天下の大宰相・呉鳳明伝   作:後世の歴史家

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幕間『とある子どもたちの亡命』

 

 

 

 呉鳳明が魏国の宰相として手掛けた事績は多岐に渡り、枚挙に暇ないのが実状です。

 

 何しろ現代の中華七国や歴史的な友好国であったモンゴル、ローマ、エジプトはおろか、南北アメリカ大陸のインディオ共和国とも親交があったというのですから、鳳明が世界史クラッシャーと言われるのも当然です。

 

 後世の歴史家と考古学者が鳳明絡みの新発見があるたびに、「また鳳明か!」と自棄酒を煽るのもお馴染みの光景ですし、現代日本のライトノベル作家が「どうせこれも鳳明がやってたんだろうなぁ」、と内政チート物を敬遠するのもわかろうものです。

 

 

 ……そんな世界史の汚染源たる呉鳳明ですが、宰相に就任して真っ先に手掛けた仕事はというと国内の治安向上でした。

 

 しかし中華は広く、魏国の領土もけして小さくはありません。

 

 各都市の防衛と治安維持ならば軍部と司法省に委ねれば事足りますが、ゆうに数千を数える農村にまでそれらの人員を十分に配置することは不可能です。

 

 かといって村民の武装化による自己防衛を強化するのも問題があり、新宰相を補佐する信陵君は大いに頭を悩ませましたが、幸いにも国内の賊の成り手(・・・・・)はそう多くはありません。

 

 

 ならば必要なのは防衛体制の強化ではなく、監視体制の構築。

 

 国家を人体の構造に置き換えた鳳明は、必要な時、必要な場所に治安警察を送り込むための制度を設立しました。

 

 

 都市間の街道を本格的に整備する一方で、各地に巡回する兵士の拠点となる屯所を設け、これらを有機的に連携──その発想はまさに現代日本の交番そのもの。

 

 中身は丸ごと現代日本人の呉鳳明が遠慮なく模倣した『お巡りさん』の制度は、街道を行き来する多くの人々の(たす)けとなったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソがッ!! あのガキども何処へ消えやがった!?」

 

「探せェ! まだ遠くには行ってねえはずだッ!!」

 

「ふざけやがって! あんなガキどもに嘗められたら俺たち狼甫一家の名折れだぞ!?」

 

 

 口々に叫びながら森の中を捜索する彼らは秦国内に巣食う賊の一団でしたが、どうやら獲物を深追いして魏国に足を踏み入れてしまったようです。

 

 それが彼らの命取りとなります──。

 

 

「──いたぞ! あの後ろ姿は間違いねえ!!」

 

「でかした! あのクソアマ、あんな所まで逃げてやがったのか……」

 

「おー、おー、あんな足手纏いにしかならねえガキどもまで連れて、健気によぉ」

 

「ククク。あのアマ、最近は女らしい体つきになってきやがったからよ」

 

「ああ、今日は全員でまわ(・・)してやるぜ。妹のガキも一緒にな」

 

「ヒャハハ! 他のガキは皆殺しだ!!」

 

「オオッ! 俺たち狼甫一家に逆らうとどうなるか教えてやるぜェ!!」

 

 

 ……森の外は開けた平原で、そう遠くないところに街道も見えます。

 

 にも拘らず多数の大人が少数の子どもたち白昼堂々と追いかけているのです。

 

 これを見過ごすほど魏国のお巡りさんは無能ではありませんでした。

 

 

「ん? あれは子どもが追われているのか?」

 

「そのようだな。お前は屯所に戻って狼煙をあげろ。俺達はただちに子どもたちの救出に向かう」

 

 

 そう、この狼煙こそが速やかな増援を可能とする連絡網なのです。

 

 

「おい、狼煙があがったぞ」

 

「うむ、こちらもただちに狼煙をあげて救援に向かうぞ」

 

 

 屯所の定員は5名と少数ですが、彼らは連鎖的に狼煙をあげて広範囲の仲間に危機を伝達。

 

 

「見えたぞ! 次の狼煙だ……!!」

 

「急げ! 守護すべき民が我らの助けを待っておるのだ!!」

 

「オオッ、鳳明様の為にも誰も死なせぬわッッ」

 

 

 全員に乗馬を与えていたのいうもの迅速な救助を可能としました。

 

 

「『……………』」

 

 

 かくして凶悪な賊どもは、ほどなく完全武装のお巡りさん数百人に包囲され、追われていた子どもたちは何事もなく保護されたのでした。

 

 

「ククク。だから言っただろうが。この国に逃げ込めば絶対助かるってよ」

 

「そ、そうなったけど、まさかこんな簡単に……」

 

 

