天下の大宰相・呉鳳明伝   作:蘇芳ありさ

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幕間『ローマに来たりて』完結編

 

 

 

 はぁ〜♪

 えんやこら、えんやこら、どっこいしょ〜♪

 俺たちゃ開封使節団〜♪

 鳳明様の仰せとありゃあ、俺たちゃ往くぜ、どこまでも♪

 加加阿と珈琲を追い求めて、往くぜ南へ、西へと大冒険♪

 竜の巣穴をブチ抜いて、根こそぎ持ち帰るぜ各地の名産♪

 おおっ、我ら開封使節団〜♪

 おおっ、我ら開封使節団〜♪

 

 

 頭曼(どうまん)の口から語られたのは、そんな歌声すら聞こえてきそうな使節団の暴走ぶりでした。

 

 これには信陵君も机に突っ伏して、しばらく動けそうにありません。

 

 使節団の長を務める鄭和は謹厳実直な人物だというのに、これはどうしたことでしょうか……?

 

 

「……参りましたね。私としては羅馬(ローマ)加加阿(カカオ)珈琲(コーヒー)があったら御の字、という認識で送り出したのですが、まさか西の大洋まで越えてしまうとは」

 

「私としてもその積もりだったさ。それが勝手に海を渡った挙句、難破を余儀なくされるとはな……。鄭和め、私たちが道中の安全に力を尽くしたことを何だと思っているのだ?」

 

「フフッ。まあ、その辺りは予測できることではないだろう。親父殿も奴等の暴走ぶりを耳にしたときは、珍しく困惑しておったぞ」

 

 

 愉快そうに笑う頭曼の言葉に、ようやく起き上がった信陵君はしみじみと思います。

 

 鳳明が絡むと無茶をしがちなのはこの時代の魏人の習性と言うべきものですが、それを甘く見た結果がこれなのだろうと。

 

 鳳明も意図せず築き上げた自身の虚像をそこに見つけたようで、珍しく居た堪れないように恐縮することしきりでした。

 

 

「……だが、まもなくこちらに到着するというなら、差し当たって船の修理と埃及(エジプト)までの航海は何とかなったワケだ。それは理解したが、使節団の人員が数万まで膨れ上がったのはどうした理由からだ?」

 

「ククッ……大方の想像はつくだろう? (オレ)たちも例外ではないが、使節団の連中が語る呉鳳明が眩しすぎてな。誘蛾のように集ってきたのよ」

 

「すると、私は未明の夜に掲げられた松明でしょうか? だとしら火傷しないように距離を取ってもらえると有り難いのですが……」

 

 

 頭曼は語る。さらなる使節団の顛末を。

 

 そして彼らの帰還に熱狂する各国の暴走を──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は現代で言うところのアメリカ合衆国ニューヨーク州・ロングアイランド島。

 

 先住民が原始的な暮らしを送るこの島の風景は、使節団の人々が漂着した日を境に一変しました。

 

 

 浅瀬には傷つきながらも健在な帆船に取り付き、忙しなく動きまわる羅馬の船大工と魏国の技師たち。

 

 彼らは先住民の案内で発見したアメリカネズコ(杉の仲間)を切り出し、欠損した支柱の代わりに仕立てようと躍起になっています。

 

 そこから陸に目を向けると、大きく分けて三つの集団がそれぞれの仕事に熱中しているのかわかります。

 

 

 現地の住民に農耕を指導する鄭和らの姿があれば、その逆に森の恵みたる馬鈴薯(じゃがいも)を持ち込まれて歓喜する英明らの姿もあります。

 

 両者の仲介をする万作たちインカの若者は、予想だにしなかった通訳という大任に誰もが笑顔で取り組んでいます。

 

 

 そして劉大人、オクタヴィア、エバンティスといったお馴染みのメンツは、こちらでも開封料理の布教に余念がないようです。

 

 劉大人が肉を焼き、オクタヴィアが麺麭(パン)を焼けば、エバンティスが蛋黄酱(マヨネーズ)の材料を掻き混ぜる。

 

 そんな光景を前に現地の人々は興奮することしきりでした。

 

 

「……すごく旨そうな匂いだ」

 

「うん。ただ鹿肉を焼いてるだけなのにな」

 

「俺たちが焼いてもああはならない。あの黒い木に何か秘密があるのか……?」

 

「あっ、今度はお肉に茶色い水を塗ったよ!」

 

「ただの泥水じゃないんだよな、アレも……」

 

「クソッ、匂いを嗅いでるだけで腹が減ってくるぜ」

 

「お、今度は食べられる木を半分に割って草を敷き詰めたな」

 

「食べられる草だな……アレもシャキシャキして旨いんだよ」

 

「クゥー! 今度は焼いた肉と、なんかよく分からない白いドロドロを載せたぞ!!」

 

「それを残りの食べられる木で挟んで……なんかすごい笑顔で差し出してきたぞ?」

 

「……どうする? 誰が受け取る?」

 

「オレが試すぜ」

 

