天下の大宰相・呉鳳明伝   作:蘇芳ありさ

32 / 35
幕間『ローマに来たりて』中編

 

 

 

 同床異夢という言葉があります。

 

 それぞれの立場は同じでも、目的や思惑が異なっていることを示唆する四字熟語ですが、ローマ海軍に追われる使節団の人々はまさにその状態でした。

 

 

 例えば劉大人の目的はこうです。

 

 義父が心血を注いで完成させた帆船を駆使して世界を巡り、鳳明が心待ちにする加加阿(カカオ)珈琲(コーヒー)はおろか、各地の名産を根こそぎ持ち帰ってやろうという、割と真っ当な目的です。

 

 しかしながら夫人と一緒に『タイタニックごっこ』に興じる姿からは、なかなかそんな思慮があるとは読み取ってもらえず、頭にローマをキメまくるローマ人の集団に至っては言わずもがな……。

 

 

「……これからどうなさるおつもりか。劉大人はこの状況をどう説明なさる」

 

 

 よって、そう問い詰める鄭和のこめかみに青筋が浮かんでいるのも無理はありません。

 

 生真面目な魏人。質実剛健な使節団の代表としてはそう尋ねるしかありませんでしたが、直後に彼は己が疑心を反省することになります。

 

 

「フッフッフ。勿論、ちゃ〜〜んと考えてるぜ。なあ爺さんよ」

 

「うむ。テイワ殿(ローマ)にお伝えするのが遅れたが、実はホウメイ様(ローマ)の求める産物(ローマ)には心当たりがあってな」

 

 

 目の前の老人は『ローマ』としか口にしていない気もしますが、共に過ごした時間は結構なものです。

 

 通訳を介さずとも意味がわかったので、鄭和は驚愕しました。

 

 

「なんと、それは真にございますか?」

 

ホウメイ様(ローマ)のためにも偽りは申さぬ。儂が見たのは豆の方だが、あれはエジプト(ローマ)から流れてきたものだ。これよりこの船(ローマ)は南へ向かわん。さすれば必ずやホウメイ様(ローマ)に吉報を届けられよう」

 

「おお……」

 

 

 今となっては同志に疑いの目を向けたことが恥ずかしい──深く反省した鄭和はただちに謝罪しましたが、劉大人は「いいってことよ」と特に気にした様子もありませんでした。

 

 

「それにな、エジプト(ローマ)に向かうのにはもう一つ理由がある。実は今代のファラオは彼の地を征服したアレクサンドロス大王(ローマ)の後継者だが、この人物は未知の蒐集に貪欲らしくてな。

 首都のアレクサンドリア(ローマ)に図書館を建設して、各地の文章を買い漁っているそうじゃ。

 名をプトレマイオス一世(ローマ)。彼のファラオは必ずや儂らの力になってくれる筈じゃ」

 

 

 プトレマイオス一世──その名にペルシャからの移民たちが動揺します。英明ことエウメネスもその一人でした。

 

 

「そうですか。彼が、アイツの後継者に……」

 

「ヘッ。そんな愉快な御仁が鳳明様以外にもいやがるとはな。こいつぁ俺たちも負けてらんねえな、団長さんよ」

 

「うむ。どちらが上でどちらが下か、目に物を見せてやろうぞ」

 

 

 ……この時点ではあくまで劉大人の冗談に付き合っただけで、鄭和も本気ではありませんでした。

 

 プトレマイオス一世の偉業に敬意を覚えることはあっても、対抗意識など芽生えるはずがありません。

 

 しかしながら、不幸な巡り回せというものはあるものです……。

 

 

「おい、なんだいありゃあ? 陸地が見えてきたと思ったら、えらい人だかりができてやがるぜ」

 

「おおっ、よもやこの目で見ることが叶うとは……あれはエジプト(ローマ)の神事じゃ。滅多に見ることのできるものではないぞ」

 

「………………………」

 

 

 はたして鄭和は愕然としました。彼だけではありません。ローマの元執政官と劉大人以外は概ねそんな感じでした。

 

 

 海に近い大河の辺りに一人のファラオがいます。

 

 一切の虚飾を拒否するように、老齢ながら見事な体躯を誇示して。

 

 一心不乱に己が性別の象徴を扱いて、扱いて。

 

 やがて放たれたそれは陽光を反射して、キラキラと光り輝いて。

 