 そして見事に職務をまっとうしたお巡りさんたちも、子どもたちの会話を耳にして口元を綻ばせます。

 

 

「フフ、この国の評判を聞きつけて頼ってくれたとは嬉しいな。……さて、賊どもよ。我らは法治国家の司法官憲ゆえ、賊を問答無用で殲滅するなど野蛮な真似はせぬ。貴様らには裁きを受け、刑に服することにより赦される権利がある。よって、選べ。大人しく捕縛されるか、それとも抵抗して死ぬか。恥か死か、好きな方を選ぶがよい」

 

 

 その言葉に賊どもは全員が武器を取り落としました。

 

 自分たちを狙う魏国の連弩はかるく数百──武器を持ち上げた次の瞬間に即死する未来が鮮明に見えているのですから、これは当然です。

 

 

「……ボクたちたすかったの?」

 

 

 未だに事の成り行きを理解できない子どもたちの頭を順番に撫でまわして、保護者らしき少年が自信に満ちた笑みを浮かべます。

 

 

「ああ。天下の大聖君・呉鳳明様と、職務に忠実な魏国の役人のおかげでな」

 

「そんなに持ち上げても全員の空腹を十分に満たして、男女別の風呂に入れて清潔な衣服を与えてから、今後の身の振り方の相談に乗ってやり……十分な支度金を渡したうえで、移住先と後見人を紹介してやるくらいしかしてやれんぞ?」

 

「えっ!? そ、そんなコトまでしてもらえるの……!!」

 

「クソが! そいつらも俺らの下っ端って言ってんだろうが!! なんだこのエコ贔屓は!? 聞いてんのかこのクソ役人どもがッ!!」

 

 

 無論、言われるまでもなくお巡りさんたちは子どもたちの素性に気づいていますが、詮索する気はこれっぽっちももありませんでした。

 

 何故なら呉鳳明が子どもたちの罪は周囲の大人たちの罪と定めたからです。

 

 

 子どもたちが周囲の大人に犯罪行為を強制された場合はもちろん、やむにやまれず罪を犯したとしても、それは環境の所為。

 

 これを罪に問うなど法治国家の恥。呉鳳明がそのように定め、法の番人たる李斯も大いに認めたこの宣言を知らぬ魏人はおりません。

 

 

 全身の傷を(あらた)めるまでもなく、子どもたちが大変な苦労をしてきたことは容易に想像できます。

 

 この場に集ったお巡りさんたちは、ようやく安堵して泣き出した幼児らを慰め、彼らの明るい未来を実現するために尽力するのを惜しみませんでした。

 

 

 

 

 

 そして後日、開封の宰相府にて、鳳明は見慣れない少年の姿に目敏く発見して口元を綻ばせますした。

 

 年齢は鳳明とほぼ同年代。世代を問わず、本人のやる気さえあれば任官に支障のない魏国の官僚制度においても、あの若さで宮廷に出入りするのは鳳明や蕭何といった稀有な例外を除けば、初めてのことであるように思えます。

 

 興味をそそられた鳳明は書類の山と格闘する信陵君に尋ねました。

 

 

「信陵君。ご多忙のところ申し訳ありませんが、あの少年についてご存知でしょうか?」

 

「ん……すまんが少し待ってくれ」

 

 

 鳳明も言うように、現在の信陵君は極めて多忙です。

 

 長平の戦後処理に加えて、咸陽の朝廷を掌握した蔡沢との交渉。さらには重要な交易相手である匈族からの要望や、国内の製鉄、医療、教育等の促進など……事務方のトップでもある信陵君の多忙ぶりは、文官たちの全会一致で実務から遠ざけられた鳳明が気の毒に思うほどです。

 

 

 ……無論、鳳明が実務に関われないのは、彼の書類仕事に問題があるわけではありません。

 

 むしろその逆。鳳明に仕事をさせると、夢中のあまり日が暮れても自宅である離宮に戻らないからです。

 

 その為、夫の帰りを待つ妻たちから不満が出る前に文官たちは一致結託して、上司である鳳明には国璽の捺印以外の仕事をさせないようにしたのです。

 

 

 そのような事情、ないし前科があるため、なんとか宰相府への出禁だけは避けられた鳳明は、特に不満に思うでもなく信陵君の仕事がひと段落つくのを待つ傍ら、専用の給仕室に篭って人数分のコーヒーを淹れました。

 

 ローマに派遣した商人たちがまだ帰還していないため、これらは蒲公英(たんぽぽ)の根っこから作られた代用品でしたが、さっぱりした味わいが好評で信陵君も仕事中に愛飲しています。

 

 ついでとばかりに甘菓子も用意して、鳳明は全員の卓にこれらを提供──最後に信陵君の卓にコーヒーカップと栗饅頭の皿を滑り込ませ、どうぞ、と声を掛けます。

 

 

「ん? ああ、すまんな」

 

「いえ、どうか一服なさってください。私の代わりに信陵君がお倒れになっては、父に申し訳がありません」

 

「む、そうだな。そんな無様を晒しては、一度は実務から遠ざけた君の復帰を止められなくなる。わかった。ここは厚意に甘えさせてもらおう」

 

 

 信陵君も根を詰めすぎているとの自覚があったのか、素直に筆を休めることを承諾しました。

 

 

「……ところで信陵君。先ほども伺いましたが、李斯さまが熱心に監督しているあの子は?