「またお前か、プルムク」

 

「別にいいだろ? 残りはまだまだあるんだし、仮に毒でも旨いんならそれで──」

 

「……どうしたプルムク? やはり毒があったか?」

 

「ああ、お前らは食うな。オレは助からんから全部食うがな」

 

「この野郎! てめえ、プルムク──!!」

 

「いい加減なことばかり言ってんじゃねえぞ、こらっ」

 

「みなさん、安心してください。ワタシたちは彼らの料理を長らく食していますが、体を壊したことは一度もありません」

 

「アハハ、そうだろうね。マヌクォーたちが南からここまで同行した理由がよく分かるよ。こんなに美味しい物を食べささせられたんじゃ、そりゃあ簡単には手放せなくなっちゃうよね」

 

「うふふ、食いしん坊なんだね。みんな」

 

 

 そんな劉大人と先住民の交流の席に、使節団の人々は隠しきれない羨望の視線を向けてしまいます。

 

 理由は、劉大人ら民間の商人が持ち込んだ鳳明酒の在庫がいよいよ逼迫してきているという事情があります。

 

 もとは彼らの持ち物なので用途にまで口を挟みませんが、少しはこちらにも分けてほしいと鄭和ですら思ってしまうのです。

 

 

「……団長」

 

「言うな。埃及(エジプト)に寄港したら、現地の酒を仕入れる。それまでは羅馬(ローマ)麦酒(エール)で我慢しろ」

 

 

 まあ、劉大人も鬼ではありません。船の修理が完了した暁には、祝いの席で秘蔵の酒を振る舞ってくれることでしょう。それよりも問題は先住民の反応です。

 

 

 万作たち古代インカの民は使節団の負担になってはいけないと、同行する人数をかなり絞ってくれましたが、今回はそう簡単に行くでしょうか?

 

 最初はプルムクら数人だった北米の協力者も、今では軽く数百人──大陸の大部分をアマゾン川流域が占める南米と、見渡すかぎりの草原の広がる北米とでは、人口の桁が違うように思えてなりません。

 

 

「ふむ。彼らはやはり相当に豊かな民だ。プルムク以外にも彼らの知識に学びたいと申し出る者が現れたが、兄弟たちはどうかな?」

 

「こちらも最近はその話題一色だな。俺としても奴等の知識が祖霊の教えに反せぬものなら、受け入れても構わんと思うが」

 

「ワシも同感だ。彼らはあの巨大なカヌーを修理したら出ていくそうだが、この出会いを一時のものとして終わらせるのはあまりに惜しい。

 同行を志願する者には許可を出そうと思うが、知恵のある者(ブーウォイン)はその事をどう判断される?」

 

「私はいいと思う。祖霊の教えは大事だが、過去に囚われ変化を嫌うようでは時流に取り残される。私も弟子のニスカに探らせたが、彼らの善良さには疑いの余地がない。率先して交わるべきだ」

 

「それは血の交わりも許容されると? 見たところ、ニスカはテイワなる御仁とかなり親しい様子だが……」

 

「ワハハ、こればかりは止められるものではあるまい。それに俺の邑では慢性的に女が余ってる。奴等が貰ってくれるならむしろ助かるわ」

 

「儂のところもそうだな。知恵のある者がいいと言うなら、娘たちに気に入った男の寝所に忍び込んでも構わんと伝えるが……?」

 

「うむ、躊躇うことはない。彼らと交わることで新たな生命が芽吹き、この地はますます豊かになるであろう」

 

 

 知恵のある者の言葉を族長らが首肯する。

 

 このあと鄭和によって(したた)められて、現在のアメリカ連合共和国まで残される歴史的宣言がなされた会合は、手にした酒杯と串カツによって彩られたといいます。

 

 

 ……ここで「なんだ、まんまと餌付けされただけか」と言ってはなりません。

 

 人は、衣食足りて、初めて礼節を知るもの──民に納税と兵役の義務を求めるなら、その前に彼らの生活を保障しなければならない。

 

 呉鳳明は宰相の地位に就任した際、配下の文官たちにそう指摘したと言われます。

 

 

 人々にはより良い暮らしを送るための意欲こそありますが、個々人の努力では改善しきれないところもあります。

 

 よって人々の共同体たる国家を運営する為政者こそが、まずはその義務を果たす。民に何かを求めるのはそれからだと──その教えを体現した鄭和たちは、自然と触れ合う人々を惹きつけたのです。

 

 

 便利な道具と、優れた知見。そして、それらを惜しみなく与える使節団の精神は、この北米の地に生きる人々に文明への憧れを芽吹かせ──。

 

 

「で、揃いも揃って()ッちまったワケだ」

 

「……面目ない。これでは劉大人を笑えぬ」

 

「うむ。だが、もちろん男として責任を取るつもりだ」

 

「ならばこうしてはおれまい。まずは先方への謝罪からじゃな」

 

「また万作たちに通訳を頼まねばならんが、どう説明しろと言うのだ、まったく……」

 

