を構えているのです。

 

 他にも図書館があります。劇場もあります。商人たちが利用する宿の他に、他国からの賓客が利用する高級ホテルも存在します。呉鳳明が王騎らを招き入れた物件も、そうした民間施設のひとつです。

 

 

「さて、まずは皆様お疲れ様でした。こちらが皆様の滞在する宿舎になります。

 実は皆様を王宮の方にご案内する案もありましたが、個人的に皆様にはこの街をよく知って頂きたいという思いからこちらに案内いたしました。勿論、皆様の滞在にかかる経費はこちらで負担します。

 それではお部屋で荷物をおろしたら存分にこの街をご堪能ください」

 

「ンフフ、何から何まで至れり尽くせりで……貴男のご厚意、ありがたく受け取らせていただきますよォオオ」

 

「ヘッ、上等じゃねえか……こっちこそギャフンと言わせてやるぜ」

 

 

 鳳鳴の誇らしげな笑顔を挑戦と受け取ったのか、録嗚未が犬歯を剥き出しにして笑いましたが、その強気がいつまで保つか……。

 

 忘れてはなりません。彼らがしばらく滞在するは、中身が丸ごと現代日本のホテルなのです。

 

 テレビなどの電化製品こそ存在しませんが、早速トイレで用を足して文明の力に触れた幾人かは情けない悲鳴を挙げました。

 

 

「なんじゃこの便器はァ!? 終わったらこちらの丸い出っ張りを押せと言うから押したら、尻の穴に水がピュピュッと……!!」

 

 

 しかしその一方で、現代のそれとほぼ相違ないお風呂を堪能して蕩けるような気分を味わった人物もいます。

 

 鳳明が案内に付けた綺丹公主と玲麟の介添で入浴した摎将軍です。

 

 

「摎様。そろそろ浴槽を出ないとのぼせちゃいますよ。洗い場でお世話をいたしますからこちらにいらしてください」

 

「ああ、ダメ……快適すぎて立ち上がる気になれないわ」

 

「わかります。私も鳳明様のお風呂を初めて利用したときはそうなりましたから」

 

 

 摎の嘆きにクスクス笑って応じたのは腰帯以外は身につけていない綺丹公主ですが、表向きは侍女ということになっている玲麟は介添用の湯浴み着で「仕方ないなー」と腕まくりして、泡風呂の中から高貴な客人の救助に掛かりますが……。

 

 

「あんっ」

 

 という色っぽい声を漏らして大根のように引っこ抜かれた女神の肢体に、綺丹公主は密かに戦慄させらせます。

 

 

「……摎様って、私たちとそこまでご年齢が離れていらっしゃらないんですよね」

 

「え? ええ、まだ二十歳になってないわよ」

 

 

 ここで詳細な設定をだしますが、綺丹公主は御歳17歳。具体的に何処とは申しませんが、サイズはB。

 

 玲麟は15歳でサイズはD。年下にすら及ばないという事実に目を瞑れば、ここまではまだ許容範囲内。

 

 しかし、愕然とする綺丹公主の前にさらけ出された見事なたわわ(・・・)たるや、そのサイズは最低でもG。いや、Kか、もしかしたらそれ以上かも……。

 

 

 待望の第一子を妊娠して産休中の思涵も大きかった。もとから私たちのなかで一番大きかったが、最近はさらに成長して大きくなった。女性の胸が身体の成熟にともなって大きくなるというのならば、なぜ私だけ取り残されて……綺丹公主の内心の嘆きはそのようなものでしたが、彼女はそれを表に出すような人間でも、周囲に当たり散らす人間でもありません。表面上はとても優雅に微笑まれておりますし、実のところ余裕もあるのです。

 

 

 正妻としての揺るぎない地位と、実はひんぬー教徒という夫の愛情。これらが揺るぎない自信となって綺丹公主を支えていたのですが、それもここまで……。

 

 

「ところでちょっと小耳に挟んだんですけど、兄様と同衾されたって本当ですか摎様?」

 

 

 玲麟の無邪気な質問に、自身の心が硝子のようにひび割れる音を綺丹公主はたしかに自覚しました。

 

 

「あら、よく知ってるわね。誰に聞いたの?」

 

「弟の龍譚です。摎様が酔い潰れた兄様を介抱して、そのまま一夜を共にしたって」

 

「ええ、私も隣で寝ちゃったのよ。そうしたら翌朝にせめて寝巻きくらい使えって、爺やにえらい剣幕で怒られて……」

 

 

 な、なぁーんだ。隣で寝てただけか……って、せめて寝巻きを使えって、ひょっとして今と同じ格好で鳳明様の隣に?

 

 

「なんだ、そうだったんですね。わたしてっきり、摎様が兄様の3人目の奥様になるのかなって、ちょっとだけ楽しみだったのに……」

 

「うふふ、期待させてごめんなさいね。ただ、そうね……私もあの子のことをどう思ってるのか、自分でもよく分からないところがあって」

 

「え? それって満更でもないってことですか?」

 

「勿論、あの子のことは好きよ。いい子だし、嫌いになる要素なんて無いから。ただ私には他に好きな方がいて……でも、そうね。もしあの子を護れる人が他にいなかったら、私は身を挺してでもあの子を護るでしょうね。その結果この命を散らすことになっても、私は決して後悔しない……そんな不思議な気持ちもあるわね」

 

 

 なによそれは。ほとんど愛の告白じゃない。そこは素直に初恋の方と添い遂げてくださいまし。

 

 綺丹公主は赤裸々なガールズトークに悶々とさせられるのでした……。

 

 

 

 

 







ちなみにジャンケン負けた鱗坊と同金は帰国組です。

あと使者の任をまっとうして邯鄲から戻った玄峰は全力で開封行きを拒否しました。


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