 あの年齢で任官しているのですからよほどの英才なのでしょうが、どこから拾ってこられたのでしょうか」

 

「ああ、あの子か。あの子は、ちょっとな……」

 

 

 そうして鳳明は頃合いの見計らって先ほどの疑問をぶつけてみましたが、信陵君の反応を見るに、どうやらあの少年の事情は一言では語り尽くせないようです。

 

 あるいは、よほど深刻な事情があるのか……無言で席を立ち、視線で催促した信陵君を静かに追いかけると、彼は小声で打ち明けてきました。

 

 

「鳳明。我々が長平に発つ少し前になるが、警邏隊から賊に追われた子どもたちを保護したとの報告は受けているか?」

 

「はい。できれば開封の孤児院に送りたいと言われたので、許可を出した覚えがありますが……」

 

「それなんだが、酷いものだった」

 

 

 よほど遣る瀬無い思いがあるのか、コーヒーカップを片手に信陵君が向かったのは、普段は滅多に利用しない宮廷内の喫煙所でした。

 

 昼間から宰相府で酒を飲むわけにはいきませんが、せめて吸わないとやってられないのでしょう。高価な葉巻に火を点ける信陵君の姿に、鳳明は内心で身構えるのでした。

 

 

「彼らは、秦国内でひどい虐待を受けた子どもたちだった。……具体的な虐待の内容は言えん。とても言う気になれない。悪いが、ここは勘弁してくれ」

 

「はい、信陵君」

 

 微かに震える指先に、鳳明はこの会話を墓場まで持っていく覚悟を固めます。

 

 

「それでな、各々がこのままでは殺されると無国籍地帯に逃げ込み、そこでもタチの悪い野盗どもに捕まって、奴隷……いや、過酷な生活を送っていたそうだ」

 

 

 信陵君の言う無国籍地帯とは、他国との緩衝地帯とするために、あえて実効支配していない国境地帯のことです。

 

 そこには脱獄した犯罪者や、ならず者が日夜流れ込み、やむにやまれぬ事情で居着いた各国の民を脅かしていると言われます。

 

 そんな無法地帯で野盗に捕えられた子どもたちは、どれほど過酷な生活をしいられたか……信陵君が言葉を濁すのも無理はないと、鳳明は悲しみました。

 

 

「ともあれ、そんな事情なのでな。まずは治療が必要だったので私が引き取ったわけだ」

 

「そうでしたか……ありがとうございます、信陵君。不幸な子どもたちも、きっと救われる思いだったことでしょう」

 

「そう言ってもらえると、気が楽になるよ……無論、私もできる限りのことをさせてもらった。

 とにかく全身の傷痕があまりに痛々しかったのでな。健康な皮膚を移植することで、傷痕を消せることを説明して、希望者には手術をうけてもらい。

 四肢の欠損は義肢で補い、深刻な感染症は君の開発した抗生物質を試し……安心してくれ。今では誰一人欠けることなく学校に通って、私の屋敷で元気に暮らしている」

 

「それはようございました」

 

 

 掛け値なしの朗報に鳳明は微笑(わら)い、それを目にした信陵君も微笑いました。

 

 

「……それでさっきの子なんだが、実は他所から流れ着いた直後のあの子が賊どもの蛮行を見かねて、子どもたちを逃がしてくれたそうでな。

 字の読み書きや計算もでき、機転も利く。本人もタダ飯食らいは性に合わないと任官を希望したので、適性を見ているのだが……腹に一物も二物もありそうなので、私の監視下で働かせているわけだ。納得してくれたかい?」

 

「はい。信陵君にご負担を掛けることを申し訳なく思いますが、どうかあの子が道を誤らないようにご指導願います」

 

「言うと思った。……それと言うまでもないと思うが、あの子の裏はまだ完全に取れていない。話しかけるのは構わんが、あまり深入りしないでもらえると助かるよ」

 

「わかりました。ところで、あの子の名前は?」

 

「ああ、それなら──」

 

 

 ──桓騎、と。

 

 それが信陵君みずから保護しながら、どこか警戒する少年の名前でした。

 

 

 

 

 