「…………すみませんが、よろしくお願いします」

 

 

 幼気な少女たちが抱きついて離れない鄭和らの姿に、劉大人や羅馬の元執政官、エウメネスらは大いに呆れ、エバンティスが泣きながら頭を下げるのでした。

 

 

 ──こうして出立の日に、使節団の帆船には300名ほどの先住民が乗り込むことになりました。

 

 男女比は見事に1対2で、女性の半数は鄭和らが責任を取るべき少女たちですが、この頃になると情けない男たちの顔にも笑顔が戻っています。

 

 

 まあ、なんと申しますか、彼らも溜まっていたのです。物理的に。

 

 それを笑顔で解消してくれる少女たちに、悪い、悪いと思いながらも愛着を抱くのは当然のこと。

 

 そして彼女たちも、当初は使節団全体への好意と混同しているところがありましたし、慢性的な婿不足という切実な事情もありましたが、同じ時間を過ごすうちに真実の愛が芽生えるのも自然な成り行きで、健気に連れ添う姿はまことに幸福そうでした。

 

 

 あまりの熱愛ぶりに、劉大人は「上手いことやりやがって」と悔しがって奥様につま先を踏まれたりもしましたが、秋の終わりに彼らを乗せた帆船は偏西風を帆に受けて、異様な速さで大西洋を横断しました。

 

 その間、出発点たる北米沿岸から地中海のジブラルタル海峡までわずか10日。

 

 そしてエジプトの首都アレクサンドリアまではたったの2日──。

 

 

「──戻りおったか!!」

 

 

 魏国の使節団が帰港したとの報告に、この国の王にして神たるファラオは玉座から立ち上がって歓喜したと言われます。

 

 

「しかも恐るべし竜と遭遇しながらしぶとく生き延び、カカオのみならずバナナやジャガイモ? まで持ち帰るとは大したものだ。本当に大したものだ……」

 

 

 心身が灼けるほど高揚して、気分まで若返ってくる──新王(ファラオ)たるプトレマイオス一世は若き日の憧憬(ユメ)を思い出しました。

 

 

 ──かつて王子(アレクサンダー)はこう語った。いつか最果ての海(オケアノス)を見てみたいと。

 

 そのとき、王子の側近騎兵将校(ヘタイロイ)であったプトレマイオスはこう返した。そんな東の果てまでどうやって往くつもりだと。

 

 

「そうだね。とりあえず絹の国(セリカ)まで征服すれば往けるんじゃないかな? 具体的な方法はエウメネス、君に任せた」

 

「ファック。そんな計画を丸投げするヤツがあるか、この野郎……」

 

 

 そうだ。これは征服王イスカンダルと共に夢見た未来であり、彼の病没をもって色褪せた思い出であるはずだった。

 

 ……しかし違ったのだ。これは稀代の軍略家である大王がおらずとも選べる道なのだ。

 

 

 その証拠に見よ。呉鳳明の手下たちを。

 

 奴等は主君への忠誠だけを原動力に不可能と思われた西を大洋を──その偉業に感動したプトレマイオス一世は決意しました。

 

 

「ただちに宴の準備にかかれ! それと倅の長男も呼べ。あやつに取り急ぎ申し渡す儀ができおったおったからな……!!」

 

 

 ファラオの命令は速やかに実行され、玉座の前には数冊の本を抱えた一人の青年が連れてこられます。

 

 

「何の用でしょうか? 僕はパピルスをすべてホーメイ紙に置き換えるという、誰かさんの思いつきを実行するのに忙しいんですがねえ……?」

 

「ウハハ! 相変わらず王にして神たるファラオに無礼な口を叩きよるが、度胸だけは認めてやる。貴様も魏国の使節団が帰港した件、聞き及んでおろうな」

 

「ええ、大したものだと思いますよ。その熱意がどこから出るのか、てんで意味不明な件に目を瞑ればね」

 

「そうか、ならば学ばせてやる。儂はこの機に奴等の主君と盟を結ぶつもりだが、その仕事を貴様に任せる」

 

「えっ!?」

 

「『えっ!?』ではないわ。もはや魏国の先進性と、それを一代で構築した呉鳳明の有能さには疑問の余地がない。……本当は儂みずから往きたいところを、この国の先を見据えて貴様を往かせるのだ。しっかり学んでこい」

 

「……参ったなぁ。食事が口に合えばいいんだけど」

 

 

 その名は後にプレトマイオス三世となる恩恵王(エウエルゲテス)

 

 彼は2万の文民を率いて、プトレマイオス一世から珈琲を下賜された使節団に同行。

 

 開封の地で呉鳳明らと会見して国交交渉に勤しむ傍ら、現地の優れた文化に惹かれて大いに研究することになりますが、それはまだ先の話……今は祖父の思いつきに振り回される哀れな青年に過ぎません。

 

 急遽、独自の船団を編成する羽目になったエウエルゲテスは、多忙のなかで鄭和らとの面通しを済ませたものです。

 

 

