天下の大宰相・呉鳳明伝   作:蘇芳ありさ

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幕間『ローマに来たりて』前編

 

 

 蔡沢を通して行われた秦との交渉が纏まり、開封全体が歴史的な会談に向けて動き出した夏の終わりに、とある報告が鳳明の元へ届けられました。

 

 

 鳳明に使者を派遣したのは匈国(・・)の君主・ 恫遼単于(どうりょうぜんう)

 

 内容は、なんと遠方の羅馬(ローマ)まで派遣した使節団を、配下の精鋭が保護したというもの──。

 

 

「というワケで、奴等も(オレ)たちの首都サマルカンドに到着している頃合いだろうが、親父殿が盛大な宴を催すと言って聞かんから、こちらに帰国するのはもう少し先だと思うがな」

 

「……そうですか。皆が無事で良かった。重ねて匈国のご厚意と、恫遼単于のご配慮に感謝を、頭曼さま」

 

 

 帰国の途にある使節団が匈国の保護下にあると知って、真っ先に派遣した者たちの無事を喜ぶところが如何にも鳳明らしかった。

 

 昭王との会談前に割り込む形となった使節団の受け入れ態勢に不安があるのか、眉間のシワが取れない信陵君を意味ありげに見やった頭曼は自然と苦笑するのでした。

 

 

「しかし、使節団の規模が数万人まで膨れ上がるとは……。こちらから派遣したときは五百人だったのに、一体どんな経緯があってそこまで増えたのやら……」

 

「それなんだが、己の又聞きになるか聞くか? 奴等の世界を股に掛けた大冒険をな」

 

「是非ともお願いします、頭曼さま」

 

 

 信陵君の愚痴から引き出された頭曼の提案に、喜色満面の鳳明が飛びつく。

 

 どうやら長い話になるらしいと判断した婦人たちは、追加のもてなしを侍女に命じるのでした。

 

 

 

 

 

 使節団が開封を発ったとき、その一団は三つのグループで構成されていました。

 

 

 まずはローマとの国交樹立を目的とする魏国の官僚たち。これを率いるは壮年の文官・鄭和。

 

 つぎに、ローマとの交易を切望する鳳明と懇意の商人。その名は元楚人の劉大人。

 

 さいごに、通訳の役割を期待されて同行したペルシャからの移民。魏国での通り名は英明。

 

 

 過保護な鳳明が案内役の匈族を丸ごと取り込み、獲得免疫の差異から発症する疫病対策に、先進医療の概念まで叩き込まれた彼らの旅はとても順調で、期間にして約半年でローマの地に辿り着きました。

 

 ここまでは順調──されどもここからが苦難の始まりでした。

 

 

「元老院の諸君。本日はペルシャ人から面白い物が届けられた。我らがローマとの国交を求める遥か東国の親書がその正体だ」

 

「遥か東国? ペルシャ人が持ち込んだというなら、あのマケドニアが攻め込んだというインド辺りから?」

 

「もっと東だ。現地では絹の国(セリカ)と呼ばれている国々の一つらしいが」

 

「……そんな僻地と国交を結んでどうする。あの野蛮なガリア人やフン族よりも辺境の未開人と手を結ぶなど、想像したくもないぞ」

 

「しかしこの羊皮紙を見るに、まったくの蛮族とも思えぬ。私としては十分な利があると思うが……」

 

「それならば交易の許可を出すに留めればいい。どちらにしろ往来の目処すら立たぬ遠方の国にかまけている余裕はない」

 

「うむ。今は目先のカルタゴに対処するのが最優先よ」

 

「……決まりだな。執政官殿。本日は誠に申し訳ないが」

 

「いや、構わない。彼らには滞在の許可を出すが、親書の受け取りは拒否しよう。あくまで他国の商人として扱うことを約束する」

 

 

 ローマの元老院は実態はおろか場所すら知らない国との交流を拒否し、使節団との面会も拒否してしまったのです。

 

 この判断は必ずしも非難に値するものではありませんが、ようやく鳳明の役に立てると喜んでいた劉大人は憤慨しました。

 

 

「チクショウめッ! 俺らの話を聞かないどころか鳳明様が持たせてくれた土産まで突き返すとは、奴等の目玉は節穴揃いかッ!?」

 