 惚れ惚れとするような放物線を描いて、母なるナイルに着水したのです。

 

 

「すごい! これはラムセス二世の記録を抜いたのではないか!?」

 

「これで来年の豊作は確実だな!!」

 

「さすがはプトレマイオス様じゃ。彼の征服王と沓を並べた経歴は伊達ではない」

 

 

 そんな群衆らの歓声が聞こえるに至って、謹厳な魏国の文官たちは揃って背を向けました。

 

 

「待たれよ! 奇抜な風習に思われるかもしれないが、この地においてファラオは王であると同時に神であると考えられているのだ!! 今のも神たるファラオが豊作を願って、大地に生命を吹き込む神事……どうか異国の文化と理解してくれまいか……」

 

 

 なぜか弁護の必要に駆られたエウメネスが執り成しますが、鄭和らも別にキレてはいないようです。

 

 

「ははは、何をそんなに焦っておられる。我らはな、あのような祈祷に今年の作柄を委ねるとは、なんと遅れた国なのだろうと呆れているワケではないのだぞ? ましてやあのように破廉恥な御仁が鳳明様と肩を並べる偉人として扱われるなど、あってはならないなどとカケラも思っておらんわ」

 

「メチャクチャ思ってるじゃないですか!!」

 

 

 鄭和の言葉に心より同意する魏国の文官たち……彼らはただ決意しただけなのです。

 

 ローマのド肝を抜くつもりで持参した数々の土産もの──ローマ側にスルーされてこれまで出番のなかったそれらを高々と献上して、あのファラオとやらの常識を塗り替えてやろうと。

 

 

 身も蓋もなく言ってしまうと、自分たちの主君の方がずっと凄いという本音を、友好の証という献上物で糊塗したこの措置は、結果としてプトレマイオス一世を喜ばせますが、同時に無用の長物でした。

 

 

「よくぞ参った呉鳳明の使者たちよ。いずれ余の前に現れるだろうとは思ったが、随分と待たせてくれたものだ。余が神として天に昇り、間に合わなかったらどうするつもりだったのだ?」

 

 

 鄭和の使節団を自ら歓迎したプトレマイオス一世が口にしたのは見事な漢語でした。

 

 

「ウフフ、驚いたかな? 余は遠くインドまで到達した征服王の側近騎兵将校(ヘタイロイ)であったのだぞ。

 いつか挑む中華の言語を学んでおくのは当然であるし、魏国の内情や鳳明の業績も把握していて当然ではないか。驚くには能わぬと余は思うのだがな……?」

 

 

 よもやローマとそう変わらぬ遠方の地に、虎視眈々と中華を狙う危険な王が居ようとは。

 

 鄭和は迂闊に紙や麦などを献上したことを後悔しますが、プトレマイオス一世がそれらの貢物に目を向けた理由は別のものでした。

 

 

「もっとも、鳳明の数々の事績は半信半疑であった。パピルスよりも薄く、美しくも丈夫な紙に始まり、多くの実をもたらす稲穂に、優れた都市開発、そして造船……これらを余の前に出したのはやり込める意図があってのことだろうが、おかげで奴の偉業が真実であると知れた。この点は褒めて遣わすが……」

 

 

 そこでプトレマイオス一世の視線が貢物から動き、エウメネスの顔で止まります。

 

 

「よもや貴様の顔を拝むとは思わなかった。……久しいな、エウメネスよ。生きておるのは存じておったが、鳳明に仕えているのは奴に覇王の素質を見たからか?」

 

「うむ。久しぶりだな、プトレマイオス……。アイツの後継者はお前ではない。鳳明様こそ征服王イスカンダルの志を継ぐ者だ」

 

「そうか? 聞けば鳳明は戦さを好まぬというが、その点はどう考える?」

 

「戦うまでもないという事だ。王の欲深さが国の原動力となるのは変わらぬが、鳳明様の真の偉大さは戦わずして勝つことにある。今や中華の大半はあの御方に平伏している。プトレマイオスよ。いずれ鳳明様は世界を席巻するぞ」

 

「ククク、それは楽しみよな……」

 

 

 どうやら旧知の間柄らしい二人の会話が終了すると、劉大人はよく通る声で確認しました。

 

 

「知り合いかよ。だったら言ってくれたらいいのによ」

 

「……すみません。彼がファラオと知ったのはこの地に来てからなので」

 

 