「……どうも。皆さんの噂は予々(かねがね)。祖父に皆さんと同行するように命じられましたが、別に間諜働きをするつもりはないので、魚のエサにするのは勘弁してくださいね」

 

 一目で苦労しているのだと判るやつれきった姿に、使節団の人々は優しくしてやろうと決意してから口を開くのでした。

 

 

 それから、およそ半月後──。

 

 数百の船団を抱えることになった使節団は、プトレマイオス一世とエウメネスの助言を受けて、地中海からギリシャ沖を北上。ダーダネルス海峡から黒海を経由して、匈国の支配下にあるカザスフタン入りを目指すことになりました。

 

 劉大人は紅海からインド洋を経由して海路での開封入りを提案しましたが、これには鄭和が強く反対したものです。

 

 

「この帆船だけならば可能かもしれないが、埃及の船団に無理はさせられない。劉大人の提案した海路の研究は帰国したら鳳明様に掛け合うから、今は勘弁してくれ。匈国にも帰路の護衛を依頼済みだからな」

 

「そうかい。……残念だが、そういうコトなら仕方ねえや」

 

 

 これは口約束ではありません。

 

 帰国したら鄭和は斉の王建王に協力を仰ぎ、南洋から埃及、羅馬までの安全な海路を開拓。

 

 今回の航海と合わせて、貴重な日誌を献上することになります。

 

 

 その名は『鄭和の航海日誌』。

 

 これは紀元前の東洋と西洋が海路で結ばれていたことを立証する特一級の史料で、原本は中華共和国の国立博物館に展示されています。

 

 

 さて、それはさておき。

 

 劉大人を納得させた使節団の航路ですが、もうひとつ問題となったのは、途中で羅馬に立ち寄るか否かでした。

 

 

「……難しいな。羅馬の船大工たちには大変世話になったこともあるし、帰国を望むなら十分な金子を与えて送り届けたいが、何しろ我らの出国の経緯が経緯なのでな。慎重を期さねばならん」

 

 

 そう答えた鄭和の言葉には隠しきれない苦味があります。

 

 僻地の小国と見下されたばかりに、羅馬の元老院は老執政官以外聞く耳を持たず。鳳明の親書も受け取りを拒否されて、独自に建造した帆船での出航も差し止められた経緯もある。祖国の無理解に老執政官も苦虫をかるく数万匹は噛み潰したような顔になります。

 

 

「……幸いと言ってはなんですが、孫娘に預けた船大工たちも、全員がこのまま開封(ローマ)入りすることを希望しております。儂も最後に迷惑をかけた親族に詫びたい気持ちもありますが、今の祖国(ローマ)に立ち寄るのは危険でしょう。場合によってはエジプト(ローマ)との火種になりかねないことを思えば、プレトマイオス一世の助言通り、東の沿岸沿いを北上して不用意な接触を避けるべきでしょうな」

 

 

 こうして一度は羅馬入りを断念しましたが、その方針はすぐに撤廃されました。

 

 おそらく、使節団の寄港を確認したのでしょう。出航の前日に羅馬側の使者がアレクサンドリア入りして、驚く老執政官に必死の取りなしを頼んできたのです。

 

 

「私は愚かでした。よく知りもしないで、彼らの故郷を遠い未開の小国と決めつけてしまいましたが、とんだ誤りでした」

 

「私も彼らの帆船を見ました。これほど見事な船の設計図を持ち込み、限られた資材で完成させた彼らの先進性は疑う余地がありません」

 

「執政官殿におかれましては、どうか、どうか使節団との仲介をお願いしたい。このままでは国益を損ねた愚か者として、私たちの名前が歴史に刻まれることが避けられません」

 

 

 老執政官の足元に跪いた使者のなかには、そんな僻地の小国と手を結んでどうすると吐き捨てた元老もいましたが、この様子を見るに彼らの認識は大いに改められたようです。

 

 

「──よかろう。祖国(ローマ)の為に働くはこの儂の喜びよ。幸いにも使節団の方々とは懇意の間柄ゆえ、話を通すのはさほど難しくない」

 

「おおっ! それでは、執政官殿……!!」

 

「うむ。今度こそ祖国(ローマ)の為に、鳳明様(ローマ)と共に歩もうではないか!!」

 

「『おおっ! 鳳明様(ローマ)の為に!!』」

 

 

 そんな経緯で、アレクサンドリアの港に詰めかけた人々の盛大な見送りを受けた使節団は、進路を北西にとって羅馬に立ち寄り。

 

 異常とも思える歓迎の空気に困惑しながらも、今度こそ鳳明の親書を手渡し。

 

 幾つかの合意を結んだ後に、元老院が組織した3万にも及ぶ随員と大規模な船団を受け入れ、当初の予定どおりイスタンブールを経由してセバストポリに上陸しました。

 

 

 ……ここで羅馬側の人員およそ8000と、埃及側の人員およそ5000ほどが船をまとめて帰国の途に就きましたが、それでも残りの人員はおよそ40000と、ちょっとした軍団規模です。