「……すまない。私としても魏国の実態を詳しく説明する用意があったのだが、まさかそれすらも拒否されるとは思わなかった」

 

「落ち着かれよ、劉大人。英明殿もご自身を責めるには能わぬ。我らは人種や国籍を問わず受け入れる鳳明様を存じ上げておるから誤解したが、本来はこれが普通なのだ。あの御方以外、誰がはるばる三千里の彼方より現れた異国の使者を無条件で歓迎しようか。そう思えば私とて羅馬の判断を責める気にはなれん」

 

「まあ、そいつぁ確かに……」

 

「フフッ、そうだったな。まさに鳳明様こそ数多の益荒男の心を一つにしたアレクサンドロス大王の後継者よ。同じ物差しをローマの元老院に求めても詮無きことであったわ」

 

 

 はるかローマの地で鳳明を思い出した男たちはしみじみと思いました。

 

 うむ、あのような奇想天外な人物はやはり鳳明様お一人で十分よ、と。

 

 

 彼らにとって鳳明は心より崇敬する主君ではありますが、同時に無邪気な笑顔で振り回してくれる傑物でもあります。

 

 もしここでローマの物分かりが異常に良く、即座に歓待された方が困惑するというものです。

 

 劉大人は懐かしそうな笑顔を引っ込め、使節団を取り仕切る鄭和に尋ねました。

 

 

「ま、こっちにゃ鳳明様が持たせてくれた見本の絵があるから市場をあらためさせてもらうが、鄭和の旦那はあくまで交渉を続けるのかい?」

 

「うむ。親書はおろか、友好の証に託された品々まで持ち帰ることになっては、鳳明様に顔向けできんからな」

 

「ならば私は引き続き鄭和殿と行動を共にするが、劉大人にも通訳を付けよう。エバンティス、頼む」

 

「はい、エウメネス様」

 

 

 こうして使節団はそれぞれ得意分野での成果を目指しましたが、残念ながら結果が付いてきたとは言えませんでした。

 

 

「ううむ、鳳明様は羅馬をやたら持ち上げていたが、その割には随分と貧相な市場だな。幾つか目新しい物もあるが、肝心の加加阿(カカオ)珈琲豆(コーヒー)は無いし、何より愛想が足りん。これでは娼館も期待できんぞ」

 

「それは仕方ありませんよ、劉大人。先ほど鄭和団長が仰られたように、私たちのような異邦人をまったく差別しない鳳明様と魏国の人々が特殊なのです。肌の色が異なるというのはそれだけ恐ろしいのですよ」

 

「たしかに俺もお前さんたち波斯(ペルシャ)人を見かけたときは面食らったが、すぐに慣れたぞ。お前さんだってそうだろう?」

 

「はい。しかし慣れない人がいることもご理解ください」

 

「そんなもんかね……俺なら仮に肌が真っ黒な娘がいても、今なら喜んで服を脱ぐが」

 

「ダメですよ。そういうのはその手のお店に行くまで我慢してください」

 

 

 開封の先進性に慣れきった劉大人がぼやき、ギリシャ人の祖父を持つエバンティスが窘める。そんな彼らの珍道中にちょっとした変化が現れました。

 

 

 興味、不信、敬遠──様々な顔を見せるローマ人の人垣から、一人の少女が顔を覗かせます。

 

 歳の頃は16、7歳。白い肌に汗を滲ませ、肩で息をするこの少女は、きっと物珍しい一団の噂を聞きつけ必死に探していたのでしょう。

 

 乱れた金糸の髪を手櫛で撫でつけ、簡素なチュニックに巻きつけられたトガという一枚布を整えた少女は、かなり緊張した面持ちで劉大人らに近寄ってきました。

 

 

「横からすまないが、少しいいだろうか?」

 

「おっ? なんだい、分かってるじゃねえか。このやたら別嬪な羅馬の娘っ子はよ。俺様の渋い背中に堪らず寝屋に誘いにきたってんなら、もちろん大歓迎だぜ」

 

「いえ、違いますよ劉大人。少し話を聞くので黙っていてくださいね」

 

「そちらの方は通訳か? ならば伝えてくれ。……執政官の祖父から話を聞いた。遠路はるばるいらした勇気ある客人にあの態度はない。代わりに謝罪させてくれ」

 