 言いそびれましたと己の不義理を謝罪するエウメネスでしたが、この点を責める魏人はなく、むしろ心の底から同情してしまうのでした。

 

 

「そりゃあ、知人が川に放っている姿を見た後ではな……」

 

「うむ。口が裂けても知り合いなどと言えまいし、言えるような雰囲気でもなかったからな。致し方あるまい」

 

 

 勿論、これらの会話はプトレマイオス一世に筒抜けでしたが、彼はこの点にも寛大でした。

 

 

「ウフフ、善き哉、善き哉よ。貴様らも余の新記録を目撃したのか。

 ならば鳳明も神と信じられておるそうだし、中華には母なるナイルに匹敵する大河もあるようだから、我らが神事をもって祝福してやろうではないか」

 

「た、戯れごとは程々になされよ」

 

 

 あってはならない提案に鄭和らは慌てますが、今のはどうやらプトレマイオスなりの冗談だったようです。

 

 そして情緒を乱される魏人の中にあって、鋭敏に場の空気を嗅ぎ分けた劉大人が懐からある紙片を取り出します。

 

 

「ところでよ。俺たちゃコイツを探してるんだが、ファラオの旦那に見覚えはあるかね?」

 

「ほぉお……?」

 

 

 はたしてプトレマイオス一世は深く感心しました。

 

 こんな地の果てまで使節団を送り込んだ鳳明の狙いがよもやこれであったとは。

 

 成る程。如何にも伝え聞く奴の人柄に相応しい、と……。

 

 

「どちらも見覚えがあるぞ。知りたいか、勇気ある魏の商人よ」

 

「勿論だぜ! 勿体つけずに教えてくれたら鳳明様にいい報告ができるってもんよ!!」

 

 

 劉大人が見せた感情の爆発は使節団全体のものでもあります。

 

 同行して日の浅いローマ人たちまでもが、ただ鳳明に喜んでもらえると、それだけの理由で歓声を上げる姿は、プトレマイオス一世にアレクサンドロス大王と共にあった日々を思い出させました。

 

 

「……そうか。ならば教えて進ぜよう。 

 まずこちらの豆は手元にないが産地は把握しておる。母なるナイルを遡った高地の民が時折り持ち込む物だ。何に使うか知らんが入手は難しくない」

 

「『おおっ!!』」

 

 

 沸き立つ者たちの姿に微笑むプトレマイオス一世の口元が、「しかし」と厳しく結ばれる。

 

 

「問題はこちらの加加阿よ。これらはな、時折りエジプトの西岸に打ち上げられる物だ。無惨に漂着した小舟に遺される果実。それが加加阿にまつわる真実だ……」

 

 

 そこで言葉を切り、遥か西方を見据えるプトレマイオス一世の厳しい顔に畏怖の感情が浮かびます。

 

 この豪放磊落なファラオをもってしても畏れるモノがそこにはあるようです。

 

 

「……この先に地中海を抜ける岬がある。内海と外洋を隔てる岬だが、その先は恐るべき竜の巣窟なのだ。

 襲われたら、決して助からぬ。貴様らの船であっても、逃げ切るのは難しかろう」

 

 

 彼は、翻意を促したつもりでした。

 

 珈琲だけで満足しろ。成果としてはそれで十分ではないか。鳳明も貴様らを危険に晒すことを望んでいまい。あたら若い命を散らすものではない、と。

 

 そんな願いを込めていただけに、プトレマイオス一世は苦笑するしかありませんでした。

 

 

「それでも、往くつもりなのだね?」

 

「へっ、愚問だぜ。俺たちが恐れるのは不倫を疑う嫁さんの視線ぐらいのもんだ。なあ爺さんよ」

 

「うむ。我らの在るところがローマよ。ローマの民がローマの地に在ることを何を不安に思うか。儂らは最後まで同行するぞ、婿殿」

 

「私もだ。それに言っておくが、私が劉大人の浮気を疑ったことはないぞ? だってこの人は昨夜も……」

 

「あ、あー。うむ、ウホン。……我らも同じだ。鳳明様には申し訳ないが、私は珈琲だけではなく加加阿も持ち帰りたいと思ってるのでな」

 

 

 熱心に賛同するは劉大人の仲間たちに、魏国の官吏、ペルシャからの移民、そしてローマの船大工と水兵たち……。

 

 彼らに付ける薬はないとエウメネスは肩をすくめ、プトレマイオス一世は愉しそうに口角を吊り上げるのでした。

 