 

 ウクライナの周辺で待機する匈国の人々も、最初は大いに困惑させられたことでしょう。

 

 

「……どうだ? アレがどこの軍か判ったか?」

 

「そんなに急かすな。 恫遼単于(どうりょうぜんう)から預けられた双眼鏡は扱いが難しいんだ。……だが、奴等がどこかの軍隊ということはないはずだぞ」

 

「根拠は?」

 

「武器を持ってる奴等が極端に少なく、女や老人の姿もちらほら──あっ!?」

 

「なに!? 何を見つけたか説明しろ!!」

 

「ああ、見つけたぞ。……魏の旗だ。アイツらが俺たちの待ち人で間違いない」

 

「こちらでも確認した……魏国の旗だけじゃなく、鳳明の旗もある。あの劉大人とかいう、やたら面白いオッサンもえらい別嬪さんを連れて手を振ってやがる……」

 

「ハハハ。それじゃあ本当にそうなのかよ」

 

「……チクショウ。さんざん待たせやがって。無事なら連絡ぐらい寄越しやがれってんだ」

 

「そうと判ったらさっさと往くぞ!  恫遼単于(どうりょうぜんう)お待ちかねの使節団を連れ帰るぞ!!」

 

「『オオッ!!』」

 

 

 なだらかな稜線を疾駆する騎兵の姿に、かつての蛮族の被害を知る羅馬人たちは緊張しましたが、太々しい笑顔で振り返った劉大人が彼らの不安を解消しました。

 

 

「ああ、ちがうちがう。アレは味方だ。むかしはこの辺で暴れていた連中と同じで随分と粋がってたみたいだが、今じゃ鳳明様の飼い犬も同然。可愛い奴等だよ」

 

「──そんな大声で随分な言い草じゃねえか、オッサン。俺たちのどこが鳳明の飼い犬だって?」

 

「そりゃあ鳳明酒にありつけないと、お預けを喰らった犬みたいに切ない顔をするところかな。欲しいだろ、お前らも」

 

「欲しいな。仕方ない。ここは飼い犬の評価に甘んじてクーンと鳴いてやろう」

 

「よしよし。それじゃあお前さんたちも荷下ろしを手伝ってくれ。ただでさえ荷沢山なのに、羅馬と埃及の奴等が景気良く土産物を持たせてくれた所為で人手が足りないんだ」

 

「ちなみに鳳明酒は?」

 

「無論まだあるさ。鄭和たちに飲まれないように、一番奥の船倉にたんまりとな」

 

「よし、ならば協力しよう」

 

 

 吉報はただちに届けられ、匈国の首都サマルカンドは喜びの声にあふれました。

 

 

「──そうか、やり遂げたか」

 

 

 サマルカンドの居城も立派なもので、特に 恫遼単于(どうりょうぜんう)(おわ)す謁見の間は開封のそれと比較しても遜色がありませんが、実はこの件にも鳳明が関わっています。

 

 

 もともと匈族は都市を持たない遊牧民でしたが、鳳明から大量の贈り物を押し付けられた彼らは、仕方なしに物資の集積所たる拠点の建築を強いられたのです。

 

 しかし最初こそ仕方なしでしたが、仮初の拠点を利用してほどなくその利点に気づかされました。

 

 拠点は物資を貯蔵するだけではなく、広大な草原地帯に点在する各部族との連絡を取ることも円滑にして、年老いて遊牧についていけなくなった老人が余生を送るのにも、傷病者の療養や子育てにも便利だ──そのことに気づいた 恫遼単于(どうりょうぜんう)は、先の長平の戦いの折に末子・頭曼を参戦させた対価として、鳳明から魏国の技師を借り受けて拠点に手を入れたのです。

 

 むろん、鳳明自身に立派な設計図を描かせて……。

 

 

「それで、このサマルカンドには何時ほど到着する?」

 

「来月の初めには」

 

「早いな! まさか急かしたのではあるまいな?」

 

「いえ、配下の精鋭が使節団と合流後も、周辺の部族が替え馬を提供するなどの支援を行いましてな。往路こそ賊の討伐と並行してでしたから半年ほど要しましたが、復路は今や無人の野を往くが如し。替え馬も潤沢ならば、二月ほどの横断も十分にあり得ます」

 

「なるほどな。……頭曼よ。そちも知っての通り、今や商人どもの護衛は我らの国家事業よ」

 

「存じております」

 

「鳳明の派遣した使節団を何事もなく開封に送り返せば、その成功を聞きつけた商人どもがわんさか押し寄せ、この国ははますます豊かになるという寸法よ。決してかるく考えるでないぞ」

 

「はい。鳳明の返礼が今から恐ろしくはありますが……」

 

「……とにかく頼むぞ。使節団の無事を知らせればあやつが大喜びして、またぞろとんでもない量の物資を押し付けてくるのは確実なのだ。そこをなんとか、別の物とすり替えるのがそち仕事だ。次期単于としての器量、そちに期待してもいいのだな……?」