 

 エバンティスが聞いたところによると、この少女は相当な名家の令嬢で、鄭和の使節団を追い返したという祖父の言葉に反発──個人的に謝罪しに来たというのです。劉大人の眼が怪しく光ります。

 

 

「ほほぉ? こちらのお嬢ちゃんがねえ……?」

 

「本当にすまない。私の言葉に意味があるとは思えんが、それでも謝らせてほしい。むろん私にできるコトならなんでもするつもりだ」

 

 

 この辺りになるとエバンティスは慎重に口をつぐみましたが、劉大人は勝手に察しました。

 

 世間知らずの生真面目なお嬢さまの弱みにつけ込むなら今だ、と……。

 

 

「頼みますよ、劉大人。鳳明様に顔向けできないような事だけはしないでくださいね?」

 

「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。俺は最後までちゃ〜んと責任を取る男として有名なんだぜ?

 それじゃお嬢さん。まずは互いに理解を深めることが肝要と思いますが、如何ですかな」

 

 

 劉大人は不思議な魅力を持った男でした。かつての農作業で鍛えられた体は逞しく、商人として成功してからは身嗜みにも気を使って、生来の顔立ちを悪用することにも長けた劉大人は、各地のご婦人を寝屋に引っ張り込むのもお手のものです。

 

 もとから使節団に好意的な少女は劉大人の笑顔に特別な感情を覚えるのでした。

 

 

「ああ、こんなに快く許してもらえるなんて……私はローマ執政官の孫娘オクタヴィアだ。よろしく頼む」

 

「ああ。分かってるぜ、嬢ちゃん。後悔だけはさせねえよ。……そういうワケだ。悪いな衛盤(エバン)。お前さんは俺の仲間たちとよろしくやってくれや」

 

 

 シッシッと野良犬のように遠ざけられたエバンティスは天を仰ぎました。

 

 劉大人の若い頃は知りませんが、商人として大成してからの彼は取り立ててくれた鳳明に感謝する一方で、潤沢な私財に物を言わせて複数の女性を侍らす暮らしをしていました。

 

 そんな男が開封を出立してからの約半年、おっかない匈族の娘に手を出すわけにもいかず我慢してきたのです。当人同士がそれを望むなら余人が口出しする筋合いではありませんでした。

 

 

 こうして劉大人はローマの地で個人的な時間を設けることになりましたが、どうやら彼は上手いことやったようです。

 

 翌日以降もオクタヴィアの姿は劉大人の近くで見られ、エバンティスは事件にならなくて良かったと安堵するのでした。

 

 

 

 

 ……さて。

 

 劉大人は可憐な現地妻に入れ込みましたが、他の者はきちんと自分の仕事に取り組みました。

 

 

 しかし結果は振るわず。

 

 使節団の団長である鄭和は通訳のエウメネスを通して粘り強く交渉しましたが、両国間の距離からローマの元老院は国交の樹立にどこまでも懐疑的でした。

 

 劉大人の仲間たちもエバンティスとともに市場での聞き込みを続けたものの、やはり鳳明の求める産物は見つからず、日に日に焦燥を強めたある日のこと……。

 

 

「ちと相談があるんだが、いいかね団長さんよ」

 

 

 珍しく使節団の滞在する宿舎に顔を出した劉大人はそう切り出すのでした。

 

 

「……構わんが、劉大人は何か知恵をお持ちかな?」

 

「おうよ。妻に聞いた話じゃ、やはり頭の固いお偉いさんを納得させるの無理ってもんだ」

 

 

 妻というこの場にそぐわぬパワーワードに、全員の視線が照れ笑いするオクタヴィアに誘引されましたが、とりあえず問い詰めるのは後にしたようです。

 

 

「そこでだ。もう俺たちで全部やっちまうってのはどうだ? たしか鄭和の旦那が持たされた親書のなかに帆船の設計図もあっただろう。そいつを妻の管理下にある造船所で組み立ててローマを出るんだ。きっと楽しいぞぉ……」

 

「…………」

 

 

 劉大人の提案に鄭和は困惑しましたが、すぐに思い直します。

 