 

「ならば余がせめてもの海路を示さん。

 星の開拓者よ。岬を超えたら迷わず南に進め。西に舵を切るのは東の陸地が大きく後退して暫く経ってからだ。これで竜との遭遇は避けられる。

 あとは夏場より秋に気をつけろ。どうした理由からか、この時期の奴等はひどく機嫌が悪いからな」

 

「ああ、ありがとうよ爺さん。今の言葉を忘れねえぜ」

 

「フフッ、それでは貴様らとの出会いと航海の無事を祝おうではないか。

 者ども、見ての通りこの勇気ある客人らは余の朋友となった。我が偉大なるプトレマイオスの名に賭けて盛大に持て成すのだ……!!」

 

 

 こうしてプトレマイオス一世と意気投合した劉大人らは、エジプトの首都アレクサンドリア全体を巻き込んだ祝宴の主役となりました。

 

 使節団の前に並べられた料理は、エジプトやローマなどの地中海沿岸に留まるものでありません。

 

 プトレマイオス一世が手ずから持ち帰った香辛料を駆使したインド料理は、その辛さとともにたまらない刺激をもって鄭和らを驚かせました。

 

 

「……団長。この香辛料とやらは」

 

「うむ。予定にないものだが、持ち帰れば鳳明様のことだ。きっと喜んでくださる」

 

 

 思わぬ副産物を見つけて黒い笑みを見せる魏国の官吏たちとは裏腹に、劉大人は壇上で踊る艶やかな美女たちに鼻の下が伸びまくりです。

 

 それに目敏く気づいたプトレマイオス一世と男同士の話をする亭主に、妻のオクタヴィアはすっかり剥れてしまいました。

 

 

「なんだよ、俺の浮気を疑ったことがねえって言ったばかりで、そりゃあねえだろ?」

 

「だって不安じゃないか。私なんて結婚して子供できたのに胸が小さいままだし、貴方ももっと女性らしい体型が好きなんじゃないかって……」

 

「……馬鹿だな。そんなコトを気にしてたのか?」

 

 

 涙ぐむ妻を抱き寄せた男はたしかに、かつてはそうでした。

 

 オクタヴィアを口説いたのも、ちょうど餓えてるところで別嬪さんを見かけたから。

 

 そこに深い理由はなく、男の本能に従って、身振り手振りで口説き落とした。それは否定しません。しかし、そこで劉大人はオクタヴィアの想いに触れたのです。

 

 

 劉大人とは異なる理由で通じ合いたいと願ったこの少女は、身振り手振りで必死に対話し、そのなかで漢語を習得した彼女は、真っ先にありがとうと──そう打ち明けられた劉大人は恥を知ると同時に、深く感動したのでした。

 

 

「俺っちはお前も知っての通りかなりの女好きだからな。他の女に目が行くこともあるけどよ……浮気を疑われるのはさすがに心外だぜ?

 なんたって俺にはもうお前がいるからよ。世界で一番の女だ。他の女と天秤に掛けるなんざ、するわきゃねえってんだ……」

 

「……知ってるよ。でも天秤に掛けなくても食べられると知ったら手を出すんでしょ?」

 

「そ、それはアレだよ。男の本能っていうか、習性っていうか……」

 

「言い訳しなくていいよ。私は知ってる。貴方の心が私と劉邦のところにあるって。だから浮気じゃないなら多少は許してあげるよ」

 

「お、おう。さすがは俺の女房だぜ。そんじょそこらの女とは心構えが違うぜ」

 

「ふふ。でもその為に何をしたらいいかは分かってるよね?」

 

 

 無論、彼は心得ていました。劉大人は初めて触れ合ったときのように恭しくオクタヴィアに口付けすると、我が子を抱く妻を寝室に案内しました。

 

 たまたま隣室を割り振られていた旧知のエバンティスは、明け方まで途切れぬ物音と情熱的な喘声にひどく悶々とさせられたそうです……。

 

 

 

 

 

「……気をつけて往くのだぞ。余に倒壊したこの船の姿だけは見せてくれるなよ」

 

「おうよ。アンタの忠告は忘れねえよ。……それじゃあ土産を楽しみに待ってくんな」

 

 

 こうして1週間ほどエジプトに滞在した使節団は再び海上の住人となりました。

 

 

 目指すはイベリア半島と北アフリカに挟まれたジブラタル海峡。

 