 

「鳳明とは知らない仲でもありませんから、まあ、なんとか泣き落としてみますよ」

 

 

 往路の三倍の速さで匈国の首都・サマルカンド入りを果たした使節団と、その直前に開封入りした頭曼の事情──両国の中継点である雁門の長官である李牧の報告を目にした藺相如は、府内ではまことに珍しく失笑を漏らすのでした。

 

 

「ん? おぬしが笑うとは珍しいな。……李牧めの寄越した書状にそれほど愉快なことが書かれていたのか?」

 

「ああ、将軍。どうやらあの子はまたしても世界を縮めてしまったらしい」

 

「……世界を縮める?」

 

「そうだ。あの子が夢想するまで、大陸の東西を交易で結ぶなど思いつきもしなかった。この私ですら懐疑的な中、あの子だけが図面を描き、必要な物を取り揃えて実現させた。それが私には愉快で堪らないのだ」

 

「ふむ……?」

 

「信じられるか? 私たちが上党の地を争っている中、あの子だけが中華の外に飛び出して、西方の大国と名高い羅馬と埃及を味方につけてしまった。

 ……来春にも開封で開催される昭王との会合には、彼らも出席することになるのだぞ。中華の事情など何も知らない他国の重鎮が、それ故に中立の視点で醜い争いを俯瞰するのだ。

 わかり易く言い換えれば、いよいよ家内の恥が世間の目にとまるのだ。私にはこれが愉快で堪らないよ、将軍」

 

「ううむ……儂には何のことかさっぱりだが、藺相如が言うならそうなのであろうな」

 

「ああ、私は決めたぞ将軍。私ももう年老いた。そろそろ後身に身を譲ろうと思ったが、そう思うことは辞めにする。

 昭王との会合には私も参加する。あの子の思い描く未来を実現するために、この藺相如、最期の生命を振り絞るつもりだ」

 

「そうか、まあ、好きにせよ……ではないわッ!? 何をサラッと不吉なことを言っておる! 儂より若い身で先に逝こうとするなど許さんわい!!」

 

「フフッ、では将軍も同行してもらおう。私より先に開封入りした将軍の知見に期待させていただくよ」

 

「お、おう。それなら……いや待て! なんかいいように言い包められた気がするぞ!!」

 

 

 藺相如は言った。呉鳳明こそが世界を短縮させたと。それは事実であり、使節団の人々の共通する認識でもあった。

 

 彼が匈族を動かさなければ安全な陸路などなかった。彼が設計図を描かなければ大洋を渡る帆船など実現できなかった。

 

 自信にあふれた劉大人すら自身の功績など大したことないと謙遜するのは、ひとえに彼をこの高みまで導いた鳳明を見てきたからだ──。

 

 

「もうすぐだ。もうすぐだぜ、オクタヴィア。劉邦も、開封に着いたら真っ先に鳳明様に会わせてやるからな」

 

「ほーめいさま?」

 

「そうだ。鳳明様だぜ、劉邦。鳳明様こそ俺たちの太陽だ。きっとお前も惚れ込むと思うぜ」

 

「おいおい、鳳明様はご多忙なんだろう? 荷下ろしだけでも何日かかるかわからないというのに、会ってもらえるのかな……?」

 

「まあ、普通に考えたら無理だろうな。何しろ今の開封は雪溶け早々に行われるという、昭王との会合に向けておおわらわって話だからな。だがよぉ、俺たちの知る鳳明様なら必ず会ってくださる。何ならすで港で待っていてもおかしくないね」

 

 

 はたして劉大人の確信は正しかった。

 

 

「見えてきたぜ……あの真っ白に磨き抜かれた城壁は間違いねえ。あれこそが開封の誇る白亜の三重城壁。鳳明様が戦乱に明け暮れる中華に築いた地上の楽園。自由と商人と美食の街。開封なんだぜ……」

 

「あれが開封……」

 

 

 サマルカンドを後にした使節団が雁門から鄴へと向かい、用意された船団に乗り付けて開封の水門を潜り抜けたとき、そこに待ち受けていたのは──。

 

 

「お帰りなさい、劉大人。僕の帆船で西の大洋を越えたというから、心配していたんですよ」

 

「ほっ、鳳明様……!!」

 

 

 このとき、劉大人は耳まで真っ赤になっていました。

 

 

「とーちゃん、かおまっか」

 

「うん、そうだね劉邦。この人と初めて会ったときのわたしでも、こんなに恥ずかしそうな顔はしてなかっただろうけど、仕方ないよ。だって──」

 

 

 鳳明様に会えたんだもん、という母の言葉は聞き取れなかったようです。幼い劉邦は微笑しながら落涙する母親を不思議そうに見つめたあと、ゆっくりと頭を巡らせました。

 

 

「……この方が鳳明様か」

 

 

 そこで曽祖父の漏らしたつぶやき反応した鳳明と視線が合い、劉邦は困ってしまいました。

 