 夜半に信陵君の屋敷に帰宅した桓騎は、途中で大の字になって眠っている子どもたちの姿に笑みをこぼして、ひとりの少女が待つ自室の扉を潜りました。

 

 

「いま戻ったぞ、偲央」

 

「おかえり桓騎。ご飯はいらないんだよね?」

 

「ああ、食ってきた。鬱陶しいほど世話好きなオッサンどもと、嫌々な」

 

「また桓騎ったら、そんな憎まれ口ばかり叩いて……この恩知らずって追い出されたらどうするのさ」

 

「だから連中の前では“いい子”に徹してんだろうが……お前と二人きりの時ぐらいオレの好きにさせろや」

 

 

 そう言って無抵抗の少女を押し倒した桓騎は、彼女の着衣に手を掛けましたが、肌けた胸元に顔を埋めるとそれ以上何もせず、ポツリとこう漏らしました。

 

 

「お前の傷痕もすっかり消えちまったな……もう傷まねえのか?」

 

「うん、私だけじゃなく、みんなそうだよ。おかげで、体を見られるのも恥ずかしくなくなった」

 

「いや、そこは恥じとけ。オレ以外の男に見せんなよ」

 

「見せないよ。……それより、今日はしないの?」

 

「ああ、今日はしない。お前にゃ悪いが、する気になれねえんだ」

 

「……何があったの?」

 

 

 自身を気遣う言葉に、桓騎はゆっくり体を起こしてから反対側に倒れ込みました。

 

 

「宰相府で鳳明を見かけた」

 

「えっ!?」

 

「それどころかあの野郎、馬鹿みてえな笑顔でオレに話しかけてきやがった」

 

「ええっ!! そ、それでどうなったの!?」

 

「どうもこうもねえよ。それで終いだ。慣れねえ環境で大変だろうが、周りのオッサンどものように無理だけはするなって(のたま)ってよ。……クク、笑えるぜ」

 

「桓騎……」

 

 

 肌けた胸元もそのままに、寝台の上に座り直した偲央は掛ける言葉に迷っているようでした。

 

 この少女は桓騎という少年のかなり深いところまで知っています。今も消えない怒りが何処(・・)に向けられているのかも……。

 

 

「なぁ偲央。以前、お前に言ったよな。踏み躙られる底辺にいるお前らが恨むべきは、したり顔でそれをする頂点じゃねえ。見て見ぬ振りをする中間だと」

 

「ああ、聞いたよ。確かに」

 

「だが、この国にはそいつらが一人もいやしねえ。……まあ、よく考えて見りゃ、それも当然なんだがな。

 なんせこの国は、この開封の繁栄ぶりからは想像もつかねえと思うが、ほんの10年前までは、秦の白起という怪物に踏み躙られるド底辺しか存在しなかったんだからよ。

 それが、ククク……芋掘り公子と呼ばれた鳳明の所為で、全員まとめてド頂点に連れていかれちまったんだ。

 なら警邏隊やこの屋敷の連中が鳳明の真似事をして、気持ち良くなろうとするもの頷けるぜ。そう思っていたのによ……」

 

「…………」

 

「信陵君のオッサンに引き合わされたあの野郎は、たしかにオレを見ていた。だが、オレ以外のモノも同時に見てやがった。そうだ。どこか遠くを見つめるあの瞳は、まるでこの国を……いや、中華全土を 睥睨(へいげい)(横目で周囲の様子を伺うこと)しているとしか思えなかった。

 そう思ったとき、オレの全身に震えが走った。まるで神の視点だ。道教の祭祀が言うように、雲の上から下界を見下す……」

 

 

 そこで桓騎は震える拳から目を離し、肺の空気を入れ替えるように深く息を吐き出しました。

 

 

「人間の行動は、すべて“自己満足”で説明できる。この国の連中がやたら親身に接してきやがるのは、鳳明ならそうすると無意識のうちにあの野郎の行動を模倣してやがるからだ。

 だが、奴は満足なんざカケラもしちゃいねえ。鳳明にとって、これまでの善行はてめえにとって当然のことだったんだ。

 まるで息を吸うのと同じぐらいの感覚で……こんな奴がいるって知っちまったらよ。オレはもう憎めねえ。オレの怒りは何処へぶつけりゃいいんだ……」

 

「……わたしにぶつけなよ。あんたの抱えてるもんを、全部わたしに吐き出して、また続けるんだ。明日も前を見て、生きるんだよ桓騎」

 

 

 史記は桓騎について、信陵君の食客で、文武に功があったとだけ記しています。

 

 その事実から思うに、この世界の桓騎は外道働きとは無縁の、おそらくは幸福な生涯を送ったものと思われます……。

 

 

 

 

 

 

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