 劉大人が劉大号と名付けた帆船は大西洋に出てすぐ南に舵を切り、アフリカ大陸の沿岸を進みました。

 

 

 ……これは偉業です。大航海時代に先立つこと1500年も前に、劉大人らは未知の大陸を目指したのです。

 

 

「進路良し。このまま東の大地が大きく引っ込むまで真南に進め」

 

「しかし便利だな、鳳明様が考案した六分儀ってヤツぁ……こんな海上でもこの船の位置が判るなんてよ」

 

「貴方も感心してないで、足の早い果物から先に食べちゃってよ。壊血病っていう恐ろしさ病を防ぐために青物を欠かすなって、鳳明様に言われてんでしょ?」

 

 

 航海の知識も十分。プトレマイオス一世の助言で、ハリケーンの被害が頻発する海域も避けられた彼らは、大小様々な嵐に見舞われながらもへこたれませんでした。

 

 

「怖いか、オクタヴィア」

 

「ううん、全然怖くないよ。この船が護ってくれるし、なにより貴方も一緒だからね」

 

「ちょっとそこ、イチャつくならせめて船内にしてくださいよ。危険ですよ、まったくもうっ」

 

 

 記録によると、彼らの航海は三か月に及んだとあります。

 

 それだけの長期にわたり未知の航路を進み、何度も危険な嵐に遭遇しながらも呉鳳明が設計した帆船は持ち堪え、水と食料が尽きることはありませんでした。

 

 劉大号に乗船した人々は誰一人として欠けることなく、南アメリカ大の大地を踏みしめたのです。

 

 

「良し、ここで二手に分かれる。半数は船に留まり、水と保存食の確保だ。そしてもう半数は周辺地域の探索に振り分ける。

 ……いいか、我らは侵略者ではない。現地の住民を見つけても武器を向けてはならんぞ。

 自衛の言い訳も許さん。何があっても血を流すことなくこの場に帰還して報告するのだ」

 

「それなら剣は要らねえし、あまり大勢で行動するのもなんだ。俺たちと一緒に行こうぜ、衛盤(エバン)。一番乗りだぜ」

 

「一緒に行くのは構いませんが、通訳としては期待しないでくださいね? さすがの僕も、未知の言語は心得ていませんから……」

 

 

 そうしてまずは周辺の探索に乗り出した使節団でしたが、やはり劉大人は何かしらの天運に恵まれた人物でした。

 

 

「あー?」

 

 

 ……いえ、持っていた(・・・・・)のは嫡男の劉邦かもしれません。生後約半年となるこの乳児が上機嫌に手を伸ばした先に、褐色の肌をした古代インカ人の集団が驚愕に立ち尽くしていたからです。

 

 

「おおっ、でかしたぞ劉邦。ヨシヨシ、さすがは俺の倅だ。大手柄だぞ」

 

「それは否定しませんが、これからどうするんです。なんかメチャクチャ吃驚して槍をこっちに向けてきたんですけど……」

 

 

 言葉も通じない。さらに警戒されている。にも拘らず劉大人は何も不安に思わなかったようです。

 

 

「ハッ、そんなのなんの障害にもなりゃしねえや。こういう時にはな、食い物を半分に割って差し出すんだ。それで敵じゃないと分かり合える」

 

「それなら私が行くよ。こういう時は女の方が警戒されないだろ」

 

 

 ──この出会いは幸運でした。

 

 劉大人がピサロのような侵略者ではなかったように、彼らもまた害意のない少女を手に掛ける蛮族ではなかったのです。

 

 

「見たところあの娘は何かを渡したいようだ。ワタシが受け取りに行くからみんなは手を出さないでくれ」

 

 

 さすがに緊張を隠しきれず、しかしてオクタヴィアの勇気を認めた青年が槍を仲間に預けて前に出ます。

 

 その震える指先は半分に割られたビスケットを受け取り、目の前の少女に倣って口元に運び──。

 

 

「美味い! こんなに美味しい食べ物は初めてだ!!」

 

 

 この青年こそが、後に現地の言葉で『大いなる礎(マンコ・カパック)』と呼ばれる偉大なる始祖。

 

 使節団と同行して開封に赴き、そこで数々の学びを得てから帰郷。

 

 この地にインカ共和国を築き上げて初代統領に選出される人物でした──。

 

 

 

 

 







人名だから仕方ないよネ?


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。