 

 えらいひとだ。このひとはとってもえらいひとだ。しせつだんのだんちょーや、しっせーかんのじいじよりもずっと。もしかしたらえじぷとのふぁらおよりも。どうしよう。しつれーしたらかあちゃんにしかられる。

 

 そのような思考を巡らせたのか、微かに怯える気配を滲ませる劉邦でしたが、幼子の不安はすぐに霧散しました。

 

 

「初めまして、劉邦くん。僕はこの国を預かる呉鳳明というんだ」

 

「ほーめいさま?」

 

「うん、その鳳明だ。──コルネリウス様とオクタヴィアさんもよくぞ劉大人を支えてくださいました。友人としてお礼を言わせてください」

 

 

 自分の足で立つ劉邦と目線を合わせ、優しく抱き上げた鳳明が途中から切り替えたのは見事なラテン語でした。

 

 謁見を求める者たちを下に見ず、同じ目線、同じ言葉を用いる鳳明の配慮にオクタヴィアたちは胸が詰まりました。感動のあまり何も口にできなかったのです。

 

 そんな鳳明の元へ恐縮した姿を見せたのは、使節団の団長である鄭和と副官の英明でした。

 

 

「鳳明様、申し訳ありません。成果を急ぐあまり勝手なことを致しました……」

 

「そうですね。その点は信陵君も頭を抱えていましたし、僕も無茶をするなら事前に言ってほしかったです。そうしたらもう少し楽をさせてあげられましたから」

 

 

 鳳明のまるでやんちゃな男の子に向ける母親のような微笑に直面した鄭和たちは、まるで劉大人に倣いでもしたかのように赤面しましたが、「でも」という次の言葉に俯いた顔をあげます。

 

 

「よくやってくれました。貴男(あなた)たちの決断が世界を拓き、より多くの人々をこの開封に招いたのです。僕は使節団の偉業を心より誇らしく思いますよ」

 

「『ふぐぅ……!!』」

 

 

 堪らず号泣したのは鄭和と英明だけではありません。使節団に同行した文官、技師、商人──すべての(おとこ)たちが膝から崩れ落ちたのです。

 

 そこに人種や国籍は関係なく、誰もが温かいものに包まれて安堵したのでしょう。

 

 ただ一人直立して劉邦をその胸に抱く鳳明だけが、予想以上の反応に困ったような笑みを浮かべましたが、まあ、これも開封お馴染みの光景と言うべきでしょうか。

 

 

「さて、皆さん。あらためまして、遠路はるばるようこそ開封へ。とりあえず人数分の宿を確保しましたので、荷下ろしはこちらに任せて、まずは旅の疲れをお癒しください」

 

 

 うんうんと頷くことしかできない人々の姿に、鳳明はきちんと伝わっているのか不安になりましたが、騒ぎを聞きつけた霊鳳に話を通すと、割とすんなり解決しました。

 

 

「話は分かったが、軍港に顔を出すならせめて叔父貴ぐらいには話を通しておけ。そら、護衛の奴等もお前を見てニヤニヤと笑ってるぞ」

 

 

 霊鳳本人には盛大に呆れられてしまいましたが、大任を成し遂げた使節団の人々はこうして開封の街に受け入れられていったのです。

 

 

 ……長くなりましたが、最後にこの使節団に参加した人々や国々の顛末をここに記します。

 

 

 先に記しましたが、団長の鄭和は劉大人との約束を最後まで守り抜き、大陸の東西をより親密に結びつける航路の開拓に尽力しました。

 

 これにより、羅馬、埃及、天竺(インド)といった国々との大規模な海上輸送が実現して、鄭和の航海日誌は現代でも各国海運関係者の愛読書となります。

 

 享年、68歳──鄭和は愛妻家としても知られましたが、奥方との年齢が30歳近くあったことから、一部ネットでは小児性愛者(ロリコン)の疑いもかけられましたが、まあ、これは自業自得でしょう。NNNの大河ドラマでかなり威厳のない人物に描かれたことも含めて……。

 

 

 それよりも問題は、鄭和の副官を務めた英明ことエウメネスの風評被害です。

 

 実は鳳明の要請で使節団に参加したエウメネスの年齢は、すでに60過ぎ……この話を初めて聞いたとき、劉大人は大いに疑わしそうな眼を向けたりしましたが、事実です。たとえ青年にしか見えなくても、実はかなりの高齢というのはこの世界ではよくあることです。

 

 よって、エウメネス自身は、鄭和らの溜め込みすぎたが故の過ちとは完全に無関係でしたが、何しろ見た目が見た目、かつ上官に嫁いだ少女があまりに幼かった為、当時から結構な風評被害を受けることになりました。

 

 特に同じ開封で暮らす波斯(ペルシャ)人からは、衛盤ことエバンティスが鄭和と同罪だったことからなかなか信じてもらえず。

 