 当初の手筈では、鳳明の求める産物をこの地に不慣れな自分たちが見つけるのは無理があるため、まずは元老院を味方につけ、彼らからローマ周辺の情報を聞き出す予定でした。

 

 しかし交渉は難航。

 

 鳳明が手土産に持たせた麦が実を結ぶのを見れば態度を変えると思うのですが、そのためには既存の畑で採用してもらう必要があります。

 

 それを思えば、同じ時間を要するにしても、魏国の帆船を見せる方がまだしも建設的だと判断したのです。

 

 

「……わかった。そこなご令嬢は執政官殿の孫娘だそうだな。保守的な元老院の中にあってまだしも我々に好意的な執政官殿に、魏国の帆船を見てもらうのは相応の意義があろう。こちらには実際の建設に携わった技師もいる。ただちに交渉しよう」

 

 

 この時点では、鄭和もあくまで交渉材料として魏国の技術力を開示するつもりでした。

 

 

 されど、長らく造船業に携わる老執政官は衝撃を受けました。

 

 呉鳳明みずから手がけた完璧な設計図を目にした瞬間、その老人は建国の神祖であるロムルス=クィリヌスの御霊と邂逅したのです。

 

 

我が愛し子(ローマ)よ。すべての(ローマ)浪漫(ローマ)へと通じる。星の開拓者(ローマ)たる魏の民(ローマ)我が愛し子(ローマ)の前に現れたのもそれ故よ。

 ならば我が愛し子(ローマ)己の夢(ローマ)に生きよ。この勇気ある魏人(ローマ)と共に向かう海路(ローマ)は、きっと我が愛し子(ローマ)ユメ(ローマ)に繋がっていよう」

 

「おお、栄光ある我らがローマよ。感謝します」

 

 

 その姿に鄭和はドン退きしましたが、すぐに反省しました。

 

 老執政官が幻視する何者かを鳳明に置き換え、老執政官自身を魏人に置き換えれば割とよく見かける光景だったからです。

 

 

「テイワ殿、今まですまなかった……儂はこれよりホウメイ様(ローマ)のために生きる。どうかこの老耄を末席に加えてくだされ」

 

「喜んで」

 

 

 こうしてエウメネスを介した交渉は纏まり、魏国の帆船は任期の途中で退任した老執政官の尽力で完成させられました。

 

 

「ところで爺さんよ。嫁さんに子供ができたんで結婚していいか?」

 

よかろう(ローマ)。こういうのは若い者同士(ローマ)気持ち(ローマ)一番(ローマ)であろう」

 

 

 ……なおこの間、ちゃっかり願い出た劉大人とオクタヴィアの結婚も許され、出港前に第一子が誕生します。

 

 その名は劉邦──後に蕭何や張良とともに魏国の援軍を率いて、カルタゴの梟雄・ハンニバル=バルカと対峙する英傑として知られることになります。

 

 

 

 

 

 そして進水の日──ローマの港は騒然としました。

 

 無理もありません。この過去に前例のないほど巨大な帆船が、元執政官の造船所で作られているのを元老院は掴みきれていませんでした。招かれざる客人と何かやってるのは承知していても、まさかこれほどまでとは思わなかったのです。

 

 

 鳳明の設計した帆船の規格は、大航海時代後期のガレオン船とほぼ同一。

 

 そんなモノが古代共和制ローマの港に現れたのです。泡を吹いて倒れる者がいても当然でしょう。

 

 

「ふむ、やはり出航を止めに来たな。残りはここを出て海上で完成させよう」

 

「話のわかる爺さんだぜ! 往け往け、俺の劉大号は止まらねえからよ!!」

 

 

 もちろんローマ側もこの出航を阻止しようとしましたが、何しろ彼我の船体は大人と子供以上にかけ離れているのです。

 

 そして速力に至ってはざっと数倍……。

 

 あっという間に水平線の彼方へと消える巨船の姿に、ローマの元老院は大魚を逃した漁師のごとく膝から崩れ落ちるのでした。

 

 

 

 

 







タグには含まれてませんが、この西方編でのみちょくちょく顔を出すFGO要素……はたして改めてタグに組み込むべきか。

ちなみに劉大人が速攻で陥落させたローマ人少女の名が、直前まで『アルトリア』だったのは内緒にしておいてください。


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