 折に触れ、現代まで残されている手記のなかで何度も関与を否定する羽目になり、その必死さから実は黒だったのではと、余計に疑われることになり……彼のことを散々ネタにした歴史作家の 南冲尋定(なんちゅうえろさだ)も、近年では著書の後書きでフォローをするようになりましたが、それが却ってネタになるという悪循環に……。

 

 ともあれ、アレクサンドロス大王の書記官であったとも言われる英明は、その後も長く生き、鄭和の葬儀に参列してから姿を消したと言われます。

 

 よって、没年は不明ですが……彼が充実した日々を送っていたことは間違いないようです。

 

 

 次に、劉夫妻とその子息、そしてエバンティスは今後も登場するためここには記しませんが、老執政官(コルネリウス)は中華各国との国交樹立に尽力したあと、羅馬にとんぼ返りして元老院に復帰。以降も各国との交流に尽力したとあります。

 

 この点は埃及のエウエルゲテスも同じで、帰国してプレトマイオス三世となった彼は恩恵王と讃えられ、自国のみならず周辺諸国の発展にも寄与しました。

 

 そしてプルムクや万作といったアメリカ大陸の先住民たちも、やがて鄭和の開拓した航路を使って帰郷し、現代まで残る中南米共和国の祖として活躍することになります。

 

 彼らの築いた国は、中世後期に欧州から渡海してきた海賊の侵攻を物ともせず撃退したそうです。

 

 特に北米大陸を植民地にしようとしたスペインの海賊は、開封で開発された後装式の猟銃を装備したインディオ騎兵およそ10万に包囲され、かなり屈辱的な命乞いを余儀なくされたとか……北米の先住民を蛮族と侮った欧州の人々が、初めて呉鳳明の存在を呪った瞬間がこれです。

 

 

 これはハンニバルの乱や、ゲルマン民族の大移動といった危機を凌いで東欧のコンスタンティノープルに遷都したローマ共和国も変りません。

 

 この時代に開封の使節団が紡いだ縁はオスマン帝国の台頭や、匈国の分裂から生まれた元の果てなき野望といった、多くの危機に直面しながらも決して途絶えず、現代まで遺されたのです。

 

 それを後世の歴史家は、世界史における呉鳳明の深慮遠謀の最たるものと絶賛しますが、本人はやはり、そうした評価に困惑するばかりでした。

 

 

 彼はただ、この時代の人々より少しだけ遠くが見えただけです。

 

 どんなに気をつけても抜けきれない未来の常識を持ち込んでしまい、それが神格化されただけだと思ってました。

 

 しかし、彼自身がどう思っていようとも、その影響が絶対であることを示す事例のひとつがあります。

 

 それは彼の施策が猛威を振るった地域では宗教が発展しない、という点です。

 

 

 中国、中東、東欧、そして南北アメリカと、日本──こうした国々では宗教が大きな力を持ち得ませんでした。

 

 

「うん、神を讃えろって? 結構なことだが、俺たちにはホーメイ様というド偉い神様が既にいるから、おたくの勧誘はノーセンキューな」

 

 

 中世にインディオ共和国に赴任した宣教師は、上記のような答弁を返した人々を不信心だと批判しましたが、彼らが神の救いを求めていないのはひとつの事実でした。

 

 神に救いを求める人々を出さない社会は幸福なのか、それとも不幸なのか──その議論をこの場でするつもりはありませんが、この現代においても呉鳳明の名が歴史上の人物にとどまらぬ意味を持つと知ったら、本人はどう思うでしょうか。

 

 

「ん? 随分といい匂いがするな。……それが加加阿と珈琲か、鳳明」

 

「はい、信陵君。半数は栽培のため王建王のところへ送りましたが、残りは我慢しきれなかったのでちょっと焙煎を……」

 

「やれやれ。どこまでいってもそれとは、世の鳳明教信者たちにはとても見せられない光景だな」

 

「すみません。こんな個人的な我が儘のために、多くの人たちを巻き込んだりして……。お詫びになるかわかりませんが、ちょうど珈琲豆の焙煎が終わったので、試しに淹れてみようと思いますが、信陵君もお飲みになられますか?」

 

「うん、折角の好意だから頂くか。鳳明が血眼になるくらいだから、さぞかし旨いのだろう?」

 

 

 呉鳳明が神でもなければ深慮遠謀でもないひとつの証左として、この事件はとみに有名でした。

 

 その事件の通称は『魏国文官団集団カフェイン中毒事件』。

 

 鳳明が過労の傾向にある部下たちのせめてもの慰めに用意した珈琲は、実際のところ全く逆に作用してしまい、カフェインで無敵になった信陵君や李斯たちはますます社畜の道をひた走ることになります。

 

 

 歴史家の司馬遷が自身の著書のなかで、しばしば鳳明の監督責任を否定するのも、珈琲という魔剤の魅力に取り憑かれた文官たちの、悲しい性質(サガ)なのかもしれません……。

 

 

 

 

 







なんか異様に長くなった上に最終回みたいな雰囲気になってますけど、今後も続ける予定ですのでファンの方は安心してくださいね……?


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